少年と執事

マン太

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22.来訪

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 気に入らない。

 ヴァイスは腕を組み、窓の外、階下にいる人物を睨みつけていた。
 裏庭、シーンの傍らで楽し気に話す少年、ハイトだ。
 いや、下僕らの会話を耳にした際、十八才になったと言っていたから既に青年なのだろう。自分と変わらない年齢だ。
 ここ最近、とみに二人の様子が目につくようになった。シーンに釘を刺されて以来、手を出してはいない。それに、出そうにもなぜか見かける回数が減ったのだ。
 馬の世話をしていれば、出かける際や、狩りの時、乗馬訓練の際に見かけることもあるはずなのに。まるで何処かへ隠しでもしたかのように、ヴァイスの視界に入ることはなかった。
 見かければ、何か理由をつけて少しくらい痛めつけてやろうと思っていたのだが。

 シーンの奴、上手く手を回したな。

 ヴァイスが手出しを出来ないよう、目を配っているのだろう。

 あいつは、分かっているからな…。

 今までヴァイスが辞めさせたり、酷い目に遭わせてきた者が何人もいた。その中には、シーンと親しかった女性や、色目を使っていた者たちも含まれていて。
 それを分かっているから、自分の目に付かない様に庇っているのだ。

 気に食わない──。

 眼下のハイトはシーンにさりげなく背を押され、裏庭に消えていく。
 その先には馬小屋があった。最近、仔馬が生まれたと報告があったから、それを見にでも行くのだろうか。

 今行って、邪魔してやろうか。

 だが、余計に仲がいい二人を見せつけられる気がして、行く気が失せた。
 それに、今どんなに親しくしようと、どうせシーンは自分を選ぶしかない。
 レヴォルト家の為に、召使らの将来の為に、そして、自身の出世の為に。
 既にシーンから約束のキスは受けていた。
 二ヶ月程前になるか、ヴァイスの就寝の準備を整えた後、シーンから、申し出を受けると返答があったのだ。
 されたキスは、とても事務的で感情の欠片もないキスで。代わりに自分からキスを仕返した。存分にシーンの口内を味わって、唇を離す。
 濡れた唇を僅かに噛み締めたシーンは、それでは──そう言って退室した。
 乱れもしなかった。大抵の──いや、自分と関係した相手は全て、手管に落とされ自分を見失うほどヴァイスを欲しがった。
 シーンもそうなると思ったのだが──。上手くは行かない。
 
 だが、他の選択肢はない。奴は真面目だ。きっと自分と関係を持つ。そうなれば、こちらのものだ。

 しかし、実際のところ、ヴァイスはシーンが手に入った所で、素行を改めるつもりはなかった。
 この生活は自分によくあっている。好きな時に好きな相手とひと時を過ごす。金に糸目もつけず、思う通りに。
 何かに縛られて過ごすなど考えられなかった。だいたい、今更、真面目に父の後など継げるはずもない。
 それに、自分が丸くなれば、シーンは安心して、きっと自分から離れていく。
 それは分かっていた。もちろん、執事としては側に控えるだろうが、自身の家族を持ち、心は別のものに与えるだろう。

 そんなの、許さない。

 それくらいなら、今まで通り自堕落な生活に浸り、シーンを自分にひきつけて置いた方がいい。
 そうすれば、シーンは一生、自分から離れられないはず。シーンはヴァイスのものになるしか道はないのだ。  
 だが、ここの所、それを信じきれなくもある。
 シーンの様子が今までとは少し違うのだ。
 幾ら言葉で脅しても、以前の様に動揺を見せない。瞳が不安と悲しみに揺れないのだ。強い意志がそこに見て取れる。

 何かが、変わったのか?

 普通のものなら気付かない程度の変化だ。自分はもの心ついたころから、シーンを見てきた。だからわかる。

 何がシーンに安定をもたらしたのか。

 そこで先ほどのハイトの顔がよぎる。

 奴か?

 聞けば、ハイトはシーンと同室なのだとか。教育の為だと言っているが、もしかしたら、二人の間に何かがあったのかもしれない。
 シーンの行く末に関わるような何か。
 ヴァイスは綺麗に整えられたはずの爪先を噛む。イラついた時の癖だ。
 いずれ自分の手に入るものとはいえ、他人と深い仲になるのは許されないものだった。

 なんにしても、気に食わない。

 自分のものを他人に盗られるなど、ありえない事だった。

+++

 それから少し経ったある日、叔父が来訪した。その日は午後からアストン夫妻が見える予定で。その前に話して置きたかったらしい。
 父の弟リオネル・レヴォルトはまだ三十代後半の男だった。
 美しいブロンドにグレーの瞳。祖父に遅くにできた子供と言うことだったが、父クライヴとは十五才違う。母親が違うのだ。
 祖父が出張中、懇意にした娼婦との間に生まれた子どもだった。そう言うわけでヴァイスとは似た境遇にある。
 ただ、付き合う相手に、異性同性構わないヴァイスと違って、叔父のリオネルは同性だけが対象らしい。それも若者が好きなのだとか。
 自らも夜間営業の飲食店や、男娼館を経営していて、かなり繁盛してるらしいとのことだった。高官や貴族連中も利用するらしく、それも経営の安定に繋がっているらしい。
 こうして訪れるのは、兄クライヴに呼びつけられた時くらいなもので、金の無心などはまったくなかった。
 父のクライヴと叔父のリオネル、そしてヴァイスが応接間のテーブルにつく。

「やあ、かわいい甥っ子どの。元気そうで何より。君の噂は私の所へもよく聞こえてくるよ。楽しんでいる様だね? いずれ、私の店にもおいで。今まで以上に楽しめるはずだ」

「リオネル。余計な事は言うな」

 クライヴが渋い顔をする。するとリオネルは大袈裟に肩をすくめ手を上げて見せると。

「挨拶しただけじゃないか。うちの店なら後腐れなく付き合える。それに、皆かなりの床上手に仕立てている…。十分、満足出来るはず──」

「リオネル。今日はヴァイスの婚約のお披露目の件で呼んだんだ。正式にアストン伯爵のご息女をもらい受ける。ヴァイスは正式に私の後継ぎになると発表するつもりだ。お前の店など用はない」

 クライヴは語気を強めた。応接間にお茶が運ばれてくる。執事であるオスカーが給仕を務め、その下にシーンがついた。
 ヴァイスの従者なのだが、要人が来訪した場合には給仕も行っていた。あまり外部に漏らしたくない話の場合はいつもそうする。
 リオネルは美しい者に目がない。早速、カップを置いて去るシーンに目をつけ。

「ここに雇われる下僕たちはみな、見目がいいが、彼は特にいいね。どうだ? ヴァイスから私の屋敷へ移らないか? ここでもらうより倍は出せる。──かなりタイプだな。彼のような禁欲的な者が夜にどんな姿を見せるか、気にならないか?」

 流石のヴァイスも不快感を露わにする。

「叔父様。シーンはすでに私の従者と決まっています。他にやるつもりはありません」

「ああ、君のお手付きか。それなら引くとしょう。──今はね」

 リオネルの視線がシーンを舐めるように眺め、ヴァイスはいい気がしなかった。
 ただでさえ、ハイトの件でイラついていると言うのに、叔父まで入ってきてはイラつきも限界に達する。
 当のシーンはまるで何も聞こえていないかのように、表面上はなにも表に出さず、ただ黙々と父のあとに従って給仕に専念していた。
 こんな下世話なやりとりも慣れたものなのだろう。全て終えると、父オスカーの隣に控える。

 あれは、僕のものだ。

 黒い制服を身に着け、パリッとした白いシャツ姿のシーンは、いつ見ても凛々しく目に映った。長身なお陰もあって、どの使用人よりも目立つ。

 美しい、僕の──僕だけのシーン…。

 叔父はもとより、ハイトなどに与えるはずもない。クライヴは咳払いすると話を続けた。

「婚約のお披露目は九月末に行う予定だ」

「それは忙しいね? あと一カ月もないんじゃ?」

「既に準備はある程度整っている。そうだな? オスカー」

「はい。旦那様。先にすませるものは全て。後は招待状を出すのみです」

「そんな訳で、お前には出席はもちろん、後継ぎの件も了承してもらいたくてな」

「もちろん。私に異論はないですよ? でも、ヴァイス。君、本当に領主なんてなるつもりかい? 君は真面目に勤めるなんて無理だろう? 一生遊んで暮らしたいはずだ。違うか?」

 リオネルの目が一瞬、鋭くヴァイスを射貫いた。その通りで継ぐ言葉もないが。

「父の命令ですから。他に道はありません…」

「そうだね。君の兄は一人は戦場で行方不明、一人は交通事故で死亡した。二人ともいい子だったが…。長男のクラレンスは行方不明だが、乗っていた船も沈んだようだし。死亡だろうね。惜しいことだ」

 そこだけは心底そう思っていたようで、リオネルは残念な顔をして見せる。

「ヴァイスには今までのような生活は改めて貰うつもりだ。その準備も整っている…」

 ちらとクレイヴの視線がシーンに注がれたが、それもすぐに戻されると。

「兎に角、レヴォルト家はこれで安泰だ。お前のような不誠実な人間はこれきりだ。当日はくれぐれも大人しくするように」

「分かっているさ。兄さん。だが、ヴァイスのお相手の女性はどんな子なのかな? 君はそれで満足できるの? それとも、相手は複数持つ積りかな?」

「リオネル、いい加減にしろ。ヴァイスはまともになる。そういう約束だ」

「へぇ。それで治まるもんかね? 私だったら無理だな。どんなに金を積まれても、自分の性癖までは変えられない。それに一生、一人に捧げるなんて、身震いしたくなるな…」

 大袈裟に二の腕を抱いて見せる。

「それはお前だけと言う事だ。話はこれまでだ。今日は相手のご両親とも会う予定だ。その前には帰れよ」

「はいはい。急に呼びつけて直ぐ帰れなんて。本当に酷い扱いだな? 少しくらいゆっくりさせてくれよ。暫くぶりにこの辺りを散策したくてね。ここへは顔を出さないからさ。まあ、しかし、私には兄貴が健在で良かったとつくづく思うよ。どんな犠牲を払っても、この自由は奪われたくないからね」

「勝手にしろ」

 それけ言い残すと、父クライヴは準備があるからと執事のオスカーとともに退出した。その背を見送ったあと。

「さて、私も外を回ってくるか。シーン、君、馬の手配を頼む」

「はい。畏まりました」

 一時退出し、準備を整えに行った。その姿をニヤニヤと眺めていたリオネルは。

「彼に手をだしたのかい?」

「…いずれそうなります。叔父さんでも邪魔はさせません」

「これじゃ、私の出る幕はないな。惜しいな。かなりタイプなんだが…。彼はかなり色気のあるタイプだね。普段は禁欲的な所がまたそそるんだが──」

「伯父さまは若い方が好みだと承知してましたが…」

 シーンは今年二十三歳になる。まだ若いが伯父の趣味はもっと下だと聞いていた。

「まあね。大いにその傾向はあるが、なかなか思うような子がいなくてね…。前に磨けば光るような原石の子がいたんだが、逃げられてしまって。あのまま、連れて行ってしまえばよかったと後悔しているよ」

「伯父さんもうまくいかないことがあるんですね?」

「あるよ。なかなか理想には出会えない。君はシーンが側にいて良かったね? 彼に好かれているなら幸せだろう」

「…そうですね」

「おや? その割には表情が暗いね。もしかして、シーンに思いを向けらていない、とか?」

「心なんてどうだっていいんです。身体の関係さえもてば、どうとでもなります…」

 するとリオネルは笑って。

「はは、それはどうだろう? 人の心は自由にはならないからね? 幾ら関係をもっても、それはそれ。好意とは別だよ。もし、その関係に君が心を求めるなら、それはいつか破綻するだろうね」

 それだけ言うと、さっと席を立ち、大きく伸びをする。タイミング良くシーンが下僕とともに現れた。

「馬の用意が整いました」

「さて、散歩してくるか。君の面会中はここへ近寄らないようにするよ。せいぜい、頑張ってくれたまえ。レヴォルト家のためにね?」

 去り際、ポンとシーンの腰辺りを叩いて出ていった。流石にピクリと身体が揺れたが、それ以上は何の反応も示さない。

「ヴァイス様もお支度を。お部屋へ」

「…シーン」

「はい」

「シーンは──僕を愛せない?」

 シーンの薄いグリーンの瞳が伏せられる。やはり、動揺は見られなかった。

「…以前にも申しましたが、私はそのような対象ではございません。ご子息として、尊敬する思いは多分にあります。ですから、契約もお受けいたしました。ですが、ヴァイス様の思うものとは異なるかと。さあ、話をこれくらいに──。今日は予定が詰まっておりますから」

 促す言葉使いは丁寧でも、そこに求める優しさはない。

「いつも同じことを言う…」

 どうすれば、シーンは僕を見てくれるのだろう。好いてくれるのだろう。
 幾らキスを重ねても、一向にその距離は縮まらない。

 知らぬうちにまた指先の爪を噛んでいた。

+++

 その日。ハイトは早朝から馬の世話の真っ最中だった。毛並みをブラシで整え、てい鉄や爪の確認をする。
 今日は午前中、来客があり、その客が乗馬を希望しているというからだ。全ての馬を整え終わった辺りで、シーンがこちらに向かって来た。

「済まないな。ハイト、朝から急がせてしまって」

「大丈夫。俺なら気にしないで。キエトさんにはまだ休んで貰ってるから」

「…そうか。なら、今はハイトだけか?」

「うん、そうだけど──」

 すると、シーンが不意に腰に腕を回し、抱き寄せてきた。

「シ、シーン?!」

「これくらいなら、許されるだろう? ──近くで君を見ていたいんだ…」

 こんなふうに甘えて来る時は、きっと仕事で何かがあった時で。でも、あえて何があったかは聞かない。ただ、同じ様にシーンを抱き返すだけだ。

「ん。シーンも、仕事、頑張って…」

「ありがとう…」

 最後にギュッと抱きしめ首筋に顔を埋めたあと、シーンは馬の準備が整った旨を、客へ伝えに戻って行った。

 何があったかはわからない。けれど、元気でいて欲しい。

 広いすらりとした背を見送りながら、ハイトはそう思った。

 その後、乗馬の準備はキエトが交代して整えた。その間に軽めの昼食を取り、午後の馬の世話の為に待機する。
 待っていれば乗馬から客が戻って来た。キエトに言われた通り、厩まで来て降りた客人から手綱を引き取り、馬を連れて行こうとすれば。

「──君…。あの時の──?」

「はい──?」

 失礼があってはいけない。乗馬の客人を見ることは避けていたのだが、向こうから声をかけられればそうも行かない。
 まるで自分を知っているような口振りに、なんだろうと顔を上げれば。

 あ──…。

 思わず、身体が硬直した。

 あの時の、男だ。自分を買った──。

 忘れるはずもない。人離れした美しい容姿に輝くばかりの黄金の髪。冷たいアイスグレーの瞳。
 しかし、直ぐに視線を外し、

「失礼致しました…」

 馬を厩舎ヘと連れて行く。

「待って! 君はあの時、相手をしてくれた子だろう? ここで働いているのかい?」

 男は後を追ってきた。このまま、馬に乗って走り出したい位だ。

「…申し訳ありません。人違いでは──」

「いや。そんなはずはない。その右足、不自由なのも一緒だ。あの後全く連絡も無くて…。これでも心配したのだよ? 生活に不自由はしてないのかと──」

「お、俺は──あなたを知りません。会ったことなど一度もありません…っ」

 ハイトは答えながらも、鞍を外すと馬を戻し柵を閉じた。後は馬に水と干し草を与えねば。
 しかし、動揺は隠せない。水を汲む桶を持つ手が震えた。

「…いいや。あの時の君だ」
 
 すると、男はグイとハイトの手首を掴んだ。強い力にあの時の恐怖を思い出し、身体が竦む。

「名前は?」

「…ハイト、です。手を離していただけませんか? まだ仕事が──」

 すると、男はハイトを更に引き寄せ、抱きすくめる。

「やっ、離してくだ──」

「私はよく覚えている…。君が私の腕の中でどんなだったかも…」

 耳元で囁かれ、ビクリと身体が揺れた。ゾワリと寒気が背筋を昇って行く。震えるハイトに男は笑うと。

「怖がらなくていい。──だが、今度は逃さないよ」

「──っ!」

 困惑した表情に、心底嬉しそうな笑みを浮かべ男はハイトを解放した。
 その後、男は何事もなかったかの様に去って行き。入れ替わりに戻って来たキエトに、乗馬をした客人は誰だったのかを尋ねた。

「ああ、あの御方はここの主人クライヴ様の弟だ。名を──リオネル樣と言ったな。──ハイト? どうかしたのか?」

「…いいえ」

 ハイトは我知らず、自身の手首を握っていた。

 シーンには──言えない。

 唇を噛み締めた。
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