盲目王子の専属侍女―― 一歩先を導く侍女と追放王子の逆転劇

チャーコ

文字の大きさ
4 / 5

4 ロゼッタとステラの午後

しおりを挟む
 王宮から馬車で半刻ほど。
 王都の中でも閑静な場所に、離宮はあった。

 同じ王都であるはずなのに、空気の重なり方が違う。人の往来が少なく、足音が絡まりすぎない。午前中に中庭で見た第一王子の姿が、ロゼッタの脳裏をよぎった。

(……ここなら、余計な視線は入りにくい)

 ロゼッタ・マリーニは回廊を歩きながら、自然と歩調を落とした。

 ローズブラウンの髪は低い位置でまとめられ、動いても乱れにくい。蜂蜜色の瞳は柔らかな印象を与えるが、視線の動きに迷いはない。華美ではないが身だしなみは丁寧で、立ち姿には実務に慣れた落ち着きがある。体格も華奢すぎず、長く立っていても軸が崩れない。

 侍女見習いとして王宮に上がってから、意識して身につけてきた立ち方だった。

 足を止める。
 床の硬さが変わり、音の返りがわずかに遅れる。

(ここは反響が残る)

 殿下が通るなら、声をかける位置を考えなければならない。ロゼッタは頭の中で、回廊に印をつけた。

「ロゼッタ」

 背後から声がして、振り返る。

 ステラ・バルトーネが歩いてきた。シルバーアッシュの髪をまとめ、若草色の瞳は一度で周囲を捉えている。前に出すぎず、止まるべき場所では確実に止まる。実務向きの所作だった。

「もう来てたのね。王宮の荷が多くて、少し遅れたわ」
「大丈夫よ。ちょうど見ていたところだから」

 ロゼッタは足元を指し示した。

「見ていた?」
「廊下の幅と音の返り方、それから扉の開き方」

 ステラは一瞬考え、すぐに理解したように頷く。

「……もう仕事を始めているのね」
「始めるというより、覚えておきたいだけ。今日は、殿下の部屋には入らないわ」

 二人が並んで歩き出した、そのときだった。

「――随分と、熱心ですね」

 横合いから、わざと感心したような声が割り込んできた。

 振り向くと、王妃派に連なる従者が立っていた。リカルドの側近として、王宮で何度も見かけた顔だ。口元には丁寧な笑みを浮かべているが、その視線は値踏みするように冷たい。

「離宮とはいえ、殿下は殿下。まさか、見習いの方で対応なさるおつもりではありませんよね?」

 その言葉は、丁寧な形をした牽制だった。

「殿下は、今とても繊細なご状況ですし」

 従者は大袈裟に溜息をつく。

「判断を誤られでもしたら、それこそ取り返しがつきません。付き添いは多い方が、安心かと存じますが?」

 ステラが、反射的に口を開きかけた。
 だが、ロゼッタは一拍置いてから、穏やかに声を出す。

「ご心配くださって、ありがとうございます」

 その声音は柔らかい。けれど、曖昧さはなかった。

「ただ……殿下が歩かれるときに、一番必要なのは付き添いの数ではないと思うのです」

 従者が眉を不快そうに動かす。

「殿下ご自身が、今どこに立っていて、どう進むかを判断できる空間です」

 ロゼッタは一歩も引かず、続けた。

「大勢の人が先に動いてしまいますと、その判断を奪ってしまいますから」

 一拍の沈黙が落ちた。

 従者は言葉を探すように口を開き、結局、何も言い返せなかった。
 そのまま、作法通りに一礼する。

「……ご立派なお考えですね」

 皮肉を含んだ声を残し、踵を返して去っていった。
 その背中が見えなくなってから、ステラが小さく息をつく。

「……ああいう言い方、王宮では誰も止めないのよ」
「でしょうね。でも、離宮では必要ないもの」

 ロゼッタは淡々と答えた。

「あなたが真っ先に離宮に行くって立候補したって聞いたとき、正直驚いたわ」

 ステラは歩きながら、ちらりと横目でロゼッタを見る。

「責任は重いし、目立つ役目よ。それなのに、迷いがなかった」
「理由を考える前に、行きたいって思ったの。行かなきゃ、って」

 ロゼッタは思ったままの言葉を続けた。

「その気持ちだけは、最初から揺れてなかったわ」

 ステラは一度、視線を前に戻してから、静かに言った。

「……ずいぶん、まっすぐね」

 回廊の先に、第一王子の居室がある。ロゼッタは無意識に歩調を落とした。

「午前中、殿下に会ったんでしょう」
「ええ」
「どうだった?」

 ロゼッタは少し間を置いて答える。

「第二王子に身体は一度倒された。でも……殿下の心は倒れていなかった」
「判断を、手放してなかった?」
「ええ。周りがどう動いているかを、ずっと見ていた」

 ロゼッタは、あのときの殿下の立ち姿を思い出していた。

「……正直、驚いたわ」
「何が?」
「倒されても、ああやって周囲を見ている人を、私は初めて見たの」

 ステラは何も言わず、ただ静かに頷いた。

「だから、あなたは行くって言えたのね」
「そう。放っておけなかったの」
「で、次は何をするのかしら?」
「今日は殿下の部屋の外から確認するの。扉の開き方、音の抜け方、動線で危ないところがないかを見て、それをニコラス様に渡すわ」

 ロゼッタの口調は穏やかだったが、迷いはなかった。

「お世話は、まだ?」
「まだよ。先に環境を把握しておかないと、殿下の判断を邪魔してしまうから」

 ステラは納得したように、口元を緩めた。

「前に出ないのね」
「出たら……奪ってしまいそうだから」

 そう言って、ロゼッタは再び歩き出す。必要な場所で止まり、確かめてから次へ進む。足取りに迷いはない。

 扉の向こうに、午前中に会った盲目の王子がいる。ロゼッタは声の届く距離と立ち位置を確かめ、静かに息を整えた。

(私は、奪わない)

 離宮での一日は、まだ始まったばかりだ。
 ロゼッタは前に出るためではなく、殿下が自分で選び続けられるよう、世界の形を一つずつ確かめていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

私を選ばなかったくせに~推しの悪役令嬢になってしまったので、本物以上に悪役らしい振る舞いをして婚約破棄してやりますわ、ザマア~

あさぎかな@コミカライズ決定
恋愛
乙女ゲーム《時の思い出(クロノス・メモリー)》の世界、しかも推しである悪役令嬢ルーシャに転生してしまったクレハ。 「貴方は一度だって私の話に耳を傾けたことがなかった。誤魔化して、逃げて、時より甘い言葉や、贈り物を贈れば満足だと思っていたのでしょう。――どんな時だって、私を選ばなかったくせに」と言って化物になる悪役令嬢ルーシャの未来を変えるため、いちルーシャファンとして、婚約者であり全ての元凶とである第五王子ベルンハルト(放蕩者)に婚約破棄を求めるのだが――?

悪役令嬢だとわかったので身を引こうとしたところ、何故か溺愛されました。

香取鞠里
恋愛
公爵令嬢のマリエッタは、皇太子妃候補として育てられてきた。 皇太子殿下との仲はまずまずだったが、ある日、伝説の女神として現れたサクラに皇太子妃の座を奪われてしまう。 さらには、サクラの陰謀により、マリエッタは反逆罪により国外追放されて、のたれ死んでしまう。 しかし、死んだと思っていたのに、気づけばサクラが現れる二年前の16歳のある日の朝に戻っていた。 それは避けなければと別の行き方を探るが、なぜか殿下に一度目の人生の時以上に溺愛されてしまい……!?

【完結】転生したぐうたら令嬢は王太子妃になんかになりたくない

金峯蓮華
恋愛
子供の頃から休みなく忙しくしていた貴子は公認会計士として独立するために会社を辞めた日に事故に遭い、死の間際に生まれ変わったらぐうたらしたい!と願った。気がついたら中世ヨーロッパのような世界の子供、ヴィヴィアンヌになっていた。何もしないお姫様のようなぐうたらライフを満喫していたが、突然、王太子に求婚された。王太子妃になんかなったらぐうたらできないじゃない!!ヴィヴィアンヌピンチ! 小説家になろうにも書いてます。

【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。

猫屋敷むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で―― 私の願いは一瞬にして踏みにじられました。 母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、 婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。 「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」 まさか――あの優しい彼が? そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。 子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。 でも、私には、味方など誰もいませんでした。 ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。 白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。 「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」 やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。 それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、 冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。 没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。 これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。 ※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ ※わんこが繋ぐ恋物語です ※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ

聖女として召喚された女子高生、イケメン王子に散々利用されて捨てられる。傷心の彼女を拾ってくれたのは心優しい木こりでした・完結

まほりろ
恋愛
 聖女として召喚された女子高生は、王子との結婚を餌に修行と瘴気の浄化作業に青春の全てを捧げる。  だが瘴気の浄化作業が終わると王子は彼女をあっさりと捨て、若い女に乗 り換えた。 「この世界じゃ十九歳を過ぎて独り身の女は行き遅れなんだよ!」  聖女は「青春返せーー!」と叫ぶがあとの祭り……。  そんな彼女を哀れんだ神が彼女を元の世界に戻したのだが……。 「神様登場遅すぎ! 余計なことしないでよ!」 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します。 ※他サイトにも投稿しています。 ※カクヨム版やpixiv版とは多少ラストが違います。 ※小説家になろう版にラスト部分を加筆した物です。 ※二章に王子と自称神様へのざまぁがあります。 ※二章はアルファポリス先行投稿です! ※表紙素材はあぐりりんこ様よりお借りしております。 「Copyright(C)2022-九頭竜坂まほろん」 ※小説家になろうにて、2022/12/14、異世界転生/転移・恋愛・日間ランキング2位まで上がりました! ありがとうございます! ※感想で続編を望む声を頂いたので、続編の投稿を始めました!2022/12/17 ※アルファポリス、12/15総合98位、12/15恋愛65位、12/13女性向けホット36位まで上がりました。ありがとうございました。

処理中です...