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■5/むーこ先輩、参拝する。(下)
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「……空見くんが置かれている状況は大体わかった。やっぱり、思ったよりもずっと深刻」
十方院さんの手によって再び窓が閉められる。
「……随分と、酷い光景だったみたいね」
「…………うん、僕もようやく理解したよ。十方院さん、キミにアレは見えてないんだ」
見えていたら、普通に暮らすなんて無理だ。どうしてあんなことになっているのかは分からない。けど、むーこ先輩が「幽霊にとってお寺は救いを求めていく場所」だと言っていたことを思い出す。普通に街で過ごしている幽霊と墓地にいたあの人たちは、様々な事情が異なるらしい。
「そう。私には、このご先祖様以外の幽霊は観えていない」
むーこ先輩も、もちろん彼女には見えていない。
「空見くんにご先祖様が観えていることは、私にとっての問題だと思っていた。だからこそ、私はすぐにキミをこの寺に呼んだ。理由や原因を探るためにね」
「原因か……それはやっぱり、十方院さんの問題を解決するためってことかな」
「そうね。身内が所構わず踊りまくっている場面を観られるのは、やっぱり恥ずかしいから」
確かに自分の親戚が、知り合いの目の前でパラパラを踊っていたら、僕も彼女と同じく恥ずかしいとは思う。
「だけど、問題の本質はもっと別のとこにあるといま分かった。それが放っておけない状態だというのもね」
「放っておけない状態……?」
「ええ。空見くんには幽霊が観えてしまう——それこそが、本質」
十方院さんは僕の瞳をまっすぐ見据えて、
「問題を抱えているのは私じゃなく、キミってことよ」
静かにそう宣言した。
「でも、幽霊だったら十方院さんだって見えているじゃないか」
ご先祖様限定だけど。
「私とキミじゃ事情が違うわ」
だって空見くんは、道行く全ての幽霊が見えてしまうのだから。そんな風に言う。
「なぜならね、空見くん。幽霊っていうのは、ホントは生きている人間にとって凄くパーソナルな存在なの。閉鎖的と言ってもいい」
「——ごめん、話が分からなくなってきた」
幽霊がパーソナルな存在? 閉鎖的? 急に始まった専門的な話題に頭の回転が追いつかない。
「幽霊はそう簡単に他人に姿を観せない、ということよ」
彼らは関わりたい人間にしか関わらない。彼女は続ける。
「私がむーこ先輩を観ることができないのが良い例ね。その人が空見くんにチャンネルを開いたからこそ、キミはむーこ先輩の声や姿形を認識できているの」
いまの話で、ようやく幽霊について素人の僕にも理解が出来てきた。なんとなくだけど。
「それじゃあ十方院さんのご先祖様は、キミの家族や親戚にも観えてるってこと、かな」
学校で彼女に「親戚かどうか」問われたことを思い出す。
「察しが良くて助かるわ。この人は寺の行く末を見守るという願いから、十方院の一族にチャンネルを開いている。逆に言えば、その他の人には絶対姿を観せないはずなの」
だけど、チャンネルを開かれていないはずの僕が、なぜかご先祖様を見ることが出来ている。なるほど、確かにコレは十方院さんの問題というよりも僕の問題のような気がする。
「——ああいや、むしろ幽霊側にとっての問題かもね」
「え?」
「正直、私もキミみたいな人に会うのは初めてなの。どんな危険が空見くんに降りかかるかは分からないけど、それは幽霊にとっても同じ。関わりたい人とだけ関われる、そんな自由がキミの存在によって侵されている……本当に、なにが起こるか分からない」
「……」
関わりたい人とだけ、関われる自由。それは死んでしまったからこそ得られる権利。正直、少しだけ羨ましいと思ってしまった。僕も出来るなら人間関係は選びたい。きっとそこに、仲間はずれはないはずだから。そんな暢気な考えが脳裏を過ぎるが、目の前の彼女はそれを看破したのか、冷たい声で続けた。
「下手をすれば幽霊の存在自体が危うくなる可能性だってある」
「僕が幽霊を見ることによって、かな」
「ええ。幽霊に与えられた自由はそれ自体が各々のアイデンティティだから。それが揺るげば自我や存在といった概念が崩壊しても……おかしくないと思う」
つまりは、僕のせいで幽霊は自分が消える危険に晒されている——かもしれない。
「もしそうなってしまったら、幽霊はあらゆる手段でキミを排除しようとするでしょうね」
十方院さんの言葉に、僕は思わず生唾を飲み込んだ。口の中がカラカラに渇いていた。
あらゆる手段って、なんだ。僕に取り憑いてなにかするってこと? 一体何を。洗脳したり? 変態行為で社会的に抹殺したり?
それとも、もっと悪ければ事故とか、自殺とか……うう、なんにせよろくなことじゃない。
「……まぁ、この問題を早期発見出来たことは不幸中の幸いね」
僕の顔をのぞき込んで、十方院さんが取り繕うように言った。
彼女は微笑を浮かべて軽く頷く。
「さっきも言ったけど、このご先祖様は寺の行く末を見守るという目的がある。幽霊はそういう『願い』を叶えるための手段として人に姿を見せるの。ほとんどは『成仏したい』という願いから、誰かに助けて貰おうとして姿を顕すのだけど。まれにご先祖様みたいに特殊な存在がある。多分、そのむーこ先輩もそのタイプ」
「え? 私が?」
突然話を振られたむーこ先輩が目を丸くしていた。奇跡的に、十方院さんと先輩の視線がぴたりと重なっている。僕からすれば二人は見つめ合っているように見えるけど、十方院さんには先輩がどこでなにをしているのか、なにを喋っているのか分からないはずだ。
なのに、彼女は自信満々にむーこ先輩のいる方向を見つめて、話を続けた。
「むーこ先輩にも、叶えたい願いがある。それは成仏ではなく、もっと別の目的のはず」
先輩に向かって十方院さんは言う。
「あなたが空見くんに向かってチャンネルを開いているのはなんとなく分かる。だからこそ、この状況を少しでも安全に近づけるためにはあなたの『願い』を理解しなければならないと、私は思う」
その願いさえ分かれば、そしてそれを叶えることが出来るのならば。先輩を成仏させて、僕は必要以上に危険を冒すことなく幽霊との関わりをなくすことが出来る。幽霊を見なくてすむようになる。そして、いままで通りの日常を送ることが可能なのだと。
「普通の人間が幽霊と関わり続けるよりは、よっぽど健全だわ」
それを聞いたむーこ先輩は、申し訳なさそうに俯いてしまっている。
「むーこ先輩。あなたの願いを叶えるために、私は央泉寺の副住職として力になると約束する」
だから教えて。そう言われた先輩は、黙って首を横に振るだけだった。
「……彼女、なんて言ったの?」
「いや、なにも言ってないよ。多分、言えないんだと思う」
「? それって——」
「——むーこ先輩、どうやら記憶がないらしいんだ」
つまり、自分の願いがなんなのか、わからない。
「……っ、それ、記憶喪失ってことよね!?」
ずい、と十方院さんが身体をこっちに寄せてくる。近い。
「幽霊が記憶喪失……? そんなの、聞いたことないわよ……!」
やっぱり。この道に詳しい十方院さんでもむーこ先輩のような例は初めてらしい。
「当たり前よ、そもそも幽霊っていうのは残留思念——本人の記憶から生まれる現象なのよ!? それだって言うのに、記憶喪失? ありえない……記憶がないのなら、そもそも残留する思念がないはず、なのに……」
「でも、むーこ先輩はここにいる」
僕の隣で、うなだれている。
「……空見くんの狂言ってことは、ないわね」
僕は頷いてその問いに答えた。事実、僕には彼女のご先祖様が見えているのだから。それは彼女も十分に分かっているはずだ。十方院さんはこめかみを押さえて、酸っぱいものを食べた時のように表情を歪める。
「うー……ん。なにからなにまで初めてだらけ……でも、これでハッキリしたかも……?」
「なにが、ハッキリしたの」
「すべての幽霊が観える空見くんは普通じゃない。異常だわ。そしてそれはキッカケがあったからこそ発現した。そして、そのキッカケはやっぱり、むーこ先輩なんじゃないかしら」
「むーこ先輩が?」
「だってそうでしょ。幽霊なのに記憶がないむーこ先輩の特異性。そんな彼女にチャンネルを開かれたからこそ、キミはその問題を抱えた……そう考えるのが自然だと思わない?」
「なる、ほど……」
「となれば、やることは決まったわね」
腕を組んで仁王立ちする十方院さん。自信に満ちた顔だ。
「空見くん。明日また来られるかしら?」
「明日……って、この寺に?」
「決まってるじゃない。ちょっとこれから色々準備するから、実際に行動に移すのは明日にしましょう。で、どうなのよ。来られるの、来られないの」
準備って……なにを始めるつもりなんだ。しかし断ろうものなら、またご先祖様の霊を使って脅迫されるかも知れないと思うと、この質問に対する答えは一つしかない。そう考えると既に脅迫されてるみたいなもんだよなぁ……。
「まぁ……野球部の練習が昼過ぎまであるから、夕方だったら大丈夫だけど」
「そう。それじゃ来るときに連絡頂戴」
十方院さんはスカートのポケットから手帳とペンを取り出して、流れるように筆を走らせる。書き終えると、躊躇無くページを破ってびしっと突きつけてきた。
「これ、私の番号」
格好良すぎるだろ、この女子……。
「あ。もちろん、むーこ先輩も来てくださいね」
「私、も……?」
むーこ先輩が目を大きく見開いた。
「あの……どうして」
先輩は遠慮がちに十方院さんに言葉を投げかけた。僕は通訳の人みたいに、先輩の言ったことを伝える。
「どうしてって……協力することに対して訊いてるのよね?」
「多分、そうだと思う」
「んん……いち僧侶として、どうしても空見くんやむーこ先輩が置かれている状況は見過ごすことが出来ないから……かな」
その言葉に、今度は僕が驚いた。今朝まで僕らはクラスメイトという繋がりしかなかったはずなのに、いまでは僕やむーこ先輩、そしていろいろな人のために親身になってくれている。僧侶としての責任感がそうさせているのだろうか。
なんだか僧侶って思ってたような感じと違うな、なんて考えて。昼間に十方院さんのことを「とんでもない女子」と心の中で称した自分を、少しだけ恥じた。
いい人じゃないか、十方院清花さん。
●
陽は傾きかけている。
寺を出てからここに来るまで、僕とむーこ先輩の間には一言も会話が生まれなかった。けど、学校に戻って自転車の鍵を外した時だった。帰ろうとした僕を先輩が引き留めた。
「あのさ、尚理くん。後ろ、乗っていい?」
「へ……まぁ、いいですけど」僕の自転車はいわゆるママチャリだ。青色の鉄パイプで作られているけど、錆び始めていて見た目はぐろい。二人乗せたらいまにも潰れそうだが、まぁむーこ先輩は幽霊だし重さは一人分だろう。
いや、というか。そもそも幽霊って自転車乗れるのかな?
「ありがと」
その疑問は杞憂だったようだ。先輩は荷台に横座りして、体を安定させるためにサドルの脇に手を掛けた。
「あ、幽霊も自転車に乗るんだって思ったでしょ。顔に出てるよ」
「……すいません」
「え、怒ってないし。謝ることなくない?」
「な、なんとなく」
「律儀だなー」
「そりゃ、どうも」
僕はペダルを踏んで、足を地面から離す。発進。思った通り——当然ではあるのだが——全然重くない。一人で走っているときと同じだ。
「ねえ」
むーこ先輩が話しかけてきたのは、出発して少し経ってからだった。
「十方院さん、私を成仏させるって言ってたけど、どうするんだろ……」
「え?」
「やっぱり……怪しげな術で除霊とかされるのかな……痛い、のかな」
だからか、と今更ながらに得心する。どうしてあんまり喋らないんだろう、なんて不思議には思っていたけど、むーこ先輩は不安だったのだ。
「——どうして、そんな風に思うんですか」
「だって。……だって、私のせいで尚理くんが困ってるから」
「だからって、十方院さんは先輩を苦しませるなんて話、一度もしてないじゃないですか」
それに、困っているのは記憶喪失のむーこ先輩の方じゃないのか。
「でも、私を成仏させるってことは、私がいちゃいけない存在だって、そういうことなんでしょう?」
彼女はいま、自分が何者なのかわからないことに恐れを抱いている。そしてそのまま存在を消されてしまうのではないかと不安になっているのだ。
だとすると、成仏はもしかしたら彼女にとって二度目の死と同義なのかも知れない。
「大丈夫ですよ」
僕は言う。まだ出逢ったばかりで、先輩のことはほとんどなにも分からないけど。少なくとも彼女が思っているようなことを、十方院さんがやろうとしているとは到底思えない。だからこれは僕の本心だ。
「十方院さんの隣にいたご先祖様だって、願いを叶えるために成仏してなかったじゃないですか。むーこ先輩にだって、きっとなにかそういう目的がある。先輩が成仏を恐れているならなおさらです。もしかしたらあの般若さんみたいに、先輩の願いを叶えることがここに遺っていることに繋がっているのかも。だとすれば、ただ成仏させるだけが道じゃないってことですよ。十方院さんも、そこは考えてくれていると思う」
それに、
「僕は別に困ってないですから」
「……」
「別に、幽霊が見えるからって僕はなにも変わってない。それどころか、友達のいない僕にむーこ先輩みたいな話し相手が出来て嬉しいくらいですよ」
「尚理、くん……」
「まぁ僕も十方院さんとは今日まであんまり親しくなかったから、断言は出来ないですけど」
いや、親しくなかったからこそ、か。
「あんな風に一緒に頭を悩ませて、行動してくれる。多分彼女は良い人だと思う。先輩も、そこは安心していいんじゃないですか」
「……うん」
「そうだ。今日も練習、見てもらえませんか」
どうせなら、先輩にいてもらった方が自分に甘えなくなる。
「でも、いつも一人だったじゃない。それに私、野球あんまり詳しくないけど——いいの?」
「同じ野球部の連中に見られるよりは、ずっと気が楽ですよ」
「そっか。……うん、じゃあ、見てよっかな。幽霊、暇だし」
「はは」
「……ありがとね」
気が付けば、自転車はもう自宅近くまで僕らを運んでいた。とりあえず先輩には待ち合わせ時間だけ伝えて、僕は家に帰る。夕飯の支度がまだだった。今日は叔父が少し早めに帰ることを忘れていたので、食事は二人分用意することにした。
むーこ先輩も一緒に食べられたら良いのに、なんて考えながら。
十方院さんの手によって再び窓が閉められる。
「……随分と、酷い光景だったみたいね」
「…………うん、僕もようやく理解したよ。十方院さん、キミにアレは見えてないんだ」
見えていたら、普通に暮らすなんて無理だ。どうしてあんなことになっているのかは分からない。けど、むーこ先輩が「幽霊にとってお寺は救いを求めていく場所」だと言っていたことを思い出す。普通に街で過ごしている幽霊と墓地にいたあの人たちは、様々な事情が異なるらしい。
「そう。私には、このご先祖様以外の幽霊は観えていない」
むーこ先輩も、もちろん彼女には見えていない。
「空見くんにご先祖様が観えていることは、私にとっての問題だと思っていた。だからこそ、私はすぐにキミをこの寺に呼んだ。理由や原因を探るためにね」
「原因か……それはやっぱり、十方院さんの問題を解決するためってことかな」
「そうね。身内が所構わず踊りまくっている場面を観られるのは、やっぱり恥ずかしいから」
確かに自分の親戚が、知り合いの目の前でパラパラを踊っていたら、僕も彼女と同じく恥ずかしいとは思う。
「だけど、問題の本質はもっと別のとこにあるといま分かった。それが放っておけない状態だというのもね」
「放っておけない状態……?」
「ええ。空見くんには幽霊が観えてしまう——それこそが、本質」
十方院さんは僕の瞳をまっすぐ見据えて、
「問題を抱えているのは私じゃなく、キミってことよ」
静かにそう宣言した。
「でも、幽霊だったら十方院さんだって見えているじゃないか」
ご先祖様限定だけど。
「私とキミじゃ事情が違うわ」
だって空見くんは、道行く全ての幽霊が見えてしまうのだから。そんな風に言う。
「なぜならね、空見くん。幽霊っていうのは、ホントは生きている人間にとって凄くパーソナルな存在なの。閉鎖的と言ってもいい」
「——ごめん、話が分からなくなってきた」
幽霊がパーソナルな存在? 閉鎖的? 急に始まった専門的な話題に頭の回転が追いつかない。
「幽霊はそう簡単に他人に姿を観せない、ということよ」
彼らは関わりたい人間にしか関わらない。彼女は続ける。
「私がむーこ先輩を観ることができないのが良い例ね。その人が空見くんにチャンネルを開いたからこそ、キミはむーこ先輩の声や姿形を認識できているの」
いまの話で、ようやく幽霊について素人の僕にも理解が出来てきた。なんとなくだけど。
「それじゃあ十方院さんのご先祖様は、キミの家族や親戚にも観えてるってこと、かな」
学校で彼女に「親戚かどうか」問われたことを思い出す。
「察しが良くて助かるわ。この人は寺の行く末を見守るという願いから、十方院の一族にチャンネルを開いている。逆に言えば、その他の人には絶対姿を観せないはずなの」
だけど、チャンネルを開かれていないはずの僕が、なぜかご先祖様を見ることが出来ている。なるほど、確かにコレは十方院さんの問題というよりも僕の問題のような気がする。
「——ああいや、むしろ幽霊側にとっての問題かもね」
「え?」
「正直、私もキミみたいな人に会うのは初めてなの。どんな危険が空見くんに降りかかるかは分からないけど、それは幽霊にとっても同じ。関わりたい人とだけ関われる、そんな自由がキミの存在によって侵されている……本当に、なにが起こるか分からない」
「……」
関わりたい人とだけ、関われる自由。それは死んでしまったからこそ得られる権利。正直、少しだけ羨ましいと思ってしまった。僕も出来るなら人間関係は選びたい。きっとそこに、仲間はずれはないはずだから。そんな暢気な考えが脳裏を過ぎるが、目の前の彼女はそれを看破したのか、冷たい声で続けた。
「下手をすれば幽霊の存在自体が危うくなる可能性だってある」
「僕が幽霊を見ることによって、かな」
「ええ。幽霊に与えられた自由はそれ自体が各々のアイデンティティだから。それが揺るげば自我や存在といった概念が崩壊しても……おかしくないと思う」
つまりは、僕のせいで幽霊は自分が消える危険に晒されている——かもしれない。
「もしそうなってしまったら、幽霊はあらゆる手段でキミを排除しようとするでしょうね」
十方院さんの言葉に、僕は思わず生唾を飲み込んだ。口の中がカラカラに渇いていた。
あらゆる手段って、なんだ。僕に取り憑いてなにかするってこと? 一体何を。洗脳したり? 変態行為で社会的に抹殺したり?
それとも、もっと悪ければ事故とか、自殺とか……うう、なんにせよろくなことじゃない。
「……まぁ、この問題を早期発見出来たことは不幸中の幸いね」
僕の顔をのぞき込んで、十方院さんが取り繕うように言った。
彼女は微笑を浮かべて軽く頷く。
「さっきも言ったけど、このご先祖様は寺の行く末を見守るという目的がある。幽霊はそういう『願い』を叶えるための手段として人に姿を見せるの。ほとんどは『成仏したい』という願いから、誰かに助けて貰おうとして姿を顕すのだけど。まれにご先祖様みたいに特殊な存在がある。多分、そのむーこ先輩もそのタイプ」
「え? 私が?」
突然話を振られたむーこ先輩が目を丸くしていた。奇跡的に、十方院さんと先輩の視線がぴたりと重なっている。僕からすれば二人は見つめ合っているように見えるけど、十方院さんには先輩がどこでなにをしているのか、なにを喋っているのか分からないはずだ。
なのに、彼女は自信満々にむーこ先輩のいる方向を見つめて、話を続けた。
「むーこ先輩にも、叶えたい願いがある。それは成仏ではなく、もっと別の目的のはず」
先輩に向かって十方院さんは言う。
「あなたが空見くんに向かってチャンネルを開いているのはなんとなく分かる。だからこそ、この状況を少しでも安全に近づけるためにはあなたの『願い』を理解しなければならないと、私は思う」
その願いさえ分かれば、そしてそれを叶えることが出来るのならば。先輩を成仏させて、僕は必要以上に危険を冒すことなく幽霊との関わりをなくすことが出来る。幽霊を見なくてすむようになる。そして、いままで通りの日常を送ることが可能なのだと。
「普通の人間が幽霊と関わり続けるよりは、よっぽど健全だわ」
それを聞いたむーこ先輩は、申し訳なさそうに俯いてしまっている。
「むーこ先輩。あなたの願いを叶えるために、私は央泉寺の副住職として力になると約束する」
だから教えて。そう言われた先輩は、黙って首を横に振るだけだった。
「……彼女、なんて言ったの?」
「いや、なにも言ってないよ。多分、言えないんだと思う」
「? それって——」
「——むーこ先輩、どうやら記憶がないらしいんだ」
つまり、自分の願いがなんなのか、わからない。
「……っ、それ、記憶喪失ってことよね!?」
ずい、と十方院さんが身体をこっちに寄せてくる。近い。
「幽霊が記憶喪失……? そんなの、聞いたことないわよ……!」
やっぱり。この道に詳しい十方院さんでもむーこ先輩のような例は初めてらしい。
「当たり前よ、そもそも幽霊っていうのは残留思念——本人の記憶から生まれる現象なのよ!? それだって言うのに、記憶喪失? ありえない……記憶がないのなら、そもそも残留する思念がないはず、なのに……」
「でも、むーこ先輩はここにいる」
僕の隣で、うなだれている。
「……空見くんの狂言ってことは、ないわね」
僕は頷いてその問いに答えた。事実、僕には彼女のご先祖様が見えているのだから。それは彼女も十分に分かっているはずだ。十方院さんはこめかみを押さえて、酸っぱいものを食べた時のように表情を歪める。
「うー……ん。なにからなにまで初めてだらけ……でも、これでハッキリしたかも……?」
「なにが、ハッキリしたの」
「すべての幽霊が観える空見くんは普通じゃない。異常だわ。そしてそれはキッカケがあったからこそ発現した。そして、そのキッカケはやっぱり、むーこ先輩なんじゃないかしら」
「むーこ先輩が?」
「だってそうでしょ。幽霊なのに記憶がないむーこ先輩の特異性。そんな彼女にチャンネルを開かれたからこそ、キミはその問題を抱えた……そう考えるのが自然だと思わない?」
「なる、ほど……」
「となれば、やることは決まったわね」
腕を組んで仁王立ちする十方院さん。自信に満ちた顔だ。
「空見くん。明日また来られるかしら?」
「明日……って、この寺に?」
「決まってるじゃない。ちょっとこれから色々準備するから、実際に行動に移すのは明日にしましょう。で、どうなのよ。来られるの、来られないの」
準備って……なにを始めるつもりなんだ。しかし断ろうものなら、またご先祖様の霊を使って脅迫されるかも知れないと思うと、この質問に対する答えは一つしかない。そう考えると既に脅迫されてるみたいなもんだよなぁ……。
「まぁ……野球部の練習が昼過ぎまであるから、夕方だったら大丈夫だけど」
「そう。それじゃ来るときに連絡頂戴」
十方院さんはスカートのポケットから手帳とペンを取り出して、流れるように筆を走らせる。書き終えると、躊躇無くページを破ってびしっと突きつけてきた。
「これ、私の番号」
格好良すぎるだろ、この女子……。
「あ。もちろん、むーこ先輩も来てくださいね」
「私、も……?」
むーこ先輩が目を大きく見開いた。
「あの……どうして」
先輩は遠慮がちに十方院さんに言葉を投げかけた。僕は通訳の人みたいに、先輩の言ったことを伝える。
「どうしてって……協力することに対して訊いてるのよね?」
「多分、そうだと思う」
「んん……いち僧侶として、どうしても空見くんやむーこ先輩が置かれている状況は見過ごすことが出来ないから……かな」
その言葉に、今度は僕が驚いた。今朝まで僕らはクラスメイトという繋がりしかなかったはずなのに、いまでは僕やむーこ先輩、そしていろいろな人のために親身になってくれている。僧侶としての責任感がそうさせているのだろうか。
なんだか僧侶って思ってたような感じと違うな、なんて考えて。昼間に十方院さんのことを「とんでもない女子」と心の中で称した自分を、少しだけ恥じた。
いい人じゃないか、十方院清花さん。
●
陽は傾きかけている。
寺を出てからここに来るまで、僕とむーこ先輩の間には一言も会話が生まれなかった。けど、学校に戻って自転車の鍵を外した時だった。帰ろうとした僕を先輩が引き留めた。
「あのさ、尚理くん。後ろ、乗っていい?」
「へ……まぁ、いいですけど」僕の自転車はいわゆるママチャリだ。青色の鉄パイプで作られているけど、錆び始めていて見た目はぐろい。二人乗せたらいまにも潰れそうだが、まぁむーこ先輩は幽霊だし重さは一人分だろう。
いや、というか。そもそも幽霊って自転車乗れるのかな?
「ありがと」
その疑問は杞憂だったようだ。先輩は荷台に横座りして、体を安定させるためにサドルの脇に手を掛けた。
「あ、幽霊も自転車に乗るんだって思ったでしょ。顔に出てるよ」
「……すいません」
「え、怒ってないし。謝ることなくない?」
「な、なんとなく」
「律儀だなー」
「そりゃ、どうも」
僕はペダルを踏んで、足を地面から離す。発進。思った通り——当然ではあるのだが——全然重くない。一人で走っているときと同じだ。
「ねえ」
むーこ先輩が話しかけてきたのは、出発して少し経ってからだった。
「十方院さん、私を成仏させるって言ってたけど、どうするんだろ……」
「え?」
「やっぱり……怪しげな術で除霊とかされるのかな……痛い、のかな」
だからか、と今更ながらに得心する。どうしてあんまり喋らないんだろう、なんて不思議には思っていたけど、むーこ先輩は不安だったのだ。
「——どうして、そんな風に思うんですか」
「だって。……だって、私のせいで尚理くんが困ってるから」
「だからって、十方院さんは先輩を苦しませるなんて話、一度もしてないじゃないですか」
それに、困っているのは記憶喪失のむーこ先輩の方じゃないのか。
「でも、私を成仏させるってことは、私がいちゃいけない存在だって、そういうことなんでしょう?」
彼女はいま、自分が何者なのかわからないことに恐れを抱いている。そしてそのまま存在を消されてしまうのではないかと不安になっているのだ。
だとすると、成仏はもしかしたら彼女にとって二度目の死と同義なのかも知れない。
「大丈夫ですよ」
僕は言う。まだ出逢ったばかりで、先輩のことはほとんどなにも分からないけど。少なくとも彼女が思っているようなことを、十方院さんがやろうとしているとは到底思えない。だからこれは僕の本心だ。
「十方院さんの隣にいたご先祖様だって、願いを叶えるために成仏してなかったじゃないですか。むーこ先輩にだって、きっとなにかそういう目的がある。先輩が成仏を恐れているならなおさらです。もしかしたらあの般若さんみたいに、先輩の願いを叶えることがここに遺っていることに繋がっているのかも。だとすれば、ただ成仏させるだけが道じゃないってことですよ。十方院さんも、そこは考えてくれていると思う」
それに、
「僕は別に困ってないですから」
「……」
「別に、幽霊が見えるからって僕はなにも変わってない。それどころか、友達のいない僕にむーこ先輩みたいな話し相手が出来て嬉しいくらいですよ」
「尚理、くん……」
「まぁ僕も十方院さんとは今日まであんまり親しくなかったから、断言は出来ないですけど」
いや、親しくなかったからこそ、か。
「あんな風に一緒に頭を悩ませて、行動してくれる。多分彼女は良い人だと思う。先輩も、そこは安心していいんじゃないですか」
「……うん」
「そうだ。今日も練習、見てもらえませんか」
どうせなら、先輩にいてもらった方が自分に甘えなくなる。
「でも、いつも一人だったじゃない。それに私、野球あんまり詳しくないけど——いいの?」
「同じ野球部の連中に見られるよりは、ずっと気が楽ですよ」
「そっか。……うん、じゃあ、見てよっかな。幽霊、暇だし」
「はは」
「……ありがとね」
気が付けば、自転車はもう自宅近くまで僕らを運んでいた。とりあえず先輩には待ち合わせ時間だけ伝えて、僕は家に帰る。夕飯の支度がまだだった。今日は叔父が少し早めに帰ることを忘れていたので、食事は二人分用意することにした。
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※初出2024年7月
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