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37.嵐の前の静けさ
しおりを挟む「じゃあ、咲凪、いい子にしててね」
「ん、いーよ」
咲良は娘をおいて仕事に向かう。
園に預けるよりも不安だ。
「お兄さん、お願いします」
「大丈夫だよ。安心して仕事してきて」
俊哉が笑顔を見て、まだ心配そうにドアを閉める。
「咲凪、遊ぼうか」
扉の向こうでそんな声が聞こえた。
新居となった実家は、会社には近くなった。
おかげでギリギリまで娘と一緒にいられる。
それは嬉しかった。
「おはようございます」
そう挨拶をして、会社に入っていく。
「おはよ」
先に来ていた夏木が話しかけてきた。
「咲凪ちゃん、元気か?」
「はい。兄にも懐いているので、いつも元気に遊んでますよ」
何かと咲凪を気にかけてくれる夏木に、咲良は感謝していた。
「……佐山は?辛くないのか?」
「何がですか?」
これは気づかないふりをしている。
考えたくもない、が正直なところだからだ。
こうして今日も仕事に打ち込む。
この時間だけは、彼のことを忘れられた。
仕事が終わり、自宅へ向かう。
会社が入るビルを出たところで、高級車が止まっていた。
一瞬ドキリとする。
しかし、運転席から出てきた兄に、ホッと安堵して、駆け寄った。
「どうしたんですか?お兄さん」
「咲凪がママに会いたいって泣いてね。出てくるのを待ってたんだ」
「まぁまぁ……っ」
あの一件が、本人を気づかないうちに、トラウマになってしまったのだろうか。
別れる時は平然としていても、ある時ふと不安になってしまうらしい。
こういうことは最近頻繁にあるため、慣れている。
「どうしたの?咲凪。ママはここにいるよ」
「まぁま」
しがみつくように抱きつき、乱暴に首を振って涙を拭う姿は、咲良も見ていて胸が痛む。
咲良はポンポンと軽く背中を叩いてなだめながら、兄にお礼を言う。
「ありがとうございます」
「いいんだよ、兄として伯父として、当然のことをしているまでだ」
兄の優しい言葉には支えられてばっかりだ。
「咲良も、無理して仕事を続けなくていいんだからね。休みたいときは休めばいいし、辞めても養えるくらいの蓄えはあるんだ」
「仕事は楽しいしいい息抜きにもなるので、続けたいです」
「そっか」
ミラー越しに兄の笑顔を確認して安心する。
咲良は微笑んで、娘の安心したような顔を見た。
夜、咲凪を寝かしつけてから、咲良は兄に日中の娘の様子を聞く。
園では連絡帳という形で知っていたが、ここでは兄の声で聞けるからいい。
「最近のお気に入りはおままごとみたいだね。お店屋さんごっこを10回以上はしたかな」
「いつも付き合ってもらってありがとうございます。お兄さんのお仕事の邪魔はしていませんか?」
「もちろん、仕事の時はいい子に1人で遊んでるよ」
それを聞いて安心する。
「あぁ、それと」
兄は何かを思い出したように言った。
「気になったことがあるんだ」
「気になったこと?なんですか?」
「咲凪は、前みたいに父親の話をしなくなったね」
「……ぇ……」
確かに前は事あるごとに「パパにあいたい」とか「パパはどこ?」とか言っていた気がする。
それが減っているのも確かだ。
「咲良さえよければ、僕から咲凪に聞いてみようか」
「……いえ」
咲良は少し迷って、首を振った。
「このまま忘れてくれるのであれば、それでいいです」
「わかったよ」
俊哉は頷いただけだった。
「佐山さん、お電話です」
それは会社でのこと。
電話に出た同僚に呼ばれ、電話を取った。
『受付に神川拓海さんという方が佐山咲良さんを訪ねていらっしゃっていますが』
まさか会社にまで来るとは。
一度は直接会って話さなければならないのかもしれない。
「すぐ行きます」
と答えて、スマートフォンから兄にメールを入れる。
今日は遅くなるということだけを伝えて、受付に降りた。
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