氷の王と自由な小鳥

野良猫のらん

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第十話 神に見捨てられた箱舟

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 シリルが住む部屋は、その日のうちにアロイスの居室へと移された。
 
 首輪から伸びている鎖は、アロイスの寝台に繋がれている。寝台の位置も、鏡台も、衣装箪笥もあの日見たのと一緒だ。そして、窓も。
 
 アロイスは王としての仕事があるとかで、部屋にはいない。
 シリルは窓からずっと外を眺めて過ごした。
 
 塔の外では、吹雪がひっきりなしに吹いていた。怪物の吐息がごとき吹雪がやむ様子はない。
 窓を開けてみようと力を入れて押してみたが、開くことはなかった。どうやら開く構造になっていないようだ。
 道理で、余裕ぶって自分をこの部屋に移動させるわけだと思った。窓が開かないならば、逃げ出せるわけがないと思ったのだろう。
 
 シリルは夕食の時間まで窓の外を眺めていたが、吹雪はずっと吹き続けていた。外の世界に、本当に人の住めるような場所などあるのだろうかと思ってしまう。
 
 それでもあきらめない。アロイスに宣言したのだから。
 
 シリルが一人で食事を摂り終わっても、アロイスは部屋に戻ってこなかった。侍従長によれば、王の仕事が忙しいらしい。そんなに忙しいだなんて知らなかった。
 寝る時間になっても戻ってこないので、シリルは一人で寝台に横になった。
 
 翌朝、シリルが目を覚ますと既にアロイスはいなかった。
 
「陛下は確かに楽士様のお隣でご就寝され、朝早くに起きて出ていかれましたよ」
 
 もしやアロイスは別の部屋で寝泊まりしたのではないかと、朝食を届けにきた侍従長に聞いてみた。だが侍従長は、確かにアロイスはここで寝たと肯定した。
 自分も結構早起きなのに、それよりもアロイスの方が早起きだというのか。
 
「アロイスはいつも早起きなのか?」
「ええ。陛下はお忙しくあられますから」
 
 自分の部屋を訪れてくれる頻度はまちまちだったし、てっきり怠け者だと思っていたのに。どうやらなかなか訪れてくれないのは、忙しいからのようだった。
 
 アロイスの部屋にも、遊戯盤と果物籠が運び込まれていた。ティーテーブルは元々部屋にあって二重になってしまうからか、運び入れられることはなかった。
 
 窓の外を眺め、やっぱり窓を開ける手段はないかと試行錯誤したり、遊戯盤を弄り回して時間を潰した。
 夜になって、ようやくアロイスは姿を現わした。
 
「ふっ、逃げ出すことはできなかったようだな」
 
 遊戯盤で遊んでいたシリルの姿を見て、アロイスは頬を緩めた。シリルはむっと眉を顰めた。
 
「機会を窺っているだけだ」
「そういうことにしておいてやろう」
 
 アロイスは笑顔のまま、シリルの向かいの席に座った。
 
「さて、一戦交えようか。今度は私が白だ」
「おう、今度は負かしてやる」
 
 二人は神々の戦で戦い始めた。
 シリルは全神経を集中させて、駒の動きを考える。そんなシリルにアロイスが面白そうに視線を注いでいるのを、意識の外の方で感じていた。
 
「なあ、シリル」
 
 一方で、アロイスは自分の手番になったというのに余裕そうに口を開く。
 
「どうしてお前は塔の外になど出たいのだ?」
「え、なんでそんなことを聞くんだ?」
 
 盤面への集中力が一瞬、途切れる。
 
「塔の外に出たいなど望む者は初めてだ。そんな理由で王宮に侵入する者もな。理由を聞きたくなるのは当然であろう」
 
 彼の声には愉快そうな響きがあった。こうして遊戯盤を挟んで向かい合っていると、氷のように無感情だという彼に対する印象が薄れていく。彼にはしっかりと感情があって、どうしたことか下層民である自分なんかとの会話を楽しんでいる。
 
「どうしてって……」
 
 シリルは口ごもる。アロイスならば、自分の夢を聞けば絶対に嘲笑うだろうと思ったからだ。
 
「なんだ、言えないのか。ならばやはり、盗人だったのだな」
「違う!」
 
 もう盗人じゃないとわかっている癖に、ひねた言い方をするのが底意地が悪い。こういうところが好きになれない。
 
「なら、口にしてみたまえ」
「……御伽噺の世界を、この目で見てみたくなったからだよ」
 
 シリルは、太陽の神の駒を手に取った。
 
「塔の外にはさ、御伽噺の世界みたいに太陽があって、空があって、川があって、道端にぽつんと花が咲いているかもしれないじゃん」
 
 理想の外の世界に想いを馳せ、遊戯盤に視線を落とす。空の神、川の神、大地の神、風の神……。神々の名は塔の中にはないものばかりだ。
 遊戯盤がまるで、塔の外の世界の地図のように見えてくる。太陽が地平線の近くに浮いていて、川が中央を分断するように流れており、その脇を爽やかな風が吹いている。
 
 きっと、アロイスはこの憧れを笑うだろう。
 
 だが。
 
「そうだな。お前と同じように外への憧れを捨てられぬ者が、神の名として外の自然を遺したのであろう」
 
 彼はシリルの憧れを肯定するような言葉を発した。そればかりか、気になる言葉を口にした。
 
「遺した……って?」
 
「お前の憧憬は一部正しい。かつてこの塔の外は吹雪に包まれてはおらず、緑豊かで暖かな世界だった。そこで人々は幸福に暮らしていた。人々が生きるのに、王の力など不要だった」
 
 かつては人間は塔の外に暮らしていて、外は御伽噺の中のような暖かい世界だったなんて初めて聞いた。そんなこと、誰も言わなかった。物知りなエミールでさえ知らなかった。
 
「アロイスは、一体何を知っているんだ?」
 
 生唾を飲み込みながら、尋ねた。
 
「……これは代々王族しか知り得ぬことだ。父がいない今、私しか知らない。初めて他人に話す」
 
 互いに遊戯盤への集中力はすっかりなくなっていた。神々の戦は中断していた。
 
「なんでオレには話してくれるんだ?」
「お前が諦めを知らぬからだ」
 
 蒼い瞳が、シリルを見据える。
 
「は……?」
 
 シリルの戸惑いをよそに、アロイスは語り始めた。
 
 昔、世界は理想郷だった。王がいなければ滅びるような、脆弱な世界ではなかった。緑あふれる世界で、数多の神々が人間と共に暮らしていた。
 
 ところが、神々が光の神の側と闇の神の側に分かれて戦争を始めた。神々の力は遠慮を知らず、様々な天変地異が起こった。天変地異の一つとして、世界は吹雪のやまない極寒の世界となってしまった。
 
 戦嫌いで人間好きな中立の神が、一柱いた。その神の名を生命の神という。このままでは人間を含めた様々な動植物が死に絶えてしまうと思った生命の神は、生き物たちを一時保護するための塔を建てた。
 
 生命の神の力のおかげで塔の中から寒さは退けられ、木々が生え、水が湧き出てくる。人々は外の世界を恋しく思いながらも、塔の中で幸福に暮らした。生命の神は一人の人間と恋に落ち、子をもうけた。
 半神であるその子もまた、生命の神の力を受け継いで塔の中を暖めることができた。生命の神ほど強い力ではなかったが。
 
 百年が経った。生命の神と恋に落ちた人間はとっくに亡くなり、塔の外は相変わらず吹雪が覆っている。神々は戦争を止めていないのだ。あるいは、戦争はとっくに終わっているのに吹雪の止め方がわからないのか。
 
 生命の神は絶望したのだろう。これ以上人間を保護していても、吹雪が止む日は来ないに違いないと諦めてしまったのだろう。
 
 生命の神は、塔から去ってしまった。

「この塔は、神に見捨てられた箱舟なのだ」
 
 語り終わった時、蒼い瞳は諦念に満ちていた。最初に会った時の、病的なまでの生気のなさを彷彿とさせられた。
 
「生命の神の子孫が、今の王族だ。代を重ねるごとに神の血は薄まり、神の力は弱まる。楽士によって力を増幅させても、それは一時的なものに過ぎない。塔の寿命を、ほんの少しばかり永らえさせるだけだ。――この塔は、ゆっくりと死にゆく定めなのだよ」
 
 アロイスは緩やかに席から立ち上がると、窓辺へと歩んでいく。
 
「私は常に諦めの中で生きてきた」
 
 彼はシリルに背を向け、吹雪を見つめた。
 
「臣下たちはこの真実を一切知らない。王さえいればいいと思っている。父が死んだ時、私は葬儀に出席することすら許されなかった。唯一の王族が病にかかって死んではならないからだ。私の死は、塔の死。私の一挙手一投足には、常にそういう枷がついて回った。王だなんてとんでもない、私は囚人だ」
 
 こちらからは彼の表情は見えない。ただ、酷く切ない声音だった。
 
「塔を永らえさせるためには、望まぬ相手との性交も強いられてきた」
 
 アロイスの言いぐさに、シリルはむっとした。
 
「なんだよ、オレのことがそんなに嫌いかよ」
 
 くすりと笑う声が聞こえたかと思うと、彼はくるりと振り返った。
 
「ふふっ、お前のことではない」
 
「え?」
 
「神の血を引く王族は人間との間に子ができづらいようでな。たった一人の王族を増やすために、数ヶ月に一回程度の頻度で女とまぐわらねばならん。もちろんそれで病をもらって死んでは意味がないので、病を持っていないことを入念に確認された女が選ばれる。だが、今まで私の子を孕むことができた女はいなかった」
 
 アロイスの柔らかい表情とは逆に、シリルは言葉を失った。
 
 シリルは今まで、自分ばかりが辛い思いをしてきているつもりだった。だが実際には、アロイスの方がずっと長い時間囚われてきたのだ。きっと好きな時に好きな場所に出かけることなど、できなかったのだろう。もしかしたら、食事内容も制限されてきたのかもしれない。望まない相手と行為をしなければならないなんて最悪だと思ってきたが、彼にとってそれは当たり前の日常だったのだ。
 
「そんな……お前は……」
「それで、どうして外の世界に飛び出したいんだ?」
 
 アロイスは再び質問してきた。
 
「え? もう答えただろ、外の世界に憧れているから……」
 
「それは答えになっていない。外の世界に憧れを抱く者は稀にいる。上層民であれば、憧れを曲にして昇華する者もいる。憧れを抱いているからといって、実際に外に出ようと思って実行する者は、お前が初めてだ」
 
「それは、くそったれなこの塔よりは、外の世界の方がマシかもしれないって希望に賭けたからだよ」
 
「希望に賭けた、か……」
 
 何か言いたげにぽつりと繰り返した。
 
「なんか文句でもあんのか」
「……エミールという人物の死亡記録について、臣下に調査させた」
 
 シリルは顔を顰めた。わざわざ調べさせるなんて、親友の死に興味本位で顔を突っ込まれたようで気分が悪い。
 
「驚いたことに、エミールという人物はごく最近死亡していた。ちょうど、お前が私の部屋に現れる直前だ」
 
「何が言いたい」
 
「きっとお前は、大切な者の死にそれはショックを受けたのだろう。だが、その衝撃が塔の外へ出るという衝動として発露するのは、おかしなことだ」
 
「何もおかしなことなんてない、実際オレは塔の外に出たいんだ!」
 
 シリルは必死にアロイスを睨みつけた。なぜだか、彼が酷く恐ろしいことを口にしようとしているように感じられたから。
 
「きっとお前は、自分でもわかっていないのだろう。貧しくとも一応は生きられる塔の中から、何があるともわからない塔の外を渇望する。あまりにも向こう見ずすぎるその衝動の名は――自殺衝動だ」
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