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第1章
(3)青い星あかりのうつろの中へ
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彰子の祖父の孫娘に対する温かい心や愛を牧雄は知っているからこそ、こうして家路の途中で立ち止まっているその時でも彰子の帰りを心配しながら待っているのではないかと、気が気でなかった。
けれども彰子は、呼吸が整ってからもなかなか歩こうとしなかった。
公社住宅に配達した帰りなのか、バス停そばにある酒屋の単車の前照灯がふたりを明るく照らしだし、ふたりは道の端によけた。
単車が通り過ぎ、あとに残された白い排ガスが風に流され消えてからも、彰子は下を向いたままだった。
牧雄は彰子の手を取り、「帰ろう」と言った。
しかし彰子は微かに首を振り、牧雄の手を握り返した。
そして、彼の手を引いて、造成地の入口である鉄の門の内側に引き入れた。
「帰りたくない」
「だけど、本当に早く帰らないと・・・」
「お願い」
彰子は嘆願するように言った。
「今日はなんだか帰りたくない。おじいさんが心配しているのは、分かってる。これ以上心配させちゃいけないってのも、分かってる。でも、やっぱり帰りたくない。牧雄くんと一緒に居たい」
牧雄は、胸の鼓動がいきなり高くなり、頭に血が上るのを感じた。
彼は、まじまじと彰子の顔を見た。
彼女は牧雄の視線を感じ、ふっと目を反らした。
牧雄はどうしたものかと迷った。
普段だったら照れ隠しに「バカ言うない」と笑い飛ばしたかもしれないが、それはできなかった。
彰子の思い詰めたような横顔があまりにもきれいで、はっと胸を衝かれたのだった。
牧雄は息が詰まって何も言うことができなかった。
彰子は彼の腕をすがりつくように取りながら、立入禁止の立札の向こうにある造成地へと進んでいった。
前晩の雨のせいで造成地はぬかるみだらけで、しかも元からでこぼこの多い足元は暗くてほとんど何も見えなかった。
足を取られないように用心して歩いたが、それでも何度かつまずきそうになり、ふたりの肩がぶつかるように触れ合った。
その度ごとに彰子の方から、衣類の柔軟剤などの香りと彼女の匂いが複雑に合わさった、なんとも甘い香気が彼のほうへと散ってきて、心臓はますます跳ねて頬の辺りが熱くなるのを感じた。
ふと上を見上げると、前晩の雨で大気中の微細な汚染物質が洗い流されてしまったせいか、星は珍しいくらい美しく見えていた。
目が慣れてくると、その星明りで水たまりがぼんやりと薄白く見えてきて、それを避けながら歩いていった。
闇の中に怪獣の影のように浮かぶ重機や工事車両の前を通り過ぎながら薄気味悪さも感じたが、けれどもそれとは関係なしに心の中には淡い期待感のようなものもふつふつと湧きあがってきた。
彰子と、二人きりで、誰の目にも届かぬ場所に行きつつある、と。
・・・
牧雄と彰子の関係は、幼なじみの仲良しのまま高校生になったようなもので、付き合いといえば他人の目の存在するところで公然と行なわれてきたのだ。
しかし牧雄は中学生になる前後から、そのような関係に物足りなさを感じ始めた。
彰子をひとりの異性として見て、彰子のことをひとりの異性として好きになり、そして彰子のことを彼にとってかけがえのない存在に思うようになった。
彼女といつまでも一緒にいたい、ふたりきりの場所で寄り添いたい、彼女を心をこめて抱きしめたい・・・そう密かに思い続けたまま、数年が過ぎた。
そして、ついにその夜、夢が現実のことになりつつある。
けれども彼の心は夢の中に遊ぶように浮き足立ち、口から何か言葉を出そうとしてもあやふやな言葉の切れ端が喉の奥に引っ掛かって出てこようとせず、ただ、いつの間にか彼が彰子を導くように歩いていた。
やがてふたりは、造成地の外れまで来てしまった。
そこにはヒューム管や鉄管が整然と並べてあり、二人はその端のヒューム管の上に腰を下ろした。
彰子は、ふっと深い息をつきながら、つぶやいた。
「どうしよう」
「何が?」
「・・・」
彰子は、答えなかった。
そのまま、沈黙がゆるゆると流れた。
何も語らず肩を寄せ合ううちに牧雄は次第に心が静まってきて、けれどもその心の中からふつふつと温かいものが湧いてくるのを感じていた。
「星がきれいだ」
牧雄は独り言のように、ぽつりと言った。
日が沈んでから気温は急激に降下し、高原のように透徹した宵の空に星たちは寒さに凍えるようにちらちらと瞬いた。
ぼんやりとした星明りの中で、彰子の顔が空を仰いだ。
暗がりの中で、影絵のように見える彼女の横顔に牧雄は見入った。
そのまま再び、優しい沈黙が流れた。
彰子の吐く息が、見えるか見えないかの微かさで、ぼうっと闇の中に散っていた。
どれくらいの時間が経った頃か。
彰子が、鼻歌を歌い始めた。
そのメロディーは、中学時代に習った覚えのある「冬の星座」だった。
甘美で懐かしいような彰子の鼻歌は牧雄の心に静かに染みこんでいき、彼の心の中に湧きつづける温かいものと溶け合い、だんだんと熱い想いをかき立てた。
なにかが空の中で小さく光ったように見えた。
小さな流星か、それとも気のせいか。
それを目にして、彼は啓示を受けたように心にひとつの思いを決めた。
(今こそ、好きだと、想いを告げよう)
それまで、なかなか言い出せずに、心の中にしまい込んできた想いだった。
(今だったら、彰子も、ごく当たり前のように受け容れてくれるかもしれない)
牧雄は、心臓が壊れるのではないかと思うくらい鼓動が高く、早くなっているのを感じた。
彼は、拳を強く握り、(落ち着け)と自分自身に念じ、心を決めて彰子の名を呼ぼうとした。
その時だった。
彰子の鼻歌は「オリオン舞い立ち、昴はさざめく」のくだりでぴたりと止まり、周囲には静寂が戻ってきた。
牧雄は、出かかった彰子の名前を生唾と一緒に飲み込んだ。
彰子は牧雄の心に気付くはずもなく、静かな口調で言った。
「昴も出ているね。本当にさざめいているみたい」
「そうだね」
平静を装いながら牧雄は答えた。
けれども彰子は、呼吸が整ってからもなかなか歩こうとしなかった。
公社住宅に配達した帰りなのか、バス停そばにある酒屋の単車の前照灯がふたりを明るく照らしだし、ふたりは道の端によけた。
単車が通り過ぎ、あとに残された白い排ガスが風に流され消えてからも、彰子は下を向いたままだった。
牧雄は彰子の手を取り、「帰ろう」と言った。
しかし彰子は微かに首を振り、牧雄の手を握り返した。
そして、彼の手を引いて、造成地の入口である鉄の門の内側に引き入れた。
「帰りたくない」
「だけど、本当に早く帰らないと・・・」
「お願い」
彰子は嘆願するように言った。
「今日はなんだか帰りたくない。おじいさんが心配しているのは、分かってる。これ以上心配させちゃいけないってのも、分かってる。でも、やっぱり帰りたくない。牧雄くんと一緒に居たい」
牧雄は、胸の鼓動がいきなり高くなり、頭に血が上るのを感じた。
彼は、まじまじと彰子の顔を見た。
彼女は牧雄の視線を感じ、ふっと目を反らした。
牧雄はどうしたものかと迷った。
普段だったら照れ隠しに「バカ言うない」と笑い飛ばしたかもしれないが、それはできなかった。
彰子の思い詰めたような横顔があまりにもきれいで、はっと胸を衝かれたのだった。
牧雄は息が詰まって何も言うことができなかった。
彰子は彼の腕をすがりつくように取りながら、立入禁止の立札の向こうにある造成地へと進んでいった。
前晩の雨のせいで造成地はぬかるみだらけで、しかも元からでこぼこの多い足元は暗くてほとんど何も見えなかった。
足を取られないように用心して歩いたが、それでも何度かつまずきそうになり、ふたりの肩がぶつかるように触れ合った。
その度ごとに彰子の方から、衣類の柔軟剤などの香りと彼女の匂いが複雑に合わさった、なんとも甘い香気が彼のほうへと散ってきて、心臓はますます跳ねて頬の辺りが熱くなるのを感じた。
ふと上を見上げると、前晩の雨で大気中の微細な汚染物質が洗い流されてしまったせいか、星は珍しいくらい美しく見えていた。
目が慣れてくると、その星明りで水たまりがぼんやりと薄白く見えてきて、それを避けながら歩いていった。
闇の中に怪獣の影のように浮かぶ重機や工事車両の前を通り過ぎながら薄気味悪さも感じたが、けれどもそれとは関係なしに心の中には淡い期待感のようなものもふつふつと湧きあがってきた。
彰子と、二人きりで、誰の目にも届かぬ場所に行きつつある、と。
・・・
牧雄と彰子の関係は、幼なじみの仲良しのまま高校生になったようなもので、付き合いといえば他人の目の存在するところで公然と行なわれてきたのだ。
しかし牧雄は中学生になる前後から、そのような関係に物足りなさを感じ始めた。
彰子をひとりの異性として見て、彰子のことをひとりの異性として好きになり、そして彰子のことを彼にとってかけがえのない存在に思うようになった。
彼女といつまでも一緒にいたい、ふたりきりの場所で寄り添いたい、彼女を心をこめて抱きしめたい・・・そう密かに思い続けたまま、数年が過ぎた。
そして、ついにその夜、夢が現実のことになりつつある。
けれども彼の心は夢の中に遊ぶように浮き足立ち、口から何か言葉を出そうとしてもあやふやな言葉の切れ端が喉の奥に引っ掛かって出てこようとせず、ただ、いつの間にか彼が彰子を導くように歩いていた。
やがてふたりは、造成地の外れまで来てしまった。
そこにはヒューム管や鉄管が整然と並べてあり、二人はその端のヒューム管の上に腰を下ろした。
彰子は、ふっと深い息をつきながら、つぶやいた。
「どうしよう」
「何が?」
「・・・」
彰子は、答えなかった。
そのまま、沈黙がゆるゆると流れた。
何も語らず肩を寄せ合ううちに牧雄は次第に心が静まってきて、けれどもその心の中からふつふつと温かいものが湧いてくるのを感じていた。
「星がきれいだ」
牧雄は独り言のように、ぽつりと言った。
日が沈んでから気温は急激に降下し、高原のように透徹した宵の空に星たちは寒さに凍えるようにちらちらと瞬いた。
ぼんやりとした星明りの中で、彰子の顔が空を仰いだ。
暗がりの中で、影絵のように見える彼女の横顔に牧雄は見入った。
そのまま再び、優しい沈黙が流れた。
彰子の吐く息が、見えるか見えないかの微かさで、ぼうっと闇の中に散っていた。
どれくらいの時間が経った頃か。
彰子が、鼻歌を歌い始めた。
そのメロディーは、中学時代に習った覚えのある「冬の星座」だった。
甘美で懐かしいような彰子の鼻歌は牧雄の心に静かに染みこんでいき、彼の心の中に湧きつづける温かいものと溶け合い、だんだんと熱い想いをかき立てた。
なにかが空の中で小さく光ったように見えた。
小さな流星か、それとも気のせいか。
それを目にして、彼は啓示を受けたように心にひとつの思いを決めた。
(今こそ、好きだと、想いを告げよう)
それまで、なかなか言い出せずに、心の中にしまい込んできた想いだった。
(今だったら、彰子も、ごく当たり前のように受け容れてくれるかもしれない)
牧雄は、心臓が壊れるのではないかと思うくらい鼓動が高く、早くなっているのを感じた。
彼は、拳を強く握り、(落ち着け)と自分自身に念じ、心を決めて彰子の名を呼ぼうとした。
その時だった。
彰子の鼻歌は「オリオン舞い立ち、昴はさざめく」のくだりでぴたりと止まり、周囲には静寂が戻ってきた。
牧雄は、出かかった彰子の名前を生唾と一緒に飲み込んだ。
彰子は牧雄の心に気付くはずもなく、静かな口調で言った。
「昴も出ているね。本当にさざめいているみたい」
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平静を装いながら牧雄は答えた。
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