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■6/むーこ先輩、描かれる。(上)
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いつも通りの練習だった。きつめのアップが終わると、僕はマネージャーみたいに一軍や二軍のサポートに回って、あとは球拾い。キャッチボールすら参加出来なかった。
本格的に練習に参加したい気持ちは、そりゃ少しはある。でもそれは僕に与えられた仕事じゃないというのも、もう分かりきっている。惰性に近い感情を抱きながら、僕はひたすらみんなの後ろで球を拾っては投げてを繰り返した。
当然、疲れはほとんどない。
他の部員は練習が終わると息が上がっていて、緩慢な動作で帰りの準備を進める。その間に僕はさっさと支度を終えて、部室を後にした。
「空見」
校門前で刹樹が待っていた。彼はまだまだ余力を残しているらしく、疲れた表情も見せずに僕を見下ろした。
「この後、時間あるか?」
「……ごめん、ちょっと急いでるんだ」
嘘ではない。練習が終わったら寺に行くという十方院さんとの約束がある。でもきっと、その約束がなくても僕は彼の誘いを断っただろう。
「そうか……」
「なにか用事だったの」
そのことが少しだけ後ろめたくて、思わず聞き返す。しまった、と思った瞬間にはもう遅かった。刹樹は口角を上げて質問に答える。嬉しそうな声だ。
「い、いやさ。正直まだ練習したりないからさ」
「へぇ、やっぱり四番は凄いね」
「……そんな事ねぇよ。身体動かしてないと不安なだけだ」
「そっか」
その気持ちは分からないでもない。
「でさ。俺、これから余裕ある奴集めてバッティングセンター行くんだ」
「……ふうん」
バッティングセンター、か。入部したての頃に何度か足を運んだけれど、監督直々に戦力外通告を受けてからは久しく行っていない。
「だから今日は無理でも今度、一緒に行こう。空見も、球拾いばっかりじゃ飽きるだろ」
「————あんまり僕に気遣わなくていいよ」
「き、気なんて遣ってない。同じ野球部員として一緒にバットを振りたいだけだ」
それを「気を遣ってる」って言うんじゃないかな。
「そっか。まぁ、僕のこと気に入ってない人もたくさんいるし。方邊くんとかさ。だから、やっぱり今後も遠慮しておくよ」
「いや、方邊は——」
「でも、ありがとう。いいこと聞いたよ」
ちょうどただの素振りに飽きてきたころだ。
「近いうちに一人で行ってみる」
「——空見」
「じゃあ、僕は行くよ。また明日」
さて。一度帰ってシャワーでも浴びないと。練習直後の格好のまま行ったら十方院さんになにを言われるか分かったもんじゃない。むーこ先輩は……うん、大丈夫だろうけど。
●
央泉寺につくと、一足先に来ていた先輩が山門前で待っていた。
「こんにちは」
「おっ、来たね尚理くん! 一人お寺で待つのは心細かったよ!」
自信満々に心細いって言う人、初めて見た。
「なら、無理しないで一緒に来れば良かったのに」
先輩曰く、このお寺にお世話になることを考えたら一人でも来られるようになった方がいいだとかなんだとか。
「うん、本当にそうすれば良かった……これぞ蛮勇……」
「……その様子じゃ、暫くは一人は無理ですね」
「うう、面目ない」
別に僕は構わないんだけどな。がっくりと肩を落とす先輩を見るのは面白いからしばらく放っておこう。
「あ、十方院さん」
そこで、本堂の前で佇んでいる十方院さんに気が付いた。僕が手を振ると、彼女は会釈で返してこちらに歩いてきた。
「いらっしゃい、空見くん。むーこ先輩は一緒?」
「うん、隣にいるよ」へこんでるけど。
「あれ、十方院さんどうして制服なんて着てるの?」
見れば、彼女は休みだというのに定道高校のセーラー服姿だった。
「私も学校に行っていたからに決まってるでしょう。少しは考えなさいよ」
「はぁ……ご、ごめん。あ、部活で?」
「私の部活は原則、夏休みの活動はないわよ。文化系だし」
じゃあどうして学校なんかに。
「言ったでしょ、色々と準備があるって。調べ物してたのよ」
「調べ物……」
「とりあえず、暑いから応接間に上がって」
言われるがまま、僕らは昨日と同じ部屋に通される。
応接間に入ると十方院さんのご先祖様が仁王立ちしていて、なかなかの迫力だった。
……もうだいぶ慣れてきたな、この人に。
「それで、調べ物ってなにしてたの」
とりあえず、気になっていた疑問を十方院さんにぶつける。むーこ先輩絡みなのは間違いないのだが、学校で彼女についてなにか調べることが可能なのだろうか。
「空見くんが昨日言ってたじゃない。むーこ先輩は定道高校の制服を着てるって」
「確かに言ったけど……」
「じゃあ、在学中に亡くなった生徒がいたってことよね。だから生徒名簿を見せて貰ってたのよ」
「……え」
それ個人情報って奴だよな。学校側がそう簡単に生徒名簿を開示するものだろうか。そんな想いが顔に出たのか、十方院さんは慌てた様子で言葉を続けた。
「と、とにかく! 私は学校で過去の生徒名簿を調べてきたの!」
「う、うん、わかった。結果だけ聞くよ。どうだったの」
「……ん」
なぜか顔を赤らめた彼女は、手帳を取り出してこちらに見せてくる。
「過去十年分の名簿を片っ端から調べたら、いたわよ。在学中に亡くなった生徒は、九年前に一人だけ」
そこに書かれていたのは、生徒名簿の写しだった。
芙葉夢子。三年生。名前の後ろには詳細な住所も書いてあって、なんと生前はこの町に住んでいたらしい。
「……すごい」
むーこ先輩が、小さく驚嘆の声を漏らした。生徒手帳と見比べていて、僕も横目にそれを確認する。どんぴしゃだ。
「どうなの、合ってるの」
「うん、合ってる。むーこ先輩も驚いてるよ」
「……はぁあ……むーこ先輩ってあだ名が分かってたから良かったものの、こんなことなら昨日名前をしっかり聞いておくんだったわ。余計な体力使っちゃった」
ほっと一息つく十方院さん。その姿が妙に大人びていて、
「十方院さん、本当に高校生?」
つい僕はそんなことを口走ってしまった。即座に彼女の鋭い眼光が僕に照射される。
「私が老けてるって言いたいなら座禅組ませてぶっ飛ばすわよ」
「違うけどごめんなさい」
やっぱり十方院さんには逆らわないでいよう。静かに心の中で誓う僕だった。でもやっぱり彼女は僕を睨むものだから、とりあえずこの話題は変えた方がよさそうだと悟る。だから僕はしれっと手帳に記載された住所を指さして、
「じゃあ、まずはこの住所に行ってみる?」
なんて言ってみるのだが。
「それならもう済ませてきたわ」
「え」
彼女の返事はあっさりとその必要性をかきけした。なんて素早いんだ。
「……そんなに驚いた顔しないでよ。住所がわかったなら行くでしょ、普通」
まぁ確かに。
「そ、それで?」
その住所になにがあったのか気になって、僕は欲しがるように食い気味で続きを促す。それに対して彼女は浮かない顔をして首を横に振った。
「んん。なにもなかった。空き地だったわ」
「……空き地って」
どうして。問いかける前に、察しの良い彼女は既に答えを口にしている。
「わからない。引っ越したのかもしれないし、単純に私が書き写すときに間違えたか……なんにせよ、もう一度詳しく調べてみる必要があるわね。あの名簿、写真厳禁だったけどこっそり撮ってくるんだった」
「いやいやいや、そう危ない橋を渡るもんじゃないよ、仮にもお坊さんで女子高生なんだから。今後は無理のない範囲で調べればいいんじゃないかな」
「……キミからそんな風に言われるとは思わなかったわ」
目を丸々見開いて、十方院さんは心底驚いた様子だった。なにをそんなに驚くことがあるのだろうか。
「だって、僕らからすれば十方院さんを巻き込んだ形になるんだし。無茶はして欲しくない」
「うん。わかった、今後無茶はしないわ、約束する。せっかくのキミからのご忠告だしね」
髪の毛をくるくると指でいじって、頬を赤らめる十方院さん。うん、こうしてみると以前のように美少女に見える。いや、キツい物言いの時も充分可愛いんだけど。うん。
「……そうだ。ところで、その名簿とやらはどうやって……?」
あまり深く突っ込みたくはなかったが、すでに危ない橋とやらを渡らせてしまった罪悪感も相まって、情報の出所が妙に気になる。それを知っておかなければいけない義務が、僕にはあるように感じた。
「よくぞ聞いてくれました!」
聞かれた十方院さんは顔をぱあっと綻ばせて、楽しげに解説を始める。そんな軽いノリで説明するようなことなのかな。
「うちの檀家さんに特殊な職業の方がいてね。名簿屋さん。読んで字のごとくあらゆる名簿を取り扱う、いわゆる情報屋さんね」
「はぁ」
それがどうして学校で調べ物なんて行為に繋がるんだ。
「もちろん、定道高校の在学生の名簿も持ってるわ」
「えーと、どうしてその人が学校の名簿なんか」
「鈍いわね。名簿を横流ししている人間が学校にいるのよ。名誉のために名前は伏せておくけど、教諭の一人ってことだけは教えてあげる」
……それって立派な犯罪なのでは。
「そう犯罪。言い換えれば、その先生は職場に対して後ろめたい事情を抱えているってこと」
つまりね。続ける十方院さんの顔は邪悪に笑っている。とてもじゃないが仏の道を説く人間の顔には見えなかった。
「横流しをネタに先生を揺すればいくらでも言うことを聞いてもらえるのよ」
「鬼かよ」
じゃなければ悪魔だ。大人——それも先生相手に脅迫するって、本気かよ。
危ない橋を渡るどころか十方院さん自身が危ない橋になってる気さえする。
「なっ……し、失礼ね。いいじゃない。情報は有意義に使わなきゃ意味ないわ」
「……」
この子、もしかして僧侶よりも探偵とかの方が向いているんじゃないかしらん。
●
「……で、お次はなんですかこれ」
名簿の確認を終えたところで、十方院さんが次に持ち出してきたのは画材だった。薄い緑色の枠線が引かれたA4サイズのケント紙に、2Hの鉛筆。
それと〇・三ミリの水性顔料インクマーカー。ミリペンと言うらしい。
「なんですかって、原稿用紙だけど」
「なんの」
「っ、ま、漫画の原稿用紙に決まってるでしょ!」
「……ああ、十方院さん漫研なんだ」
へぇ、漫画原稿用紙なんて初めて見た。その新鮮さにまじまじと眺めてしまうが、その光景を黙って見ている十方院さんではなかった。
「ばばばバカにしてるの!?」
「いや、意外だなって」
バカにするつもりなど微塵もない。むしろ絵を描けるなんて凄いと思う。とてもじゃないが僕に真似出来ることじゃない。絵なんて授業以外で描いた事なんてないし。
「でもどうして原稿用紙? いまから描くの?」漫画。
「描くわけないでしょ! いいからそれでむーこ先輩の似顔絵を描きなさい!」
「は」
「キミその『は』って奴好きね! ここまで用意して理解できないの!?」
「いやいや、そんなに乱暴にならなくても」
理解は出来るよ。なにせ似顔絵を描けっていま十方院さんが言ったんだから。
「でも僕より十方院さんが描いた方がいいんじゃ……」
「——あのね。私に芙葉先輩は観えないのに、どうやって描かせるつもりよ」
「あー」
なるほど。それなら写真をとも思ったが、そもそも幽霊はカメラに写らない。写ったとしたらそれはそれで問題だし。
「しかしこれは僕に要求するハードルとして高すぎるのでは」
「つべこべやかましいわね! 空見くんしか芙葉先輩の姿は観えないんだから仕方ないでしょう! キ・ミ・が! 描くのよ、いいわね!」
「厳しいなぁ」
「……あとで私がそれを元に清書するから、とにかくやるだけやってみて。これも先輩の記憶を取り戻す手がかりになるんだから」
記憶を取り戻す手がかり? 似顔絵が?
「顔が分かれば情報収集の幅が広がるのよ、聞き込みとか。だから頑張りなさい」
キミだけが先輩の記憶を取り戻す頼りなんだから。
十方院さんはそう言い残して、応接間を出て行ってしまう。なんでも他に調べなきゃいけないことがあるそうだ。
「…………分かった、やってみるよ」
そう言われちゃ仕方ない。むーこ先輩のためになるなら一肌脱ぐとしよう。
僕は恐る恐る鉛筆を手にして、原稿用紙へと向かった。
●
とは言ったものの、絵の描き方なんて——それもモデルがいる状況でなんて、なにをすればいいのか皆目見当がつかない。与えられた原稿用紙に、とりあえず丸を描いて真ん中に十字線を入れてみる。なんかこんなの見たことあるぞ、という我ながら浅はかな試みだ。
……で、ここからなにをどうすればむーこ先輩になるんだろう。
あれこれ考えては、鉛筆で引いた線を消しゴムで否定していく。こりゃ、本当に難題だ。
なんて考えていると、正面のソファに座ってじっとこちらを見ていたむーこ先輩が、唐突に話しかけてきた。
「あのさ、尚理くん」
「はいっ!」
「わぁ! びっくりしたっ!」
僕もびっくりした。
「は、あ、その、ごめんなさい……」
「あはは……尚理くんでも、大きな声出すんだね」
「ま、まぁ……これでも一応野球部ですから。声出しは基本らしいです」
確かにいつもは大きな声で話すことに抵抗はある。どちらかというと小声で喋る方だと自分でも分かっているが、野球部ではそうはいかない。万年球拾いとはいえ声出しは必須。試合中にも応援しなきゃならないし、声量には自信がある。
「へー、そうなんだ」
「それで、どうしましたか急に」
「んー、じっとしてなきゃいけないのは分かってるんだけど、やっぱりほら、暇で」
「それじゃあ、なにか話しますか」
「ありがと」
「いえいえ、僕も緊張してこの静けさに耐えられなくなったところですから」
「じゃ、思い切って聞いちゃおうかな」
「どうぞどうぞ」
彼女は姿勢を崩さないように首だけ傾げて、遠慮がちに質問してくる。
「——尚理くん、どうして野球やってるの?」
「……おっと」
これは予想外の質問が来たな。思わず身構えてしまう。
「だって、尚理くんずっと球拾いで、試合にも出してもらえないんでしょ? なのに一人で遅くまで練習したりしてて、偉いなって……不思議だな、って」
「んー……定道高校の部活に関する規定は、知ってますよね」
「部活には必ず入らなきゃいけない、って奴だよね。でも、活動内容までは強制じゃないでしょ。サボらずに練習する理由があるんじゃない?」
「うう……」
これ、本当に話さなきゃならない流れなのか。正直言ってあまり人に聞かれたくないのだけど……。
「ほれほれ、先輩に話してみんしゃい」
先輩のにやけた顔が楽しそうで、とてもじゃないけど「言いたくありません」なんて言える空気じゃなかった。
「……上手く、なりたいんですよ」
「野球が?」
それ以外になにもないでしょう。
「僕、高校に入るまでまともに身体を動かすなんてしたことありませんでした。だから体育会系の部活なんて乗り気じゃなかったんです」
むーこ先輩は神妙な顔で頷くだけで、聞きに徹している。話しづらい。
「でも、やってみたら意外と楽しいんですよ、野球。声出すのも嫌いじゃないし、ボールを追いかけるのも疲れるけど、結構気持ちいいと思うんです」
バットを振るにも、キャッチボールをするにも、当然だけど身体は使う。使っていれば悲鳴をあげるし、精神的に滅入ったりもする。
それでも——野球をすることが楽しいのは、間違いない。
「残念ながら、僕は運動神経がないみたいでした。なにをやっても上手くいかない」
速くないけどボールを投げることは出来る。バットだって一応振れる。だけど、所詮は素人だ。様々な問題を抱えた僕が一年部活を続けたところで、昔から野球をやっている他の部員と対等でいられるはずがなかった。
「だから高校から野球を始めて、ルールを全て把握しているかもまだ怪しい——それでいて動きも悪い部員なんて、チームからしたらお荷物としか思われてないでしょうね」
でも、
「上手くなりたいんです、野球が。やりたいことなんてなかった僕が、初めて真面目にやりたいと思った」
出来ることなら、僕もグラウンドに立ってプレーしたい。けど、それは多分叶わないことだから。せめて一人でも楽しめるように、僕は練習するだけだ。
「ふーん……認めて貰いたいんだ、尚理くんは」
刹那、言葉が喉に詰まる。認めて貰いたい? 僕が。まさか。
「…………そんな大それた願望なんて、僕にあるはずないですよ」
「そっかそっか」
僕の話を聞いていたむーこ先輩は楽しそうだった。だけど、その笑顔はすぐに陰りを見せて、思い詰めたように呟いた。
ねぇ。
その声を聞いて、僕は先輩が本当に聞きたい話はこれから始まるのだと、そう思った。
「——どうして、キミは私の記憶を取り戻そうなんて思うの? それはやっぱり、尚理くんが迷惑だから……?」
「? 迷惑だなんてなんで——ああ、幽霊が見えるようになったことですか」
「そう」
「それこそ気にしないでください。昨日も言ったじゃないですか。別に僕は困ってない」
「それじゃあどうして」
「話し相手が出来て、嬉しいからですよ」
もう一度、紙に円を描く。このままなにも描けませんでしたじゃあ、十方院さんにどやされる。真剣に取り組まないと。
だから僕はちょっと照れくさいけど、目を逸らさずに真っ直ぐ先輩を見つめた。
「むーこ先輩の記憶が戻った方が、話もきっと広がりますよ。僕だけ一方的に色々話すのは不公平じゃないですか。僕も先輩のこと、もっと知りたいです」
「……尚理くん」
「もう分かってると思いますけど、僕は友達いないんです。野球部はもちろん、どうせクラスにも僕を良く思っている人なんて一人もいない」
毎日学校に行って、練習して、帰るだけ。その間に僕が発言する機会なんてほとんどないし、同居人の叔父とも会話はない。だからこそ、
「むーこ先輩と話すの楽しいんですよ。知り合ってまだ三日目だけど、それでも楽しいです」
ここまで話すと、むーこ先輩は頬を一瞬膨らませて、噴き出すように笑った。
「な、なにがおかしいんですか」
「尚理くん、かわいいね」
べきり。いけない、鉛筆が折れてしまった。鉛筆削り鉛筆削り……。
「なんか、弟が出来たみたい」
「や、やめてくださいよ……縁起でもない」
「えー、それひどくない?」
「だって先輩がお姉さんだったら、僕はもう一人家族を——」
「……もう一人?」
「——あいや、忘れてください」
口が滑った。僕の家族がどうなったなんて話、別に先輩に聞かせることじゃない。
「……そう?」
「縁起でもないのは撤回します。むーこ先輩が本当にお姉さんだったら、きっと毎日楽しかったでしょうね」
「本当にそう思ってる?」
「もちろん」
「そっかそっか、へへ。照れちゃうなあ」
……うん、きっと楽しかっただろう。だって、こうしてるいまもそうなんだ。彼女が生きていて、それで僕の家族だったら。
家族、だったら。
「——楽しみですね」
「え? なにが?」
「むーこ先輩のこと、知るのが」
十方院さんに協力してもらって、彼女のことをもっと知りたい。そして先輩が記憶を取り戻したら、今度は僕が先輩にたくさん質問するんだ。
その時間が楽しみだから、僕はいまこうして下手くそな絵を描こうとしているのだろう。
本格的に練習に参加したい気持ちは、そりゃ少しはある。でもそれは僕に与えられた仕事じゃないというのも、もう分かりきっている。惰性に近い感情を抱きながら、僕はひたすらみんなの後ろで球を拾っては投げてを繰り返した。
当然、疲れはほとんどない。
他の部員は練習が終わると息が上がっていて、緩慢な動作で帰りの準備を進める。その間に僕はさっさと支度を終えて、部室を後にした。
「空見」
校門前で刹樹が待っていた。彼はまだまだ余力を残しているらしく、疲れた表情も見せずに僕を見下ろした。
「この後、時間あるか?」
「……ごめん、ちょっと急いでるんだ」
嘘ではない。練習が終わったら寺に行くという十方院さんとの約束がある。でもきっと、その約束がなくても僕は彼の誘いを断っただろう。
「そうか……」
「なにか用事だったの」
そのことが少しだけ後ろめたくて、思わず聞き返す。しまった、と思った瞬間にはもう遅かった。刹樹は口角を上げて質問に答える。嬉しそうな声だ。
「い、いやさ。正直まだ練習したりないからさ」
「へぇ、やっぱり四番は凄いね」
「……そんな事ねぇよ。身体動かしてないと不安なだけだ」
「そっか」
その気持ちは分からないでもない。
「でさ。俺、これから余裕ある奴集めてバッティングセンター行くんだ」
「……ふうん」
バッティングセンター、か。入部したての頃に何度か足を運んだけれど、監督直々に戦力外通告を受けてからは久しく行っていない。
「だから今日は無理でも今度、一緒に行こう。空見も、球拾いばっかりじゃ飽きるだろ」
「————あんまり僕に気遣わなくていいよ」
「き、気なんて遣ってない。同じ野球部員として一緒にバットを振りたいだけだ」
それを「気を遣ってる」って言うんじゃないかな。
「そっか。まぁ、僕のこと気に入ってない人もたくさんいるし。方邊くんとかさ。だから、やっぱり今後も遠慮しておくよ」
「いや、方邊は——」
「でも、ありがとう。いいこと聞いたよ」
ちょうどただの素振りに飽きてきたころだ。
「近いうちに一人で行ってみる」
「——空見」
「じゃあ、僕は行くよ。また明日」
さて。一度帰ってシャワーでも浴びないと。練習直後の格好のまま行ったら十方院さんになにを言われるか分かったもんじゃない。むーこ先輩は……うん、大丈夫だろうけど。
●
央泉寺につくと、一足先に来ていた先輩が山門前で待っていた。
「こんにちは」
「おっ、来たね尚理くん! 一人お寺で待つのは心細かったよ!」
自信満々に心細いって言う人、初めて見た。
「なら、無理しないで一緒に来れば良かったのに」
先輩曰く、このお寺にお世話になることを考えたら一人でも来られるようになった方がいいだとかなんだとか。
「うん、本当にそうすれば良かった……これぞ蛮勇……」
「……その様子じゃ、暫くは一人は無理ですね」
「うう、面目ない」
別に僕は構わないんだけどな。がっくりと肩を落とす先輩を見るのは面白いからしばらく放っておこう。
「あ、十方院さん」
そこで、本堂の前で佇んでいる十方院さんに気が付いた。僕が手を振ると、彼女は会釈で返してこちらに歩いてきた。
「いらっしゃい、空見くん。むーこ先輩は一緒?」
「うん、隣にいるよ」へこんでるけど。
「あれ、十方院さんどうして制服なんて着てるの?」
見れば、彼女は休みだというのに定道高校のセーラー服姿だった。
「私も学校に行っていたからに決まってるでしょう。少しは考えなさいよ」
「はぁ……ご、ごめん。あ、部活で?」
「私の部活は原則、夏休みの活動はないわよ。文化系だし」
じゃあどうして学校なんかに。
「言ったでしょ、色々と準備があるって。調べ物してたのよ」
「調べ物……」
「とりあえず、暑いから応接間に上がって」
言われるがまま、僕らは昨日と同じ部屋に通される。
応接間に入ると十方院さんのご先祖様が仁王立ちしていて、なかなかの迫力だった。
……もうだいぶ慣れてきたな、この人に。
「それで、調べ物ってなにしてたの」
とりあえず、気になっていた疑問を十方院さんにぶつける。むーこ先輩絡みなのは間違いないのだが、学校で彼女についてなにか調べることが可能なのだろうか。
「空見くんが昨日言ってたじゃない。むーこ先輩は定道高校の制服を着てるって」
「確かに言ったけど……」
「じゃあ、在学中に亡くなった生徒がいたってことよね。だから生徒名簿を見せて貰ってたのよ」
「……え」
それ個人情報って奴だよな。学校側がそう簡単に生徒名簿を開示するものだろうか。そんな想いが顔に出たのか、十方院さんは慌てた様子で言葉を続けた。
「と、とにかく! 私は学校で過去の生徒名簿を調べてきたの!」
「う、うん、わかった。結果だけ聞くよ。どうだったの」
「……ん」
なぜか顔を赤らめた彼女は、手帳を取り出してこちらに見せてくる。
「過去十年分の名簿を片っ端から調べたら、いたわよ。在学中に亡くなった生徒は、九年前に一人だけ」
そこに書かれていたのは、生徒名簿の写しだった。
芙葉夢子。三年生。名前の後ろには詳細な住所も書いてあって、なんと生前はこの町に住んでいたらしい。
「……すごい」
むーこ先輩が、小さく驚嘆の声を漏らした。生徒手帳と見比べていて、僕も横目にそれを確認する。どんぴしゃだ。
「どうなの、合ってるの」
「うん、合ってる。むーこ先輩も驚いてるよ」
「……はぁあ……むーこ先輩ってあだ名が分かってたから良かったものの、こんなことなら昨日名前をしっかり聞いておくんだったわ。余計な体力使っちゃった」
ほっと一息つく十方院さん。その姿が妙に大人びていて、
「十方院さん、本当に高校生?」
つい僕はそんなことを口走ってしまった。即座に彼女の鋭い眼光が僕に照射される。
「私が老けてるって言いたいなら座禅組ませてぶっ飛ばすわよ」
「違うけどごめんなさい」
やっぱり十方院さんには逆らわないでいよう。静かに心の中で誓う僕だった。でもやっぱり彼女は僕を睨むものだから、とりあえずこの話題は変えた方がよさそうだと悟る。だから僕はしれっと手帳に記載された住所を指さして、
「じゃあ、まずはこの住所に行ってみる?」
なんて言ってみるのだが。
「それならもう済ませてきたわ」
「え」
彼女の返事はあっさりとその必要性をかきけした。なんて素早いんだ。
「……そんなに驚いた顔しないでよ。住所がわかったなら行くでしょ、普通」
まぁ確かに。
「そ、それで?」
その住所になにがあったのか気になって、僕は欲しがるように食い気味で続きを促す。それに対して彼女は浮かない顔をして首を横に振った。
「んん。なにもなかった。空き地だったわ」
「……空き地って」
どうして。問いかける前に、察しの良い彼女は既に答えを口にしている。
「わからない。引っ越したのかもしれないし、単純に私が書き写すときに間違えたか……なんにせよ、もう一度詳しく調べてみる必要があるわね。あの名簿、写真厳禁だったけどこっそり撮ってくるんだった」
「いやいやいや、そう危ない橋を渡るもんじゃないよ、仮にもお坊さんで女子高生なんだから。今後は無理のない範囲で調べればいいんじゃないかな」
「……キミからそんな風に言われるとは思わなかったわ」
目を丸々見開いて、十方院さんは心底驚いた様子だった。なにをそんなに驚くことがあるのだろうか。
「だって、僕らからすれば十方院さんを巻き込んだ形になるんだし。無茶はして欲しくない」
「うん。わかった、今後無茶はしないわ、約束する。せっかくのキミからのご忠告だしね」
髪の毛をくるくると指でいじって、頬を赤らめる十方院さん。うん、こうしてみると以前のように美少女に見える。いや、キツい物言いの時も充分可愛いんだけど。うん。
「……そうだ。ところで、その名簿とやらはどうやって……?」
あまり深く突っ込みたくはなかったが、すでに危ない橋とやらを渡らせてしまった罪悪感も相まって、情報の出所が妙に気になる。それを知っておかなければいけない義務が、僕にはあるように感じた。
「よくぞ聞いてくれました!」
聞かれた十方院さんは顔をぱあっと綻ばせて、楽しげに解説を始める。そんな軽いノリで説明するようなことなのかな。
「うちの檀家さんに特殊な職業の方がいてね。名簿屋さん。読んで字のごとくあらゆる名簿を取り扱う、いわゆる情報屋さんね」
「はぁ」
それがどうして学校で調べ物なんて行為に繋がるんだ。
「もちろん、定道高校の在学生の名簿も持ってるわ」
「えーと、どうしてその人が学校の名簿なんか」
「鈍いわね。名簿を横流ししている人間が学校にいるのよ。名誉のために名前は伏せておくけど、教諭の一人ってことだけは教えてあげる」
……それって立派な犯罪なのでは。
「そう犯罪。言い換えれば、その先生は職場に対して後ろめたい事情を抱えているってこと」
つまりね。続ける十方院さんの顔は邪悪に笑っている。とてもじゃないが仏の道を説く人間の顔には見えなかった。
「横流しをネタに先生を揺すればいくらでも言うことを聞いてもらえるのよ」
「鬼かよ」
じゃなければ悪魔だ。大人——それも先生相手に脅迫するって、本気かよ。
危ない橋を渡るどころか十方院さん自身が危ない橋になってる気さえする。
「なっ……し、失礼ね。いいじゃない。情報は有意義に使わなきゃ意味ないわ」
「……」
この子、もしかして僧侶よりも探偵とかの方が向いているんじゃないかしらん。
●
「……で、お次はなんですかこれ」
名簿の確認を終えたところで、十方院さんが次に持ち出してきたのは画材だった。薄い緑色の枠線が引かれたA4サイズのケント紙に、2Hの鉛筆。
それと〇・三ミリの水性顔料インクマーカー。ミリペンと言うらしい。
「なんですかって、原稿用紙だけど」
「なんの」
「っ、ま、漫画の原稿用紙に決まってるでしょ!」
「……ああ、十方院さん漫研なんだ」
へぇ、漫画原稿用紙なんて初めて見た。その新鮮さにまじまじと眺めてしまうが、その光景を黙って見ている十方院さんではなかった。
「ばばばバカにしてるの!?」
「いや、意外だなって」
バカにするつもりなど微塵もない。むしろ絵を描けるなんて凄いと思う。とてもじゃないが僕に真似出来ることじゃない。絵なんて授業以外で描いた事なんてないし。
「でもどうして原稿用紙? いまから描くの?」漫画。
「描くわけないでしょ! いいからそれでむーこ先輩の似顔絵を描きなさい!」
「は」
「キミその『は』って奴好きね! ここまで用意して理解できないの!?」
「いやいや、そんなに乱暴にならなくても」
理解は出来るよ。なにせ似顔絵を描けっていま十方院さんが言ったんだから。
「でも僕より十方院さんが描いた方がいいんじゃ……」
「——あのね。私に芙葉先輩は観えないのに、どうやって描かせるつもりよ」
「あー」
なるほど。それなら写真をとも思ったが、そもそも幽霊はカメラに写らない。写ったとしたらそれはそれで問題だし。
「しかしこれは僕に要求するハードルとして高すぎるのでは」
「つべこべやかましいわね! 空見くんしか芙葉先輩の姿は観えないんだから仕方ないでしょう! キ・ミ・が! 描くのよ、いいわね!」
「厳しいなぁ」
「……あとで私がそれを元に清書するから、とにかくやるだけやってみて。これも先輩の記憶を取り戻す手がかりになるんだから」
記憶を取り戻す手がかり? 似顔絵が?
「顔が分かれば情報収集の幅が広がるのよ、聞き込みとか。だから頑張りなさい」
キミだけが先輩の記憶を取り戻す頼りなんだから。
十方院さんはそう言い残して、応接間を出て行ってしまう。なんでも他に調べなきゃいけないことがあるそうだ。
「…………分かった、やってみるよ」
そう言われちゃ仕方ない。むーこ先輩のためになるなら一肌脱ぐとしよう。
僕は恐る恐る鉛筆を手にして、原稿用紙へと向かった。
●
とは言ったものの、絵の描き方なんて——それもモデルがいる状況でなんて、なにをすればいいのか皆目見当がつかない。与えられた原稿用紙に、とりあえず丸を描いて真ん中に十字線を入れてみる。なんかこんなの見たことあるぞ、という我ながら浅はかな試みだ。
……で、ここからなにをどうすればむーこ先輩になるんだろう。
あれこれ考えては、鉛筆で引いた線を消しゴムで否定していく。こりゃ、本当に難題だ。
なんて考えていると、正面のソファに座ってじっとこちらを見ていたむーこ先輩が、唐突に話しかけてきた。
「あのさ、尚理くん」
「はいっ!」
「わぁ! びっくりしたっ!」
僕もびっくりした。
「は、あ、その、ごめんなさい……」
「あはは……尚理くんでも、大きな声出すんだね」
「ま、まぁ……これでも一応野球部ですから。声出しは基本らしいです」
確かにいつもは大きな声で話すことに抵抗はある。どちらかというと小声で喋る方だと自分でも分かっているが、野球部ではそうはいかない。万年球拾いとはいえ声出しは必須。試合中にも応援しなきゃならないし、声量には自信がある。
「へー、そうなんだ」
「それで、どうしましたか急に」
「んー、じっとしてなきゃいけないのは分かってるんだけど、やっぱりほら、暇で」
「それじゃあ、なにか話しますか」
「ありがと」
「いえいえ、僕も緊張してこの静けさに耐えられなくなったところですから」
「じゃ、思い切って聞いちゃおうかな」
「どうぞどうぞ」
彼女は姿勢を崩さないように首だけ傾げて、遠慮がちに質問してくる。
「——尚理くん、どうして野球やってるの?」
「……おっと」
これは予想外の質問が来たな。思わず身構えてしまう。
「だって、尚理くんずっと球拾いで、試合にも出してもらえないんでしょ? なのに一人で遅くまで練習したりしてて、偉いなって……不思議だな、って」
「んー……定道高校の部活に関する規定は、知ってますよね」
「部活には必ず入らなきゃいけない、って奴だよね。でも、活動内容までは強制じゃないでしょ。サボらずに練習する理由があるんじゃない?」
「うう……」
これ、本当に話さなきゃならない流れなのか。正直言ってあまり人に聞かれたくないのだけど……。
「ほれほれ、先輩に話してみんしゃい」
先輩のにやけた顔が楽しそうで、とてもじゃないけど「言いたくありません」なんて言える空気じゃなかった。
「……上手く、なりたいんですよ」
「野球が?」
それ以外になにもないでしょう。
「僕、高校に入るまでまともに身体を動かすなんてしたことありませんでした。だから体育会系の部活なんて乗り気じゃなかったんです」
むーこ先輩は神妙な顔で頷くだけで、聞きに徹している。話しづらい。
「でも、やってみたら意外と楽しいんですよ、野球。声出すのも嫌いじゃないし、ボールを追いかけるのも疲れるけど、結構気持ちいいと思うんです」
バットを振るにも、キャッチボールをするにも、当然だけど身体は使う。使っていれば悲鳴をあげるし、精神的に滅入ったりもする。
それでも——野球をすることが楽しいのは、間違いない。
「残念ながら、僕は運動神経がないみたいでした。なにをやっても上手くいかない」
速くないけどボールを投げることは出来る。バットだって一応振れる。だけど、所詮は素人だ。様々な問題を抱えた僕が一年部活を続けたところで、昔から野球をやっている他の部員と対等でいられるはずがなかった。
「だから高校から野球を始めて、ルールを全て把握しているかもまだ怪しい——それでいて動きも悪い部員なんて、チームからしたらお荷物としか思われてないでしょうね」
でも、
「上手くなりたいんです、野球が。やりたいことなんてなかった僕が、初めて真面目にやりたいと思った」
出来ることなら、僕もグラウンドに立ってプレーしたい。けど、それは多分叶わないことだから。せめて一人でも楽しめるように、僕は練習するだけだ。
「ふーん……認めて貰いたいんだ、尚理くんは」
刹那、言葉が喉に詰まる。認めて貰いたい? 僕が。まさか。
「…………そんな大それた願望なんて、僕にあるはずないですよ」
「そっかそっか」
僕の話を聞いていたむーこ先輩は楽しそうだった。だけど、その笑顔はすぐに陰りを見せて、思い詰めたように呟いた。
ねぇ。
その声を聞いて、僕は先輩が本当に聞きたい話はこれから始まるのだと、そう思った。
「——どうして、キミは私の記憶を取り戻そうなんて思うの? それはやっぱり、尚理くんが迷惑だから……?」
「? 迷惑だなんてなんで——ああ、幽霊が見えるようになったことですか」
「そう」
「それこそ気にしないでください。昨日も言ったじゃないですか。別に僕は困ってない」
「それじゃあどうして」
「話し相手が出来て、嬉しいからですよ」
もう一度、紙に円を描く。このままなにも描けませんでしたじゃあ、十方院さんにどやされる。真剣に取り組まないと。
だから僕はちょっと照れくさいけど、目を逸らさずに真っ直ぐ先輩を見つめた。
「むーこ先輩の記憶が戻った方が、話もきっと広がりますよ。僕だけ一方的に色々話すのは不公平じゃないですか。僕も先輩のこと、もっと知りたいです」
「……尚理くん」
「もう分かってると思いますけど、僕は友達いないんです。野球部はもちろん、どうせクラスにも僕を良く思っている人なんて一人もいない」
毎日学校に行って、練習して、帰るだけ。その間に僕が発言する機会なんてほとんどないし、同居人の叔父とも会話はない。だからこそ、
「むーこ先輩と話すの楽しいんですよ。知り合ってまだ三日目だけど、それでも楽しいです」
ここまで話すと、むーこ先輩は頬を一瞬膨らませて、噴き出すように笑った。
「な、なにがおかしいんですか」
「尚理くん、かわいいね」
べきり。いけない、鉛筆が折れてしまった。鉛筆削り鉛筆削り……。
「なんか、弟が出来たみたい」
「や、やめてくださいよ……縁起でもない」
「えー、それひどくない?」
「だって先輩がお姉さんだったら、僕はもう一人家族を——」
「……もう一人?」
「——あいや、忘れてください」
口が滑った。僕の家族がどうなったなんて話、別に先輩に聞かせることじゃない。
「……そう?」
「縁起でもないのは撤回します。むーこ先輩が本当にお姉さんだったら、きっと毎日楽しかったでしょうね」
「本当にそう思ってる?」
「もちろん」
「そっかそっか、へへ。照れちゃうなあ」
……うん、きっと楽しかっただろう。だって、こうしてるいまもそうなんだ。彼女が生きていて、それで僕の家族だったら。
家族、だったら。
「——楽しみですね」
「え? なにが?」
「むーこ先輩のこと、知るのが」
十方院さんに協力してもらって、彼女のことをもっと知りたい。そして先輩が記憶を取り戻したら、今度は僕が先輩にたくさん質問するんだ。
その時間が楽しみだから、僕はいまこうして下手くそな絵を描こうとしているのだろう。
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