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前章 不当な婚約破棄
1 婚約破棄と不可思議なボタン
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魔法論において破壊と再生の魔法には常に何かを消費する。
中でも巻き戻しは費用対効果が実に悪い。
何故なら『時間』という本来不可逆的なものを操る為に膨大な願いと、時間と、計り知れない愛を必要とする割に、結果として得られる対価が知れているからだ。
――リセット家六代目当主、ヴァレンシュタイン・グラン・リセットの隠蔽されてしまった手記より。
●○●○●
「アメリア・フィル・リセット、今この時をもってキミとの婚約を破棄させてもらうぞ」
豪華絢爛なシャンデリアがいくつも天井に並び、床には真っ赤な絨毯が敷き詰められたこの大広間の壇上から見下す様に、私ことアメリアへとそう言い捨てたのは、銀髪で黒の瞳を持つ、目つきは鋭いが端正な顔立ちをしたこの国の王太子であらせられるエルヴィン・グラン・リスター殿下である。
「え……?」
「え? じゃない。婚約破棄だよ。言葉を知らんのか? キミとの関係は今日この場をもって終わりだと言ってるんだ」
エルヴィン殿下の仰っている言葉の意味は理解している。しかし私は信じたくはなかった。
「う、嘘、ですよね……?」
「嘘なものか。私はもう我慢の限界なのだ。いいかよく聞け、この売女が」
ばい……た……?
いったい殿下は何を言っているんだろう。私がそう疑問に思っていると、
「キミは私以外の男と恋仲にあるらしいな? それどころかそんな相手が複数人もいるんだそうだな?」
当然私にそんな相手などいない。私はエルヴィン殿下の婚約者だったのだから。
「そんなわけありません。私は……」
「黙れッ! これを見よ!」
憤るエルヴィン殿下は右手のひらをかざすと、そこには街中で会話を楽しむ二人の男女の映像が映し出された。
これこそエルヴィン殿下得意の記憶具現化魔法だ。この魔法は術者の記憶をまるで実物の様に映像化して映し出すのである。
そしてその映像には、先端を少しカールさせたブラウンのロングヘアーをアップした髪型と真紅を基調とした見慣れたフレアスカートのドレスを着こなしている令嬢、つまりこの私アメリアと、全く見知らぬ青い髪の、服装からして魔法学院に通う貴族令息らしき男が映し出されていたのである。
二人は華やかなカフェテリアの窓越しにて、紅茶を嗜みながら、会話を弾ませている。まるでステンドガラスのように赤や黄、青と様々な色合いの窓ガラスから差し込む色鮮やかな光に照らされている二人は実に絵になる場面だった。
……更にはそれだけに留まらず、白昼堂々とこの男女は熱い口付けを交わしているではないか。
「こ、これは何かの間違いです! 私がこんな事をするわけ……ッ!」
「ええい黙れッ! 私の魔法が信じられぬのか!? それだけではないぞ!」
それからエルヴィン殿下はこれまで溜めてきたストレスを全て発散させるかのように、次々と私の不貞行為を突きつけてきた。
しかしその内容には私の知らない事も多く、謂れのない無礼無作法を次々と申し渡された。身に覚えのない事に関しては私も言い訳を試みるが、もはや弁明の余地すら与えてもらえない。
そんな中、一人の貴族の青年と目が合った。
「アメリア……キミがまさかそんな……」
「ク、クロノス様。違う、私は……ッ!」
殿下と同じくこれまた銀髪に碧眼がよく似合う端正な顔立ちで目尻は少し穏やかな、一言で言うならイケメンと言える彼はクロノス・エヴァンズ。この王都から少し離れた地に大きな領土を持つ辺境伯の令息。
彼は魔法学院きってのエリートで、更には温厚で優しい性格、運動神経抜群とまさしく完璧超人であり、学院の女子生徒の間でもその人気は飛び抜けて高い。
私もエルヴィン殿下に見初められるまでは、彼の事を長年密かに想っていたりした。
そんな彼ですら私の事を驚愕の眼差しで見据えている。
「違うんです! 私はこんな事……!」
「……っ」
クロノス様は何も言わず、気まずそうに私から目を背けた。
私はあまりのショックで思わずその場によろよろと倒れ込み、情けなくもボロボロと涙を溢し続けた。
会場にいる多くのヒソヒソ声が響く。皆が私を軽蔑しているのがひしひしと伝わってくる。
「出たぞ! この女特有の自分は悪くないです、と言わんばかりの泣き面! もうそんなのに騙される阿呆はこの場にいないと思え、この痴れ者がッ」
エルヴィン殿下の言う通り、周りを見回しても誰一人として私を庇おうとしてくれる者などいない。
この国最大規模の宮殿で開かれた舞踏会。そこに集まった同年代の魔法学院の仲間たちも、皆、私を白い目で見ている。
あまつさえ――。
「アメリア。お前には心底幻滅させられた」
「アメリア。どうしてこんな事を……」
そう言って侮蔑の眼差しで私を見るのは私の両親である、マルクス・フィル・リセットとナタリー・フィル・リセットであった。
「違いますお父様お母様! あれは私なんかじゃ……ッ」
しかしどんなに声を枯らしても、私の言葉はここにいる誰一人にも届かない。
それほどに殿下の記憶具現化魔法は絶対的な意味があった。何故なら殿下の魔法は、殿下自身があの目で見てきた記憶をそのまま映し出す魔法なのだから。
「もう終わりですわ、アメリアお姉様」
そう言ってエルヴィン殿下の後ろから現れたのは、私の異母姉妹であるイリーシャ。小顔の頭部には宝石のように光る美しいブロンドの髪をなびかせ、私よりも小柄だけれど妙に発達した胸元を強調したホワイトドレスで彼の傍に寄り添う。
「お姉様のした事は重罪です。けれど、私が殿下にお頼み致しました。この私が代わりに頭を下げるから、どうか不埒なお姉様を許して欲しい、と」
「ふん、そういう事だ。健気で必死に謝罪するイリーシャに免じて、今回だけは貴様へのお咎めは無しにはしてやるが、婚約破棄は絶対だ! わかったな!?」
身に覚えのない浮気現場を見せつけられ、唐突に婚約破棄を申し渡された私には何をどうしたら良いのかわからず、その場で泣き崩れる事しかできなかった。
私はずっとずっと、殿下に気に入られようとただひたむきに努力してきたというのに。
「わかったらさっさとここを出て帰るが良い。二度とその面を私に見せるなッ」
エルヴィン殿下はそう言い捨てながら、イリーシャの肩を抱いて舞踏会場の奥へと消えていった。
私はあまりのショックに目の前が真っ暗になって、そのままそこで意識を失った――。
●○●○●
次に起きたら全てが夢だったら良いのにな。
なんて淡い妄想は残酷な目覚めと共に打ち破られる。
「さようならだアメリア。二度と我がリセットの敷居を跨ぐな」
「最後の別れの餞別に、屋敷にあった適当な服といくつかの備品くらいは渡しておくわ。二度と私たちリセットの屋敷に帰って来ないで」
絶望の婚約破棄をされた舞踏会場から連れ出され、何時間が経ったのだろうか。
夜もふけた頃。我がリセット家の屋敷の前でマルクスお父様に冷水を顔に掛けられようやく起こされた私は、その直後両親に勘当された。ナタリーお母様からは小さなケースを放り投げられ、同じように私も捨てられた。
貴族の娘としての地位も剥奪されたようなものである。
それも当然の結果と言える。我が家は伯爵家とは言え、所有領地の小さな下流貴族。
そんな弱小貴族の令嬢が奇跡的に王太子殿下に見初められ、婚約者となったにも拘らず、その令嬢が浮気三昧などと知れ渡れば我がリセット家は甚大な悪評を受け続けてしまう。
ゆえに、諸悪の根源である私を切ったのだ。親にすら愛されていない私の言葉なんて、もはや誰にも届かない。
そうして、私はあてもなく身も心も疲弊したまま夜の城下町を彷徨った。
ふらふらとしているうちに気づけば今日、舞踏会が開かれていた宮殿の裏路地に未練がましくも辿り着いてしまっていた。
こんな所に戻ってきてもどうしようもないと言うのに。
と、そんな事を思っていると、不意に聞き覚えのある声が耳に届く。
「これでようやくキミと正式に付き合えるな、イリーシャ」
「ええ、殿下」
宮殿を囲う壁の向こう側から聞こえたその声は、間違いなくエルヴィン王太子殿下と妹のイリーシャであった。
「私の本当の愛はキミの為だけにあったのだ。あんな女にうつつを抜かしていた事、許しておくれイリーシャ」
「良いんですのよ、可哀想な殿下。私だけがいつまでもあなたさまを想っておりますからね」
「ああ……キミはなんて可愛らしいんだ。愛しているよイリーシャ」
「私もです、殿下」
「アメリアとの婚約破棄が書面上でも正式に決まり、ほとぼりが冷めたら今度こそキミとの婚約を正式に発表しよう」
「嬉しいです殿下。私の父や母も王家との繋がりが切れないようにと私たちの事はすぐに認めてくださいましたわ。アメリアお姉様はお気の毒に、お父様から勘当されてしまいましたけれど」
「……アメリアめ。私をたぶらかすとはなんという悪女なのだ。まあこの屈辱を今日、公衆の面前にて晴らしてやったがな。悪女への報復として、わざわざ今日まで我慢してやった甲斐があったというものだ」
「もう忘れましょう殿下。あなたさまにはこの私がいますわ」
「ああ、そうだね。イリーシャ……」
宮殿の囲いは背が高く、私の存在は二人に気づかれてはいない。だが壁の薄さが災いし、全てが私の耳に入り込んでしまった。
枯れ果てたと思った涙がまた止まらず溢れた。
二人は更にイチャイチャと愛を深め始めたので、いたたまれなくなった私はその場から走り出した。
今日はずっと楽しみにしていた、先月16歳になったばかりの私のデビュタント。私はまだワルツのステップが上手くはないけれど、それでも殿下の為にと密かに練習を重ねてきたのに。
「ひっく……ぐす……」
涙が止まらなかった。
父にも母にも見放され、そして腹違いの妹に婚約者は取られ。
私にはボロくてゴミ同然のケース以外、何一つ残らなかった。
「おいおいおい、なんだなんだぁ?!」
「ひゅー! なんかコイツ濡れて肌が透けちゃってんじゃん!」
「でも良い服着てんなあ? どっか良いとこの令嬢かあ!?」
そんな私の目の前に、下卑た声で盛り上がる、いかにも下賎な三人の酔っ払いが立ち塞がる。
「……っひ」
私は怯えて後ずさるが、
「こっち来いよ! 俺たちと遊ぼう……ぜッ!」
「い、いやぁぁああーッ! 誰かぁッー!!」
両腕を力強く抑えられ、衣服を無理やり剥がし始め、乱暴に私は地面へと組み伏せられた。
その拍子に持っていたボロのケースを落とし、中身を全てぶちまけてしまった。お母様は備品と言っていたが、その中身は屋敷にあった古臭い書物ばかり。そしてそれは、前々から汚らしくて早く捨ててしまいたいとよくお母様が言っていた本たち。
つまり、私には本当にゴミを押し付けられていたのである。
「何よそ見してんだ。こっち見やがれ!」
下卑た下賎の吐息が私の顔にかけられる。
最悪だ。
何もかも失うどころか、どうやら私はここで女としての貞操すら無くしてしまうのだ、と理解する。
その瞬間、何もかもを諦めてしまった。
「なんだぁ? ちっとも抵抗しなくなったな?」
「だったら構わねえ、楽しもうや」
私は瞳を閉じた。
もう死のう、と。
舌を噛み切ろうと覚悟を決めた、その時である。
『なるほど、死の決意が最後のトリガーだったのだな。よかろう、アメリア、汝には力を与える』
ズキンッという一瞬の頭痛共にそう、頭の中に声が響いた。
思わず目を開く。
周囲を見回すと古い書物のひとつが奇妙な光を放っていると同時に、不可思議な赤いボタン、の様な物が宙に浮かんでいた。
え? 何これ……?
私が訝しく思うと、
『死を望むほどならば、それに身を委ねよ』
再び頭の中に奇怪な声が響く。
なんなの……? でも、私にできる事はもう……だったら。
「何だコイツ!? 急に暴れ出しやがって!?」
私はなんとか男どもの拘束を振り払い、そして藁にもすがる思いで不可思議なボタンに手を伸ばす。
お願いッ!
そう強く思い、指先にソレが触れた瞬間。
私の目の前は白色の閃光に覆われた。
何……? 何が起きたの……?
瞳は閉じていない。まだ目の前は白い世界。
身体が地に着いていないような浮遊感。
そんな感覚から次第に、ゆっくりと、視界に景色が色を取り戻すと、
「アメリア・フィル・リセット、今この時をもってキミとの婚約を破棄させてもらうぞ」
「え……?」
目の前で、既視感を覚えるセリフと共に、全く同じ身振りそぶりでエルヴィン王太子殿下が、再び私に婚約破棄を言い渡していたのだった。
中でも巻き戻しは費用対効果が実に悪い。
何故なら『時間』という本来不可逆的なものを操る為に膨大な願いと、時間と、計り知れない愛を必要とする割に、結果として得られる対価が知れているからだ。
――リセット家六代目当主、ヴァレンシュタイン・グラン・リセットの隠蔽されてしまった手記より。
●○●○●
「アメリア・フィル・リセット、今この時をもってキミとの婚約を破棄させてもらうぞ」
豪華絢爛なシャンデリアがいくつも天井に並び、床には真っ赤な絨毯が敷き詰められたこの大広間の壇上から見下す様に、私ことアメリアへとそう言い捨てたのは、銀髪で黒の瞳を持つ、目つきは鋭いが端正な顔立ちをしたこの国の王太子であらせられるエルヴィン・グラン・リスター殿下である。
「え……?」
「え? じゃない。婚約破棄だよ。言葉を知らんのか? キミとの関係は今日この場をもって終わりだと言ってるんだ」
エルヴィン殿下の仰っている言葉の意味は理解している。しかし私は信じたくはなかった。
「う、嘘、ですよね……?」
「嘘なものか。私はもう我慢の限界なのだ。いいかよく聞け、この売女が」
ばい……た……?
いったい殿下は何を言っているんだろう。私がそう疑問に思っていると、
「キミは私以外の男と恋仲にあるらしいな? それどころかそんな相手が複数人もいるんだそうだな?」
当然私にそんな相手などいない。私はエルヴィン殿下の婚約者だったのだから。
「そんなわけありません。私は……」
「黙れッ! これを見よ!」
憤るエルヴィン殿下は右手のひらをかざすと、そこには街中で会話を楽しむ二人の男女の映像が映し出された。
これこそエルヴィン殿下得意の記憶具現化魔法だ。この魔法は術者の記憶をまるで実物の様に映像化して映し出すのである。
そしてその映像には、先端を少しカールさせたブラウンのロングヘアーをアップした髪型と真紅を基調とした見慣れたフレアスカートのドレスを着こなしている令嬢、つまりこの私アメリアと、全く見知らぬ青い髪の、服装からして魔法学院に通う貴族令息らしき男が映し出されていたのである。
二人は華やかなカフェテリアの窓越しにて、紅茶を嗜みながら、会話を弾ませている。まるでステンドガラスのように赤や黄、青と様々な色合いの窓ガラスから差し込む色鮮やかな光に照らされている二人は実に絵になる場面だった。
……更にはそれだけに留まらず、白昼堂々とこの男女は熱い口付けを交わしているではないか。
「こ、これは何かの間違いです! 私がこんな事をするわけ……ッ!」
「ええい黙れッ! 私の魔法が信じられぬのか!? それだけではないぞ!」
それからエルヴィン殿下はこれまで溜めてきたストレスを全て発散させるかのように、次々と私の不貞行為を突きつけてきた。
しかしその内容には私の知らない事も多く、謂れのない無礼無作法を次々と申し渡された。身に覚えのない事に関しては私も言い訳を試みるが、もはや弁明の余地すら与えてもらえない。
そんな中、一人の貴族の青年と目が合った。
「アメリア……キミがまさかそんな……」
「ク、クロノス様。違う、私は……ッ!」
殿下と同じくこれまた銀髪に碧眼がよく似合う端正な顔立ちで目尻は少し穏やかな、一言で言うならイケメンと言える彼はクロノス・エヴァンズ。この王都から少し離れた地に大きな領土を持つ辺境伯の令息。
彼は魔法学院きってのエリートで、更には温厚で優しい性格、運動神経抜群とまさしく完璧超人であり、学院の女子生徒の間でもその人気は飛び抜けて高い。
私もエルヴィン殿下に見初められるまでは、彼の事を長年密かに想っていたりした。
そんな彼ですら私の事を驚愕の眼差しで見据えている。
「違うんです! 私はこんな事……!」
「……っ」
クロノス様は何も言わず、気まずそうに私から目を背けた。
私はあまりのショックで思わずその場によろよろと倒れ込み、情けなくもボロボロと涙を溢し続けた。
会場にいる多くのヒソヒソ声が響く。皆が私を軽蔑しているのがひしひしと伝わってくる。
「出たぞ! この女特有の自分は悪くないです、と言わんばかりの泣き面! もうそんなのに騙される阿呆はこの場にいないと思え、この痴れ者がッ」
エルヴィン殿下の言う通り、周りを見回しても誰一人として私を庇おうとしてくれる者などいない。
この国最大規模の宮殿で開かれた舞踏会。そこに集まった同年代の魔法学院の仲間たちも、皆、私を白い目で見ている。
あまつさえ――。
「アメリア。お前には心底幻滅させられた」
「アメリア。どうしてこんな事を……」
そう言って侮蔑の眼差しで私を見るのは私の両親である、マルクス・フィル・リセットとナタリー・フィル・リセットであった。
「違いますお父様お母様! あれは私なんかじゃ……ッ」
しかしどんなに声を枯らしても、私の言葉はここにいる誰一人にも届かない。
それほどに殿下の記憶具現化魔法は絶対的な意味があった。何故なら殿下の魔法は、殿下自身があの目で見てきた記憶をそのまま映し出す魔法なのだから。
「もう終わりですわ、アメリアお姉様」
そう言ってエルヴィン殿下の後ろから現れたのは、私の異母姉妹であるイリーシャ。小顔の頭部には宝石のように光る美しいブロンドの髪をなびかせ、私よりも小柄だけれど妙に発達した胸元を強調したホワイトドレスで彼の傍に寄り添う。
「お姉様のした事は重罪です。けれど、私が殿下にお頼み致しました。この私が代わりに頭を下げるから、どうか不埒なお姉様を許して欲しい、と」
「ふん、そういう事だ。健気で必死に謝罪するイリーシャに免じて、今回だけは貴様へのお咎めは無しにはしてやるが、婚約破棄は絶対だ! わかったな!?」
身に覚えのない浮気現場を見せつけられ、唐突に婚約破棄を申し渡された私には何をどうしたら良いのかわからず、その場で泣き崩れる事しかできなかった。
私はずっとずっと、殿下に気に入られようとただひたむきに努力してきたというのに。
「わかったらさっさとここを出て帰るが良い。二度とその面を私に見せるなッ」
エルヴィン殿下はそう言い捨てながら、イリーシャの肩を抱いて舞踏会場の奥へと消えていった。
私はあまりのショックに目の前が真っ暗になって、そのままそこで意識を失った――。
●○●○●
次に起きたら全てが夢だったら良いのにな。
なんて淡い妄想は残酷な目覚めと共に打ち破られる。
「さようならだアメリア。二度と我がリセットの敷居を跨ぐな」
「最後の別れの餞別に、屋敷にあった適当な服といくつかの備品くらいは渡しておくわ。二度と私たちリセットの屋敷に帰って来ないで」
絶望の婚約破棄をされた舞踏会場から連れ出され、何時間が経ったのだろうか。
夜もふけた頃。我がリセット家の屋敷の前でマルクスお父様に冷水を顔に掛けられようやく起こされた私は、その直後両親に勘当された。ナタリーお母様からは小さなケースを放り投げられ、同じように私も捨てられた。
貴族の娘としての地位も剥奪されたようなものである。
それも当然の結果と言える。我が家は伯爵家とは言え、所有領地の小さな下流貴族。
そんな弱小貴族の令嬢が奇跡的に王太子殿下に見初められ、婚約者となったにも拘らず、その令嬢が浮気三昧などと知れ渡れば我がリセット家は甚大な悪評を受け続けてしまう。
ゆえに、諸悪の根源である私を切ったのだ。親にすら愛されていない私の言葉なんて、もはや誰にも届かない。
そうして、私はあてもなく身も心も疲弊したまま夜の城下町を彷徨った。
ふらふらとしているうちに気づけば今日、舞踏会が開かれていた宮殿の裏路地に未練がましくも辿り着いてしまっていた。
こんな所に戻ってきてもどうしようもないと言うのに。
と、そんな事を思っていると、不意に聞き覚えのある声が耳に届く。
「これでようやくキミと正式に付き合えるな、イリーシャ」
「ええ、殿下」
宮殿を囲う壁の向こう側から聞こえたその声は、間違いなくエルヴィン王太子殿下と妹のイリーシャであった。
「私の本当の愛はキミの為だけにあったのだ。あんな女にうつつを抜かしていた事、許しておくれイリーシャ」
「良いんですのよ、可哀想な殿下。私だけがいつまでもあなたさまを想っておりますからね」
「ああ……キミはなんて可愛らしいんだ。愛しているよイリーシャ」
「私もです、殿下」
「アメリアとの婚約破棄が書面上でも正式に決まり、ほとぼりが冷めたら今度こそキミとの婚約を正式に発表しよう」
「嬉しいです殿下。私の父や母も王家との繋がりが切れないようにと私たちの事はすぐに認めてくださいましたわ。アメリアお姉様はお気の毒に、お父様から勘当されてしまいましたけれど」
「……アメリアめ。私をたぶらかすとはなんという悪女なのだ。まあこの屈辱を今日、公衆の面前にて晴らしてやったがな。悪女への報復として、わざわざ今日まで我慢してやった甲斐があったというものだ」
「もう忘れましょう殿下。あなたさまにはこの私がいますわ」
「ああ、そうだね。イリーシャ……」
宮殿の囲いは背が高く、私の存在は二人に気づかれてはいない。だが壁の薄さが災いし、全てが私の耳に入り込んでしまった。
枯れ果てたと思った涙がまた止まらず溢れた。
二人は更にイチャイチャと愛を深め始めたので、いたたまれなくなった私はその場から走り出した。
今日はずっと楽しみにしていた、先月16歳になったばかりの私のデビュタント。私はまだワルツのステップが上手くはないけれど、それでも殿下の為にと密かに練習を重ねてきたのに。
「ひっく……ぐす……」
涙が止まらなかった。
父にも母にも見放され、そして腹違いの妹に婚約者は取られ。
私にはボロくてゴミ同然のケース以外、何一つ残らなかった。
「おいおいおい、なんだなんだぁ?!」
「ひゅー! なんかコイツ濡れて肌が透けちゃってんじゃん!」
「でも良い服着てんなあ? どっか良いとこの令嬢かあ!?」
そんな私の目の前に、下卑た声で盛り上がる、いかにも下賎な三人の酔っ払いが立ち塞がる。
「……っひ」
私は怯えて後ずさるが、
「こっち来いよ! 俺たちと遊ぼう……ぜッ!」
「い、いやぁぁああーッ! 誰かぁッー!!」
両腕を力強く抑えられ、衣服を無理やり剥がし始め、乱暴に私は地面へと組み伏せられた。
その拍子に持っていたボロのケースを落とし、中身を全てぶちまけてしまった。お母様は備品と言っていたが、その中身は屋敷にあった古臭い書物ばかり。そしてそれは、前々から汚らしくて早く捨ててしまいたいとよくお母様が言っていた本たち。
つまり、私には本当にゴミを押し付けられていたのである。
「何よそ見してんだ。こっち見やがれ!」
下卑た下賎の吐息が私の顔にかけられる。
最悪だ。
何もかも失うどころか、どうやら私はここで女としての貞操すら無くしてしまうのだ、と理解する。
その瞬間、何もかもを諦めてしまった。
「なんだぁ? ちっとも抵抗しなくなったな?」
「だったら構わねえ、楽しもうや」
私は瞳を閉じた。
もう死のう、と。
舌を噛み切ろうと覚悟を決めた、その時である。
『なるほど、死の決意が最後のトリガーだったのだな。よかろう、アメリア、汝には力を与える』
ズキンッという一瞬の頭痛共にそう、頭の中に声が響いた。
思わず目を開く。
周囲を見回すと古い書物のひとつが奇妙な光を放っていると同時に、不可思議な赤いボタン、の様な物が宙に浮かんでいた。
え? 何これ……?
私が訝しく思うと、
『死を望むほどならば、それに身を委ねよ』
再び頭の中に奇怪な声が響く。
なんなの……? でも、私にできる事はもう……だったら。
「何だコイツ!? 急に暴れ出しやがって!?」
私はなんとか男どもの拘束を振り払い、そして藁にもすがる思いで不可思議なボタンに手を伸ばす。
お願いッ!
そう強く思い、指先にソレが触れた瞬間。
私の目の前は白色の閃光に覆われた。
何……? 何が起きたの……?
瞳は閉じていない。まだ目の前は白い世界。
身体が地に着いていないような浮遊感。
そんな感覚から次第に、ゆっくりと、視界に景色が色を取り戻すと、
「アメリア・フィル・リセット、今この時をもってキミとの婚約を破棄させてもらうぞ」
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