想い出は珈琲の薫りとともに

玻璃美月

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 ホテルプリマヴェーラ。これが東京に新しくできた、外資系ホテルの名前だ。最高級の空間とサービスを提供すると謳ったこのホテルの口コミは上々のようだ。広い吹き抜けのあるエントランスを抜けると、ロビーですら異国の雰囲気が漂っている。新しいはずなのに落ち着きがあり、時間さえゆったり流れているように感じた。

「すってきー! どう? イタリアっぽい?」

 チェックイン時間には早いからか、まだ落ち着いているロビーを横切りながら、真砂子に尋ねられる。ここはイタリアをイメージして作られているらしい。だからこそイタリア語で“春”と名付けられたのだろう。

(ここ……。エドの……、薫さんが泊まっていたホテルに似てるかも……)

 あの時はホテルのロビーをじっくり眺める余裕もなかったが、雰囲気は近いものを感じる。ただ、ローマ市内の他のホテルを訪れることもなかったから、そう思うだけかもしれないが。

「うん……。そう……だね」

 あたりを見渡しながら、私はうわの空で返事をしていた。
 今日の目当てのラウンジ【アルテミス】は、ロビーを抜けた端にあった。数階分吹き抜けになった高い天井が開放感を醸し出し、大きな窓からは明るい陽の光が差し込んでいる。入り口からは石畳みを模した床が続き、それがこのラウンジのある場所まで続いていた。

「噂には聞いてたけど、本格的だね」
「うん。なんかイタリアのバールにいる気分」

 まるでローマの石畳みを歩いてきたような通路の先。そこには、イタリアから移築してきたようなバンコ、日本で言うカウンターがあった。その飴色の木でできたバンコの奥にはエスプレッソマシンがあり、今もバリスタがエスプレッソを淹れているようだ。

「いらっしゃいませ。お席はどうなさいますか?」
 
 現れたウェイターが私たちに尋ねる。ここは、席も本場に倣っているのか、立ったままコーヒーを楽しめるようだ。数人がバリスタと会話を楽しみながらカップを持ち上げている。

「テーブル席でお願いします」 
「では、テラス席が空いております。そちらでよろしいでしょうか?」
「はいっ! ぜひっ!」

 飛びつくように答えたのは真砂子だ。中庭に面して作られたテラス席は、予約も受け付けておらず、空いていればラッキーだとテレビでも伝えられていた。

「やったね。超楽しみ~」

 案内するスタッフのあとに続きながら、真砂子は小さく私に話しかける。ベビーカーの中では、ちょうどお昼寝の時間の風香は眠っている。けれどいつ起きてぐずり出すか分からないし、周りの迷惑になりづらいテラス席は正直助かる。

「ほんと。でも、楽しみなのは席じゃないでしょ?」
「そうでした」

 えへへ、と真砂子は笑う。しっかりしているように見えて、こう言うところが真砂子の可愛らしいところだ。

「こちらでございます」

 開け放たれた掃き出しの窓を抜け案内されたのは、小さな噴水と緑が調和したイタリアンガーデンだった。

「うわぁ……。なんか、日常を忘れそう。いきなり海外に来た気分だね」

 真砂子が感嘆の声を上げて席に着く。言われた通り、ここが東京の真ん中とは思えない景色に、私も息を呑んで見入ってしまった。
 庭はこのホテルの建物に取り囲まれ、四方から見下ろせるようになっている。ホテルの外観は近代的にも見えたが、内側はシックで、ローマの古い街並みを思わせる作りになっていた。

「いいね……。ここ」

 席に着くと、ほうっと息を吐きながら呟く。

(ローマに戻ってきたみたい)

 ほんの一月ほどを過ごしただけの街。けれど、ここにいると、あの時のたくさんの思い出が蘇るようだった。

「ねぇねぇ! 亜夜。ちょっとこれ、見て!」

 ぼんやりと庭を眺めていた私の耳に、メニューブックを開く真砂子の声が飛び込んできた。

「どうしたのよ? そんなに慌てて」
「いいから、メニュー開いてみてよ!」

 真砂子に促され、さっそくその分厚いメニューブックを開いた。

「えっ? ほんとに?」

 私はそれを見て、思わずそう声に出していた。

「びっくりだよね。美味しいだけじゃなくて、かなり力入れてる、とは聞いてたけど」

 真砂子は視線をメニューブックに落としたまま、感心しているようだ。
 それもそのはず。それを開きまず目に入ったのは、びっしりと羅列するコーヒーの名前。専門店並みの種類の多さで、そこには丁寧に産地やテイストなどの説明が記載されていた。ホテルのラウンジとは思えない力の入れようだ。

「これは期待しかできないね!」

 真砂子はこちらに笑顔を向けたあと、食い入るようにメニューブックに見つめていた。
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