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十八歳 春~愛縁機縁
6. 攻撃用魔法陣
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魔法省の本当の目的は、エリサの勧誘だったので、能力の確認は簡単に終わった。
魔法陣技師は五年に一度の資格更新があるが、そのときと同じように、魔法陣を書いて見せれば終わりだ。
辺境伯家の馬車に乗り込み、魔法省を出たところで、エリサはオリバーに切り出した。
「辺境伯、先に申し上げておきたいのですが、攻撃用の魔法陣を開発する予定はありません」
あの場ではとりあえず返事をしたが、エリサは攻撃用の魔法陣を開発するつもりはない。辺境伯がそれで魔法省に恩を売ろうと思っている可能性もあるので、先に伝えておくべきだ。
「なぜだ?」
「私は、新しい魔法陣を開発することよりも、今ある魔法陣を日常生活に活かすことを目的としておりますので」
「だが画期的な攻撃用魔法陣ができれば、魔物討伐に活かすことができ、辺境もより安全になる」
「申し訳ございません。私の能力では敵いませんので、魔法省にお願いしたく存じます」
エリサが魔法陣技師を目指したそもそもの理由は、生活を便利にするためだ。魔法省と競合する攻撃用魔法陣はそもそも興味の対象ではない。
けれど、それ以上に、攻撃用魔法陣を作るのが怖いのだ。
エリサには、自分が大量破壊兵器を作ってしまうのではないかという恐れがある。薄っすらとした、けれど底知れぬ恐れが、新しい魔法陣を考え始めたころからずっと付きまとっている。
前世の科学技術の知識と魔法陣の技術を合わせれば、今この世界にはないものを作ることができるかもしれない。そしてその攻撃は魔物だけでなく、いつかは人へと向くかもしれない。
人は、自らに正義があると思ったときにこそ、暴走する。
エリサには、正義というあやふやなものの定義がよく分からない。「正義の反対は、別の正義」と聞いたこともあるのだから、絶対的な正義など存在しないのかもしれない。
けれど、どんな犠牲を払ってでも魔物を殲滅することこそが正義だと、未来の自分が信じてしまったら――
今のところ、エリサには魔物に命をうばわれた家族や知り合いがいない。だから、魔物というものの脅威を身近に生々しく感じたことはない。けれど今後辺境に行けば、そういうこともありうる。
今は倫理的に許されないと、自制することができる。けれどいつか魔物の脅威にさらされたとき、魔物によって絶望を味わったとき、魔物討伐という大義名分を手にしたそのときに、自分を律することができるのだろうか。とんでもない魔法陣を作ってしまうのではないだろうか。
そしてそれは、人間同士の戦争へ転用できないものだという保証はあるのだろうか。
エリサは未来の自分の倫理観に対して、自信も責任も持てない。
だからこそ、攻撃用魔法陣の開発自体に関わらないと決めた。
辺境伯には何も説明しなかったが、エリサの表情に翻意をうながすのは無理だと感じたのか、それ以上は言われなかった。
「辺境から、今ある魔法陣のうち、作ってほしいもののリストを送ってもらおう」
「かしこまりました。ですが可能でしたら、辺境に行ってみたいです。実際にどういう使い方をされているのかを見れば、より良いものが作れると思いますし」
「それは……」
現場の人の意見を聞きたい。営業担当とのみ話をしていると、いざ導入となったときに、現場の要望と違ったということが起きかねない。
それに、いきなり移住するのはハードルが高い。できれば何度か訪れて、状況が分かってから移住したい。
「エリサ嬢、行ってみて気に入らないとなっても、婚約は取りやめられないが……」
「もちろん承知しております。ですが、事前に見ておいたほうが、引っ越しの準備もスムーズに進むでしょう」
そもそも、この状況でエリサから婚約を取りやめるなど言えないのだから、心配する必要はない。それは辺境伯も分かっているはずだが、それでも心配なのだろう。
むしろそこまで心配される辺境に、がぜん興味が湧いてきた。未開の地でもあるまいし、先々代の領主代理夫人は住んでいたはずなのに。
「エリサ嬢、旅をした経験は?」
「ありません」
「まずは馬車で半日くらいの街を訪れるところから始めてはどうかな?」
「そうですね。うっかりしておりました」
まだ見ぬ地への想像を膨らませているエリサに対し、道理を知らぬ子どもに言い聞かせるように、辺境伯が提案をした。
高速道路もなく、途中でトイレ休憩できるところがあるかも分からない旅だ。いきなり国土の端まで行く前に、近場で試してみるべきだ。そんなことにも思い当たらなかったことが、少し恥ずかしい。
「クレッソン商会の隊商について、隣の領まで行ってみます」
「貴女のその行動力には感嘆するが、旅はこちらで調整しよう」
エリサの思い付きは、苦笑とともに却下された。
その後の侍従のやり取りから、エリサの身を案じてのことだというのが伝わってきた。王都から出たことのない令嬢は、旅の厳しさも分かっていないだろうから、快適な旅を用意してくれようとしているらしい。
辺境へ行く準備の最中にエリサに何かあれば、辺境伯の評判も落ちてしまうだろうから、調整してくれるなら大人しく任せることにしよう。
魔法陣技師は五年に一度の資格更新があるが、そのときと同じように、魔法陣を書いて見せれば終わりだ。
辺境伯家の馬車に乗り込み、魔法省を出たところで、エリサはオリバーに切り出した。
「辺境伯、先に申し上げておきたいのですが、攻撃用の魔法陣を開発する予定はありません」
あの場ではとりあえず返事をしたが、エリサは攻撃用の魔法陣を開発するつもりはない。辺境伯がそれで魔法省に恩を売ろうと思っている可能性もあるので、先に伝えておくべきだ。
「なぜだ?」
「私は、新しい魔法陣を開発することよりも、今ある魔法陣を日常生活に活かすことを目的としておりますので」
「だが画期的な攻撃用魔法陣ができれば、魔物討伐に活かすことができ、辺境もより安全になる」
「申し訳ございません。私の能力では敵いませんので、魔法省にお願いしたく存じます」
エリサが魔法陣技師を目指したそもそもの理由は、生活を便利にするためだ。魔法省と競合する攻撃用魔法陣はそもそも興味の対象ではない。
けれど、それ以上に、攻撃用魔法陣を作るのが怖いのだ。
エリサには、自分が大量破壊兵器を作ってしまうのではないかという恐れがある。薄っすらとした、けれど底知れぬ恐れが、新しい魔法陣を考え始めたころからずっと付きまとっている。
前世の科学技術の知識と魔法陣の技術を合わせれば、今この世界にはないものを作ることができるかもしれない。そしてその攻撃は魔物だけでなく、いつかは人へと向くかもしれない。
人は、自らに正義があると思ったときにこそ、暴走する。
エリサには、正義というあやふやなものの定義がよく分からない。「正義の反対は、別の正義」と聞いたこともあるのだから、絶対的な正義など存在しないのかもしれない。
けれど、どんな犠牲を払ってでも魔物を殲滅することこそが正義だと、未来の自分が信じてしまったら――
今のところ、エリサには魔物に命をうばわれた家族や知り合いがいない。だから、魔物というものの脅威を身近に生々しく感じたことはない。けれど今後辺境に行けば、そういうこともありうる。
今は倫理的に許されないと、自制することができる。けれどいつか魔物の脅威にさらされたとき、魔物によって絶望を味わったとき、魔物討伐という大義名分を手にしたそのときに、自分を律することができるのだろうか。とんでもない魔法陣を作ってしまうのではないだろうか。
そしてそれは、人間同士の戦争へ転用できないものだという保証はあるのだろうか。
エリサは未来の自分の倫理観に対して、自信も責任も持てない。
だからこそ、攻撃用魔法陣の開発自体に関わらないと決めた。
辺境伯には何も説明しなかったが、エリサの表情に翻意をうながすのは無理だと感じたのか、それ以上は言われなかった。
「辺境から、今ある魔法陣のうち、作ってほしいもののリストを送ってもらおう」
「かしこまりました。ですが可能でしたら、辺境に行ってみたいです。実際にどういう使い方をされているのかを見れば、より良いものが作れると思いますし」
「それは……」
現場の人の意見を聞きたい。営業担当とのみ話をしていると、いざ導入となったときに、現場の要望と違ったということが起きかねない。
それに、いきなり移住するのはハードルが高い。できれば何度か訪れて、状況が分かってから移住したい。
「エリサ嬢、行ってみて気に入らないとなっても、婚約は取りやめられないが……」
「もちろん承知しております。ですが、事前に見ておいたほうが、引っ越しの準備もスムーズに進むでしょう」
そもそも、この状況でエリサから婚約を取りやめるなど言えないのだから、心配する必要はない。それは辺境伯も分かっているはずだが、それでも心配なのだろう。
むしろそこまで心配される辺境に、がぜん興味が湧いてきた。未開の地でもあるまいし、先々代の領主代理夫人は住んでいたはずなのに。
「エリサ嬢、旅をした経験は?」
「ありません」
「まずは馬車で半日くらいの街を訪れるところから始めてはどうかな?」
「そうですね。うっかりしておりました」
まだ見ぬ地への想像を膨らませているエリサに対し、道理を知らぬ子どもに言い聞かせるように、辺境伯が提案をした。
高速道路もなく、途中でトイレ休憩できるところがあるかも分からない旅だ。いきなり国土の端まで行く前に、近場で試してみるべきだ。そんなことにも思い当たらなかったことが、少し恥ずかしい。
「クレッソン商会の隊商について、隣の領まで行ってみます」
「貴女のその行動力には感嘆するが、旅はこちらで調整しよう」
エリサの思い付きは、苦笑とともに却下された。
その後の侍従のやり取りから、エリサの身を案じてのことだというのが伝わってきた。王都から出たことのない令嬢は、旅の厳しさも分かっていないだろうから、快適な旅を用意してくれようとしているらしい。
辺境へ行く準備の最中にエリサに何かあれば、辺境伯の評判も落ちてしまうだろうから、調整してくれるなら大人しく任せることにしよう。
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