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■1/むーこ先輩、目撃される。(上)
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横浜市立定道高校野球部の四番バッターが、紅白試合で打った特大ファールボールは、僕が拾いに行くことになった。
七月中盤の陽射しで汗が噴き出す感覚に疲れを覚えながら、僕はそそくさとフェンスの外に出る。幸い、出入り口脇の草むらの中で白球は僕に拾われるのをじっと待っていた。
よしよし、良い子だ。フェンスを一つ隔てた外側では、グラウンドの中で起こっていることが不思議と遠くに感じる。距離はゼロに等しいのに、このボールも僕もすぐに仲間はずれになってしまった。
いや、仲間はずれは少し見当違いか。
どうしていつも僕がボールを拾いに行くんだろう。そういった疑問はとうの昔に捨てた。
バッターがフェンスの向こうに落とした球を拾うのは、下っ端である僕に与えられた唯一の役割——仲間が僕の存在を許すたった一つの理由だからだ。
仲間として、僕はボールを拾いに行く。それだけのこと。
根暗で、不感症で、人間不信の僕。
そんな僕でも、仲間として迎え入れて貰える場所がある。ありがたいことだ。
本当に?
ボールを拾いながら、僕は自嘲気味に肩を竦めた。
なにが、仲間だ。
●
空見尚理、十六歳。高校二年生。身長一七五センチ。
運動神経はないし、野球に大して興味もなかった。中学生時代は帰宅部。だけど『この学校の生徒はみんな部活に入らなければならない』なんてふざけた校則のおかげで、こうして僕は野球部で下っ端仕事をさせられている。
野球部以外に選択肢はもちろんあったのだけど、希望者の多い文化系の部活は抽選入部制で、僕には入部枠を与えてくれなかった。こればかりは自分のくじ運のなさを呪うしかない。
運動部は抽選なんてなくて、希望者は全員入ることが出来る。そんな不平等きわまりない仕組みを恨みながらも僕が野球部を選んだのは、他の競技に比べて動いてる時間が少ないと思ったからだ。
ところがどっこい、これが大間違い。トレーニングは他の部活より数段厳しいし、ほとんど体力を使わないと思っていたキャッチボールですらアホみたいに疲れる。
本当、アホらしい。上手くならないと誰にも認めてもらえない。
そして、中学まで身体を動かすことを避けてきた僕がチームで活躍することが出来るはずもなく。ユニフォームを着ているこの僕がやっていることは、ただのマネージャーとさして変わらない。スコアを付けられるだけマネージャーの方が優秀だとも言える。
一年以上野球部にいたもんだから、こんな僕でも体力はそこそこ付いてきたのだけれど、 肝心の野球センスはまったく向上の兆しが見えないのだった。一応、部活が終わった後も自主練をしたりしているのだけれど、あまり無茶はしないようにと周りには言われている。
だから球拾い。
ボールを拾ってそそくさとベンチに戻ってきた僕を、グラサンをかけた太っちょの監督だけは「おう」と会釈してくれるので、僕も「いえいえ」と返す。
二人いる一年生女子マネージャー(たしかキリシマとキクチとか言ったがどっちがどっちかは覚えていない)は「お疲れ様です」の一言もなく、バッターボックスに立つ刹樹に夢中だった。弾んだ声できゃっきゃうふふと楽しそうに話している。
「すごい、刹樹先輩今日もすごい粘るね!」
「紅白試合なのにすごい本気だー。すごいねー」
すごいすごいとなんとも語彙のない会話だが、僕は心の中で彼女たちの言葉に何度も頷いていた。うん、確かにすごい。さすがウチの四番バッター。またファールだ。これで何球目だろうか。笑いながら「芯に来ないな」とか彼は言っているが、絶対わざとだ。ピッチャーも「いい加減にしろよ刹樹」なんて悲痛な叫びを上げている。
「ファーール!」
そんな光景をただ感心して見ていたら、あの四番バッターはまたもや特大ファールボールを打ち放った。フェンスを越えたボールが枝をかき分けながら落下する。がさがさという音がよく聞こえた。
いい加減にしろよ刹樹。僕もそう言いたくなった。
ちらりと横目でマネージャー二人の様子を覗う。すると彼女たちは示し合わしたように膝を引きながら、「ぇーす」と声を合わせて言った。僕の顔を見ようともしなかった。どうやら「ごくろうさまです」だとかそういう意味らしい。言われた僕は、
「……あ、行ってきます」としか返すことが出来なかった。
わかってる。わかってた。
この通り、いつも女マネはクソ暑い中どちらも動こうともしないし、言外に「お前が行け」と語るもんだから、いくら面倒でも僕がやるしかない。
当たり前ながら地位が低いな僕は。球拾いだから当たり前か。
僕はフェンスの扉を開けるときの頼りない手応えを感じながら、僕は誰にも聞こえないように小さく息を吐いた。やっぱり、今日は暑い。
グラウンドから一歩出れば、学校の敷地である裏山だ。木陰のおかげでグラウンドよりも多少は涼しい。
さて、と。涼んでる場合じゃない。さっさとボールを見つけないと、またファールボールが飛んできそうだ。音が聞こえた方向から察するに、先程ボールを見つけた草むらよりもあっちの生け垣を探した方がいいかもしれない。
フェンスの向こう側から聞こえる「ナイピッチー」やら「ナイセー」などの賑やかさを遠くに聞きながら、僕は黙々とボールを探して生け垣を見回す。みっともないとは思いつつ、四つん這いになりながら目を凝らした。経験上、これが一番はやくロストボールを見つけられる方法だ。
「おん?」
ふと、視界に靄がかかった。白いような、肌色にも見えるような……。
目眩とも明らかに違う、突然の感覚に途惑う。これは熱中症一歩手前なのか、それともすでに遅いのか。身体の調子はそんなに悪くないのに。
とりあえずさっさとボールを見つけて戻ろう。水分を取らないと。
屈んだ体勢のまま眉間を指でぐりぐり押す。靄はなかなか消えてくれない。
「……あの」
「はい?」
声がする。女の子の声だった。しかし姿は見えない。視線だけで周囲を見ても声の主は視認できない。
「こっち……」
こっちって。
「あ、上か」
次の言葉でようやく真上から声が来ていることに気が付いた。フェンスだか木に登って降りられなくなった女の子かなぁ、とか変な想像を膨らませながら、僕は首だけを上に向ける。
目の前に白いパンツが見えた。は?
「……あ、あの」
「はい……?」
鮮烈すぎるパンツの白昼夢に困惑しながら体を起こす。同時に、視界から肌色の靄が消えてなくなった。
代わりに、目の前に半透明の女の子が見えた。
「…………」
「…………」
お互いの目を、黙って見つめ合う。女の子は顔を真っ赤にしている。
「き、い、やああああああああああああっ!」
女の子はそんな風に甲高い悲鳴を上げながら、猛スピードでどこかへと走り去ってしまう。その悲鳴でようやく「どうやらその女の子の足の中からパンツを見上げていたらしい」ことを理解した僕は、その状況の不可解さに首を傾げる。
その瞬間、フェンスの向こうからは甲高い金属音が響いてきて。
「ファーーーーーールッ!」
彼女が何者かを理解する前に、僕の頭になにかが直撃して、意識はそこでなくなった。
●
これが、むーこ先輩との最初の出逢いだった。
●
「なぁ、空見」
次の日の朝。登校したばかりの僕に話しかけてきた、刹樹の面持ちは暗かった。
——刹樹竜哉。甲子園の地区予選が終わった後、新チームで四番バッターに抜擢された僕の同級生だ。一言で彼を表すなら「デカい」の一言に尽きる。身長一八〇センチのただでさえ大きな身体が、筋肉で更に存在感を増していた。夏服の袖から見える色黒の腕も相応に太い。そんな図体の上には無骨なホームベース顔が乗っかっていて、髪の毛も丸刈りだ。どちらかというと野球部員と言うよりはプロレスラーのような風貌だが、意外にも彼の声は顔の作りや暗い表情に似合わずさわやかな聞き心地だ。
小さな目鼻やその声からはどことなく気が弱そうな印象を受けるが、実際はしっかり者でクラスのまとめ役をそつなくこなしている。
そんな彼が、僕ごときに暗い表情で何の用だろうか——まぁ、大体想像はつくけど。
「もう頭は大丈夫なのかよ」
そりゃどういう意味だ、バカにしてんのか——なんて毒舌は喉の奥に仕舞い込んで、普通に返事をする。
「えーと、なんのこと」
普通とはいったものの、意地の悪い返しをしてしまった。彼が言っている「頭」のこととはわざわざ聞くまでもなく、
「昨日、俺が打った球あたったろ」
ファールボールのことだった。僕がフェンスの外に出てからも刹樹は粘りまくっていたらしい。球拾いの最中にも関わらず女の子の白昼夢で呆けていた僕の頭に、彼の打った粘り球が直撃。そのまま保健室送りになった。昨日のことだし。
「それなら、別に僕は気にしてない」
気にしてないから、あまり話しかけないで欲しい。野球部の四番打者でクラスでも信頼が置かれている刹樹に話しかけられると、日陰者の僕は居心地が悪いんだ。実際、クラスのみんなと仲の良い刹樹とは対照的に、僕に友達なんていない。そんな僕に彼が話しかけてくることで、慣れない視線が僕に注がれる。ひどくいたたまれない。
「……そうか。ならいいんだ。悪かった」
「謝ることないって。事故だし」
「でも、俺のせいで空見の練習、邪魔したし」
どきりと心臓が跳ねる。刹樹が言っているのは間違いなく僕の自主練のことだ。恥ずかしいから、部員が帰った後に誰にも言わずにやっているというのに。どうして刹樹が知っているんだ。
「…………なんのことだか」
だから、僕はそのことを誤魔化すように肩を竦めて見せた。刹樹は短く溜息をつく。
「とにかく、無事なら良かった。今日の放課後は練習出るのか? 朝練は来てなかったけど」
「出るよ。いくらでも球拾いするさ」
「………………あのさ、」
始業のチャイムが鳴る。複雑そうに顔をしかめた刹樹がなにかを言いかけたが、その声は慌ただしく教室のドアを開けた女子の声で掻き消された。
「ぎ、ギリギリセーーーーーーーフッ!」
いつも通りの女子だった。僕の所属する二年四組の名物、寺の娘の十方院清花が、息せき切った様子で教室に駆け込んできた。
「あ」
その様子をなんとなくいつも通り眺めていたら、今日も彼女と目が合ってしまった。僕は気まずさで視線を逸らしながら、目の前で固まっている刹樹に声をかける。話はこれで終わりだ。
「十方院さんも来たし、先生もすぐ来るよ。刹樹も座った方がいい」
「——あ、ああ。そうだな」
忠告すると、彼は時計を見て自分の席へと戻っていく。
「ふう」
ナイス十方院さん。刹樹が何を言いかけてたのかはわからないが、どうせろくなことじゃない。いつも友達に囲まれて賑やかな彼女。そんな彼女と僕には、同級生以上の接点なんか存在しない。しかし、この時ばかりは十年来の友人のように親しみを覚えてしまった。
親しみは覚えるだけで、実際に彼女について僕が知っている情報といえば、実家のお寺で朝の読経が大変で、毎朝遅刻ギリギリだということぐらいなのだけれど。あと美人。
うん、ありがとう。
「出席とるよー、静かにしなさーい」
そして僕が刹樹に忠告したとおり、十方院さんが席に着くのと同時に担任が教室に入ってくるのだった。今日も一日が始まる。
明日になったら終業式。夏休みだ。
七月中盤の陽射しで汗が噴き出す感覚に疲れを覚えながら、僕はそそくさとフェンスの外に出る。幸い、出入り口脇の草むらの中で白球は僕に拾われるのをじっと待っていた。
よしよし、良い子だ。フェンスを一つ隔てた外側では、グラウンドの中で起こっていることが不思議と遠くに感じる。距離はゼロに等しいのに、このボールも僕もすぐに仲間はずれになってしまった。
いや、仲間はずれは少し見当違いか。
どうしていつも僕がボールを拾いに行くんだろう。そういった疑問はとうの昔に捨てた。
バッターがフェンスの向こうに落とした球を拾うのは、下っ端である僕に与えられた唯一の役割——仲間が僕の存在を許すたった一つの理由だからだ。
仲間として、僕はボールを拾いに行く。それだけのこと。
根暗で、不感症で、人間不信の僕。
そんな僕でも、仲間として迎え入れて貰える場所がある。ありがたいことだ。
本当に?
ボールを拾いながら、僕は自嘲気味に肩を竦めた。
なにが、仲間だ。
●
空見尚理、十六歳。高校二年生。身長一七五センチ。
運動神経はないし、野球に大して興味もなかった。中学生時代は帰宅部。だけど『この学校の生徒はみんな部活に入らなければならない』なんてふざけた校則のおかげで、こうして僕は野球部で下っ端仕事をさせられている。
野球部以外に選択肢はもちろんあったのだけど、希望者の多い文化系の部活は抽選入部制で、僕には入部枠を与えてくれなかった。こればかりは自分のくじ運のなさを呪うしかない。
運動部は抽選なんてなくて、希望者は全員入ることが出来る。そんな不平等きわまりない仕組みを恨みながらも僕が野球部を選んだのは、他の競技に比べて動いてる時間が少ないと思ったからだ。
ところがどっこい、これが大間違い。トレーニングは他の部活より数段厳しいし、ほとんど体力を使わないと思っていたキャッチボールですらアホみたいに疲れる。
本当、アホらしい。上手くならないと誰にも認めてもらえない。
そして、中学まで身体を動かすことを避けてきた僕がチームで活躍することが出来るはずもなく。ユニフォームを着ているこの僕がやっていることは、ただのマネージャーとさして変わらない。スコアを付けられるだけマネージャーの方が優秀だとも言える。
一年以上野球部にいたもんだから、こんな僕でも体力はそこそこ付いてきたのだけれど、 肝心の野球センスはまったく向上の兆しが見えないのだった。一応、部活が終わった後も自主練をしたりしているのだけれど、あまり無茶はしないようにと周りには言われている。
だから球拾い。
ボールを拾ってそそくさとベンチに戻ってきた僕を、グラサンをかけた太っちょの監督だけは「おう」と会釈してくれるので、僕も「いえいえ」と返す。
二人いる一年生女子マネージャー(たしかキリシマとキクチとか言ったがどっちがどっちかは覚えていない)は「お疲れ様です」の一言もなく、バッターボックスに立つ刹樹に夢中だった。弾んだ声できゃっきゃうふふと楽しそうに話している。
「すごい、刹樹先輩今日もすごい粘るね!」
「紅白試合なのにすごい本気だー。すごいねー」
すごいすごいとなんとも語彙のない会話だが、僕は心の中で彼女たちの言葉に何度も頷いていた。うん、確かにすごい。さすがウチの四番バッター。またファールだ。これで何球目だろうか。笑いながら「芯に来ないな」とか彼は言っているが、絶対わざとだ。ピッチャーも「いい加減にしろよ刹樹」なんて悲痛な叫びを上げている。
「ファーール!」
そんな光景をただ感心して見ていたら、あの四番バッターはまたもや特大ファールボールを打ち放った。フェンスを越えたボールが枝をかき分けながら落下する。がさがさという音がよく聞こえた。
いい加減にしろよ刹樹。僕もそう言いたくなった。
ちらりと横目でマネージャー二人の様子を覗う。すると彼女たちは示し合わしたように膝を引きながら、「ぇーす」と声を合わせて言った。僕の顔を見ようともしなかった。どうやら「ごくろうさまです」だとかそういう意味らしい。言われた僕は、
「……あ、行ってきます」としか返すことが出来なかった。
わかってる。わかってた。
この通り、いつも女マネはクソ暑い中どちらも動こうともしないし、言外に「お前が行け」と語るもんだから、いくら面倒でも僕がやるしかない。
当たり前ながら地位が低いな僕は。球拾いだから当たり前か。
僕はフェンスの扉を開けるときの頼りない手応えを感じながら、僕は誰にも聞こえないように小さく息を吐いた。やっぱり、今日は暑い。
グラウンドから一歩出れば、学校の敷地である裏山だ。木陰のおかげでグラウンドよりも多少は涼しい。
さて、と。涼んでる場合じゃない。さっさとボールを見つけないと、またファールボールが飛んできそうだ。音が聞こえた方向から察するに、先程ボールを見つけた草むらよりもあっちの生け垣を探した方がいいかもしれない。
フェンスの向こう側から聞こえる「ナイピッチー」やら「ナイセー」などの賑やかさを遠くに聞きながら、僕は黙々とボールを探して生け垣を見回す。みっともないとは思いつつ、四つん這いになりながら目を凝らした。経験上、これが一番はやくロストボールを見つけられる方法だ。
「おん?」
ふと、視界に靄がかかった。白いような、肌色にも見えるような……。
目眩とも明らかに違う、突然の感覚に途惑う。これは熱中症一歩手前なのか、それともすでに遅いのか。身体の調子はそんなに悪くないのに。
とりあえずさっさとボールを見つけて戻ろう。水分を取らないと。
屈んだ体勢のまま眉間を指でぐりぐり押す。靄はなかなか消えてくれない。
「……あの」
「はい?」
声がする。女の子の声だった。しかし姿は見えない。視線だけで周囲を見ても声の主は視認できない。
「こっち……」
こっちって。
「あ、上か」
次の言葉でようやく真上から声が来ていることに気が付いた。フェンスだか木に登って降りられなくなった女の子かなぁ、とか変な想像を膨らませながら、僕は首だけを上に向ける。
目の前に白いパンツが見えた。は?
「……あ、あの」
「はい……?」
鮮烈すぎるパンツの白昼夢に困惑しながら体を起こす。同時に、視界から肌色の靄が消えてなくなった。
代わりに、目の前に半透明の女の子が見えた。
「…………」
「…………」
お互いの目を、黙って見つめ合う。女の子は顔を真っ赤にしている。
「き、い、やああああああああああああっ!」
女の子はそんな風に甲高い悲鳴を上げながら、猛スピードでどこかへと走り去ってしまう。その悲鳴でようやく「どうやらその女の子の足の中からパンツを見上げていたらしい」ことを理解した僕は、その状況の不可解さに首を傾げる。
その瞬間、フェンスの向こうからは甲高い金属音が響いてきて。
「ファーーーーーールッ!」
彼女が何者かを理解する前に、僕の頭になにかが直撃して、意識はそこでなくなった。
●
これが、むーこ先輩との最初の出逢いだった。
●
「なぁ、空見」
次の日の朝。登校したばかりの僕に話しかけてきた、刹樹の面持ちは暗かった。
——刹樹竜哉。甲子園の地区予選が終わった後、新チームで四番バッターに抜擢された僕の同級生だ。一言で彼を表すなら「デカい」の一言に尽きる。身長一八〇センチのただでさえ大きな身体が、筋肉で更に存在感を増していた。夏服の袖から見える色黒の腕も相応に太い。そんな図体の上には無骨なホームベース顔が乗っかっていて、髪の毛も丸刈りだ。どちらかというと野球部員と言うよりはプロレスラーのような風貌だが、意外にも彼の声は顔の作りや暗い表情に似合わずさわやかな聞き心地だ。
小さな目鼻やその声からはどことなく気が弱そうな印象を受けるが、実際はしっかり者でクラスのまとめ役をそつなくこなしている。
そんな彼が、僕ごときに暗い表情で何の用だろうか——まぁ、大体想像はつくけど。
「もう頭は大丈夫なのかよ」
そりゃどういう意味だ、バカにしてんのか——なんて毒舌は喉の奥に仕舞い込んで、普通に返事をする。
「えーと、なんのこと」
普通とはいったものの、意地の悪い返しをしてしまった。彼が言っている「頭」のこととはわざわざ聞くまでもなく、
「昨日、俺が打った球あたったろ」
ファールボールのことだった。僕がフェンスの外に出てからも刹樹は粘りまくっていたらしい。球拾いの最中にも関わらず女の子の白昼夢で呆けていた僕の頭に、彼の打った粘り球が直撃。そのまま保健室送りになった。昨日のことだし。
「それなら、別に僕は気にしてない」
気にしてないから、あまり話しかけないで欲しい。野球部の四番打者でクラスでも信頼が置かれている刹樹に話しかけられると、日陰者の僕は居心地が悪いんだ。実際、クラスのみんなと仲の良い刹樹とは対照的に、僕に友達なんていない。そんな僕に彼が話しかけてくることで、慣れない視線が僕に注がれる。ひどくいたたまれない。
「……そうか。ならいいんだ。悪かった」
「謝ることないって。事故だし」
「でも、俺のせいで空見の練習、邪魔したし」
どきりと心臓が跳ねる。刹樹が言っているのは間違いなく僕の自主練のことだ。恥ずかしいから、部員が帰った後に誰にも言わずにやっているというのに。どうして刹樹が知っているんだ。
「…………なんのことだか」
だから、僕はそのことを誤魔化すように肩を竦めて見せた。刹樹は短く溜息をつく。
「とにかく、無事なら良かった。今日の放課後は練習出るのか? 朝練は来てなかったけど」
「出るよ。いくらでも球拾いするさ」
「………………あのさ、」
始業のチャイムが鳴る。複雑そうに顔をしかめた刹樹がなにかを言いかけたが、その声は慌ただしく教室のドアを開けた女子の声で掻き消された。
「ぎ、ギリギリセーーーーーーーフッ!」
いつも通りの女子だった。僕の所属する二年四組の名物、寺の娘の十方院清花が、息せき切った様子で教室に駆け込んできた。
「あ」
その様子をなんとなくいつも通り眺めていたら、今日も彼女と目が合ってしまった。僕は気まずさで視線を逸らしながら、目の前で固まっている刹樹に声をかける。話はこれで終わりだ。
「十方院さんも来たし、先生もすぐ来るよ。刹樹も座った方がいい」
「——あ、ああ。そうだな」
忠告すると、彼は時計を見て自分の席へと戻っていく。
「ふう」
ナイス十方院さん。刹樹が何を言いかけてたのかはわからないが、どうせろくなことじゃない。いつも友達に囲まれて賑やかな彼女。そんな彼女と僕には、同級生以上の接点なんか存在しない。しかし、この時ばかりは十年来の友人のように親しみを覚えてしまった。
親しみは覚えるだけで、実際に彼女について僕が知っている情報といえば、実家のお寺で朝の読経が大変で、毎朝遅刻ギリギリだということぐらいなのだけれど。あと美人。
うん、ありがとう。
「出席とるよー、静かにしなさーい」
そして僕が刹樹に忠告したとおり、十方院さんが席に着くのと同時に担任が教室に入ってくるのだった。今日も一日が始まる。
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