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序章 ― 毒 ―
序章-3
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少女は、唐衣をふわりと翻して、俊元らがいる昼御座の前の簀子に正座をし、膝の前に手をついた。声を失わせたのは、その流れるような所作ではなく、彼女が身に纏っている装束ゆえだった。
重ねて色目を作る五衣、その上に着る表着、腰から下に流れる裳、そして一番上に羽織る唐衣にいたるまで、濃淡はあれど、全てが鈍色なのである。鈍色は、通常身に着けず、喪に服す時もしくは出家した者が着用するものだ。
「……不吉な」
そう呟く声が聞こえた。おそらく彼女にも聞こえているだろうが、別段反応は示さなかった。歳は十六と聞いていたが、その顔に幼さはあまりなく、完成された美しさがあった。佳人と表現するのが相応しい。
「少納言・藤原倫成が娘、参上いたしました」
声には少し幼さが残っているように聞こえたが、帝の前だというのに、堂々としたものだ。
俊元は、その場の進行役らしく立ち上がり、彼女に語りかけた。
「よく参ってくれました。あなたにはある毒についての調査をしてもらいたいのです」
「……はい。かしこまりました」
帝の御前で、要請に逆らうことなど出来ないだろう。このやり取りは形式的なものに過ぎない。詳しい説明はまた改めてすることになるだろう。
「では、ここはひとまず」
「待て」
先ほど毒小町の噂を作り物語と一蹴した側近が口を挟んだ。
「そなたの噂についての真偽を問う」
「噂、とは」
「毒小町と呼ばれ、体の一部に毒を持つという噂だ」
否定しておきながら、気になっていたらしい。口調は強いものだが、もしも本当ならばという恐れが滲み出ている。彼女を遠ざけるように、体が斜めになっているのだ。
「その噂は偽りでございます」
「そ、そうか」
あからさまに安心した表情を浮かべる側近は、噂の出所であるもう一人に咎めるような視線を送っていた。送られた方も、謝る素振りを見せながらもほっとした様子だった。
だが、緩んだ空気は彼女の次の一言で凍てつく。
「体の一部、ではございません。わたしの全てが毒でございます。この肌や髪、爪の先にいたるまで、死に至る毒でございます」
見て分かるほどに、側近たちの顔から血の気が引いた。事前に知っていた俊元でも、彼女の淡々と告げるその声に気圧された。ちらりと帝を見れば、口端を上げて笑っている。彼女を見て、というよりは先ほどから感情が忙しない側近たちを見て面白がっているらしい。全く、いい性格をしていらっしゃる。
「お、主上の御前で、嘘をつくは不敬であるぞ!」
「真実を申し上げております」
勝手に激昂する側近に対して、彼女は淡々と返している。
ふと、鶯の鳴き声が聞こえてきた。見れば、彼女の背後にある高欄に、一匹の鶯が留まっている。
「ほう、鶯か」
それまで静観していた帝が、ゆったりと立ち上がった。上げ切った御簾を、首を傾けて、くぐり、彼女の目の前に立った。
「主上、幼い頃から慣らしておいでで、毒が効かないお体とはいえ、不用意に近付いてはなりませぬ……!」
そう言いつつも、彼らはその場から動こうとしない。俊元は、それを視線で非難しながら前を通り、帝のすぐ後ろに控えた。彼女の表情が良く見える。帝がわざわざ近くまでやって来たことに、さすがに驚いている様子だった。
「毒小町よ、毒に詳しいという評判も、信じてよいな」
「はい」
彼女は、驚きながらもすばやく頭を垂れた。黒髪が肩を撫でてさらりと滑り落ちる。彼女の美しさの一端を担っているその見事な黒髪にも毒があるのだという。間近で見ても、実感はなかった。
そのような者に調査をさせるなんて、と俊元の後ろで騒ぐ声が聞こえてきた。が、それをかき消すほどの声が、庭から飛び込んできた。
重ねて色目を作る五衣、その上に着る表着、腰から下に流れる裳、そして一番上に羽織る唐衣にいたるまで、濃淡はあれど、全てが鈍色なのである。鈍色は、通常身に着けず、喪に服す時もしくは出家した者が着用するものだ。
「……不吉な」
そう呟く声が聞こえた。おそらく彼女にも聞こえているだろうが、別段反応は示さなかった。歳は十六と聞いていたが、その顔に幼さはあまりなく、完成された美しさがあった。佳人と表現するのが相応しい。
「少納言・藤原倫成が娘、参上いたしました」
声には少し幼さが残っているように聞こえたが、帝の前だというのに、堂々としたものだ。
俊元は、その場の進行役らしく立ち上がり、彼女に語りかけた。
「よく参ってくれました。あなたにはある毒についての調査をしてもらいたいのです」
「……はい。かしこまりました」
帝の御前で、要請に逆らうことなど出来ないだろう。このやり取りは形式的なものに過ぎない。詳しい説明はまた改めてすることになるだろう。
「では、ここはひとまず」
「待て」
先ほど毒小町の噂を作り物語と一蹴した側近が口を挟んだ。
「そなたの噂についての真偽を問う」
「噂、とは」
「毒小町と呼ばれ、体の一部に毒を持つという噂だ」
否定しておきながら、気になっていたらしい。口調は強いものだが、もしも本当ならばという恐れが滲み出ている。彼女を遠ざけるように、体が斜めになっているのだ。
「その噂は偽りでございます」
「そ、そうか」
あからさまに安心した表情を浮かべる側近は、噂の出所であるもう一人に咎めるような視線を送っていた。送られた方も、謝る素振りを見せながらもほっとした様子だった。
だが、緩んだ空気は彼女の次の一言で凍てつく。
「体の一部、ではございません。わたしの全てが毒でございます。この肌や髪、爪の先にいたるまで、死に至る毒でございます」
見て分かるほどに、側近たちの顔から血の気が引いた。事前に知っていた俊元でも、彼女の淡々と告げるその声に気圧された。ちらりと帝を見れば、口端を上げて笑っている。彼女を見て、というよりは先ほどから感情が忙しない側近たちを見て面白がっているらしい。全く、いい性格をしていらっしゃる。
「お、主上の御前で、嘘をつくは不敬であるぞ!」
「真実を申し上げております」
勝手に激昂する側近に対して、彼女は淡々と返している。
ふと、鶯の鳴き声が聞こえてきた。見れば、彼女の背後にある高欄に、一匹の鶯が留まっている。
「ほう、鶯か」
それまで静観していた帝が、ゆったりと立ち上がった。上げ切った御簾を、首を傾けて、くぐり、彼女の目の前に立った。
「主上、幼い頃から慣らしておいでで、毒が効かないお体とはいえ、不用意に近付いてはなりませぬ……!」
そう言いつつも、彼らはその場から動こうとしない。俊元は、それを視線で非難しながら前を通り、帝のすぐ後ろに控えた。彼女の表情が良く見える。帝がわざわざ近くまでやって来たことに、さすがに驚いている様子だった。
「毒小町よ、毒に詳しいという評判も、信じてよいな」
「はい」
彼女は、驚きながらもすばやく頭を垂れた。黒髪が肩を撫でてさらりと滑り落ちる。彼女の美しさの一端を担っているその見事な黒髪にも毒があるのだという。間近で見ても、実感はなかった。
そのような者に調査をさせるなんて、と俊元の後ろで騒ぐ声が聞こえてきた。が、それをかき消すほどの声が、庭から飛び込んできた。
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