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10.「誰の上にいるか分かっているのか?」

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「不義の子ですって……!?」

 悲鳴のような声が上がり、会場内のざわつきは一瞬で静まり返る。声の主はあろうことか王妃だった。
 王妃はニーナを一瞥し嫌悪感をあらわにする。
 まるで汚物を見るような目で少しでもニーナから遠ざかろうと座ったまま身を引いた。
 そしてはらはらと涙を零し始めたのだ。

「なんて汚らわしいの……私が欲しいのは美しい愛の香水よ。美しく、純粋で、本物でなければならないの。それなのに……」

 ニーナは突然の展開に狼狽えながら弁解を測ろうとその場に膝をつく。

「お、王妃様っ、それはただの噂でございます! 私の母は不義など――私は不義の子ではございません……!」

 だが、必死の弁解も王妃には届かない。

「出てお行きなさい」
「王妃様――」
「お前ひとりのせいでこの試験を台無しにしたいの? お前は不合格です。汚らわしく可哀想な不義の――」

  ニーナが不義の子であることがよほどショックだったらしく、王妃は側近に支えられながら罵る。
 もう聞きたくない。絶望が迫りくるなか、抑揚のない声が王妃の言葉を遮った。

「なら、あの不合格の者は俺がいただいても構わないでしょうか」

 声をあげたのは第二王子・ロルフだった。突然の発言に周りがざわつく。

「……ロルフ、あなた。まさかあの者を愛人にでもしようというの?」

「ああ、それはいい。それなら構わないでしょう。俺の愛人が貴女の香水をつくるわけじゃない」

 バチッと火花の音が聞こえてきそうな雰囲気だ。とても母と子の会話とは思えない。
 当事者のニーナを置いて、話がどんどん進められる。

 ――だんだん腹が立ってきた。

 出て行けと言ったり、愛人にすると言ったり。
 人のことをなんだと思っているのか。
 ニーナは頭だけは冷静になっていくのを感じて、王子と王妃を真っ直ぐ見据えた。

「私は調香師です。 愛人になりに来たのではありません。まるで物のように扱われるのはとても不愉快です」

 これ以上この場所に立っていても意味がない。
 不義の子と呼ばれた調香師は、王妃の一声によって、両脇を拘束され罪人のようにその場からつまみ出された。


 来る時は晴れやかだった気分も、まるで土砂降りの雨が降ったかのように重い。スッキリと晴れた晴天ですら妙に鼻をついた。
 放り出された場所から行くあてもなくふらふらと歩く。家には帰りたくない。

「……しかたない、のよね」

 いつもの事だ。
 根も葉もないウワサで理不尽に罵られ、相手にもされない。
 自分を納得させることには慣れている。大丈夫。またいつも通りの生活に戻ればいいだけ。
 ギュッと手を握り締めると、自分が香水瓶を持ったままだったことに気がついた。
 ころん、とした丸みのある瓶の中には第二王子をイメージして作った琥珀色の香水が揺らいでい
る。

 ――本当に、噂通りの極悪人。

 なぜあんなキスを……いや、それ以上のことをしたのか、なぜ極悪王子と呼ばれる振る舞いをしているはずなのに、あんなに寂しい瞳をしているのか。
 頭からつま先まで彼のことを考える日々だった。
でも、その彼に「愛人にでも」なんてからかいを受けたのだから、どうしようもない。ニーナは香水を握る手に力を込めた。このまま魔力を目一杯注いで割ってしまいたい。
 もういっそ、たたき割ってしまえたら。

「大丈夫なわけ……ないじゃない……っ」

 ニーナは地面に向かって香水瓶を振り上げた。だが、叩き割ってしまいたいのに、腕は震えているだけで手を離せない。
 誰かを想って作った香水を調香師が捨てられるはずは無かった。悔しくて、悲しくて、新緑色の瞳から大粒の涙が溢れてしまう。

「……っ……どうして……」

 泣いたところでなにも解決しないことなんて分かっている。けれど、 あまりにも理不尽だ。やるせない。
 ニーナはその場にしゃがみこみ、香水瓶を抱きしめる。すすり泣いている自分の声が嫌で、息を止めると、どこからか『ニャー……』と震える声がしてハッと顔をあげた。

「仔猫の声……?」

 あたりを見渡して気付く。ふらふらと歩いているうちにどうやら王宮の中庭のような場所にきてしまったらしい。追い出された身で王宮内をうろついていては大変なことになると思いつつ、ニーナは先程聞こえた仔猫の鳴き声に耳をすませた。
 すると、大きな木の上に茶色の毛の子猫が震えているのを見つけた。

「大変っ、降りられなくなっちゃったの?」
「にゃっ、にゃ……」

 猫族の子供だ。
 猫族が猫化してしまうのは体力を使い果たしたときや自己の処理能力を超えた事態に見舞われたときなどだが大人になるとある程度コントロールできるため早々しなくなる。
 だが、子供のうちは高いところに登りたいあまり自ら猫化してそのまま体力を使い果たし、戻れなくなってしまうことがあるのだ。恐らくこの子もそうだろう。

 木の下に落ちていた服をみつけ、この子のものだと確信したニーナは辺りを見渡して人がいないことを確認してから子供の服を口にくわえて、木に手をかけた。

「待っててね、今おろしてあげるからね」

 登るのに邪魔なドレスを捲り上げる。こんなことならボロを着てくればよかったと思いつつ、ニーナは器用に木に登った。
 そして手を伸ばして届く距離までくると、安心させようと両手を差し出す。だが、余程怯えてしまっているらしく、全く動いてくれる気配がない。

 困ったニーナは少し悩み、そうだ、とポケットにしまった香水を取り出した。日向ぼっこの香水。陽の魔力をたっぷり含んだ香りはきっとパニックになっている心を穏やかにしてくれるはずだ。ニーナは子供の服に香水をかけて、子猫に向かってふわりと投げた。

「おいで。もう大丈夫よ」

 子猫に香水をまとった服がふわりとかかる。
 ニーナが優しく声をかけると、香りに鼻をぴくぴくと動かした仔猫が次第に落ち着きを取り戻したようで、元気よくニーナの胸に飛び込んできた。
 仔猫を受け止めるつもりでいたニーナは両手を拡げていたが、受け止めると同時にその姿は少年の姿となる。

「にゃっ! おねーちゃん!」
「よかった――って、わっ……!」

 勢いよくそのまま体勢を崩したふたりは木から落ちてしまう。ニーナは反射的に少年を庇う体勢をとり、衝撃にそなえた。

 体が打ち付けられる鈍い音が響く。が、痛くない。
 確かに落ちた感覚があるのに予想していた衝撃がなく、ニーナは恐る恐る固く瞑っていた目を開けると、状況を確認する前に後方から声が聞こえてきた。

「――おい。誰の上にいるか分かっているのか?」
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