【完結】消去法で選ばれた花嫁だけど、せめて笑顔で生きていきます。

朝日みらい

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第四章 「消去法の真実」

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 夜の帳が下り、屋敷は静まり返っていました。  
 遠くで時計の針が時を刻む音がするだけ。  
 そんな夜、わたしは寝室のベッドでどうしても眠れずにいました。  

 最近のエリオットさまは忙しそうで、屋敷を出たり戻ったり。  
 政敵たちの陰謀がまだ完全に去ったわけではなく、わたしはただ見守ることしかできません。  

 “わたしが彼の力になれているのかな”――そんな不安が、夜の静けさの中で膨らんでいくのです。  

***

 翌朝。廊下ですれ違った執事のアランが、ちょっと困ったようにわたしに声をかけました。  

「奥さま、旦那さまのお部屋に書類が散らかっておりまして……ひとまず整理をお願いできますか?」  
「わかりました。邪魔をしない程度に片づけておきますね」  

 軽い気持ちでその扉を開けたとき――胸の奥に冷たい風が吹き抜けた気がしました。  

 机の上にあったのは、革の表紙で綴られた分厚い帳簿のようなもの。  
 何気なくめくったその最初のページに、見たことのある文字が並んでいました。  

 “花嫁候補名簿”  

 その四文字に、呼吸が止まりました。  
 指先が震えるのを止められず、ページをめくれば――そこには貴族の令嬢たちの名前が整然と並び、ひとつひとつの欄に評価や備考のような文字が記されています。  

 そして、その最後の欄に。  

“ジゼル・ローレンス 性格:温厚/教養:不足/家格:低い/婚姻適正:可”  

 “選定理由:欠点が少なく扱いやすいため”  

 目の前が白くなりました。  
 心の中で何かが、音を立てて崩れていくのが分かりました。  

 ……ああ、やっぱり。  

 “消去法で選ばれた”という、あの言葉。  
 わたし、ずっと信じたくなかったんです。  

 でも、現実はちゃんと、紙の上に残っている。  

 気づくと、ページを握りしめたまま立ち上がっていました。  
 涙は出ません。ただ、息がうまくできなくて。  

「――そんな風に思われていたなんて……」  

 呟いた声は、かすれていました。  

***

 屋敷を出ようとしたとき、ちょうど向かいから彼が戻ってきました。  
 玄関の扉を開ける音で、顔を上げた彼の表情が一瞬にして強張ります。  

「ジゼル……その荷物は?」  
「少し、外の空気を吸ってこようと思いまして」  
「どこへ行く」  
「わかりません。でもしばらく戻らないかもしれません」  

 わたしの声は、自分でも信じられないほど冷静でした。  
 でも、心の中は嵐のようで。  

「理由を聞いても?」  
 それでも彼は、落ち着いた口調で問いかけてくるのです。  

 わたしは、手にした帳簿をそっと差し出しました。  

「……これを見たからです」  

 ほんの一瞬、彼の表情が凍りつきました。  
「触れたのか」  
「ええ、偶然です。でも、それで十分でした」  

「ジゼル、待て」  
「待てません。もう、わたしがどんな位置にいるのか分かってしまいましたから」  

「それは違う」  
 彼が一歩近づき、手を伸ばしてきます。  
 けれど、わたしはその手から逃れるように一歩下がりました。  

「“欠点が少なく、扱いやすい”……あんな言葉、見たくありませんでした」  
 涙が頬を伝う。止めようとしても止まらなかった。  

 エリオットさまは沈黙のまま、拳を握り、そして――諦めたように目を閉じました。  

「当初は確かに、そうだった」  
 その言葉に、胸の奥が痛みました。  
「でも、違うんですか?」  
「違う。だが今それを言っても、君には信じられないだろう」  

「……ええ、信じません」  
 やっとの思いでそう言い、振り返らずに扉を開けました。  

***

 外に出ると、空は薄曇りで、春の風がひんやりと頬に触れました。  
 どこへ行くでもなく歩き続けて、気づけば街外れの小さな湖のほとりに立っていました。  

 涙が止まらず、頬を伝ってぽとりぽとりと水面へ落ちていきました。  

 “扱いやすい人間”――そう評された自分が、急に惨めに思えました。  

 けれど、心の中ではまだ、エリオットさまの言葉を探している自分がいました。  
 “違う”と、あの人の声が確かにそう言ったから。  

***

 日が暮れるタイミングで、背後から馬の蹄の音が聞こえました。  
 振り向けば、濃紺の外套を羽織った彼がいました。  
 息が上がり、髪がわずかに乱れています。  
 その姿を見た途端、胸の奥に張りつめていた何かが緩みました。  

「どうして追ってきたんですか」  
「行かせるわけがない」  

 そう言いながら彼は歩み寄ってきて、強く腕を掴みました。  
 いつも冷静な彼が、こんな顔をするなんて。  

「確かに最初は、消去法で君を選んだ」  
 低い声が、穏やかに、けれど真っ直ぐ胸に届きます。  

「名簿にも、そう書かれていた。それは真実だ」  
「……なら、どうして」  
「だが今は違う。君以外は、考えられない」  

 その声が震えていました。  

「君の笑顔が初めて屋敷を明るくした。誰も寄せつけなかったわたしの心を、君が溶かした」  

 その言葉に、視界がにじみました。  
 自分でも止められないほど、涙があふれてしまいました。  

「嘘……じゃないんですか」  
「嘘なら、こんな場所まで追いかけない」  

 彼はわたしの手を掴んで引き寄せ、抱きしめました。  
 鼓動が重なり、冷たい風も体温に溶けていく。  

「……君がいなくなったら、わたしはまたあの空虚に戻る」  
「わたしなんかでも……」  
「君だから、必要なんだ」  

 頬に触れる指が優しくて、涙がもう止まりません。  

 あの日の、冷たい“消去法”という言葉が、少しずつ遠ざかっていくような気がしました。  

***

 夜風が少し冷たく、彼の外套の裾がわたしを包みました。  
 湖面には月が揺れ、その光が二人を照らします。  

「……ずるいです」  
「何が?」  
「そんな言い方をされたら、許してしまいそうです」  
「許してくれ」  
「簡単に言わないでください」  

 言葉とは裏腹に、もう彼の胸を押し返す力は残っていませんでした。  
 肩に回された彼の手が、そっと髪を撫でる。  

「もう離さない」  
 その囁きに、胸が熱くなりました。  

「エリオットさま」  
「何だ」  
「……今は、泣いてもいいですか」  
「好きなだけ」  

 その瞬間、こぼれ落ちた涙を、彼の指がやさしく拭いました。  
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