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第2章「月下に煌めく箱庭」

24話 シュノーとレノ

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 廊下を歩く足取りは重かった。私たちは話す言葉も見つけられぬまま、客室に戻ろうとする。
 確か、私たちの部屋はシュノーちゃんたちの隣だったはずだ。泊まる用意をしてから、庭園にでも向かってみようか。
 そう考えたとき、玄関の方向からドアの開く音がした。

「あっ、シュノーが帰ってきたのだ!」
「レノ! 廊下を走るな!」

 気分が沈んでいたレノちゃんの顔に、ふっと明るさが舞い戻る。メアは駆け出したレノちゃんを追っていく。
 一体何をしていたのか聞いてみよう。そう思いつつ、最初に来た道を戻るようにして館の玄関に辿り着いた。

「レノ……ただいま……」
「シュノー! 今度こそおかえりー!」

 レノちゃんは駆け出した勢いのまま、シュノーちゃんに抱き着いた。
 しかし、私は思わず「えっ」と驚いてしまった。シュノーちゃんの服が、出会ったときよりも薄汚れていたのだ。
 見たところ土汚れのようだが……。

「ごめん、レノ……いつも一人にさせて……」
「シュノーは何も悪くないのだ。レノこそ、シュノーのお手伝いができなくてごめんなのだ……」
「大丈夫。レノもお留守番できて偉いよ」

 小さく微笑みながら、桃色の髪ごと頭を優しく撫でていた。レノちゃんの心配そうだった顔はすぐさま和やかなものになって、シュノーちゃんに抱きついている。
 そんな様子を眺めていると、シュノーちゃんがこちらを向いた。

「二人とも、レノをありがとう。助かった」
「それはいいけど……どうしたの、その汚れ……」
「心配無用。ちょっと転んだだけ」

 転んだだけで全身汚れることなんてありえないと思う。
 見ると、私の隣に立つメアも、少し訝しげな顔をしていた。

「結構汚れちゃったし、このままじゃいけない。シュノーは先にお風呂に入らせてもらう」
「あっ、レノも行く! ここのお風呂広くて綺麗だもん!」

 確かに、土や砂で汚れているし、このままご飯をいただくわけにもいかないだろう。
 そういえば、私たちも箱庭に来てほとんどお風呂に入れていないような……?

「メア、私たちも一緒にお風呂入らない?」
「え? な、なんでだ。別に後でも構わないだろう」
「わーい、シュノー! ユキとメアも一緒だってー!」
「ん。入りたいなら好きにすればいい。夕飯まではまだ時間あるし」

 私の提案に若干顔を赤くするメアだったが、二人は快く了承してくれた。



 姉妹についていく形で、この館のお風呂に辿り着いたのはいいものの。
 シンプルな脱衣所だけでも、普通の家のものより大きい。服を入れる用の籠も、十を超えた数は置いてある。
 まさに貴族の館、という感じだ。

「やっぱり綺麗だね、この館」
「フローリア曰く、昔はもっとたくさん人がいたらしいけど」

 館にまつわる話はそこまで聞いてこなかったから、まだ知らないことがたくさんある。
 シュノーちゃんとレノちゃんが腰に差していた鞘を抜き、脱衣所の隅に立てかけた。それから服を脱ぎ始め、あらかじめ備え付けてあったバスタオルに身を包む。
 私も結んでいた髪をほどいて、適当にまとめ直してから、メアと一緒に浴室のドアを開けた。

「えっ!? 広っ!!」

 私が元々住んでいた家の風呂より大きいかつ、おしゃれだ。広さだけ見ると、人間の世界でいう銭湯に近い。
 さっきフローリアさんが言っていた通り、ルルカさんとやらがお風呂のお湯を沸かしておいてくれたようだ。おかげで浴室は湯気で満ちている。

「シュノー、早く身体を洗うのだ! レノが背中を流してあげるのだ」
「うん、ありがとうレノ」

 二人は浴室の端で洗いっこを始めた。
 こっちはそれぞれ身体を洗ってから、先に湯船に浸からせてもらう。熱いお湯が身に沁みて気持ちいい……。
 なんだか、数年ぶりにお風呂に入った気分だ。

「ゆったりするねー」
「そ、そうだな……」

 メアは少し目を逸らしがちに言う。
 こちらがお湯に浸かりながら天井を見上げていると、シュノーちゃんとレノちゃんが戻ってきた。
 ここまで来るときも、身体を洗うときも、湯船に浸かるときも……レノちゃんはシュノーちゃんにくっついている。片時も離れたくないみたいだ。

「本当に二人は仲がいいんだね」
「当然なのだ! シュノーとレノは最強のコンビなのだ!」

 誇らしげに胸を張るレノちゃんの横で、シュノーちゃんは小さく微笑んでいた。
 普段は表情がわかりづらい、顔に感情が見えにくい子だが、妹の隣だと優しいお姉さんそのものだった。

「そういえば、二人はどこから来たの?」
「ここじゃない、ずっと遠くから。レノと一緒に」
「何が目的で?」

 私の問いに、シュノーちゃんは視線を返してくる。目つきが少しだけ冷たくなっていた。まるで、私がこう尋ねてくるのを予見していたかのようだった。

「……話せない。言ったはずだよ、キミたちには関係ない」
「ま、まあ、私たちまだ出会ったばかりだし、そこまで知る権利はないかもしれないけど。でも、あんなに汚れて帰ってくるなんておかしいよ。何があったの?」

 私の言葉に俯くだけで、何も答えてくれなかった。本当に話せない事情があるようだった。
 魔術師の女の人の言葉といい、フローリアさんの容態といい……この庭園には謎が多すぎる。私とメアだけで調べきれるかどうか、それさえわからない。
 話題に困っていると、レノちゃんが私たちに「なーなー」と声をかけてきた。

「ユキとメアはどこから来たのだ?」
「私たちか? そうだな……どこというべきか」
「気がついたら、あの坂のある森の中にいたんだよ。魔術師の女の人がいなかったら、私たちもまずかったかもね」
「────え?」

 私の答えに、シュノーちゃんは信じられないと言いたげに目を見開いていた。
 ……何かおかしなこと言った? 嘘は言ってないつもりなのだけど……。

「ち、ちょっと待って。シュノーたちも、気がついたらそこにいた。そしてあの魔術師にも会った」
「なっ!?」
「ええっ!?」

 メアと私は揃って声を上げ、浴室に叫びが響き渡った。
 まさか、ここで自分たちと同じような状況に陥っている者に会うなんて……。

「じゃあ、シュノーちゃんたちも魔物を探してるの!?」
「『も』ってことは……まさか、キミたちも……?」
「そうだよ。私たち、クレーって仮面の男に箱庭に連れてこられて────」
「っ……シュノーたちと、同じ……?」

 私とシュノーちゃんの目が合った。驚きに染まった黄緑の目には、驚愕の顔になった私が映っている。
 箱庭に連れ去られた神など、私たちの他にはいないだろうと、勝手に思っていた。
 一体、何が起きているというの────。
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