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第四章 見つかった死体
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しおりを挟む現実逃避という言葉がある。
直視できない事実と対面した際、一度考えることを放棄し、精神を守る…いわば自衛に走る行為のことを言う。
実際には冗談混じりで使われることが多い。テストから逃げたい、仕事から逃げたい、エトセトラ。雄吾もまた、これまで何度もその言葉を口にしたことがある。
無意識のうちに、それをしていたことに気付くまで、雄吾は数秒を要した。
眠りに近いというか、現実味のない、ふわふわ空を飛んでいるような感覚。が、次の瞬間にはスカイダイビングのように、遥か上空から落下したような。ハッとなって、頭を左右に振り、視線を下方へと落とした。
やはり、幻ではなかった。
そこには、山本の首。
瞳孔が開き、生気を失い灰色に濁った瞳。
少し空いた口から出た舌は皺々で、まるで脳みそを吐き出しているかのよう。ヘラヘラしていた彼の顔は、鬼の形相。それはとても、作り物には思えなかった。
ビニール袋の中は赤く、血で汚れている。しかし袋に満たされる程ではない。体から切り離された後に、少し経ってから入れられたのだろうか。
しかし何故、彼女の家に山本の首がある。
自分は、永塚の死体の痕跡を探しに来た。
そこで見つけたのは、別の人間の死体。
なんだこの状況は。混乱に渦巻く脳内。そこでようやく、リアルが襲ってきた。
嗚咽を漏らし、急いでトイレに入る。便器に顔を突っ伏したところで、思わず吐いてしまった。ここが、絵美の家であること。構うことなく、胃液は、胃の中の溶解物は、喉を逆流して外に出る。黄土色の吐瀉物が、床にビチャビチャと落ちる。
喉仏のあたりが熱くなって、じんじんと痛みが走った。口内に残存する吐瀉物は、唾やらで無理やり飲み込む。気持ちが悪い。口についたそれをトイレットペーパーで拭ってから、水で流した。
落ち着いた後は目をぎゅっと強く閉じながら、山本の首、後頭部のあたりをつま先で、クローゼットへと押し込む。足先で感じる感触。思った以上に固い。全身冷たくなる感覚。ぎゅっと目を瞑り、なんとかそれを入れ込んだ。それから気が抜けてしまい、扉横の所で尻を下ろした。
真横には、抜け殻となった自分の体がある。こう、客観的に見ることなんて普段あり得ない。自分は思った以上に髭が濃く、また眉毛の形が変だった。また、良いと思ったこともあった。こうして意識がない時の自分は、崩れたり涎を垂らしたり…端的に言えば、不細工ではない。これなら誰かと寝る時も、安心して眠りに落ちることが…
改めて溜息をついた。また現実逃避をしてしまっていた。呆けている場合ではないのだが。
雄吾はその場で考え込む。
どうして、絵美は山本を殺害したのだろうか。
山本が殺害された理由。絵美とのつながり。昨夜の、彼の言葉。
来たのは女の子二人だったよ。
やはり昨日、絵美は行ったのだ。あのコンビニに。
あのコンビニで、顔を見られたから?
つまりは、口封じ?
それなら何故、一日経過してそれを行う必要がある。
謎は深まるばかり。しかし、分かったこともあった。これでようやく、絵美が永塚殺害において、確実に関与しているということが。
そこまで考えたところで、軽快な音が室内の大気を震わせた。雄吾は俯いていた頭を上げ、顔を玄関へと向けつつ、「まさか」と漏らした。
インターホン。来客。雄吾はゆっくりと立ち上がり、足音を立てぬように玄関へと向かった。土足場所に素足で立ち、扉の覗き穴に目を当てる。
レンズの向こうには、色白で華奢な女が立っていた。
詩音。こめかみに冷や汗が流れて筋を作るのを、雄吾は感覚として味わった。
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