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chapter 3
song for you(3)
しおりを挟むあの日を境に浅野さんから何かとメールや電話が来るようになった。
そのほとんどがどうでもいい内容で私はそれを無視し続けた。
そうしていると、その内にメールも電話も来ることは無くなった。
リカには何も言わなかった。
リカから何か言われる事も、私に対する態度がおかしいといった事も無かったのでおそらく浅野さんも何も言っていないんだと思う。
正直に話さない事も含め、本当に最低な事をしているという自覚はあったけれど、どうしてもリカには言えなかった。
罪悪感と自分に対する嫌悪感で浅野さんだけでなく、しばらくはリカをも避けてしまっていた。
そして、そのまま大学卒業の日を迎えた。
卒業と言っても、私は学部別の卒業式のみ出席してその後の謝恩会にもサークルの宴会にも行かず、何なら夕方からはいつも通りバイトなので正直感慨深さはあまり無い。
そのバイトも来月の入社式を前に今月いっぱいで終わりなので、今のうちに出来るだけシフトも入っておかなければ……。
午後十一時過ぎ、いつもの様にファミレスでのバイトを終えて外へ出ると雨が降っていた。降り出した事はバイト中お客様の会話と店内の窓から見えた外の様子でわかってはいたが、いざ雨の中を歩くとなると僅かな時間と言えど憂鬱になる。けど雨が止む気配は無い。ここでこうしていても仕方ないので折り畳み傘を開いてマンションまで数分の距離を歩き始めた。
雨の中、マンションの前に見覚えのある人が立っている。
「……何してるんですか」
仕方なく声をかけるとタバコを咥えたまま振り向いた。
浅野さんだ。今日はちゃんと傘をさしている。
「……おかえり」
「何か用ですか?」
「用、ってゆーか、ちょっと話がしたくて。あ、卒業おめでとう」
「……ありがとうございます。それならメールか電話でいいでしょ」
「メールも電話も無視するヤツがよく言うわ」
浅野さんが呆れたように笑う。この人こんな風に笑う人だっけ。
「まぁ部屋に入れてくれる気は無いだろうから手短に話すけど」
当たり前です。
もう二度部屋には入れない。
「オレ、地元に帰る事にしたから、おまえにも一応顔見て言っておきたくて」
あまりに予想もしていなかった展開に一瞬言葉を失う。
「……え、でも確か浅野さんの地元って結構遠くだったんじゃ」
「あぁ、四国。だから、もうこっちに来る事は、たぶんそうそう無いだろうな」
「だって、じゃあリカは……」
リカはこっちで就職が決まっている。
「聞いてない?リカとは別れた。一ヶ月くらい前か」
聞いてない。どうして言ってくれなかったんだろう。……もしかして、
「もしかして、あの事、リカに言ったんですか?」
「いや、オレは何も言ってない。おまえも言わないだろうと思ってたし。まぁ、何つーか、もう結構前からあんまり上手くいって無かったから、潮時だった」
全然知らなかった。四年になって必修以外は私もリカもほとんど単位は取れていたからあまり大学に来る事もなく、たまに会ってもリカはいつも笑顔で、悩んでいる素振りなんて全く感じさせなかった。……いや、私が気付かなかっただけで、リカはおそらくずっと一人で悩んでいたんだ。友達なのに、何も聞いてあげられず、挙句にあんな、最低な事をした。
「まぁ、別れようって言い出したのはリカの方だから、あいつは大丈夫だと思う」
そうだ、今ここでリカの気持ちをあれこれ考えても仕方ない。
「バンドも、いいんですか?」
「それは地元帰ってからまた考える。オレは元々プロには興味ないから、正直あいつらとは方向性だいぶズレて来てたし、向こうでオレの好きな音楽一緒に演ってくれる面白そうなヤツでもいたら、もう一度やってみてもいいかな」
私が浅野さんを避けている間に、もう全て決めてしまったんだ。かと言って、私がいて変わった事なんて、何も無いだろうけど。
「……オレは、おまえの事だけが心残りだよ」
「………え?」
「あの日、本気で手ぇ出すつもりは無かった。けど、一晩一緒に居て、どうしても抑えられなかった。オレだって、さすがにおまえだけはダメだろって、思ったよ。……せめて、もっと早く知りたかった、おまえの事」
何を言っているの、どうしてそんな悲しそうな顔をするの。
「けど、おまえはさ、オレが今更何言っても信じないだろうし、だから、それでいい。……最後に会えて、話が出来てそれだけで良かった」
頭が混乱して、何を言っていいのかわからない。
浅野さんが真っ直ぐ私の目を見てくる。
その表情は、とても優しかった。
「エリナ、元気でな」
私の頭をポンっと撫で、そのまま浅野さんはもう振り返る事なく雨の中、私の前から去って行った……。
リカから連絡があったのは浅野さんが私を訪ねて来た日から数日後。
浅野さんと別れた事を私に言わないと、と思ってはいたが、別れを納得していてもまだ胸がつかえてしまってなかなか言い出せなかったと。私は初めて聞いたふりをしたけど、うまく出来ていたかはわからない。
浅野さんがこの街を出て行って、程なくして新生活が始まった。
私もリカもそれぞれ就職してずっと自分の事でいっぱいいっぱいで、時々連絡は取り合ってはいたが、会う機会はさらに減った。
リカは就職して一年が過ぎた頃体調を崩した。
職場の雰囲気に馴染めなかったのに無理に頑張り過ぎてしまったらしい。
私はまたリカのために何もしてあげられなかった。あの時弱音を吐けない子だったんだとわかったはずなのに。
けれど、そんなリカを支えてくれていた人はちゃんと居た。会社の上司がずっと気に掛けてくれていて、リカがいよいよダメだと言う時に、会社を辞めて夢だった飲食店をするから一緒に来ないかと言ってくれたらしい。リカは会社を辞めてその後、その人と結婚した。
そして、私達が大学を卒業してから三年が過ぎた頃……。
残業で帰りがいつもよりかなり遅くなってしまい、その間に雨が降り出していた。
残業さえ無ければ雨が降り出す前に家に帰れたのに。
最寄りの駅で電車を降りて改札を潜り、バッグに入れてある折り畳み傘を取り出して開く。
そういえば電車に乗っている間に着信があった事を思い出しスマホを確認すると、リカからだった。
珍しい。
リカが結婚してからは会う機会はおろか連絡さえもかなり減ってしまった。
そろそろ妊娠でもしたかな、なんて考えながら折り返しリカに電話をかける。
『……もしもし』
「あ、リカ、久しぶり。ごめんね、電車乗ってて出られなくて、どうしたの?」
『……リナ、あのね』
電話の向こうのリカの様子がどうにもおかしい。妙な胸騒ぎがする。
「リカ?どうかした?何かあった?」
『……うん、リナ、大学卒業してから、……浅野さんと連絡、取ってた?』
久しぶりに聞いた名前についドキッとしてしまう。
「浅野さん?何で?まったく連絡取ってないけど……」
これは嘘ではない。本当にあの日私の住むマンションの前で別れて以来、お互いに一度も連絡は取っていなかった。
『……今日、浅野さんと一緒にバンドやってた、青木さんから急に連絡が来て、浅野さんが、……亡くなったって……』
リカの声が涙で震えている。
自宅マンションがもうすぐそこだというのに、私はその場から動けなくなってしまった。
浅野さんが、亡くなった?
理解が追いつかない。
何で?どうして?何があったの?
電話越しにリカの泣いている声だけが聞こえる。
あの夜も雨が降っていた。
傘を奪われてこの道を二人で歩き、強引に部屋に上がり込まれた。
お酒を飲んで、レコードを聴いて、そして、降り止まない雨の音を聴きながら、抱き合った。
最後に会ったあの日の夜も、雨だった。
あのマンションの前で、見た事も無い優しい表情で私を見ていた。
あの時、浅野さんは私に何を伝えたかったんだろう、わからないまま……。
――エリナ、元気でな。
あれが、最後……?
もう、二度と、会えないの……?
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