忘れられたら苦労しない

菅井群青

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12.ベランダ

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 弘子はシャワーを浴びている間ずっと大輝のことを考えていた。詳しくは聞かなかったけれど、彼女を亡くしてからずっと傷ついた心を抱えながら生きていたんだろう。
 そして同じく過去の恋に囚われた涼香と出会い、共感し、少しづつ変わり始めた。シャワーを止めると弘子は唇を噛み締めていた。

 運命の相手なのかもしれない……あの二人。

 今日見た二人は明らかに特別な何かで結ばれていた。お互いに思う相手は違えど、共に分かり合えている。運命の歯車が動き出したように涼香の前に過去の恋の相手が現れ、大輝は傷ついた心を癒し始めた。

 二人が、結ばれる日がくればいいけれど……。それは今のところなさそうだ。

 風呂場を出ると部屋にいるはずの洋介に声をかける。

「おーい、風呂上がったよ!……洋介?」

 部屋に洋介の姿はなかった。

 そっとベランダを覗いてみるとそこにはいつものようにベランダの手すりに寄りかかる洋介の姿があった。風呂に入るように声を掛けようとベランダのサッシに手をかけた。

「う……うう……っうぅぅ……」

 嗚咽が聞こえてきて、思わずその手を止める。洋介が──ベランダで泣いている。

 いつも拗ねたらここで酒を飲むのに、酒も持たずに手すりに額をつけて泣き続けている。子供のように涙を流している。

 ゆっくりとベランダに出ると弘子は肩を揺らし泣く洋介の背中に抱きつく。居酒屋帰りのスーツにはタバコと酒の匂いがついたままだ。

「うう……う……どうしよう、俺……」

「どうしたの?」

 洋介は手すりを強く握ると震えている。

「俺、希ちゃんが亡くなったこと知らなくて、ずっと大輝に恋をしろ、忘れろって言い続けてたんだ! 三年もだぞ! なのにあいつ……困ったように笑って……それを断り続けた。もっとひどいことも言ったかもしれない……知らぬ間に傷つけていたかもしれない……あいつは、そんな俺とずっと一緒に──う…………」

 洋介の声は震えている。泣きすぎて嗚咽を抑えきれないようだ。

「違うよ! 大輝くんはそれを受け入れる方が良かったの。希ちゃんの死を知られて気を使われたり、自分の周りの人間が希ちゃんの死を受け入れて自分の生活を取り戻していくのを見たくなかったの。洋介は悪くない……誰も、悪く、ないんだって──」

 弘子は洋介をこちらに向かせてぎゅっと抱きしめた。力一杯、全力で──。

「弘子、知らなかったじゃすまされない……俺は大輝に幸せになってもらわなきゃ、気が済まない。あいつにもう、一人で泣いてもらいたくない」

 洋介は弘子に抱きつき声を上げて泣き始めた。洋介はこんなに泣く男じゃない。ましてや声を出して泣くなんて姿は見たことがない。弘子も涙が出てきた。その背中を優しく撫でてやり泣き止むのを待った。

 次の日の朝、洋介はいつも通りの洋介だった。
 弘子は心配だったが、昨晩のことは何も言わなかった。




「大輝、ちょっといいか?」

 昼間の休憩中に洋介から呼び出しがあった。黙ってついていくとコーヒーを手渡し、ベンチに座る。

「大輝……あのな、今まで悪かった」

 洋介がいつになく神妙で大輝はその横顔を見つめる。酒のせいか今日は顔がむくんでいる。

「俺が、言えなかったんだ……俺の方こそ悪かった」

「──だから、お前に秘密を話す」
「……は?」

「実は俺は──」

 洋介が耳打ちする。途端に大輝はその場で爆笑した。「マジか!」と言いながら何度も洋介を指差す。通りがかる他の社員たちが大輝の笑い声に何事かと振り返る。

「は、は、苦しい……洋介、それ半端ない秘密だな」

 真っ赤になった洋介は口を尖らす。思いの外笑われたので不満そうだ。

「……お前絶対誰にも言うなよ。。これで、許してくれ、な?」

 そう言って片方の口角を上げて優しく微笑む洋介を大輝は見つめた。大輝は再び吹き出して笑った。さっきとは違う表情をしている。

 大輝はそっと熱いコーヒーをベンチに置き洋介に飛びかかる。後ろから洋介の首を羽交い締めする。

「ちょちょ、苦しいって! ってかコーヒーが熱っちぃ!」

「油断するからだ」

 持っていたコーヒーが手にかかり洋介は大げさに声を上げる。廊下でじゃれ合う男たちを多くの社員が不思議そうな目で見ていた。

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