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第2章「月下に煌めく箱庭」
23話 領主・フローリア
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館の床に、白い天井からぶら下がるシャンデリアが反射していた。日光が窓に射しこむ廊下は、想像よりもずっと広い。
まるでお城の中を歩いているようだ。人気は全然ないけれど、その分静かで落ち着く。唯一聞こえるのは、私たちの足音くらいだ。
窓の外を見ながら廊下を歩く。館を囲い込むように、色とりどりの花や草木が植えられていた。見たことのない花もたくさんある。
ゆっくりと見てみたいけれど、あとにしよう。
しばらくすると、レノちゃんは廊下のある一室の扉を開けた。そこは二人分のベッドが置かれた客室だった。
「ここがシュノーとレノの部屋なのだ。ちょっとだけ貸してあげるのだ」
「ありがとう。そういえば、君の名前は……レノ、だったか?」
「そういえば、じこしょーかい、してなかったのだ。レノ・ソメイユなのだ」
シュノーちゃんと同じラストネームだった。
人間においてのラストネームは、確か同じ家族につけられるもの……だったはず。神の場合は、また少し違った意味合いになるのだけれど。
「シュノーちゃんの妹……?」
「そうなのだ! えーっと……オマエたちのことは、なんて呼べばいいのだ?」
「こっちも自己紹介しなきゃね。私は────」
とりあえず、私とメアもそれぞれ自己紹介をした。
しかし、レノちゃんは私たちの名前を聞いて、ピンとこない顔をして首を傾げる。
しばらく何かをブツブツ呟いたあと、ぱっと顔を上げて笑顔を咲かせた。
「うん! ユキと、メア! レノ、覚えたのだ!」
「あれっ!? 違うって、ユキアだよ!?」
「レノ、長い名前は覚えられないのだ!」
えっへん、と両手を腰に当てて誇らしげに胸を張った。
にっこりと無邪気に笑っていて微笑ましい。全然偉くないんだけどね!?
と、苦笑いしながらレノちゃんを見ていると、彼女の腰に携えられたものが目に入る。
「そういえば、レノちゃん。その腰に差しているのって、剣じゃないよね?」
「これ? これは刀っていうのだ!」
「かたな?」
「強力な武器種の一つだな。普通の剣よりも殺傷力が高いが、剣と違って片方にしか刃がないんだ。だから、自在に扱うには相当鍛錬を積まなきゃいけないと聞いている」
メアがレノちゃんの武器──刀を眺めながら、そう説明してくれる。刀を使う人は周囲にいなかったから、初めて知った。
レノちゃんはメアの説明に「おぉ~」と感心しつつ、刀の柄を手袋に包まれた手で撫で始める。
「レノの大事な宝物なのだ。それと、シュノーとお揃いなのだ」
「……そういえば、シュノーちゃんも似たようなもの持ってたね」
「シュノーはレノのおねーちゃんなのだ! 優しくて強くて、いつもレノのことを大事に想ってくれるのだ! だからレノも、シュノーが大好きなのだ!」
ニコニコと笑うレノちゃんは天真爛漫で、見ているこっちの心が安らぐ子だった。
シュノーちゃんが戻ってきたら、きちんとお礼を言えるだろうか。変わった子だけど、レノちゃんの言う通り悪い人ではないだろうし。
一体、何をしに坂を降りていったのやら。
「そーだ。庭園を見に来たなら、フーにあいさつするのだ!」
「フー? この庭園の関係者か?」
「ん~、確か、そんな感じなのだ。でも、レノとシュノーの大事な友達なのだ!」
レノちゃんは部屋の扉を開け、再び廊下の外に出る。どうやら、その人の元まで案内してくれるようだ。
私たち二人は、楽しげな様子で歩く彼女についていく。
三人で長い廊下を歩く。
窓の外で咲き誇る花々も、目を奪われるくらい美しいものばかりだ。庭園に出るのが楽しみだ。
そんなこんなで廊下を歩いていくうちに、周りの扉より僅かに装飾が凝っているものを見つけた。
「ここがフーのお部屋なのだ。フーは身体が弱いから、静かにするのだ」
人差し指を唇に当てながら、「しーっ」と声を潜めている。
レノちゃんはその扉に近寄ると、軽くノックをする。しばらくして、「どうぞ」と少女の声が聞こえてくる。
扉を開けたレノちゃんに続いて、部屋にお邪魔する。
「フー、お客さんを連れてきたのだー」
「ああ、レノさん。いらっしゃい」
調度品や装飾品がいくつも置かれているものの、成金のような豪奢ぶりは感じられない部屋だった。
鳥を象ったガラス細工や、花瓶に挿された黄色や橙色の花。壁際にある本棚には、分厚い本が何冊か詰め込まれている。
部屋の壁際の真ん中に、大きなベッドがあった。三人くらいは一気に眠れるくらいの広さがあるが、ベッドの上にいたのはただ一人だった。
分厚い本を一冊だけ開き、膝上に置いて読んでいたようだ。
「ようこそ、永久庭園へ。私はフローリア・リュファス。この庭園の領主を務めています」
薄い金色の髪を一つにまとめた藍色の瞳の女の子が、私たちに笑いかけてくれる。どこか儚い微笑みだと感じた。私たちの見た目よりも若そうだ。肌も白いし、年の割に細身である。
私たちが礼をすると、領主──フローリアさんは申し訳なさそうな顔をした。
「きちんと客室で挨拶できればよかったのですが……レノさん、ごめんなさい」
「気にしないでほしいのだ。フーはレノの大事な友達なのだ」
「ふふっ、そうでしたね」
フローリアさんの横に歩み寄り、優しく抱き着いたレノちゃん。領主さんにも懐いていたのか。
しかし、今の彼女は廊下を歩いていたときとは見違えるほどに落ち着いていた。
「レノも客人なんだろう? 大丈夫なのか?」
「全然。私、こうして誰かを甘やかすの、得意なんですよ」
本人がそれでいいなら、別に構わないと思う。むしろ、フローリアさんがレノちゃんの頭を優しく撫でている光景は、見ていて微笑ましかった。
兄弟がいたりするのだろうか……?
「皆さん、お疲れのようですね。よろしければ、庭園に泊まっていってください。お部屋は、シュノーさんとレノさんの部屋の他にも空いてますから」
「い、いいんですか?」
「ええ。私も、久しぶりのお客様が来てくれて嬉しいんですよ。こんな風になってからは、外に出ることもままならなくなっていますから」
レノちゃんの頭を優しく撫でながら、フローリアさんはまた儚げな笑みを浮かべる。
フローリアさんは病気なのだろうか。人間には病気で生涯苦しめられる人もいる。一体何を患っているのか気になったが、心の中に留めておいた。
「先にお風呂を沸かしておきますね。ルルカに言っておきます」
「ルルカ……さん?」
「専属の庭師です。昔からこの家に仕えていて、私にとってはお姉さんみたいな人です」
庭師なのに使用人のような働きもしているのか……至れり尽くせりで申し訳ない。
思えば、私たちは前回の箱庭で戦いを繰り広げて、そこから休む間もなくこの箱庭に連れてこられた。十分に体力が回復していない状態だったのも、あの坂を上るのにかなり苦労した原因だろう。
魔物を倒せば帰れる可能性もあったから、その辺りを全然考えていなかった。むしろこの心遣いはありがたい。
「そうだ。もしよければ、庭園のお花も見ていってください。この庭園は人里よりも標高が高いところにあるのですが、本来ならば環境に適していない花でも綺麗に咲くことができるんです」
「……とはいっても、この庭園は少し寒すぎないか? それに、ある人から聞いたのだが、この庭園に咲く花は枯れないというのは本当なのか?」
メアの問いに対して、フローリアさんは「そうですね」と苦笑いした。
正直私も、ここは人が住むのに適していないと考えていた。
「この土地だけは特別なんですよ。あらゆる植物が永遠を得られるんです。あの花たちは、ほとんどが私の祖先が植えた者なんですよ」
「祖先?」
「ええ。リュファス家は、代々この庭園を守ってきたのです。今となっては、私しか残っていないんですけどね」
それはつまり、両親さえも失っているということだろう。先程出てきた「ルルカ」という人がいるなら、少なくとも彼女は孤独ではないのだろうが……悲しい話だった。
フローリアさんに抱き着いていたレノちゃんは、フローリアさんの膝元にある本に目を向けた。
「フーは何の本を読んでいたのだ?」
「ああ、これは────っ、ゲホッ、ゲホ……!」
「っ! フー!」
急に咳き込み始めたフローリアさんの背中を、レノちゃんは優しく撫でる。
私も思わず駆け寄って様子を見た。胸を抑えて苦しそうだ。何か言葉をかけても、返す余裕もなさそうだった。
「うっ……ごめんなさい。少し落ち着きました」
「……レノのせいなのだ。フーに気を遣わせすぎたのだ……」
「レノさんは悪くないですよ。ユキアさんとメアさんも、私のことは気にせずゆっくりしていってください」
「でも……!」
「ユキア、行こう。レノも」
メアが私の手を引いて促す。魔法でどうにかなるようなものではないということを、この時点で察した。
私の近くに駆け寄ったレノちゃんの目には、深い悲しみが宿っていた。
まるでお城の中を歩いているようだ。人気は全然ないけれど、その分静かで落ち着く。唯一聞こえるのは、私たちの足音くらいだ。
窓の外を見ながら廊下を歩く。館を囲い込むように、色とりどりの花や草木が植えられていた。見たことのない花もたくさんある。
ゆっくりと見てみたいけれど、あとにしよう。
しばらくすると、レノちゃんは廊下のある一室の扉を開けた。そこは二人分のベッドが置かれた客室だった。
「ここがシュノーとレノの部屋なのだ。ちょっとだけ貸してあげるのだ」
「ありがとう。そういえば、君の名前は……レノ、だったか?」
「そういえば、じこしょーかい、してなかったのだ。レノ・ソメイユなのだ」
シュノーちゃんと同じラストネームだった。
人間においてのラストネームは、確か同じ家族につけられるもの……だったはず。神の場合は、また少し違った意味合いになるのだけれど。
「シュノーちゃんの妹……?」
「そうなのだ! えーっと……オマエたちのことは、なんて呼べばいいのだ?」
「こっちも自己紹介しなきゃね。私は────」
とりあえず、私とメアもそれぞれ自己紹介をした。
しかし、レノちゃんは私たちの名前を聞いて、ピンとこない顔をして首を傾げる。
しばらく何かをブツブツ呟いたあと、ぱっと顔を上げて笑顔を咲かせた。
「うん! ユキと、メア! レノ、覚えたのだ!」
「あれっ!? 違うって、ユキアだよ!?」
「レノ、長い名前は覚えられないのだ!」
えっへん、と両手を腰に当てて誇らしげに胸を張った。
にっこりと無邪気に笑っていて微笑ましい。全然偉くないんだけどね!?
と、苦笑いしながらレノちゃんを見ていると、彼女の腰に携えられたものが目に入る。
「そういえば、レノちゃん。その腰に差しているのって、剣じゃないよね?」
「これ? これは刀っていうのだ!」
「かたな?」
「強力な武器種の一つだな。普通の剣よりも殺傷力が高いが、剣と違って片方にしか刃がないんだ。だから、自在に扱うには相当鍛錬を積まなきゃいけないと聞いている」
メアがレノちゃんの武器──刀を眺めながら、そう説明してくれる。刀を使う人は周囲にいなかったから、初めて知った。
レノちゃんはメアの説明に「おぉ~」と感心しつつ、刀の柄を手袋に包まれた手で撫で始める。
「レノの大事な宝物なのだ。それと、シュノーとお揃いなのだ」
「……そういえば、シュノーちゃんも似たようなもの持ってたね」
「シュノーはレノのおねーちゃんなのだ! 優しくて強くて、いつもレノのことを大事に想ってくれるのだ! だからレノも、シュノーが大好きなのだ!」
ニコニコと笑うレノちゃんは天真爛漫で、見ているこっちの心が安らぐ子だった。
シュノーちゃんが戻ってきたら、きちんとお礼を言えるだろうか。変わった子だけど、レノちゃんの言う通り悪い人ではないだろうし。
一体、何をしに坂を降りていったのやら。
「そーだ。庭園を見に来たなら、フーにあいさつするのだ!」
「フー? この庭園の関係者か?」
「ん~、確か、そんな感じなのだ。でも、レノとシュノーの大事な友達なのだ!」
レノちゃんは部屋の扉を開け、再び廊下の外に出る。どうやら、その人の元まで案内してくれるようだ。
私たち二人は、楽しげな様子で歩く彼女についていく。
三人で長い廊下を歩く。
窓の外で咲き誇る花々も、目を奪われるくらい美しいものばかりだ。庭園に出るのが楽しみだ。
そんなこんなで廊下を歩いていくうちに、周りの扉より僅かに装飾が凝っているものを見つけた。
「ここがフーのお部屋なのだ。フーは身体が弱いから、静かにするのだ」
人差し指を唇に当てながら、「しーっ」と声を潜めている。
レノちゃんはその扉に近寄ると、軽くノックをする。しばらくして、「どうぞ」と少女の声が聞こえてくる。
扉を開けたレノちゃんに続いて、部屋にお邪魔する。
「フー、お客さんを連れてきたのだー」
「ああ、レノさん。いらっしゃい」
調度品や装飾品がいくつも置かれているものの、成金のような豪奢ぶりは感じられない部屋だった。
鳥を象ったガラス細工や、花瓶に挿された黄色や橙色の花。壁際にある本棚には、分厚い本が何冊か詰め込まれている。
部屋の壁際の真ん中に、大きなベッドがあった。三人くらいは一気に眠れるくらいの広さがあるが、ベッドの上にいたのはただ一人だった。
分厚い本を一冊だけ開き、膝上に置いて読んでいたようだ。
「ようこそ、永久庭園へ。私はフローリア・リュファス。この庭園の領主を務めています」
薄い金色の髪を一つにまとめた藍色の瞳の女の子が、私たちに笑いかけてくれる。どこか儚い微笑みだと感じた。私たちの見た目よりも若そうだ。肌も白いし、年の割に細身である。
私たちが礼をすると、領主──フローリアさんは申し訳なさそうな顔をした。
「きちんと客室で挨拶できればよかったのですが……レノさん、ごめんなさい」
「気にしないでほしいのだ。フーはレノの大事な友達なのだ」
「ふふっ、そうでしたね」
フローリアさんの横に歩み寄り、優しく抱き着いたレノちゃん。領主さんにも懐いていたのか。
しかし、今の彼女は廊下を歩いていたときとは見違えるほどに落ち着いていた。
「レノも客人なんだろう? 大丈夫なのか?」
「全然。私、こうして誰かを甘やかすの、得意なんですよ」
本人がそれでいいなら、別に構わないと思う。むしろ、フローリアさんがレノちゃんの頭を優しく撫でている光景は、見ていて微笑ましかった。
兄弟がいたりするのだろうか……?
「皆さん、お疲れのようですね。よろしければ、庭園に泊まっていってください。お部屋は、シュノーさんとレノさんの部屋の他にも空いてますから」
「い、いいんですか?」
「ええ。私も、久しぶりのお客様が来てくれて嬉しいんですよ。こんな風になってからは、外に出ることもままならなくなっていますから」
レノちゃんの頭を優しく撫でながら、フローリアさんはまた儚げな笑みを浮かべる。
フローリアさんは病気なのだろうか。人間には病気で生涯苦しめられる人もいる。一体何を患っているのか気になったが、心の中に留めておいた。
「先にお風呂を沸かしておきますね。ルルカに言っておきます」
「ルルカ……さん?」
「専属の庭師です。昔からこの家に仕えていて、私にとってはお姉さんみたいな人です」
庭師なのに使用人のような働きもしているのか……至れり尽くせりで申し訳ない。
思えば、私たちは前回の箱庭で戦いを繰り広げて、そこから休む間もなくこの箱庭に連れてこられた。十分に体力が回復していない状態だったのも、あの坂を上るのにかなり苦労した原因だろう。
魔物を倒せば帰れる可能性もあったから、その辺りを全然考えていなかった。むしろこの心遣いはありがたい。
「そうだ。もしよければ、庭園のお花も見ていってください。この庭園は人里よりも標高が高いところにあるのですが、本来ならば環境に適していない花でも綺麗に咲くことができるんです」
「……とはいっても、この庭園は少し寒すぎないか? それに、ある人から聞いたのだが、この庭園に咲く花は枯れないというのは本当なのか?」
メアの問いに対して、フローリアさんは「そうですね」と苦笑いした。
正直私も、ここは人が住むのに適していないと考えていた。
「この土地だけは特別なんですよ。あらゆる植物が永遠を得られるんです。あの花たちは、ほとんどが私の祖先が植えた者なんですよ」
「祖先?」
「ええ。リュファス家は、代々この庭園を守ってきたのです。今となっては、私しか残っていないんですけどね」
それはつまり、両親さえも失っているということだろう。先程出てきた「ルルカ」という人がいるなら、少なくとも彼女は孤独ではないのだろうが……悲しい話だった。
フローリアさんに抱き着いていたレノちゃんは、フローリアさんの膝元にある本に目を向けた。
「フーは何の本を読んでいたのだ?」
「ああ、これは────っ、ゲホッ、ゲホ……!」
「っ! フー!」
急に咳き込み始めたフローリアさんの背中を、レノちゃんは優しく撫でる。
私も思わず駆け寄って様子を見た。胸を抑えて苦しそうだ。何か言葉をかけても、返す余裕もなさそうだった。
「うっ……ごめんなさい。少し落ち着きました」
「……レノのせいなのだ。フーに気を遣わせすぎたのだ……」
「レノさんは悪くないですよ。ユキアさんとメアさんも、私のことは気にせずゆっくりしていってください」
「でも……!」
「ユキア、行こう。レノも」
メアが私の手を引いて促す。魔法でどうにかなるようなものではないということを、この時点で察した。
私の近くに駆け寄ったレノちゃんの目には、深い悲しみが宿っていた。
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