想い出は珈琲の薫りとともに

玻璃美月

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「では、助けていただけるんですね?」
「わ、私でお手伝いできるのであれば……」
「よかったぁ! これで俺達クビにならなくてすみます!」

 柔和に見えるのに、有無を言わせない井上さんの表情に、理由も分からないまま承諾するしかない。安藤さんのほうは私の返事を聞き、安堵したように声を上げた。

「クビ……に、なりそうだったんですか?」
「クビどころか、下手したら会社なくなりますよ! 本当、桝田さんのおかげです」

 安藤さんは身を乗り出し、人懐っこい笑顔を見せて拝むように手を合わせている。

「大袈裟ですよ。それに私、まだ何も……」

 そうだ。手伝うと言ったものの、私は具体的に何をすればいいのか、全く見当も付かない。

「では、すみません。少し急ぎましょう。今から……私達の上司に会っていただけますでしょうか?」

 井上さんは射抜くような視線を私に向け、そう切り出した。

「桝田さん、貴女にしていただきたいのは、私たちの上司のパートナー、いえ、正確にはパートナーのふり、です」
「ふり?」
「はい。明後日の夜、このホテルでとあるパーティーが行われます。それに上司が参加するのですが、本来なら一緒に参加するはずの彼の婚約者が来られなくなり、代わりを探していたのです」

 この人たちの上司なら、おそらく日本人なんだろう。だから、婚約者の代わりなる日本人女性を探していたようだ。

「あの。私に務まるのでしょうか? このような立派なホテルにいらっしゃるということは、それなりの地位をお持ちのかた、ですよね?」

 私の疑問に、井上さんは少し笑みを浮かべた。

「貴女はパーティーに同行いただくだけで、充分に役目を果たせます。元々婚約者がいること自体知るものはそう多くありません。日本から遠く離れたこの地で、相手が違うと指摘するような人間もいないでしょう」

 そう言われると、途端にできるんじゃないかと思ってしまう単純な自分がいる。けれど、やはり不安ではあった。

「安心してください。衣装などは全てこちらでご用意します。他に何かあればできる限りのことはします。私たちには他に頼めるあてもありません。ここで貴女に断られたら、またローマ中を歩き回ることになってしまいます」

 そう語る井上さんの顔には、確かに疲れが見える。もしかして今日一日、いや、それより前から、こうやって代わりがいないか探し回っていたのかも知れない。

「わかりました……。私もできるだけお手伝いします」

 ここまで切羽詰まった話を聞かされて、私はもう断ることなどできなかった。

「では、上司の待つ部屋に参りましょうか」
「はい……」

 逃げも隠れもできない状況で、私は仕方なく立ち上がり先を行くニ人の後ろに続いた。
 
 ラウンジから、ホテル内の上階にある部屋へ案内される。もしかするとスイートルームなのかも知れない。室内は品のいい調度品が飾られ、落ち着いた色彩で纏められている。そして、都内にある超高級マンションの部屋は、こんな感じなんだろうかと想像してしまうくらいに広い。連れてこられた奥の部屋は、まるで美術館の一角のような、調度品と絵画が設えてある。その部屋の真ん中の、華やかな装飾の施されたソファにその人は座っていた。

「お連れしました」

 井上さんの言葉に、まるでマネキンのように腰掛けていたその人は顔を上げた。

 (こんなに美しい人……見たことない……)

 イタリア製の上質なブランドスーツに身を包み、組んだ腕からはハイブランドの腕時計が見えている。この部屋に負けるとも劣らない、いわゆるハイスペックと呼ばれる男性だ。彼は無表情のまま、黒く艶やかな前髪を鬱陶しげに少しかき上げると、その薄い唇からはぁ、と息を漏らした。それだけで緊張感は高まり、こちらは息をするのも忘れそうだ。

「……名前は?」
「桝田亜夜、と申します」
「年齢は?」
「先月ニ十五歳になったばかりです」

 まるで尋問だ。抑揚もなく、台本を読み上げているだけのような低い声。その余裕のある振る舞いに、王者の風格すら感じる。

 (こんな人の、パートナーとして隣に並ぶなんて……)

 彼から視線を外すことができないまま、呆然としながら思う。そんな私に、一つの笑みを浮かべることなく彼は言った。

「私は穂積ほづみかおる。では亜夜。今日から君が、私の婚約者だ」

 冷たくも見える均整の取れた美しい顔。その夜空を映し出したような漆黒の瞳で見つめられ、きっと催眠術にかかったのだろう。気がつけば、「……はい」と返事をしていた。
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