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第七話 大人の事情
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マテオ・ホワイト。
アイリア国の王家の分家に当たるホワイト家の当主で、王宮の審問所の長を務めている。
「では、明日は不届き者の処遇の決定を行うのですね?」
「そうだ」
マテオの隣を歩くのはリリー・ブラウン。話題はマテオの仕事についてだ。
まだ知識不足なところはあるが、十歳とは思えないほど理解が早く、話も通じる。
「ねえ、母様! あれは?」
「ん? あれはねー」
後ろから聞こえてくるのは妻であるヴィクトリアと娘のソフィアの会話だ。
今、マテオは久々に家族で都であるシエラまで来ていた。
マテオ自身は仕事で見慣れた風景だが、特にソフィアははしゃぎっぱなしだ。
特に今歩いているのはシエラにしては人通りの少ない、以前は連れてこなかった場所だ。新鮮なのだろう。
リリーがいるのは帰りの護衛とソフィアの頼みによるものだ。
マテオとヴィクトリアは仕事のためにシエラに一泊するが、その仕事にソフィアは連れて行けないため、護衛を付けて一足先に帰らせる事になった。
最初に声を掛けたのはヴィクトリアと親交のあったグレイスだ。彼女は快く承諾してくれたが、その際にリリーも加えては、と提案されたのだ。
グレイス曰く、リリーは十歳という若さでありながら軍の中でも有数の実力者らしく、ソフィアも大人ばかりでは居心地が悪いだろう、という話だった。
最もな話だったし、リリーの人となりは知っているためマテオはグレイスの言葉に従い、リリーにも護衛を頼んだ。
それをどこからか聞きつけたソフィアが、
「それならリリーと一緒にシエラに行きたい!」
と、言ったので同行してもらった、というわけだ。
リリーと話すのは面白かった。
先ほども言ったが、彼女は理解が早い。
それに様々な言い回しも知っているので、あえて言葉を噛み砕いたりする必要がないのだ。
親のコネで職に就いている坊っちゃんなどと話しているより余程興味深い。
「でもその制度だと、汚職事件に対する対応が遅れそうじゃないですか?」
「そうなんだ。現に少し前に――」
議論に熱が入ってきた時だった。
「きゃっ……⁉︎」
それは決して大きな声ではなかった。だが、マテオの耳にはそれははっきりと届いた。
慌てて振り返れば、ほんの一瞬だが、桜色が路地裏に消えるのが見えた。
「人攫い……ですか?」
「ああ。追いかけるぞ」
マテオは二人が消えた路地に一目散に駆け出した。リリーもついてくる。
ヴィクトリアとソフィアを攫った者達は、人気の全くない街の隅っこに固まっていた。
いや、マテオを待っていた、というべきだろう。
ヴィクトリアとソフィアの首元にに、それぞれ覆面の男が剣を突き付けているのだから。
他にももう二人がその場で臨戦態勢に入っており、二人の奥にもう一人、人の気配がする。
全部で五人だ。
「よく来たな、マテオさんよ」
奥にいる一人が前に出てくる。
その顔を見てマテオは目を見開いた。
「なっ……アンソニー⁉︎」
アンソニー・ウォーカー。
その男は、明日マテオが審問にかけるはずの、違法薬物を扱っていた元審問所の役員だ。
牢屋に入れられていたはずだが……。
「頭の良いあんたの事だから分かると思うが、大声を出したり助けを呼んだらこいつらの命はねえからな」
「分かっている」
頷きながら、マテオはリリーが傍にいない事に気が付いた。
まさか、逃げたのか?
いや、あの子はそんな子ではない。だとしたら……、
やめだ。今はそんな事を考えている場合ではない。
目の前の二人を助けるのが先だ。
ヴィクトリアは流石というべきか、多少青くなっているだけだが、ソフィアは今にも泣き出しそうだ。
「要求は簡単。明日の審問で俺が冤罪だったと。陥れられた、という事にしろ」
「……そんな事をして何になる。お前の信用などもう失われている。後の祭りだ」
「信用なんてどうでも良い」
アンソニーが鼻で笑った。
「大事なのは職を失わない事だ。俺が犯罪を犯したという事実がなくなれば、親父は俺の事を庇ってくれる。つまり、あんたが証拠を隠滅すれば、俺は固定給の役員で胡坐をかけるのさ。まあ脱獄は犯罪だが、それ以前に誤認逮捕していたとなれば大した罪にも問われないだろう。いざとなれば親父に別の仕事を斡旋してもらえればいいんだしな」
マテオは唇を噛んだ。
アンソニーの言っている事はハッタリではない。
審問所は出来高制ではないし、親のコネでで役員の職に収まっている奴も少なくない。
その中でもアンソニーの父親であるジェームズは王宮でも顔が利く人物。アンソニーの犯罪歴がなくなれば仕事を斡旋する事など容易いだろう。
そして、マテオは審問所の長。アンソニーの要求を実行する事は可能だ。
無論、そんな事をして犯罪者を野放しにする訳にはいかない。
だが……、
マテオは囚われている自分の家族を見た。
アンソニーは崖っぷちだ。
特に今の王宮は薬物に関する偏見が激しい。ここで牢屋に入れられれば、彼の都での生活は終わりだ。
アンソニーはマテオが要求に従わなければ、本当に二人を手にかけるだろう。
「まあ、今はそんだけだ。この二人は連れて行く。その未来は明日のあんたの行動次第だ」
アンソニーがせせら笑い、背を向けた。
他の者達に行くぞ、と声を掛けている。
どうする。どうすればいい。
家族を助けるために、自分のすべき事は何だ。
いくら考えても答えが出なかったマテオの眼に、それは突然映り込んだ。
その黄色を見た瞬間、マテオは自分のすべき事を理解した。
「待て」
アンソニーが振り返る。
「あ?」
「お前の要求を呑もう。だから、せめて二人は雑に扱わないで欲しい」
「それは明日のお前次第だ」
アンソニーの態度は特に変わらない。
だが、他の四人には少し変化があった。
その肩の力が少し抜け、特にヴィクトリア達を拘束していた二人の剣が、その首元を離れた。
次の瞬間、剣とヴィクトリア達の間に壁が生成された。
《霊壁》だ。
「うわっ!」
「誰だ⁉」
その場が一気に殺気立つが、すぐさま飛んできた《霊弾》でアンソニー以外の四人が倒された。
人影がアンソニーとヴィクトリア達の間に降り立つ。
「もう大丈夫ですよ」
リリーだった。
その手がヴィクトリアとソフィアに向けられ、二人の周囲を《聖域》が覆う。
「リリー!」
半泣きになりながら喜色を浮かべるソフィアに頷きかけたリリーは、アンソニーへ視線を向けた。
「四人を一気に気絶させた……だと? な、何者だ!」
「ただの通りすがりの正義の味方です」
リリーはにやりと笑うと、先程四人を気絶させたものと比べて倍以上もある《霊弾》を作り出し、アンソニーに向けた。
「動いたら容赦なくぶっ放すよ」
「ひっ……!」
アンソニーは腰を抜かしてへたり込んでしまった。
「これ、どうしますか?」
「あ、ああ」
リリーに聞かれて我に返る。
「今都の軍に連絡する。すぐに来るだろう」
軍は主に霊の相手をしていると思われがちだが、その実は街の保安部隊も兼ねているのだ。
アイリア国の中でもシエラの軍隊は兵の数が多く、保安部隊と除霊部隊に分かれているため、迅速な対応が望める。
果たして、軍の者はすぐにやってきた。
アンソニー以外の四人はちょっと名の知れた犯罪者達だったらしく、軍の人間は四人が気絶している事に目を丸くしていた。
その四人を一瞬で気絶させるとは、恐るべし、リリー。
五人全員が犯罪者だった事もあり、特に疑う事もせずに軍はアンソニー達を回収していった。
アンソニーはもう終わりだろうな。
軍の者達の後ろ姿を見ながら、マテオはただそう思った。
「君には本当に助かったよ。妻と娘を助けてくれて有難う」
「ええ、貴女は命の恩人だわ」
「リリー、有難う!」
親子三人で改めて頭を下げれば、リリーは静かに首を振った。
「いえ。元々私の役目は護衛ですから、当然の事をしたまでです」
澄ましているわりに嬉しそうなのが伝わってくるが、そこは目を瞑ろう。
マテオが対峙しているうちに死角に入り込んだり的確に犯罪者を倒したりする冷静さはとても十歳とは思えなかったが、意外と年相応なところもあるものだ。
「君の護衛任務はこれからだ。そのためにはしっかりと食べて元気を取り戻してもらわないとな」
リリーはちょっと困ったような顔をしながら笑った。
護衛のため、という名目で高級料理を奢ろうとするマテオの魂胆に気付いたようだ。
今夜はたらふく食べてもらおう。
アイリア国の王家の分家に当たるホワイト家の当主で、王宮の審問所の長を務めている。
「では、明日は不届き者の処遇の決定を行うのですね?」
「そうだ」
マテオの隣を歩くのはリリー・ブラウン。話題はマテオの仕事についてだ。
まだ知識不足なところはあるが、十歳とは思えないほど理解が早く、話も通じる。
「ねえ、母様! あれは?」
「ん? あれはねー」
後ろから聞こえてくるのは妻であるヴィクトリアと娘のソフィアの会話だ。
今、マテオは久々に家族で都であるシエラまで来ていた。
マテオ自身は仕事で見慣れた風景だが、特にソフィアははしゃぎっぱなしだ。
特に今歩いているのはシエラにしては人通りの少ない、以前は連れてこなかった場所だ。新鮮なのだろう。
リリーがいるのは帰りの護衛とソフィアの頼みによるものだ。
マテオとヴィクトリアは仕事のためにシエラに一泊するが、その仕事にソフィアは連れて行けないため、護衛を付けて一足先に帰らせる事になった。
最初に声を掛けたのはヴィクトリアと親交のあったグレイスだ。彼女は快く承諾してくれたが、その際にリリーも加えては、と提案されたのだ。
グレイス曰く、リリーは十歳という若さでありながら軍の中でも有数の実力者らしく、ソフィアも大人ばかりでは居心地が悪いだろう、という話だった。
最もな話だったし、リリーの人となりは知っているためマテオはグレイスの言葉に従い、リリーにも護衛を頼んだ。
それをどこからか聞きつけたソフィアが、
「それならリリーと一緒にシエラに行きたい!」
と、言ったので同行してもらった、というわけだ。
リリーと話すのは面白かった。
先ほども言ったが、彼女は理解が早い。
それに様々な言い回しも知っているので、あえて言葉を噛み砕いたりする必要がないのだ。
親のコネで職に就いている坊っちゃんなどと話しているより余程興味深い。
「でもその制度だと、汚職事件に対する対応が遅れそうじゃないですか?」
「そうなんだ。現に少し前に――」
議論に熱が入ってきた時だった。
「きゃっ……⁉︎」
それは決して大きな声ではなかった。だが、マテオの耳にはそれははっきりと届いた。
慌てて振り返れば、ほんの一瞬だが、桜色が路地裏に消えるのが見えた。
「人攫い……ですか?」
「ああ。追いかけるぞ」
マテオは二人が消えた路地に一目散に駆け出した。リリーもついてくる。
ヴィクトリアとソフィアを攫った者達は、人気の全くない街の隅っこに固まっていた。
いや、マテオを待っていた、というべきだろう。
ヴィクトリアとソフィアの首元にに、それぞれ覆面の男が剣を突き付けているのだから。
他にももう二人がその場で臨戦態勢に入っており、二人の奥にもう一人、人の気配がする。
全部で五人だ。
「よく来たな、マテオさんよ」
奥にいる一人が前に出てくる。
その顔を見てマテオは目を見開いた。
「なっ……アンソニー⁉︎」
アンソニー・ウォーカー。
その男は、明日マテオが審問にかけるはずの、違法薬物を扱っていた元審問所の役員だ。
牢屋に入れられていたはずだが……。
「頭の良いあんたの事だから分かると思うが、大声を出したり助けを呼んだらこいつらの命はねえからな」
「分かっている」
頷きながら、マテオはリリーが傍にいない事に気が付いた。
まさか、逃げたのか?
いや、あの子はそんな子ではない。だとしたら……、
やめだ。今はそんな事を考えている場合ではない。
目の前の二人を助けるのが先だ。
ヴィクトリアは流石というべきか、多少青くなっているだけだが、ソフィアは今にも泣き出しそうだ。
「要求は簡単。明日の審問で俺が冤罪だったと。陥れられた、という事にしろ」
「……そんな事をして何になる。お前の信用などもう失われている。後の祭りだ」
「信用なんてどうでも良い」
アンソニーが鼻で笑った。
「大事なのは職を失わない事だ。俺が犯罪を犯したという事実がなくなれば、親父は俺の事を庇ってくれる。つまり、あんたが証拠を隠滅すれば、俺は固定給の役員で胡坐をかけるのさ。まあ脱獄は犯罪だが、それ以前に誤認逮捕していたとなれば大した罪にも問われないだろう。いざとなれば親父に別の仕事を斡旋してもらえればいいんだしな」
マテオは唇を噛んだ。
アンソニーの言っている事はハッタリではない。
審問所は出来高制ではないし、親のコネでで役員の職に収まっている奴も少なくない。
その中でもアンソニーの父親であるジェームズは王宮でも顔が利く人物。アンソニーの犯罪歴がなくなれば仕事を斡旋する事など容易いだろう。
そして、マテオは審問所の長。アンソニーの要求を実行する事は可能だ。
無論、そんな事をして犯罪者を野放しにする訳にはいかない。
だが……、
マテオは囚われている自分の家族を見た。
アンソニーは崖っぷちだ。
特に今の王宮は薬物に関する偏見が激しい。ここで牢屋に入れられれば、彼の都での生活は終わりだ。
アンソニーはマテオが要求に従わなければ、本当に二人を手にかけるだろう。
「まあ、今はそんだけだ。この二人は連れて行く。その未来は明日のあんたの行動次第だ」
アンソニーがせせら笑い、背を向けた。
他の者達に行くぞ、と声を掛けている。
どうする。どうすればいい。
家族を助けるために、自分のすべき事は何だ。
いくら考えても答えが出なかったマテオの眼に、それは突然映り込んだ。
その黄色を見た瞬間、マテオは自分のすべき事を理解した。
「待て」
アンソニーが振り返る。
「あ?」
「お前の要求を呑もう。だから、せめて二人は雑に扱わないで欲しい」
「それは明日のお前次第だ」
アンソニーの態度は特に変わらない。
だが、他の四人には少し変化があった。
その肩の力が少し抜け、特にヴィクトリア達を拘束していた二人の剣が、その首元を離れた。
次の瞬間、剣とヴィクトリア達の間に壁が生成された。
《霊壁》だ。
「うわっ!」
「誰だ⁉」
その場が一気に殺気立つが、すぐさま飛んできた《霊弾》でアンソニー以外の四人が倒された。
人影がアンソニーとヴィクトリア達の間に降り立つ。
「もう大丈夫ですよ」
リリーだった。
その手がヴィクトリアとソフィアに向けられ、二人の周囲を《聖域》が覆う。
「リリー!」
半泣きになりながら喜色を浮かべるソフィアに頷きかけたリリーは、アンソニーへ視線を向けた。
「四人を一気に気絶させた……だと? な、何者だ!」
「ただの通りすがりの正義の味方です」
リリーはにやりと笑うと、先程四人を気絶させたものと比べて倍以上もある《霊弾》を作り出し、アンソニーに向けた。
「動いたら容赦なくぶっ放すよ」
「ひっ……!」
アンソニーは腰を抜かしてへたり込んでしまった。
「これ、どうしますか?」
「あ、ああ」
リリーに聞かれて我に返る。
「今都の軍に連絡する。すぐに来るだろう」
軍は主に霊の相手をしていると思われがちだが、その実は街の保安部隊も兼ねているのだ。
アイリア国の中でもシエラの軍隊は兵の数が多く、保安部隊と除霊部隊に分かれているため、迅速な対応が望める。
果たして、軍の者はすぐにやってきた。
アンソニー以外の四人はちょっと名の知れた犯罪者達だったらしく、軍の人間は四人が気絶している事に目を丸くしていた。
その四人を一瞬で気絶させるとは、恐るべし、リリー。
五人全員が犯罪者だった事もあり、特に疑う事もせずに軍はアンソニー達を回収していった。
アンソニーはもう終わりだろうな。
軍の者達の後ろ姿を見ながら、マテオはただそう思った。
「君には本当に助かったよ。妻と娘を助けてくれて有難う」
「ええ、貴女は命の恩人だわ」
「リリー、有難う!」
親子三人で改めて頭を下げれば、リリーは静かに首を振った。
「いえ。元々私の役目は護衛ですから、当然の事をしたまでです」
澄ましているわりに嬉しそうなのが伝わってくるが、そこは目を瞑ろう。
マテオが対峙しているうちに死角に入り込んだり的確に犯罪者を倒したりする冷静さはとても十歳とは思えなかったが、意外と年相応なところもあるものだ。
「君の護衛任務はこれからだ。そのためにはしっかりと食べて元気を取り戻してもらわないとな」
リリーはちょっと困ったような顔をしながら笑った。
護衛のため、という名目で高級料理を奢ろうとするマテオの魂胆に気付いたようだ。
今夜はたらふく食べてもらおう。
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