氷の王と自由な小鳥

野良猫のらん

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第二十三話 勉強開始

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「お前と出会ってから、もう半年以上が経ったのか。早いものだな」
 
 アロイスと夕食を共にしている時、彼がしみじみと呟いた。
 夕食はいつも寝室ではなく、食堂に移動して摂っている。
 
 アロイスの表情はとても穏やかだ。彼は、すっかり緩んだ顔を見せてくれるようになった。
 王と楽士の関係でしかない、けれど。少なくとも友情は築けているのではないだろうか。
 
「へー、もう半年か。あっ」
 
 受け答えに集中していたら、食べ物を床に落としてしまった。思わず拾おうとすると、給仕をしていたエリクが素早く拾い上げた。
 
「シリル様はお食事に集中なさってください」
 
 エリクがにこにこと食堂を去っていく。
 
 自分で食べ物を拾おうとするのは、無作法なことだったらしいとシリルにも理解できた。羞恥心に頬が熱くなり、フォークを掴んでいる手にぎゅっと力が篭もった。
 
 礼儀作法が備わっているならば、食べ物を落とさないように食事ができただろうに。自分で食べ物を拾おうとするなんて、無作法な真似を危うくしかけたりしなかっただろう。
 アロイスと一緒に食事をするようになって、作法の違いをまざまざと見せつけられている。彼の食事作法を真似てはいるものの、真似だけでは作法はなかなか身につかない。
 
 彼と違いすぎる自分が、だんだんと惨めに思えてきていた。育ちの悪さがつい出てしまう度、顔が曇る。
 
「オレ、やっぱり勉強したい。礼儀作法とか、難しい本を読む方法とか。アロイスに相応しくなりたい」
 
 シリルは零した。
 
「相応しくなりたいという意味はわからないが……」
 
 二人の関係は王と楽士でしかないと言い放った彼には、相応しくなりたいという意味はわからないだろう。楽士が王に相応しくなりたいと思うなんて、思い上がりでしかないのだから。
 
「そういうことなら、教師をつけよう。学びたいというのはいい心がけだ」
 
「アロイス、ありがとう!」
 
「……別になんということはない」
 
 まさか照れているのだろうか。シリルが満面の笑みで礼を言うと、アロイスはすいと視線を逸らしたのだった。


 数日後から、シリルの勉強は始まった。
 
「この度シリル様のご教育を担当させていただくことになりました、ジョスランと申します」
 
 シリルにつけられた教師は、白い口髭を鋭く尖らせた老人だった。どことなく、顔立ちがエリクに似ていると思った。
 
「あの、いくつか質問があるんですけどいいですか?」
 
 シリルは手を挙げて質問した。質問する時は手を挙げるように、親方に躾けられたから。
 
「ええ、もちろん」
 
 ジョスランはにこにこと頷いた。いい人そうで、安心した。
 
「侍従長のエリクさんとそっくりなお顔をしていますけど、もしかしてご親戚か何かですか?」
 
「実はそうなのです、エリクは私の弟でございます」
 
「エリクさんのお兄さん……!」
 
 道理でそっくりなはずだ、と納得した。
 
「次のご質問は?」
「あの……顔につけている装飾品はなんですか?」
 
 ジョスランは、右目の前に硝子片でできた装飾品をつけていた。オシャレと言えばオシャレだが、物を見るのに邪魔ではないのだろうか。
 
「モノクルのことでございますか。こちらはなかなか高価な品でして、老眼を補正してまっとうに物が見えるようにするための道具なのでございますよ」
 
「物がよく見えるようになるんですか!」
 
 邪魔どころか、手助けしてくれる物だなんて驚く。洒落た装飾品に見えるのに、実用品だなんてビックリだ。
 
 ジョスランは、いろいろと自分の知らないことを知っていそうだ。これから多くのことを学べるだろうと、期待に胸が膨らむのを感じた。
 
「まずは言語から参りましょうか。基本的な文法からお教えしますね」
「はい、よろしくお願いします!」
 
 こうして初めての授業が始まった。シリルは真面目に机に齧りついた。集中して話を聞き、ひたすらに手を動かした。
 
「言語はここまでにいたしましょうか」
 
 しばらくして、ジョスランが言った。
 
「シリル様は学問を初めてお学びになると聞きましたが、なかなか飲み込みが早いですね」
「そうですか? へへ」
 
 世辞だろうとは思っても、悪い気はしない。シリルは照れ笑いを浮かべた。
 
「この分ならば基本的な文法はさらっと終わらせて、古文法に移れそうでございますね」
 
 ジョスランがさらっと、聞き捨てならない言葉を吐いたように聞こえた。
 
「古文法……? それは古い言葉の文法ですか? いやいや、オレは古い言葉で書かれた本なんて読みません! 今の言葉で書かれた本すら、満足に読めないのに!」
 
 ふるふると首を横に振って、拒否感を示した。
 
「でも、古文法の方が面白いのですよ? 古文法の方が勉強する意義がありますし、発見があります!」
 
 ジョスランは活き活きと語る。
 
「結構です! それよりも、もっと他のことを教えてください!」
「かしこまりました……」
 
 シリルに拒否され、ジョスランはしょんぼりと眉を下げた。
 ちょっと可哀想だなと思い、会話を続けようと試みる。
 
「ジョスラン先生は、古い言葉で書かれた本を読むのがお好きなんですね?」
「ええ、そうなのでございます! 古文書があれば、小躍りして読みふけります!」
 
 老人の彼が、まるで幼い子供のように目をキラキラさせているのが微笑ましくて、くすりと笑いが零れた。
 
「それなら先生にお貸しできる古い本が王宮にないかどうか、今度アロイスに聞いてみますね」
「おお、王宮に収められし古文書! 聞くだけで血が滾ります! シリル様、是非に!」
 
 ジョスランの目の輝きが増したので、笑いながら約束した。
 
「それでは次は礼儀作法、それが終われば算術に取り組みましょう」
「はい、わかりました」
 
 午後から始まった授業は、夕食前まで続いた。
 
 授業が終わった後、シリルはちょっとした悪戯心からアロイスの執務室に向かってみることにした。夕食時まで待ちきれないからだ。先生の頼みごとを忘れないうちに伝えたいし、今日はいろんなことを学んだんだぞと自慢したい。彼に会ったら、報告したいことが次から次へと頭の中に浮かんでくる。
 
 執務室を訪れてみたことは一度もないが、どこにあるかは知っている。シリルは執務室に向かった。
 
「陛下、どうかお考え直しください!」
 
 執務室の前に辿り着いた瞬間に聞こえてきた大声に、シリルは飛び上がった。
 
 見れば、執務室の扉が少し開いている。そっと扉に近づき、耳をそばたててみた。怒声が響く中に、足を踏み入れる気にはとてもなれなかったからだ。
 
「何度も言わせるな、しばらくは女をあてがう必要はない」
 
 聞こえてきたアロイスの言葉に、心臓が凍りつく。
 
「『必要はない』ではございません! 陛下にはすぐさま子孫を作っていただかなければ、この塔はどうなるのです! もしも陛下が急に事故死や病死なされたら……」
 
 言い返しているのは、エリクの声だ。
 
 そうだ、アロイスは王だから子孫を作らなければならない。わかっていたはずなのに、どうして忘れていたのだろう。
 アロイスは、自分ではない女性を抱かなければならない。
 そのことを思うと心臓が強く締めつけられ、呼吸が速くなった。必要なことなのに、してほしくないと思ってしまう。
 
「私は何も、ずっと務めを放棄すると言っているわけではない。ただ、あと少しばかり……せめてもう半年は休みたい。そう言っているだけだ」
 
 アロイスが女性を抱くのを拒否している理由はわからない。
 ただこれ以上話を聞いていられなくて、シリルは走り出した。
 
「誰だ!」
 
 足音が響いたのか、誰何する声が背後から聞こえてきた。シリルは構わず寝室に逃げ帰った。
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