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9巻

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「またかっ!? ええい、ナト、待て。ちょっと待ってくれ!」

 風見はすぐに追いかけてナトの腕を掴むと、思いのたけをぶつけた。

「俺といろいろ話してくれ。ナトがどうして森を守ろうと一人で動いているのかとか、俺が知らないことを教えてほしい」
「必要?」
「必要だ。俺はナトのことが知りたい。今は知らないことが多すぎて、変に疑ったりして気を擦り減らしている。どうせだったら俺はナトを信じて、ナトにも信じてもらって動きたい。それはダメなことか?」

 相手の思考を読んで善悪を判断するなんて小難しいことは苦手だ。最初から腹を割って話し合いたい。相手が人外だからとへだたりを作っていたら、魔物は害だと決めつける多くの人間と同じだ。

「……ダメじゃない」

 ナトは数秒ほど見つめ返してからそう言うと、風見の手を引き、手頃な岩まで連れていった。彼女はちょこんと岩の上に座って、真っ直ぐに見つめてくる。

「何から聞きたい?」
「まず、この森を守ろうとしたきっかけを教えてほしい」
「大したことじゃない。エルフは今まで以上に増えた。増える速度も上がった。だからこれ以上増やさないために、魔物は自分たちの領域に踏み込んでくるエルフをたくさん殺した。その代わり、魔物もたくさん死んだ。結果的に言えば、エルフが増えたせいでたくさんの命が失われてる」
「それはわかる。でもなんでナトだけが動いているんだ? 例えば人で言うなら、自警団に属しているから仲間を守らなきゃいけない、とか役割が行動に繋がっているだろ。精霊は他の魔物をまとめるリーダーなのか?」

 彼女は首を横に振った。続いて何かを言おうとしたが、不意に視線をらす。

「……私が生まれ育った場所だから」

 ぽつりと、そんな言葉がつぶやかれる。
 会話の際は、こちらが恥ずかしくなるくらい視線をそそいでくる彼女である。こんな風に恥じらいのような感情を見せるのは、初めてだ。

「もう少し詳しく――」

 どこで、何に育ててもらって、このように森のために動くことになったのか。そんな質問を重ねようとしたら、ナトに指で口をふさがれた。

「言わない」

 出しかけた言葉を声にできない風見。しばらくして、彼女は指を離す。
 唇には未だに指の温かさが残っていた。

「今日はこれまで。もう遅い」
「……そっか。そうだな」

 言いたくないという彼女に無理いするほど、風見も野暮やぼではない。いきなり根掘り葉掘り問いただそうというのは無理がある。また機会があれば、聞いてみるべきだろう。
 すると早々に立ち上がったナトは、先ほどと同じく彼の手を引き、今度こそ寝床に戻ろうとした。風見はうなずき、彼女について行く。
 寝床に戻るまでのわずかな間、ナトはぽつりと口を開いた。

「あなたはいい人。それはわかった」
「それはありがとな。そういえば、ナトは俺に何か聞かなくていいのか?」
「いい。あなたのことは知ってる。今までしたことも、いっぱい知ってる。あなたはいい人。ただの人間とは違う人。この国の魔物なら多分、それを知らない者はいない」
「え。そこまで知れ渡ってるものなのか……!? 内容は!?」

 どのような噂がささやかれているのか、風見からすれば不安である。
 だがナトは「秘密」と言うのみで、もう答えてくれない。
 仕方なく諦めた風見は、大人しく彼女の後に続く。すると彼女はふと思い出したように立ち止まり、振り返った。

「これ、持っていて」

 ナトから手渡されたのは、白い真珠のような宝石だ。飴玉ほどの大きさしかないが、値段は相当のものかもしれない。風見はそんなものをもらっても困ると表情にした。

「なんだ、これ? ちょっと高そうだぞ」
「違う、あげない。お守り。持っていて? そうすればみんなを守ってくれる」
「つまりナトのお守りを預かれと?」
「そう」

 よくわからないが、精霊にはそういう習慣でもあるのだろうか。
 尾行をした後ろめたさがある風見は、結局はうなずいてしまうのだった。


    †


 風見が帝都でナトにさらわれた日から四日。
 リズたちは、ヴィエジャの樹海の始まりの場所にある、川沿いにいた。
 リズとキュウビ、クイナ、クライス、そしてタマは、風見とクロエを追って帝都を出た後、北方にあるエルフの里を目指していた。
 キュウビいわくナトは精霊で、千年前にヴィエジャの樹海で会ったことがある相手だという。その時の経験から、エルフの里に風見を連れていくとあたりをつけたらしい。
 案内はキュウビがになっていて順調なのだが、問題はタマにやる気がないことである。今朝から一歩も動こうとせず、もう昼になっていた。
 川辺では、タマから離れたところに飛竜二頭が丸くなっている。タマの巨体の陰で風をけ、キュウビらは金属カップの中で湯気を立てるお茶を手にたき火を囲い、顔を突き合わせていた。
 寒がりなクイナはカップを両手で持ちながら、キュウビに問いかける。

「キツネ様、ここはもう樹海なんですよね? わたしたちが行こうとしてるエルフの里まで、あとどのくらいですか?」
「飛竜の翼でなら二時間もあれば見えたはずなのですが、今日中にどうにかするのは無理かもしれません。折を見てもうひと踏ん張りだとタマちゃんに語りかけ、走ってくれることに期待しましょう」

 そう言って眉根を寄せるキュウビ。リズは軽い調子で言う。

「それがちょうどいいかもね。エルフの里に突然この軍勢で押し寄せると、いらん混乱を招く。このあたりで止まっておけば、勝手に察知して、適度な警戒に落ち着いてくれるんじゃないかな」

 そんな風に言っていたが、実際その日は一日動けずじまいだった。翌日にはなんとかタマを説得し、エルフの里まで辿たどり着く。そうしてようやくその里を目にしたのだが、リズは怪訝けげんそうに眉をひそめた。その理由は里の外観にある。

「なんだこれは。エルフは森のたみだろう? それがどうしてこんな要塞ようさいじみた集落を作っている?」

 案内人のキュウビにちらと視線を向けると、彼女もまた目を丸くしていた。

「ええ、本当に。千年前に来た時には、ちゃんと森の中で暮らしていた種族でしたが……」

 川をはさんで巨大な二本の樹が生えている。その樹の枝にはいくつも家が作られていて、まるで果実のようだ。その樹と樹の間には、橋が何本も架けられている。
 最大の特徴は、森と集落の間に真っ平らな草原ができあがっていることだ。半径五百メートルほどもある。
 執事のたしなみで草木の手入れに覚えがあるクライスは、それを見てから森の枝葉えだはに視線を向けた。

「植物の剪定せんていは、時期と枝の密度に関して配慮が必要です。当然ながら、新芽を育てることも肝要。しかしここではそれがおろそかにされていますね。樹海の魔物に襲われるので遠方まで薪や食料調達に出られず、手近な物から根こそぎ伐採した結果でございましょう」

 クライスの視線の先、草原に接する森は木々が薄くなっている。彼の意見にうなずくと、リズは腕を組み集落を見つめた。

「ふむ、なるほどね。まあ、仕方なしにというのもあるかもしれない。だがこれは、防衛の観点からすれば、役立っているみたいだね」

 里に踏み込むには、この草原を通り、さらには木々で組まれた門をくぐり抜けなければならない。
 その門や集落の防塁ぼうるい、物見やぐらの上には、武装したエルフがぞろりと並び、こちらににらみを利かせていた。大した歓迎だ。空気が緊張している。
 それも当然だろう。誰も訪れないはずの樹海に人間がやって来たのだ。しかも飛竜二頭とドラゴンまで引き連れている。こんな状況で警戒されない方がおかしい。

「わたくしが行きますから、皆さんはここでお待ちくださいな」

 そう言ったのはキュウビだ。リズとクイナはうなずく。

「そうしておくよ。矢で射られてもかなわんからね」
「キツネ様、気をつけてくださいね?」
「はいはい、クイナ。優しいのはあなただけですわね。心配してくれてありがとうございます」

 ここは最も年長者であり、この森に来たことがあるというキュウビが会話に向かう。彼女は一見、花魁おいらんのように肩を出した着物を着ている、か弱い女だ。エルフたちを刺激することはないだろう。この四人では無難な役割分担である。
 クイナの頭をでたキュウビは、得物であるおお薙刀なぎなたを地面に突き立てると、エルフの里に向き直る。

「害意はありません。わたくしはキュウビと申します。族長や長老など、数百ほどお年を召した方はいらっしゃいますか? もしかすると面識のある方かもしれません。よろしければお声をかけていただけませんか」

 すると防塁ぼうるいの上から弓を向けていた若い衆の間から、相当年を取っているとおぼしきよぼよぼな者が出てきた。杖の上で手を組み、しわや皮膚のたるみにより小さく見える目を、さらに細めた老夫だ。彼はキュウビを見つめ、ふうむとうなる。

「九本の尾。そしてその名。わしも幼い頃に見たきりで顔などとうに忘れていたが、記憶に当たるのは一人しかおらぬ。よもや未だに老いていないとは驚きだが」
「あら、いやですわ。わたくしが以前ここを訪れたのは、少女と呼べるほど幼い時。女として、今はこれこのとおり成長しています」

 しっとりと微笑んだキュウビは、その場でくるりと回ってみせる。そのさまには以前の面影おもかげなど感じなかったのか、老夫は少々怪訝けげんそうに眉をひそめた。
 しかし彼女の話を信じたらしく、エルフたちに声をかける。

「皆、弓を下げよ。九尾ココノビ炎狐えんこにはそのようなものは通じぬ」
なつかしい呼び名ですわね。存外、記憶しているではないですか」

 若いエルフたちは老夫に疑いの眼差まなざしを向けながらも、弦をしぼる腕を次々に下ろした。
 キュウビは頬に手を添え、くつくつと笑いながらその様子を見やる。

「して、そのキュウビ殿がドラゴンや飛竜なぞを連れて何用か。魔物混じりの貴女がこのような時分に突然来られては、我々も警戒せざるを得ないのだが」
「そんなところに閉じこもるあなた方にとって、ドラゴンは天敵ですものね」

 二人の会話に周囲全体が注目している中、キュウビの言葉の意味が理解できなかったクイナはリズの裾を引いて尋ねた。

「……あの、団長。今のってどういう意味ですか?」
「残念だが、エルフみたいに外界に出ん者のことは知るよしもないね」

 リズにも真意が掴めないらしく、首を横に振る。
 するとクライスが代わって質問に答えた。

「閉鎖的な生殖の結果なのか、エルフの属性は風、水、特異属性の陰と陽が極端に多いと聞きます。エルフは近しい属性同士で相加術をもちい、集落に結界を築くことがあるとか。しかしその結界も、特殊で強力なドラゴンの律法を使われてしまえば――」

 エルフは長命な上、集落には数十、数百年と慣れ親しんだ者しかいない。それゆえに他者と律法を同調させ、強化する相加術も熟達しやすいのだろう。
 魔獣まじゅうが住み、強力な魔物が跋扈ばっこする森でエルフが生存できる理由はここにあるはずだ。

「なるほど。如何いかに強固な壁でもその力ごと食われる。あれの律法は唯一の脅威というわけか」

 納得したリズたちは、エルフの若い衆と同じく静観をもって二人の動向を見守ることにする。
 キュウビと老夫の会話は未だに続いていた。

「当初申した通り、害意はありませんわ。わたくしは魔物の仲間でもありません。現に後ろには人も連れていますから」
「では、ドラゴンなどを連れてきて、何をする気なのじゃ? あやしさがぬぐえぬ限り、わしは族長として貴女方を受け入れるわけにはいかぬ」
など、世では限られているではありませんか。わたくしはその方の代理です。彼が帝都で木の精霊にさらわれたので、こちらに逃げたものだと思って追ってきたのです」
「またマレビトが召喚されたと? それにしても奴が猊下げいかに手を出すとは……」

 ナトの話が出ると、エルフたちはざわめき始めた。
 だが、族長を名乗る老夫は静かに見据みすえるのみだ。

「しかし、残念ながら猊下げいかはここにはおられぬ。我らは元来、他種族と無用な争いを起こさぬために交流をっている。お引き取り願えまいか」
「彼がいないのなら、私たちの目的は集落に入ることではありません。その代わり、しばらくここで待たせていただけませんか? 精霊が彼をさらったということは、きっとここで何かを――」

 会話の最中、キュウビの耳は不意に風切り音をとらえた。
 彼女だけではなく、リズやクイナもふと顔を上げる。ふて寝をしていたタマもそれを感じ取ると、ばっと顔を上げて空をあおぎ見た。今までのやる気のなさが嘘のような反応ぶりだ。
 空には二体のグリフォンがいた。一体には風見とクロエがまたがっており、もう一方にはナトがまたがっている。それはリズたちとも、エルフたちとも距離を取った位置に着地した。
 魔物と、精霊だ。そう認識したエルフは一斉に弓を構え直したのだが――
 そんなものは意にも介さず、タマが跳び出した。体をバネのようにして跳び出したその一足が地面につくと、衝撃が走り、地震のように辺りが揺れる。
 それは弓を暴発させてしまいそうなほどの揺れで、エルフたちは慌てて弦を緩めた。
 たった一歩でこれである。エルフたちの心に走った衝撃は地面の揺れよりも大きいだろう。あの巨体、あの図体でありながら、ここまで動ける魔獣まじゅうが目の前にいるのだ。体が強張こわばるのも当然である。
 そしてそれはナトにとっても同じであった。

「……っ!」

 タマに驚いたグリフォンは、小動物のように身を縮めて空へと逃げ出した。一方のナトが迎え撃とうとしたところ、風見が止めに入る。

「待ってくれ、ナト。構えなくていい。それと、ちょっと動かない方がいいぞ」

 猛烈な勢いでせまるあの巨体を見れば、誰だって身構えるだろう。しかし風見はもう慣れている。待っていると、タマはブレーキをかけ、風見の前に鼻先がつく距離に伏せた。
 犬ほどに声帯が発達していないタマは、オアァーとつたない声をしきりにらす。

「よしよし、タマ。急に離れちゃったから心配してたけど元気にしてたみたいだな」

 会えないのがよほど寂しかったのか、旅行明けに会った犬のように尻尾をぱたぱたとさせ、風見にでを催促する。手の動きが止まれば、鼻先で体を押し上げてまた催促した。
 あれほどの脅威であるドラゴンがこうしてかしずく相手といえば、マレビトしかいない。
 ……と、そのくらいで収まれば、伝説上のマレビトと同じく威厳ある姿と言えただろう。
 だが、五日も離れていて鬱憤うっぷんの溜まっていたタマが、それで終わるはずがなかった。

「ぐ、ぬおっ……!?」

 巨体の鼻先をでられるだけでは触れ合いが足りないらしく、タマは猛烈な勢いで風見を鼻先で押し上げる。そのせいで風見が足を滑らせると、タマは彼を両前足ではさみ込み、逃がそうとしない。そのまま彼に頭を擦りつけたりめたりと、全身で愛情を示した。
 鋼鉄のうろこによる粗いやすりがけと、しなり細やかな目の舌によるやすりがけ。ついでに言えば胴体をはさまれ、唾液でどろどろにされるという四重苦である。

「ぐ、痛いっ!? 痛いってば、タマ! おい、タマ!? 誰か、誰か助けっ……あだっ!? あだだだだだっ……!? 肌がっ、肌が裂けるっ!!」

 いや、ドラゴン相手に手を出すなんて無理でしょう、と誰しもが見て見ぬふりをし、五分ほどが経過した。威厳ある伝説の姿はどこへやら。少々擦り傷がつき、唾液でべとべとになった風見は、よろけながらも立ち上がる。
 彼はハンカチで顔を拭くと、「とりあえず、なかったことにしよう……」と意気いき消沈しょうちんした様子でぼやく。その場の誰もが、優しくうなずいてくれるのだった。


    †


 その後、エルフは風見がマレビトだと信じたらしく、警戒を解いた。そのさまを見た風見は、ようやく落ち着いてくれたタマに語りかける。

「さて、タマ。話をつけるためにあっちまで連れていってくれ」

 風見がよじのぼろうとすると、タマは素直に頭を下げ、指示通りエルフの老夫の前まで歩いていく。こうしてたやすくドラゴンにまたがるマレビトとしての姿こそ、重要な信用の材料となってくれることだろう。
 人の十倍とも言われる長命なエルフでも、その姿は珍しいらしく、ただ見入るばかりだ。
 防塁ぼうるいに立つエルフの老夫と、アースドラゴンの上に立つ風見。二人の視線は今、同じ高さにある。
 風見は老夫に声をかけた。

「はじめまして。あなたがエルフの族長ですね? 俺は風見心悟と言います。この世界にばれた者です。ここでは、エルフと魔物の間で争いがあると聞きました。俺としては、しないで済む争いは治めたいと思います。できれば仲裁したいのですが、話を聞かせてもらってもいいですか?」
「確かにドラゴンをそうやすやすとしたがえる人間など、マレビト以外にないだろう。じゃが、そのように強力な魔物や魔獣まじゅうを連れて歩くのは、いかがなものか。口をつぐんで話の席につかねば力尽くでいつくばらせる、と言外に示しているように思えてなりませぬ」
「え? あー、改めて考えてみれば、確かにこれは怖い面々ですね」

 全くその気はなかったのだが、いざ仲間を見れば族長の意見もわからなくはない。
 アースドラゴン、飛竜二体、グリフォン二体、キュウビとナトという人外に加えて、この森を進んでこられた人間が四人。そして伝説の存在が一人。それはもう、少数精鋭も極まっている。
 軍隊とも正面から渡り合える戦力が、里の前に集まっているのだ。事態を分析できる者からすれば、背筋が凍る光景だろう。
 風見は首を振り、そんな気はないと主張する。

「俺は誰も傷付ける気はありません。俺の元の世界での仕事は獣医――動物と人の両方を助ける仕事でした。だから、エルフにも魔物にも、分けへだてなく接するつもりです」
「この争いを終わらせるという高貴なこころざしには、感服いたしましょう。けれどそれは、勢力を伸ばし始めた我々が魔物に譲歩せよ、ということであられますか?」
「そうとも限りません。ただ、工夫によってなんとかなることなら、提案させてもらいます。何をどうするかは、話し合ってゆっくりと決めればいいじゃないですか」
「残念じゃが、それはお断りさせていただこう」

 エルフの族長はかたくなだ。拒絶の意思を込めた目で風見を見つめ返してくる。

「あなたはマレビトだ。その言葉は信ずるにあたいする。しかし、森のためなら命などどうとも思わない精霊と共にいる。小心極まるが、我らはその精霊を信ずることができない。ゆえに、話の席につく気は起きませぬ」
「いや、それでもですね――」

 このくらいの反論は予想していた。風見は言葉を尽くし、もう少し歩み寄ろうとしたのだが、そんな矢先に声が差し込まれた。ナトの声である。

「別にいい。それは必然」

 決して大きな声ではない。いつもの静かな声だ。しかし数百メートルも離れたところにいるはずの彼女の声は、風に乗ったのか、風見の耳にもはっきりと届いていた。
 振り向けば、彼女はぞわりと背筋せすじを凍らせるような視線をこちらに向けている。
 それに加え、彼女の後方に位置する森がうごめき、様々な魔物が現れた。数はざっと三十。
 戦闘を起こすに十分な戦力を見たエルフは、慌てて弓矢を構え直す。風見も驚いて声を上げる。

「ちょっと待て、ナト! この話は俺にまかされたはずだろ!? まだ少しも話していないのにいきなりそんなことはするなっ!」

 彼女は後方の森で気をとがらせる魔物と同調し、瞳に魔力を宿やどしていた。
 強引な暴力行為に走る気がないからこそ、争いの仲裁を依頼してきた――はずである。最初からこうする気なら、わざわざ帝都から風見を連れ去ってくる意味なんてない。
 風見は裏切られた気分でナトをにらみ、返答を求めた。すると、彼女は口を開く。

「私は元よりこの争いを治めるつもり。そのためにあなたを選んだ。あなたが必要だった。それと同じ。必要なことはする。手段を問うつもりはない」
「待て、とにかく止まれ。話を――!」

 風見は声を張ったが、届かない。彼女が腕を水平に振ったと同時に、魔物が動き始める。
 一斉に飛び出した魔物には、草の魔物マンドレイクやキノコの魔物マイコニドから大型のトレントまで混在していた。それらは地面を揺らすほどの怒涛どとうの勢いで、エルフの里へ押し寄せようとしている。
 風見は歯噛はがみして悔しがる。

「……俺を頼ってきたから、こういう手は取らないと思っていたんだけどな」

 さっきまでの交渉もこの行為も、時間の無駄になるのか、と悔しさはため息に変わる。
 魔物数十体など、ドラゴンにとっては敵にすらならない。こういう時にも場を鎮圧させられるからこそ、仲裁役をまかされたのだ。
 風見はタマに指示を出した。それは、たったの一言である。

「――容赦はいらない」

 タマはうなってこたえ、四肢で力強く大地を掴んで構えた。勝負ですらない。魔物のれを蹴散けちらすのに何秒かかるか、というだけの問題だ。
 そう思っていたのだが、その時、風見の視界に予想外のものが飛び込んできた。

「っ!? クロエ、後ろだっ!」

 言うが早いかいなか。ナトや魔物に向けて警戒し、構えていたクロエを、複数のツルが死角から狙う。彼女は声に反応して、それらを紙一重かみひとえけた。
 次の瞬間、土がぼこりと盛り上がり、クロエの背後に数体の魔物が生えてくる。それらはツルを伸ばし、エルフや他の誰でもなく、クロエのみを追った。
 何故クロエを狙うのか、理由は不明だ。しかもどういうわけか、そこには攻撃らしい殺意やするどさが感じられない。
 クロエはとにもかくにも走った。肉体強化の律法をとなえたのだろう、白い光をまとっている。その状態の彼女の瞬発力には、特殊な技でもなければ追いつくことはできない。
 だが、彼女に追いすがる影があった。ナトである。しかもその速度はクロエを上回り、回り込めるほどだ。吹きすさぶつむじ風に乗り、ナトはクロエの前に立ちふさがる。

「ど、どういうつもりですかっ……!?」
「必要なことはする。それだけ」
「くっ――!?」

 クロエは構えようとしたが、攻撃する間もなくナトがふところに踏み込んできた。直後、ナトはクロエの腹に掌底しょうていを叩き込む。それにともなって生じた突風によって、クロエは森の中に吹き飛ばされた。


 彼女はそこで待ち受けていたトレントに捕まえられ、次いでツルで四肢を縛り上げられる。律法をとなえられぬよう、口までふさぐ念の入りようだ。

「タマ、クロエをっ!」

 そう叫ぶと同時に風見は背から飛び下りた。呼びかけに応じ猛烈に跳ねたタマは、前足で魔物たちを払い飛ばす。けれども、クロエを捕まえた魔物はすぐに森の奥へ消えてしまった。
 タマは森に飛び込み、目の前にれる敵をまとめて蹴散けちらしていく。木ほどの大きさの敵がれていても、ドラゴンの力の前には無意味だ。虫のように宙へと散らされる。
 けれど森の魔物は次々に身を盾にして道をふさいだ。タマがいくら鉤爪かぎづめ蹂躙じゅうりんし、炎の息吹いぶきで森をぎ払っても、クロエを捕らえた魔物はあぶり出されない。おそらく、森の奥に入り込んだのだろう。
 風見はタマにその場をまかせると、草原で立ったまま逃げもしないナトに駆け寄った。

「どういうことだっ、なんでクロエを襲った!?」

 ナトの肩を掴み揺さぶりながら、きつく問いつめる。しかし彼女は何も弁明しない。くっと歯噛はがみした彼は、ひとまずその手を止める。
 すると、ナトは口を開いた。

「エルフとの話は、あのままだと堂々どうどうめぐりだった。けれどもう時間がない。だから、話を円滑に進めるために必要なことをしただけ。仲間を奪われれば、あなたも本気になる。――私はもう、あなたのために頼まれたことをした。今度はあなたが私の願いを叶えてくれる番」
「……クロエは無事に返してくれるんだろうな?」
「必要のないことはしない。あなたが仲介に本気を出す理由を作りたかっただけ。エルフとの交渉に必要なら、今ここで私と決別してくれてもいい」
「……そこまではいらない」

 文句を言っても無駄だとさとった風見は言葉を呑み下し、こぶしにぎり締めた。
 会話が終わる頃には、タマはあらかたの魔物を引き裂いていた。その中にクロエを連れ去ったトレントの姿はない。
 風見はタマを呼び寄せる。期待にこたえられなかった、としょげて帰ってくるタマをでてねぎらった。仕方がない。身を盾にした彼らには、強い覚悟があったのだ。ドラゴンでも出し抜かれることはある。一念いちねん岩をも通すという言葉通り、いい教訓になった。
 そんな時、風見はふと視界に入った魔物に疑問を覚える。

「……? なんでこいつら、こんな顔を……?」

 まだ息のある魔物は早々に退しりぞき、残されたのは虫の息となったトレントなどだ。
 彼らは何かをげたかのような満足げな表情を浮かべ、事切れていく。ナトはそんな彼らに歩み寄り、うなずきを一つ返していた。その意図は読めない。こんな時にも彼女の表情は変わらない。
 そちらはひとまず置いておき、風見はエルフとの交渉を再開するため、タマの背に乗って村の前に戻った。

「すみません、事情が変わりました。多少無理やりにでも付き合ってもらわなければなりません」

 エルフの族長が顔をしかめる。

「脅すと申されるか、マレビトよ」
「このまま魔物と争いを続けても血は流れます。血を流さないで済ますための協議の場にエルフがつかないというなら、俺は仲間を助けるために別の手段を講じないといけません」

 心にもないが、風見は最悪の場合を匂わせる。
 エルフたちは魔境の中、こんな狭い安全地帯にすがりついているのだ。元より、意固地でいられるほどの地力がないことは、理解しているのだろう。族長は悔しがりもせずに息を吐き、うなずいた。

「……よかろう。猊下げいかご一行との話し合いの場をもうける。しかし、そこな精霊は里に入れられぬし、ドラゴンも外で待たせていただきたい。よろしいか?」

 族長の確認に、風見はうなずく。タマにここで待っているように頼むと、リズたちを呼び寄せ、集落の結界内に入れてもらうのだった。


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