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9.「お待ちくださいませ!」

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 ◇

 試験当日は絵の具で塗ったような雲一つない晴天だった。
 王族主催のイベントということで、案外、調香師以外も注目しているらしく王城の周辺は出店が並ぶなどちょっとしたお祭りの雰囲気だ。

 ニーナも試験のためとはいえ登城するのだからと一張羅のドレスを引っ張り出した。タンポポのような優しいイエローのシンプルなドレスはニーナのお気に入りだ。デザインは古いが、いつものボロよりずっといい。
 ニーナの家の前で待っていてくれたリリィが半泣きで腕にしがみつく。

「ニーナ、本当に付き添わなくていいの? わたし心配だよ……またあの方にニーナが何かされたらもうわたしがおかしくなっちゃうもん」

「ええ。大丈夫よ。ありがとう、リリィ」

 リリィは試験会場である王城まで付き添いをしたいと言ってくれた。けれど、ニーナは勉強時間をつくるため徹夜続きだったこともあり、自分で想像していたよりも緊張していた。

 ――どこからか私が参加するってうわさを聞きつけたお継母様がいつもより厳しくて……。

 ニーナが立候補したことが気に食わなかったのだろう。一日数回のはずだった『不義の子』をここ数日は何十回も聞いた気がする。
 こんな状況で友人が傍にいてくれれば、ニーナはきっと甘えて弱音を吐いてしまう気がした。
 口から出た弱音は、なんとか築き上げた脆い自信を簡単に崩してしまいそうで怖かったのだ。

「頑張るわ。自分の精一杯をだしてくる。……わがままだけど……応援、してくれる?」

 心配をかけてばかりの友人におずおずと問うと「当たり前じゃない!」という即答とともにニーナは力いっぱい抱きしめられた。


 友人に力をもらい、辿り着いた王城は想像よりも偉大で、厳かに佇んでいた。

 ――正面から入るのは初めてだわ……あの日は、違ったし。

 厳重な身体検査を通過し、また厳重な警備に囲まれやっとのこと登城する。
 外観から内部まで白亜を基調とした造りに、磨きあげられた宝石のような石床。柱や細部まで美しく豪華絢爛な彫刻が施されており、ニーナは口を開けたままキョロキョロと辺りを見渡してしまう。

 ――こんな美しいものに囲まれて、あの方達は過ごされているのね。

  この前、初めて至近距離で拝見したふたりの王子の姿を思い浮かべる。ふと、物珍しげに眺めるニーナの新緑色の瞳がある影を捉えた。

「――あっ」

 向かいの通路に立つ、漆黒の衣装に、白銀の髪の男が真っ直ぐニーナを見ていたのだ。
 そして、なぜか男はニーナと目が合うと優しく微笑んだ。
『見つけた』そう言わんばかりの表情に思わず声を出してしまい慌てて口を塞いだ。
見間違えるはずがない。第二王子・ロルフだ。


――どうしてあんな目でみてくるの?……揶揄われてる?
 
 だが周りは彼に気づいていないようで、護衛をしている者でさえなんの反応もない。
 考えてみれば王城なのだからここにいるのは当たり前だ。
 平常心を装っていると、後ろの方から笑う声が聞こえてきた。

「あら? あれはクーリッヒ家の不義の子でなくて?」
「やだあ。あんな低レベルな方も参加できるの? 王妃様と王太子様の慈悲のお心ねえ」

 はっきりニーナの耳に届いたそれは、明らかにニーナの出自の噂をからかったものだ。
 勝手に言っていればいい。そう内心呟いて無視を決め込み、 謁見の間で王妃、王太子、第二王子への拝謁が終わると案内された会場へ足を進めた。


 会場は城内の中心部にあるホールだ。天井が高く、豪奢な部屋には人数分の小さなテーブルが等間隔に設置されており、見た限り調合道具も一通り揃っている。
 部屋の最奥には一段上がった場所に豪奢な椅子が用意されており、そこには真っ赤なドレスを纏った王妃と王太子、そして先程目が合ったロルフが座った。
 ひとつ、一番大きな椅子があいているのは、王様のものだろう。 王様は数年前からご病気で床に伏せていると公表されているため、今日もこの試験会場にはいないようだ。

 使用人の方々に案内され、各自王族に挨拶を済ませた後、テーブルの前に立つと、王妃が穏やかな口調で声をあげた。

「調香師の皆さま、よくぞいらっしゃいました。試験の内容は事前にお知らせした通り、第一試験が香りの識別、調合。そして第二試験は今日お持ち頂いた自作の香水を披露していただきます。因みに、私が欲しいのは美しい愛の香水を作れる調香師――皆さん、素晴らしいものをみせてくださいね。楽しみにしておりますわ」

 一瞬にして、会場内に緊張が走る。それもそのはずだ。周りを見渡すと有名な香水店の調香師たちが店の制服を着て参加している。先程ニーナの陰口を叩いていた人もそうだ。それぞれが各自の店の看板を背負い、そして同じ店に勤める者同士もここではライバルになる。何重にも責任とプライドがかかっているのだ。

 ――私も負けられないわ。

 この日に備えてニーナは今の自分ができる全てを尽くしてきた。あとは出し切るだけだ。
 それに、王妃は愛の香水を所望している。もし、王妃の専属になれれば母の形見の《真実の愛》をつくることができるかもしれない。
 ニーナは震える手を胸の前で強く握りしめる。

「では、第一試験、調香テストを始める!」

 進行役が高々に宣言し、第一試験が幕を開けた。

 まず、テーブルの上に三つの小瓶が用意された。
 一見どれも同じ液体が入っていて、蓋もしっかり閉まっている。

「それらの三つの小瓶にはそれぞれ違う香料が入っている。なんの香りが入っているのか手元の用紙に記入し、提出しなさい。――始め!」

 開始の合図とともに各自が一斉に瓶の蓋を開けた音が会場に響く。ニーナも小瓶を開け、手で仰いで香りを探る。

 ――甘い……それでいてゴージャスな香しさがあるわ。……花というより果実……チェリー?

 ニーナは目を瞑ってもう一度ゆっくり吸い込んだ。そしてやはりチェリーだと確信する。それもただのチェリーではない、神々の森に生息する特別なチェリーだ。

 ――あぶない。一瞬花の香りかと思った。こんな一般に出回っていない代物を使うなんて……。

 ウィルデン国を囲う神々の森は、その名の通り神力の宿る花や果実が採取できる。
 神々の森は竜族である王族の魔力によって護られており、そこから採れるものは大変高価で、とても庶民の手に届く代物ではない。

 ――私も、子供の頃に神々の森で遊んでいなければ分からなかったわ。

 ニーナは自分の幸運と子供の頃の経験に感謝しながら解答用紙に記入した。そして残りの二つについても、悩んだ末やはり神々の森で採掘できるものと判断し最終回答を試験官に提出した。

「――ふむ。ニーナ、合格だ。隣の部屋で二次試験の調合テストを」
「ありがとうございます……!」

 二次試験の調合テストは、予め用意された香水のイメージ通りの香りをつくり、そしてそれに魔力をこめるというものだった。力みすぎたあまり香水瓶をひとつ割ってしまうというアクシデントは起きたものの、無事作り上げ合格点をもらうことができたのだ。

 ――一番乗りでは無いけれど、それでも結果は上々だわ!

「よし。ニーナ、君は合格だ。最終試験として持参した香水をまずは毒味役に試嗅させなさい」

 冷静を装い恭しくお辞儀をしたニーナは内心両手を上げて飛び上がっていた。まだ次の試験も残っているがこれまでの努力が報われたようで本当に嬉しかった。これで、この日のために改良した《日向ぼっこの香水》を試嗅してもらえる。

「お待ちくださいませ!」

 香水を持ち、歩き出したニーナを背後から叫ぶ声が止めた。振り返るとそこには先程ニーナの陰口を言っていた有名店の調香師が悔しげにこちらを睨みつけている。ニーナと目が合うと指を指し、さらに大きな声で叫んだ。

「その方はクーリッヒ家の不義の子です! ふしだらな母親から淫乱な血と魔力をもっていますわ! そんな方の香水を王族に触れさせるなんてとんでもないことですわ!」
「な……っ!」
 ニーナは絶句した。そんな噂は今、関係ないはずだ。抗議しようとしたその時。
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