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第一章 ノエルとシリル

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 第一章 ノエルとシリル





「シリルっ!!」

 仕事場である酒場を後にして歩いていると名を呼ばれ俺は振り向いた。

 視線の先に馴染みのパン屋のおばちゃんがいる。

「なに?」

「ノエルちゃんは元気かい?」

「元気だよー? なんでそんなこと毎回毎回訊くんだ?」

 理由はわかってんだけどね。

 内心で惚けるとおばちゃんは豪快に笑った。

「いくら大切な恋人だからって夜しか出歩かせないってのはどうかと思うよ? 本当なら家事だって買い物だって彼女の仕事だろうに」

 ノエルとは結婚してないけど夫婦同然。

 周囲はそう見ている。

 だから、俺が働くのはノエルを養うためで、ノエルは家事をするべき、というのが周囲の主張だ。

 これを言われる度に俺としては苦笑いするしかなかったりして。

「ノエルは日光が苦手なんだって何度も言っただろ。別に苛めてるわけじゃねーよ」

「苛めてるとは思ってないよ。あんなに綺麗な女の子そうそういないからねえ。まあシリルも綺麗だけどね?」

「それ、男に対する褒め言葉じゃねーから」

 お喋りに付き合ったからか、おばちゃんは別れ際たくさんパンをくれた。

 正直ありがた迷惑な気もしないでもない。

 ひとりでは食べきれない量だからだ。

 え?

 ノエルとふたりなんだから、ふたりで食べればいいって?

 まあ普通ならそう思うよな。

 普通なら。

 思わずため息をつきそうになって慌ててその場を離れた。

 小さなアパートに入っていく。

 俺の稼ぎで暮らせる精一杯の家だ。

 一軒家なんて夢のまた夢。

 自活がこんなに大変だとは昔は思わなかったね。

 過去の俺のバカヤローとノーテンキさを責めたい。

 そもそも今の仕事だって奇跡的な確率で見つかったんだ。

 最初の頃は仕事は比較的簡単に見つかった。

 どこも人手が足りないらしく、ろくな面接もなしで雇ってくれたから。

 これなら楽に暮らせるじゃんと楽観したのが悪かった。

 仕事内容をちゃんと理解してなかったんだ、俺。

 仕事と言われるからにはこなさなければならないことがあるわけで、これが……意味不明。

 それまで箱入り息子だった俺には、さっぱりわからないことだらけ。

 例えばさっきのパン屋のおばちゃんの店なんて、初期の頃にお世話になって、1番迷惑をかけまくった覚えがある。

 そのせいで17にもなって子供扱いが直らないんだけど。

 色んなところで雇ってもらって、その度に仕事ができないと発覚した。

 その内雇ってくれるところがなくなってきて、親切なご近所さんが集まって問いかけてきたわけだ。

「なにかひとつくらいできることはあるだろう?」

「シリルはなにが得意なんだ?」

 と。

 それで思い出した。

 自分が自慢できる唯一のこと。

 つまり剣術を。

 それ以外だとピアノやバイオリンだけど、これはちょっと高級な趣味なので黙っておいた。

 だったらと腕試しでこの街の出身だという、流れの剣士と戦ってあっさり勝利。

 それを見ていた連中から拍手喝采をもらい、今の仕事を紹介されたってわけ。

 今の仕事はいわゆる酒場の用心棒。

 厄介事が起きたら腕ずくでカタをつける。

 ただ夜は働けないと言ったら、最初はかなりイヤーな顔をされた。

 酒場が1番用心棒の類がほしい時間帯。

 それこそが夜らしいので。

 でも、こちらも事情持ちだったので、必死になって食い下がって、なんとか昼間だけの用心棒という奇跡的な仕事をもらったんだ。

 これは俺には合っていたらしく、今のところ特に問題は起こしてない。

 まあちょっと?

 俺を目当てに客が集まりすぎて、時々揉め事は起きるけどな?

 そんなの俺には関係ないしねえ?

 男も女も関係なく口説こうとするから、あるとき、腹が立って一緒に暮らしてる女がいる、と言ったんだ。

 それがノエル。

 紹介しろと脅迫じみたことを言われ、諦めるという条件と、もうひとつ一緒にはいられないっていう条件でノエルを紹介した。

 それ以来、密かに急上昇中のノエルファン。

 頭痛いよ、俺。

 家の前まできて周囲をキョロキョロ。

 一応用心のため、こう言っておいた。

「ただいまー、ノエル」

 そう言って中に入る。

 しかし中にはだれもいない。

 台所のある食堂(いわゆるダイニング)と部屋があるだけの小さい家。

 どこにいてもすぐにわかるはずなのに部屋にノエルはいない。

 当たり前だ。

 独り暮らしなんだから。

 この家からノエルが出ていくところも見られてる。

 俺と一緒にいるところだけは確認されてないけど、この家に俺とノエルが住んでいることは周知の事実。

 それでも独り暮らしなんだ。

「はああああ。この仮面生活なんとかしないと、そのうち精神崩壊するかも」

 ノエルなんて幻想の女じゃん。

 呆れながら思う。

 だって考えてもみろよ?

 ノエルが姿を見せるのは決まって夜。

 しかも俺とは絶対に一緒に現れない。

 昼にここを訪れても出てこない。

 それで実在すると信じる方がどうかしてるぜ。

 だって俺が仕事のために家を出たら、この家にはだれもいなくなるんだ。

 訪れてきたってノエルが出迎えるわけない。

 ノエルは日光が苦手なんじゃない。

 太陽の出ている時間帯はノエルは実在しないんだ。

 そしてノエルの支配下にある夜に……俺は実在しない。

「なんでこんなことになったのかなあ? 満月の夜だけだと楽観してたのに」

 パンの袋をテーブルに置いてしみじみと呟く。

 ノエルは俺のもうひとつの姿だ。

 恋人なんかじゃない。

 俺自身だ。

 きっかけは15の誕生日。

 満月の夜だったあの日を境に俺は女性化するようになった。

 最初は月の満ち欠けに左右され、満月が近づくほど体調が崩れていき、満月には女性化する。

 ただそれだけだったんだ。

 だけど、この2年ほどのあいだに女性化の時間が長くなり、遂には夜の時間のすべてを女性化したまま過ごさなければならなくなった。

 昼は男。

 夜は女の二重生活。

 それでもだれもノエルが俺だって疑わないのは外見のせいだろうな。

 俺は父さん譲りの金髪に碧眼で、まあ花のようなと讃えられた美形、だ。

 美辞麗句を洪水のようにもらってたなあ、昔は。

 ちょっと母さん似の女顔なのが不満だけど、それでも憧れてくれる女の子が大勢いたくらいの人気者だった。

 明るい性格だったのも理由のひとつだったんだろうけど。

 でも、俺から言わせれば父さん譲りの同じ髪と瞳の色の兄貴の方が、男としてはずっとカッコいいと思う。

 俺は綺麗とか素敵とか、まあ女でも言われそうな美辞麗句がほとんどだったけど、兄貴を褒める言葉は男に向けるものばかりで憧れたなあ。

 兄貴にミーハーする女どもを見て、ちょっとばかりジェラシー感じたりして。

 俺だって同じ男なのにこの差はなに? って。

 大きくなったら絶対に兄貴より男らしくなってやるっ!!

 そう息巻いてた頃が懐かしいぜ。

 今じゃ半分女だし。

 そう。

 俺は元々女顔。

 女装しても変じゃないっていうのは、天敵のオーギュストに散々言われてきた嫌味。

 だから、だろうな。

 女性化しても違和感がなかったのは。

 おまけに髪や瞳の色まで変わるんだ。

 髪も瞳も闇を体現したような漆黒に。

 これだけでかなり印象が変わる。

 そのうえにノエルのときの俺は話せない。

 身振り手振りで意思の疎通を図るしかないという状態で、それがなおさら庇護欲を誘ってノエルを華奢に見せる。

 夜になれば身体つき、骨格、雰囲気に至るまで俺は……女になる。

 悲しいし悔しいけど、それが現実だ。

「でも、追手がかかってないのが不思議だ。俺は王都にいるのに捜索されてる気配ないし」

 首を傾げる。

『15になればあなたは運命と出逢えるわ。そのとき、乗り越えられるのを祈ってる。力になると約束するわ』

 そう言って笑ってくれた母さんを思い出す。

「もしかして母さんが捜索を止めてくれてる? でも……」

 普通なら俺がいなくなったら、もっと大騒ぎすると思うんだ。

 対外的にも大捜索が行われても変じゃない。

 でも、追手はかからなかった。

 母さんが俺になにか起きたと悟って手を打ってくれても、父さんがそれを黙認するか?

「考えてもわからないことは考えるだけムダだな。とりあえず……メシにしよ」

 呟いて買ってきた材料で料理を始めた。

 料理もこの2年でめきめき上達した。

 やればできる子じゃん、俺と自画自賛。

 出来上がる頃には外は薄暗くなってきてる。

 それを横目に見ながら黙々と食事。

 食べおわって食器を片付けた頃には、外はすっかり暗くなってた。

「……」

 夜になっちゃった。

 そう言おうとして声が出ないことに気づく。

 肩に流れる髪は黒。

 ここからはノエルの時間だ。

 とりあえず酒場に戻るか。

 ノエルでいる時間が長くなってから、俺はもうひとつ仕事を増やした。

 同じ酒場での仕事だけど、これはノエルの姿でやった方が効果的。

 それに夜にしかできないから、ノエルにしかできないし。

 まだまだ慣れないワンピースを身に纏って、俺は今夜も街へと出ていくのだった。
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