氷の王と自由な小鳥

野良猫のらん

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第九話 駒を並べて

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 アロイスの言葉通り、シリルの食事には少しずつ宮廷料理と見られる料理が増えていった。今日の食事も、様々な料理が少しずつ増えている。魚のすり身の固め焼きらしき切り身も、ちゃんとあった。
 
 今日のアロイスは、昼頃姿を現した。
 
「持ってこい」
 
 アロイスはシリルの部屋を訪れるなり、大きな物を召使いに運び入れさせた。それはティーテーブルと二脚の椅子だった。シリルは目を丸くして、テーブルたちが運び込まれてくる様子を見つめている。
 
 シリルの視線に気がついたのか、アロイスはくるりと振り返って説明する。
 
「どうやら、お前は二人でないと遊戯盤をやる気が起きないようだからな。二人で遊戯盤で遊ぶ場所が必要だろうと思ったのだ」
 
 遊戯盤を中心として部屋がどんどん豪華になっていく。
 シリルは唇を尖らせる。
 
「テーブルなんかあったって意味ないじゃないか、オレは寝台から離れられないんだから」
 
「……そういえば、そうだったな」
 
 すっかり頭から抜けていた、という風に彼は呟いた。どうやら本当に忘れていたようだ。
 
「鎖を外してくれるっていうことか?」
 
 そんなわけないと思いながらも、軽口を叩いてみた。鎖が外れれば、脱走の機会は随分と増える。
 
「鎖を外すことはできない」
 
 アロイスは短く答えた。やはりな、と落胆すらしない。
 
「だが、今のよりも長い鎖を用意してやろう」
「えっ」
 
 意外な言葉に、アロイスの顔を見つめた。彼はいつもと同じ淡泊な表情で、シリルに視線を注いでいる。
 
「どうして? オレが逃げ出したらどうする気だ?」
「鎖を多少長くした程度では、問題はないと判断した」
 
 彼の淡々とした物言いに、ムッとする。自分には脱走など不可能だと嘲られた気がした。
 
「そんなこと言って、オレが逃げ出した後で後悔するなよ!」
 
 シリルがアロイスを睨みつけると、途端に彼は破顔した。
 
「ふっ、はは! 本当にお前は面白いな。逃げ出す気なら、それを私の前で口に出してどうする」
 
 頬がかっと熱くなる。絶対に逃げ出してやるからな、と決意を固くした。
 どうにか言い負かしてやろうと、頭を回転させる。
 
「遊戯盤とテーブルがあっても、対戦相手がいないなら意味ないだろ!」
 
 昨日侍従長に対戦相手になってくれないかと聞いてみたが、「申し訳ございません、忙しいので」と断られてしまった。侍従長というからには、シリルの世話だけでなく他の侍従たちを取りまとめる役目もあるのだろう。忙しいのは無理もない。
 
「対戦相手か。私でよければ、相手になろうか?」
「え、お前が?」
 
 意外すぎる申し出に、思いっ切り顔を顰めた。
 
「……やはり嫌か」
 
 彼の声音が寂しげに聞こえた。そんなわけはないのに。
 だから、ついこう答えてしまった。
 
「別に、嫌じゃないけど」
 
 シリルの答えに、蒼い瞳が瞬く。
 
「そうか、では早速一戦交えるか? 今日は一時的に首輪を外してやろう」
 
 アロイスは懐から鍵を取り出すと、シリルの首輪を外した。
 今ならば、脱走に挑戦することができる。だが逃げ出す気にはなれなかった。別に、アロイスと遊戯盤を囲みたいからではない。目の前で逃げ出そうとしても、無駄だと思うからというだけだ。
 
 久しぶりに自由に歩ける。軽くなった首を揉みながら、シリルは席についた。向かいにアロイスが腰かける。
 
「『神々の戦』のルールは知っているのか?」
 
「知ってる」
 
「結構。白と黒、どちらがいい? 好きな方を選ばせてやろう」
 
 白の駒が先手と決まっている。「神々の戦」では先手の方が有利だ。好きな方を選べるのなら、当然選ぶ方は決まっている。
 
「白だ」
 
 遊戯盤を回転させ、シリルの前に白の駒が、アロイスの前に黒の駒が来るようにした。
 
 神々の戦が始まった。
 
 シリルはまず、川の神の駒を一マス前に動かした。「神々の戦」には、特に強力な駒が二つある。その二つの駒のうち片方を動かしやすくするために、川の神の駒をどかしたのだ。
 一人でずっと遊んでいたというアロイスは、まともに定跡を知らないに違いない。ムカつく彼をボコボコにしてやるチャンスだと、シリルはほくそ笑んだ。
 
 十数分後、シリルは敗北を喫していた。
 
「な、なぜ……」
 
「定跡書を読んでは再現するのが趣味だったからな。お前こそ、下層民にしてはやるな」
 
 アロイスは遊戯盤を見下ろし、柔らかく微笑んだ。シリルには、その笑みが無様な指し手を嘲っているように見えた。
 
「うるさい、下手くそと思っている癖に」
 
「そのようなことはない。私が世辞を口にするようには見えるか?」
 
「見えないけれど」
 
 でも嫌味なら言うだろ、と訝しげにアロイスを睨んだ。
 
「正直、下層民が基本的な定跡を知っているとは思わなかった。どこで学んだ?」
 
「友達が教えてくれたんだよ」
 
 エミールはシリルのことを小馬鹿にしながらも、様々な指し手を教えてくれた。
 
「今はもうどこにもいない、友達がね……」
 
 エミールの死から少し経ち、やっと彼の死を受け止められるようになったように感じる。彼の死を知らされた直後の自分は、悲しんだり悼んだりするよりも自暴自棄になってしまっていた。
 
「……上層民に殺されたという、お前の大切な人か」
 
「エミールだけじゃない、親代わりだった親方も上層民に殺されたんだ」
 
「そのような人々に囲まれて、お前は今まで生きてきたのだな」
 
 呟きながら、アロイスは遊戯盤の駒を並べ直していく。
 並べ直されていく駒を見て、確かに『遊戯盤は二人で遊ぶのが当たり前』なんて言えるのは、エミールがいてくれたおかげだと思った。きっとアロイスには、今までそんな相手がいなかったのだ。
 だからと言って、同情などしないが。
 
「私も一つ、定跡を教えてやろう」
 
 片眉を上げてアロイスが笑う。彼の笑みが、妙にエミールと被って見えた。
 まったく似ていないのに。こんな奴と似ていると思ったりしたら、エミールに失礼だ。
 
「なんだよ、その偉そうな言い方」
 
 唇を尖らせながらも、席を立つようなことはしない。
 
「私は先ほど、こう陣形を組んだだろう……」
 
 アロイスは駒を動かしながら、静かに語る。なんだか懐かしい時間だった。
 

  約束通り、シリルの首輪から繋がっている鎖は長くなった。
 シリルは部屋の中央辺りまでは、自由に動けるようになった。
 
 部屋の中を無意味にうろうろと動き回り、時には遊戯盤を弄ってアロイスに教えられた陣形を再現したりした。決して、彼の言っていた「自分で白と黒の駒を交互に動かす」なんていう寂しい遊び方に感化されたわけではない。忘れないように、再現しているだけだ。次は絶対に勝つのだから。
 
 果物籠からスモモを取り出し、齧りつきながらシリルは考えた。
 ゴネて鎖が長くなるのならば、さらに文句を言えばもっと環境を変えられるのではないかと。脱走を成功させるためには、何を主張するべきか熟考した。
 
 次にアロイスがシリルの部屋を訪れたのは、その翌日のことだった。
 
「今日も一戦交えるか?」
「それがその、今日はお願いがあって……」
 
 シリルはわざとらしいくらいの上目遣いで、アロイスを見つめた。
 
「オレさ、ここじゃなくてアロイスの部屋に住みたいんだ。床の上に寝てもいいから。いつもこの部屋に一人じゃ、寂しくてさ」
 
 シリルの態度に、アロイスは見たことないくらいに顔を歪めて顰め面をした。
 
「気色悪いな。一体何を企んでいる?」
 
 シリルの上目遣いはまるで通じなかった。そればかりか、企みがあることまで見抜かれてしまった。
 
「べ、別になんでもない」
 
「……そうか、わかったぞ。窓だろう。そういえばお前は、外を見たいだのなんだのと言っていたな。口から出まかせではなかったということか」
 
 企みの内容まで筒抜けだ。
 シリルは破れかぶれに叫んだ。
 
「くそっ、そうだよ! オレは塔の外に出たい! だから、窓があるお前の部屋に行きたいんだよ!」
 
 バラしてしまったら、もう絶対に部屋をアロイスの居室に移してもらうことはなくなるだろう。それどころか、居室に一歩も足を踏み入れさせてもらえなくなるだろう。
 何をやっているんだ自分は、と後悔する。
 
 そんなシリルを前に、アロイスは哄笑を響かせた。
 
「ははははは、お前はやはりそうでなくってはな! そういうお前の方が好感が持てる」
 
「こ、好感?」
 
 まさかの言葉に戸惑う。こんな馬鹿な言動に好感が持てるとは、どういうことだ。
 そうか、これも嫌味かとシリルは納得する。
 
「まさか外の世界への渇望が、言い訳ではなく本物だとはな。いいだろう、お前の住む部屋を私の部屋に移してやる」
 
「え……?」
 
 アロイスの言葉が信じられず、シリルはぽかんと口を開けた。
 
「どういうことだ? オレは塔の外に出るって言っているんだぞ?」
 
「できるものなら、してみるといい。部屋を変えたくらいでは、何も変わらないと思い知らせてやろう」
 
 アロイスは口角を歪め、いやらしく笑った。
 
「なるほど。これも諦めさせるためっていうわけか……」
 
 彼の思惑に、歯噛みする。
 
「オレは絶対に諦めない、絶対に塔の外に出てみせる!」
 
 アロイスの思惑に屈したりなどしない。固い意志を込めて、彼を睨みつけた。
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