羽子板星

まみはらまさゆき

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第1章

(2)彰子という少女

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あれからもう1年も経ってしまった。
牧雄と彰子、17歳の冬のことだった。

すでに日も暮れてしまった頃、幼なじみのふたりは家路を急いでいた。
ふたりは午前中に家を出て、映画を2本見て、書店やレコード店に立ち寄ったりして一日を過ごした。

そして、コーヒー店で少しオトナな気分に浸りながら、それぞれ一杯のコーヒーとケーキだけで話し込んでいるうちにすっかり遅くなってしまったのだった。
その日はふたりとも話が弾み、家に帰ってしまうのがとても惜しい事のように思えたのだ。

その日は別れたとしても、翌日にはまた会えるというのが分かりきったことであっても。
ふたりはその日の一日を終えてしまうのが、たまらなくもったいなく思えたのだ。

それで、気が付いたらだいぶ遅くなっていた。

渋滞に思うようには進んでくれないバスに、かなりのもどかしさと苛立ちを感じた。
けれども、それだけふたりでいる時間が伸びるというかすかな喜びをも感じるという奇妙な思いの末に、ふたりの家の最寄のバス停に着いた。

バス停のところにある小さいスーパーや果物店がまだ煌煌と明るいのを見た時には、やっと帰りついたという安堵感があった。
まだ店が開いているくらいだから、自分たちが思うほどにはそんなに遅いわけではないだろう・・・と。

実際、時計を見ると夏だったらまだ太陽は沈んでいない時間だった。
しかし夜の帳はすっかり下りきってしまい、店を離れるともう夜中のように真っ暗だったが。

それからふたりは公社住宅の方へと歩いていった。
バス停から公社住宅までは、ひと気のない雑木林と、宅地造成工事現場の中の一本道を行かねばならなかった。

ゆるい坂道の両側の林は暗く、そして常緑樹の葉ずれの音が大きく聞こえるほど静かで、ひどく不気味だった。
ふたりは手をつなぎ、白熱ランプのわびしい防犯灯だけが点々と立つ道を急ぎ足で、やがて小走りで通り抜けていった。

牧雄の左手は彰子の右手をしっかりとつなぎ、右手はふたりの荷物をぶら下げていた。
それが駆ける足に幾度もせわしく当たり、紙袋は二人をさらに急きたてるようにガサガサと言った。

ところが雑木林を抜けて造成工事現場まで来て公社住宅の明かりがすぐ目の前に見えるところで、彰子は突然手を離して立ち止まった。
牧雄がさらに5、6歩進んで振り返ってみると、彰子はそれまで牧雄と結ばれていた右手を電柱に置いて身体を支え、ぜいぜいと肩で息をしていた。

長い髪が肩の動きに合わせて揺れ、吐き出された息が頭上の防犯灯に照らし出されて黄金色に輝きながら昇っていた。
息を整えながら彰子は言った。

「ちょっと休もう」

額には汗が浮き、ふと牧雄は自分も同じく汗ばんでいる事に気が付いた。
彼も息は上がってはいたが、家へはあと少しなので、牧雄は言った。

「歩いてでも、なるべく早く帰ろう。おじいさんも心配しているだろうし」

家の近くまで帰ってくると、離れたくないという気持ちよりも、ひとりで彰子の帰りを待っている彼女の祖父の事が気に掛かりはじめていた。

・・・

彰子の家は祖父とふたりきりの生活だった。

母親は彰子を産んだ直後に、彼女を置いて逃げるように男と行方をくらませた。
祖父は彰子を一方的に押し付けられた形となったが、それでも愛情を持って彼女を育てた・・・それが、近所で知られている彰子と祖父に関する事だった。

けれども、近所ではもうひとつ語られていることがあった。
彰子の祖父はかつて人を殺した、と。

しかしそれは表向きは事実で、実際は「人殺し」とは異なるものだったらしい。
彰子は牧雄に打ち明けたことがある。

彼女の祖父は若い頃、トラックを運転中の過失で母子おやこ3人を死なせてしまったと。
それも前晩の酒が抜けきらないうちの運転で、しかも脇見運転という重い過失で。

若かった祖母はちょうどその頃に彰子の母を身ごもっていたが、夫の起こした事故で生活は暗転した。
彰子の祖父はもともとは腕の良い溶接工だったが粗暴な性格で、それもあって彰子の祖母は世間から後ろ指を差され続ける毎日だったようだ。

彰子の祖父が出所すると、祖母はまだ幼かった彰子の母を残して去っていった。
さすがの祖父も幼子を抱えてオロオロしながら、元の勤め先の鉄工所に復職し、懸命に働きながら彰子の母親を育てた。

しかし短気でギャンブル好きも酒好きも抜けない祖父を、彰子の母親は成長するにつれて遠ざけていった。
そして道を踏み外し、悪い男に捕まって、堕ちていってしまった。

若気の至りというか勢いで「作ってしまった」彰子を置いて、両親は消えてしまったのだ。
彰子は「私は、捨てられた子なんだ・・・」と淋しそうに呟くことがあった。

彼女は自分を捨てた両親を、憎んでいた。

その両親が、2、3年前ほどから彰子のもとに頻繁に現れるようになったのは牧雄も知っていた。
祖父には、彰子の親権を主張し、彰子には、良い暮しをさせてやる、一緒に住まないか、と甘言でもって誘いを持ちかけているようだった。

彰子は、牧雄に以上のような身の上の事を洗いざらい話したあと、両親のもとに行くつもりははじめからないと言い切っていた。
牧雄も、彰子のその意志をごく当たり前の事のように受け止めた。

彰子が両親と暮したとして、そこには暗い闇が待ち受けているのは牧雄も感じ取っていた。

しかし、彰子と祖父の家はそのような事情が隠れているとは思えないほど明るく、微塵の暗さも見て取れなかった。
祖父は歳とともに大人しくなり、老体にも関わらず働き続けた。

それは、彰子を育てるためでもあった。
彰子は病弱だったがそれでも小学生の頃から買い物や簡単な料理、そして掃除洗濯などの家事をこなしていた。

祖父が帰宅すると、ふたりだけとは言え温かい食事があり、笑いに彩られた団らんがあった。
そうして二人は何の支障もなく毎日の生活を送っていた。

祖父は彰子を心から可愛がっていたし、彰子も祖父を心から慕っていた。
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