グレープフルーツムーン

青井さかな

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chapter 3

song for you(1)

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 少し熱めのシャワーを頭から浴びてようやく動悸と頭痛が治まった。
 少し前まで割と平気になっていたのに。

 あの傘、やっぱり手放すんじゃなかったかな……。



 体を拭いて部屋着に着替え冷蔵庫から缶ビールを一本取り出す。
 静かな部屋の窓の向こうからは夕方からずっと降り続いている雨の音だけが聴こえてきて、また少し、頭が痛む。

 朝から電源をオフにしたままのスマホを手に取り電源を入れると今日もリカからメールが届いていた。
 リカのメールはこの半年、一日たりとも途切れた事はない。
 はじめの頃は私を心配してくれている内容で、最近ではスマホで撮影した写真に一言を添えて送ってくる。
 私はそれに一度も返信した事は無い。
 このメールが途絶える頃、リカはいよいよ私を許してはくれないだろう。

 それでも、私はまだリカのもとに帰るわけにはいかない。

 大学四年の冬、あの日、あの夜からずっと、リカの優しさを裏切り続ける私が、リカに甘えるわけにはいかないから……。






「お疲れ様です、お先に失礼しまーす」

 バイトを終えて外へ出ると天気予報通り本降りの雨になっていた。
 折り畳み傘を開きながら雨の夜空を睨み付ける。
 バイト先から家まで徒歩五分もかからないんだから私が帰り着くまでの僅かな時間くらい降り始めるの待ってくれたら良いのに。こう言う時ばかりやけに正確な天気予報が恨めしい。    
 
 溜め息をついて歩き出そうとした時だった。

「エリナ?」

 聞き馴染みのある声が私を呼び止めた。声のした方を振り返る。

「浅野さん?」

 大学のサークルOBの浅野さんだ。

「おまえ何やってんの、こんな時間に一人で」

 時刻は夜の十一時を過ぎていた。

「何って、バイト終わりです、ここのファミレス、浅野さんこそ何やってるんですか?傘もささずに、びしょ濡れじゃないですか、風邪引きますよ」

 季節は冬、十二月の暮れで今日は雪が降るほどの寒さでは無いがそれでも充分十二月の夜らしい寒さだ。

「オレも楽器屋のバイト終わりにスタジオ一人で入ってて、出たら雨降ってた。傘持ってねーし。ちょうどいいや、送ってってやるから傘入れて。家どこ?」

「大丈夫です。うちすぐそこのマンションなんで。傘ならあっちのコンビニに売ってますよ。……何ですか?」

 浅野さんがもの凄く冷めた目で私を見ている。何だか嫌な予感。

「じゃ、さようなら、あ、ちょっと!」

 下手に関わりたくなくてさっさと帰ろうとしたら浅野さんに傘を奪われた。
 やっぱり、嫌な予感的中。

「ほら行くぞ」

 この人は、本当に勝手が過ぎる。

 

 そして、どうして、こうなった。

 シャワーを浴び終えて体を拭きながらつい数分前のやりとりを思い出していた。
 部屋着にしているパーカーとスウェットに着替えてワンルームの自分の部屋に入ると、色違いの私のパーカーとスウェットに勝手に着替えて、私のビールを冷蔵庫から勝手に出して飲んで、さらに私のレコードを勝手に漁っている浅野さんがいる。
 私が浅野さんに渡したのはタオルだけのはずなのに。

「……何してるんですか」

 突っ込みどころが多すぎて何から突っ込んでいいのかわからない。

「お、終わった?じゃシャワー借りる」

 当たり前のように浅野さんはお風呂場に向かった。

 大きな溜め息を一つついて、ついさっき、マンションの前に着いた時の出来事を後悔と共に改めて思い返す。



 そんなに大きくない折り畳み傘一本に元々濡れている人と一緒に入る羽目になり、マンションまではほんの数分だというのに私までかなり雨に濡れてしまった。

「……ここです。じゃ、傘持って行って良いですから」

「おまえこのオレにこんなびしょ濡れのまま帰れって言うの?」

「何言ってるんですか、当たり前でしょ?おかげで私まで無駄に濡れちゃったじゃないですか」

「あぁ?いいから入れろ。ギターもケースに入れてあるとはいえこれ以上濡らしたくないんだよ、……つーかもう寒くて限界」

「何でですか、ダメに決まってるでしょ」

「何おまえ、オレと二人になったらナニかあるとか思ってんの?自意識過剰じゃね?」

「はぁ?!あるわけないでしょ!」


 

 何でアレでむきになって部屋に上げてしまったんだろう。
 あの人も大概だけど、私も相当なバカだ。

 浅野さんがシャワーを使っている間に髪の毛を乾かしてスマホを手に取りリカに連絡しようか、そう思ったけど、この状況をどう説明したら良い?浅野さんのお迎えをお願いしようかとも思ったけど、リカの家からうちのマンションまで来るには電車はもう無くなってしまうし、車でも一時間以上かかるし第一リカは免許を持っていない。
 もういいや、面倒くさい。
 なるべくはやく追い出そう。

「あー気持ち良かった」

 浅野さんがお風呂場から出てきた。下はスウェットを穿いていたが、上半身は裸で首にタオルを掛けている。
 うん、何となく予想してた。

「おまえ人をゴキブリでも見るような目で見んな」

 ……ゴキブリの方がマシです。 



 またもや勝手に冷蔵庫から新しいビールを取り出して飲んでいる。
 お風呂上がりの暑さが引いたのかやっと上の服を着てくれた。
 そしてまたレコードを漁り始める。

「……いつまで居るつもりですか?」

「これかけて」

 私の質問には答えずレコードを差し出してくる。
 ザ・ビートルズの通称『ホワイトアルバム』

「どこからですか?」

「二枚目」

 だろうと思った。
 どうせなら頭から通して聴けばいいのに。もう文句を言うのも面倒になり素直に従ってC面をプレイヤーにセットし針を落とす。
 一曲目『バースデイ』は浅野さんもよく自分のバンドでカバーしている。
 自分の部屋なのに帰宅してからずっと居心地が悪かったけど、好きな音楽が流れるとようやく、ほんの少しだけ気分が落ち着いてきた。

 何故だか知らないけど帰る気配は全く無く、初めて訪れた他人の部屋で勝手気ままに振る舞う浅野さんはもう放って置いて、私も冷蔵庫からビールを取り出しキッチンでやっと一息つく。

 しばらくして戻ってみると、その間に浅野さんは私のベッドの上に陣取り愛用のギブソンレスポールをギターケースから取り出しレコードに合わせて弾いていた。

 C面の六曲目は、『ヘルター・スケルター』
 必ずライブのセトリに入れる浅野さんのお気に入りで一番得意だと豪語するナンバー。
 ギターを弾いている時の浅野さんはさっきまでとは別人の様だ。
 この人は本当に楽しそうにギターを弾く。
 悔しいけど、プロでもアマチュアでも、浅野さんより魅力的にギターを弾くギタリストに私はまだ出逢えていない。
 私がそう思っている事は本人にはもちろん誰にも、リカにも言った事はないけど。

 やがてC面が終わりレコードの回転が自動的に止まった。
 レコードをひっくり返しD面を再生すると空になったビールの缶を片付けて冷蔵庫からもう一本ビールを取り出して飲む。
 お酒は弱い方では無いけどちょっとペース落とした方がいいかな。私と浅野さんで何かあるわけ無いにしてもこの状況で飲み過ぎるのはあまりよろしくない。

 浅野さんは相変わらずベッドの上でギターを弾いている。
 そんな姿を見ていると浅野さんに出逢った日の事を思い出した。
 
 まだ、サークルに入る前、リカは知らない、あの日のステージを……。








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