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第3章「海と大地の箱庭」
51話 牢獄の奥
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まだ太陽が昇り切っておらず、キャッセリア全体が薄暗い闇に包まれていた。
レーニエ・エピストゥラは、ある者が作った一人分の弁当を詰め込んだ鞄を肩にぶら下げて道を歩いていた。普段、この仕事をレーニエが請け負うことはないのだが、元々の担当者に頼まれ仕事を代わった。
周囲には誰もおらず、薄く霧が立ち込めている。
中心都市の郊外には、大体草原や小さな森、山脈といった自然が広がっている。建物もほとんどなく、何もない草原が広がっている。人気もない。
しばらく歩いた先の緑の中に、明らかに場違いな建物がぽつんと建っている。外観はほとんど真四角で、黒々とした無機質な大きい建造物。神々からは「デウスプリズン」と呼ばれている建物だった。
ここは、アーケンシェンの最年少であり、断罪神とも呼ばれているクリムが住まう場所だった。他にこの周辺に住む者はおらず、用事がある者でなければまず近寄らない。
「えーと……弁当はここ、だっけか」
担当者に教えられた日課通り、鞄から弁当入りの袋を取り出して、建物の付近に置かれているポスト代わりの黒い箱に入れる。
レーニエは改めて、建物の前に立つ。重苦しそうな扉の横についた呼び出し鈴を鳴らし、しばらく待った。その間、あまりにも物静かだった。
(確か、デウスプリズンって関係者以外立ち入り禁止なんだよな)
一度クリムと話でもしたいと思ったが、出てくる気配はない。仕方なく、そのまま踵を返し自分の家に帰ろうとしたところだった。
「あ。運び神さんですか? いつもお疲れ様です」
レーニエよりも少々背が低い少年が、礼をしながら後ろに立っていた。
懐中時計を模した飾りのついた中折れ帽の下には、金髪の髪が見え隠れしていた。見た目だけは何の変哲もない少年だが、赤と緑のオッドアイを持っているという時点で特殊な者だということは確定していた。
「あんたは確か、アーケンシェンの……」
「はい。『時空の操者』、トゥリヤ・デスティリオです」
「はぁ……あ、俺はレーニエっていいます」
「かしこまらなくていいですよ。リラックスしてください。その方が僕も気楽なので」
敬語を使われるのは苦手なのか、少々たじろぎながらそう言われた。
少年──トゥリヤは、アーケンシェンの中で、時間を操る魔法を得意とする。心穏やかで基本どの神にも優しいので、多くの一般神に慕われている。見た目が見た目だから、可愛がられることも多いとか。
とはいえ、レーニエはほとんど会話をしたことがない。ばったり出くわしてしまった以上、何も話さずに立ち去るわけにもいかなくなった。
「えっと……トゥリヤさん? クリムさんに用事があるのか?」
「そんなところです。最近忙しくて、クリムさんに顔向けできていなかったので。気分転換がてら、たまには一緒に本を読もうと思いまして」
ふーん、と何気なく返すレーニエ。
トゥリヤは、デウスプリズンの扉の前に立ち、取っ手に手をかける。
「あ、トゥリヤさん。クリムさんを呼んできてくれないか?」
「いいですよ。お話したいんですか?」
「まあな。つい先日世話になったし、一応会いたいなって」
「それなら、僕と一緒に来てください。僕が許可だしたってことにしておけば大丈夫ですから」
トゥリヤが重苦しい扉を開け、広々とした薄暗い空間に足を踏み入れる。外観だけでなく、内装も無機質だ。これといった装飾もなく、あるのは天井から頼りなくぶら下がる銀の炎の灯ったランプだけ。
「……予想以上に不気味だな、ここ」
黒に近い灰色の廊下を進んでいく途中には、いくつか扉がある。格子だけついているものもあれば、扉の向こうがまったく見えないものもある。奥に行けば行くほど、扉の先がわからないものが増えてくる。
「レーニエさんは怖いもの知らずですね」
「よく言われる」
「……デウスプリズンがどういう場所か、ご存じですか?」
「んー。罪を犯した神がここに収監されてる、ってことくらいかな」
実際、レーニエのような答えを返す者が一般神のほとんどである。キャッセリアの中でも、デウスプリズンは特に謎に包まれた場所だ。
トゥリヤはレーニエの隣を歩きながら、遠く奥を見据えて口を開く。
「クリムさんは、デウスプリズンの番人です。罪人たちを閉じ込め、裁定する。アーケンシェンの中では最も重い役割だと、僕は思っています」
「それなら、どうしていつも一人で調査とかやってるんだ? 誰が見ても大変だと思うんだけど」
「特殊すぎるからですよ。クリムさんにしか役割を果たせない、そういうふうになっているからです」
だから、手伝おうにも手伝えない。トゥリヤはそう付け足した。
しばらく廊下を進んだところで、彼は立ち止まった止まった。中が見えないある扉にノックする。しかし、何も返ってこない。
「あれ……おかしいですね。まだ帰ってきてないみたいです」
「ここ、クリムさんの部屋なのか?」
「部屋というか、書斎ですね。いつもここに一人で住んでいるんです」
部屋の中に入ろうとダメ元で試みた。すると、意外なことに扉が開いた。えっ、と驚くトゥリヤであったが、レーニエも少しびっくりした。
この扉の向こうにあるのは書斎だった。分厚い本がたくさん詰め込まれた本棚に囲まれているが、一番奥には広めの机がある。その少し手前の壁際には狭いベッドがあった。
しかし、そこには誰もいない。
「珍しいですね……どうも、昨夜からここを空けているみたいです。こんなこと滅多にないんですが」
「他のアーケンシェンなら知ってるんじゃないのか?」
「どうでしょう。あとで聞いてみますが────」
その矢先────灰色の廊下の奥から、ガタガタという音が聞こえてきた。静寂の中に突然響き渡った物音に、トゥリヤの身体はその場で跳ね上がる。
「ひぃっ!? なんですかこの音っ!?」
「罪人とかいるんだろ? それじゃないのか」
「こ、こんな音じゃないですよ! 何かおかしいです……!」
知的で落ち着いたイメージがみるみる崩れ去っていく。アクシデントに弱いタイプであることは明白だった。
謎の物音の正体は何なのか、二人には見当もつかなかった。
いつまで待っても、音はやまない。いてもたってもいられず、ゆっくりと吸い込まれるように奥へと歩み寄っていく。
「あっ!? レーニエさん、そっちはだめですよ!」
やがて、二人は廊下の突き当たりへと辿り着いた。そこは鉄格子でできた扉で塞がれており、格子から垣間見える奥には幾多もの牢屋が連なっていた。
その先からは、嫌な黒い魔力のようなものが漂ってきている。トゥリヤは当然だが、魔法にそこまで長けていないレーニエでも、この先は危険に満ちているとわかった。
「この奥、まだ廊下が続いているのか」
「みたいですね……この奥は僕もよく知らないのですが……というか、行くつもりなんですか!?」
「大丈夫だろ。まだ朝早いし、牢獄の番人もいない。確かめるなら今────」
二人が会話をしているとき、不思議な現象が起きた。
誰もいないはずの、奥へ繋がる鉄格子の扉が────何の前触れもなく開いたのだ。人為的な要因もなく開いてしまったことで、二人は底知れぬ恐怖に突き落とされる。
「ち、ちょっと待ってくださいっ!? なんかおかしいですよこれ!? どうしましょう!?」
「お、落ち着けよトゥリヤさん! あんた俺より上だろ、しっかりしてくれぇ!」
もみくちゃになっている中、こつんと足音が聞こえてきた。自分たちが来た方向とは真逆……つまり、開いた鉄格子の扉の奥からだ。
「……ここは……どこなのですか。皆さんは……お兄様は……?」
ほんの少しトーンの低い少女の声だった。レーニエも、トゥリヤもきょとんとしたまま、その場で硬直していた。
やがて、廊下の奥から一人の子供が姿を現す。長い銀髪を持ち、紫の装束に身を包んでおり、銀の装丁の本を片手に抱えている。
何より────少女の赤い瞳は特徴的だった。瞳孔の部分に四葉のクローバーのような模様が浮かんでおり、心なしか瞳が炎のように燃え盛っているように見えるのだ。
「え……どなたですか?」
「あなたたちこそ、誰ですか?」
二人はしばらく何も答えることができなかった。
まだ太陽が昇り切っておらず、キャッセリア全体が薄暗い闇に包まれていた。
レーニエ・エピストゥラは、ある者が作った一人分の弁当を詰め込んだ鞄を肩にぶら下げて道を歩いていた。普段、この仕事をレーニエが請け負うことはないのだが、元々の担当者に頼まれ仕事を代わった。
周囲には誰もおらず、薄く霧が立ち込めている。
中心都市の郊外には、大体草原や小さな森、山脈といった自然が広がっている。建物もほとんどなく、何もない草原が広がっている。人気もない。
しばらく歩いた先の緑の中に、明らかに場違いな建物がぽつんと建っている。外観はほとんど真四角で、黒々とした無機質な大きい建造物。神々からは「デウスプリズン」と呼ばれている建物だった。
ここは、アーケンシェンの最年少であり、断罪神とも呼ばれているクリムが住まう場所だった。他にこの周辺に住む者はおらず、用事がある者でなければまず近寄らない。
「えーと……弁当はここ、だっけか」
担当者に教えられた日課通り、鞄から弁当入りの袋を取り出して、建物の付近に置かれているポスト代わりの黒い箱に入れる。
レーニエは改めて、建物の前に立つ。重苦しそうな扉の横についた呼び出し鈴を鳴らし、しばらく待った。その間、あまりにも物静かだった。
(確か、デウスプリズンって関係者以外立ち入り禁止なんだよな)
一度クリムと話でもしたいと思ったが、出てくる気配はない。仕方なく、そのまま踵を返し自分の家に帰ろうとしたところだった。
「あ。運び神さんですか? いつもお疲れ様です」
レーニエよりも少々背が低い少年が、礼をしながら後ろに立っていた。
懐中時計を模した飾りのついた中折れ帽の下には、金髪の髪が見え隠れしていた。見た目だけは何の変哲もない少年だが、赤と緑のオッドアイを持っているという時点で特殊な者だということは確定していた。
「あんたは確か、アーケンシェンの……」
「はい。『時空の操者』、トゥリヤ・デスティリオです」
「はぁ……あ、俺はレーニエっていいます」
「かしこまらなくていいですよ。リラックスしてください。その方が僕も気楽なので」
敬語を使われるのは苦手なのか、少々たじろぎながらそう言われた。
少年──トゥリヤは、アーケンシェンの中で、時間を操る魔法を得意とする。心穏やかで基本どの神にも優しいので、多くの一般神に慕われている。見た目が見た目だから、可愛がられることも多いとか。
とはいえ、レーニエはほとんど会話をしたことがない。ばったり出くわしてしまった以上、何も話さずに立ち去るわけにもいかなくなった。
「えっと……トゥリヤさん? クリムさんに用事があるのか?」
「そんなところです。最近忙しくて、クリムさんに顔向けできていなかったので。気分転換がてら、たまには一緒に本を読もうと思いまして」
ふーん、と何気なく返すレーニエ。
トゥリヤは、デウスプリズンの扉の前に立ち、取っ手に手をかける。
「あ、トゥリヤさん。クリムさんを呼んできてくれないか?」
「いいですよ。お話したいんですか?」
「まあな。つい先日世話になったし、一応会いたいなって」
「それなら、僕と一緒に来てください。僕が許可だしたってことにしておけば大丈夫ですから」
トゥリヤが重苦しい扉を開け、広々とした薄暗い空間に足を踏み入れる。外観だけでなく、内装も無機質だ。これといった装飾もなく、あるのは天井から頼りなくぶら下がる銀の炎の灯ったランプだけ。
「……予想以上に不気味だな、ここ」
黒に近い灰色の廊下を進んでいく途中には、いくつか扉がある。格子だけついているものもあれば、扉の向こうがまったく見えないものもある。奥に行けば行くほど、扉の先がわからないものが増えてくる。
「レーニエさんは怖いもの知らずですね」
「よく言われる」
「……デウスプリズンがどういう場所か、ご存じですか?」
「んー。罪を犯した神がここに収監されてる、ってことくらいかな」
実際、レーニエのような答えを返す者が一般神のほとんどである。キャッセリアの中でも、デウスプリズンは特に謎に包まれた場所だ。
トゥリヤはレーニエの隣を歩きながら、遠く奥を見据えて口を開く。
「クリムさんは、デウスプリズンの番人です。罪人たちを閉じ込め、裁定する。アーケンシェンの中では最も重い役割だと、僕は思っています」
「それなら、どうしていつも一人で調査とかやってるんだ? 誰が見ても大変だと思うんだけど」
「特殊すぎるからですよ。クリムさんにしか役割を果たせない、そういうふうになっているからです」
だから、手伝おうにも手伝えない。トゥリヤはそう付け足した。
しばらく廊下を進んだところで、彼は立ち止まった止まった。中が見えないある扉にノックする。しかし、何も返ってこない。
「あれ……おかしいですね。まだ帰ってきてないみたいです」
「ここ、クリムさんの部屋なのか?」
「部屋というか、書斎ですね。いつもここに一人で住んでいるんです」
部屋の中に入ろうとダメ元で試みた。すると、意外なことに扉が開いた。えっ、と驚くトゥリヤであったが、レーニエも少しびっくりした。
この扉の向こうにあるのは書斎だった。分厚い本がたくさん詰め込まれた本棚に囲まれているが、一番奥には広めの机がある。その少し手前の壁際には狭いベッドがあった。
しかし、そこには誰もいない。
「珍しいですね……どうも、昨夜からここを空けているみたいです。こんなこと滅多にないんですが」
「他のアーケンシェンなら知ってるんじゃないのか?」
「どうでしょう。あとで聞いてみますが────」
その矢先────灰色の廊下の奥から、ガタガタという音が聞こえてきた。静寂の中に突然響き渡った物音に、トゥリヤの身体はその場で跳ね上がる。
「ひぃっ!? なんですかこの音っ!?」
「罪人とかいるんだろ? それじゃないのか」
「こ、こんな音じゃないですよ! 何かおかしいです……!」
知的で落ち着いたイメージがみるみる崩れ去っていく。アクシデントに弱いタイプであることは明白だった。
謎の物音の正体は何なのか、二人には見当もつかなかった。
いつまで待っても、音はやまない。いてもたってもいられず、ゆっくりと吸い込まれるように奥へと歩み寄っていく。
「あっ!? レーニエさん、そっちはだめですよ!」
やがて、二人は廊下の突き当たりへと辿り着いた。そこは鉄格子でできた扉で塞がれており、格子から垣間見える奥には幾多もの牢屋が連なっていた。
その先からは、嫌な黒い魔力のようなものが漂ってきている。トゥリヤは当然だが、魔法にそこまで長けていないレーニエでも、この先は危険に満ちているとわかった。
「この奥、まだ廊下が続いているのか」
「みたいですね……この奥は僕もよく知らないのですが……というか、行くつもりなんですか!?」
「大丈夫だろ。まだ朝早いし、牢獄の番人もいない。確かめるなら今────」
二人が会話をしているとき、不思議な現象が起きた。
誰もいないはずの、奥へ繋がる鉄格子の扉が────何の前触れもなく開いたのだ。人為的な要因もなく開いてしまったことで、二人は底知れぬ恐怖に突き落とされる。
「ち、ちょっと待ってくださいっ!? なんかおかしいですよこれ!? どうしましょう!?」
「お、落ち着けよトゥリヤさん! あんた俺より上だろ、しっかりしてくれぇ!」
もみくちゃになっている中、こつんと足音が聞こえてきた。自分たちが来た方向とは真逆……つまり、開いた鉄格子の扉の奥からだ。
「……ここは……どこなのですか。皆さんは……お兄様は……?」
ほんの少しトーンの低い少女の声だった。レーニエも、トゥリヤもきょとんとしたまま、その場で硬直していた。
やがて、廊下の奥から一人の子供が姿を現す。長い銀髪を持ち、紫の装束に身を包んでおり、銀の装丁の本を片手に抱えている。
何より────少女の赤い瞳は特徴的だった。瞳孔の部分に四葉のクローバーのような模様が浮かんでおり、心なしか瞳が炎のように燃え盛っているように見えるのだ。
「え……どなたですか?」
「あなたたちこそ、誰ですか?」
二人はしばらく何も答えることができなかった。
応援ありがとうございます!
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