29 / 76
6
1
澪と出会って、7年が経とうとしている真夏がやってきた。あのときの熱狂を思い出すような暑い太陽は沈んでも、まだまだ気温は下がりそうにない夜が続いている8月。
澪と付き合いだし早くも1ヶ月半になる。ようやく明日から夏休み。あれもこれも仕事を終わらせておこうと欲をかき、今日も盛大に残業してしまった。
「遅くなっちまったな」
マンションのエントランスで腕時計を確認すると22時を回っている。部屋の前に着きインターフォンを鳴らすと、しばらくして扉が開いた。
「いらっしゃい」
風呂上がりなのか、Tシャツにハーフパンツ姿で、肩にタオルを引っ掛けたまま澪は笑顔で言った。
「そこはおかえりって言ってほしいんだけどな」
俺も笑顔を返しながら言うと、照れ臭そうに頬を染め、「おかえり……」と小さく口にした。
「ん。ただいま」
こんなやりとりをしているが、ここに来るのは日曜の夜以来で、平日は来れていない。けれど、週末には泊まっていくようにはなった。
だからと言って、深い関係になったかと言うとそうではない。残念ながら、同じベッドで寝るだけの清い関係。自分でも驚くが、まだキス止まりだ。なんせ、付き合い始めて1週間目に初めてしたキスに、澪はガチガチに緊張していたから。
高校生相手にしてるみたいだよな
そう思いながらも、俺はそれなりに今の関係を楽しんでいた。
「ご飯はまだ食べてないのよね? 先にシャワー浴びてきたら?」
俺の前を進みながら澪は言う。さすがに駅からここまで歩いて来て汗だくだ。
それにしても、自分の家の風呂を異性に使わせるということがどんなことなのか、未だに澪にはわかっていないらしい。一番最初に言われたときは思わず「いいのか?」と尋ねた俺にキョトンとした顔で「いいわよ。シャワー浴びるくらい」と返ってきて、『これはわかってねぇなぁ』と肩を落としたのだ。
俺はさっさとシャワーを浴びると家から持ってきたTシャツとハーフパンツに着替える。ダイニングに向かうと、合わせたように食事が用意してあった。
「すっげぇ。今日も美味そう」
「おかずだけでいいよね。スープ入れてくるから座ってて」
「俺入れてくる。お前は飯食ったんだよな?」
「さすがにこの時間まで待てないもの」
「俺に合わせなくていいからな?」
そんな会話を繰り広げながらキッチンに入る。クッキングヒーターの上には、一緒に買いに行った鍋が乗っている。
買ったその日、『こんな高いもの貰えない』と難色を示す澪に俺は言った。
「これでうまいもん作ってくれるなら、それでお釣りが来る。それに、鍋見るたび俺を思い出すだろ?」
そう言うと、澪は渋々受け取ってくれたのだ。
かなり遅めの夕食を取りながら、俺は澪の話を聞く。だいたいいつもそうだ。
澪は普段誰にも会うことがなく、話し相手もいないのだろう。俺が行くとそれまでにあったことを嬉しそうに話してくれる。
最近は軽いジョギングを始めたらしく、気になる店を見つけたとか、散歩している犬が可愛かったとか、そんな話だ。楽しそうにしている顔を見て、俺は安心した。けれど、その気持ちが、もっと外に向かないのを心配していた。
「なあ。何かしたいこと、ないのか?」
まだ焦る必要はない。そう思いつつも、俺にしてやれることはないだろうかと考えてしまう。そんなことを思うのは烏滸がましいのかも知れないが。
「したいこと……?」
澪は首をかしげている。
「そう。なんでもいい。習い事でも、どっか行ってみたい、でも」
俺が尋ねると、澪はしばらく考えているようだった。俺はそれを気にしないふりをして目の前の飯を食べすすめた。
「浮かば……ないなぁ。自分が何をしたいのか、何ができるのかも、全然」
そう言ってテーブルに視線を落とし、澪は少し悲しげな表情を見せた。
「……そうか。何か浮かんだら教えてくれ。力になりたいし」
まだ引退して数ヶ月で、足の怪我も回復したばかりだ。浮かばないことのほうが当たり前なのだろう。
澪は顔を上げると「ありがとう」と力なく微笑んだ。
澪と付き合いだし早くも1ヶ月半になる。ようやく明日から夏休み。あれもこれも仕事を終わらせておこうと欲をかき、今日も盛大に残業してしまった。
「遅くなっちまったな」
マンションのエントランスで腕時計を確認すると22時を回っている。部屋の前に着きインターフォンを鳴らすと、しばらくして扉が開いた。
「いらっしゃい」
風呂上がりなのか、Tシャツにハーフパンツ姿で、肩にタオルを引っ掛けたまま澪は笑顔で言った。
「そこはおかえりって言ってほしいんだけどな」
俺も笑顔を返しながら言うと、照れ臭そうに頬を染め、「おかえり……」と小さく口にした。
「ん。ただいま」
こんなやりとりをしているが、ここに来るのは日曜の夜以来で、平日は来れていない。けれど、週末には泊まっていくようにはなった。
だからと言って、深い関係になったかと言うとそうではない。残念ながら、同じベッドで寝るだけの清い関係。自分でも驚くが、まだキス止まりだ。なんせ、付き合い始めて1週間目に初めてしたキスに、澪はガチガチに緊張していたから。
高校生相手にしてるみたいだよな
そう思いながらも、俺はそれなりに今の関係を楽しんでいた。
「ご飯はまだ食べてないのよね? 先にシャワー浴びてきたら?」
俺の前を進みながら澪は言う。さすがに駅からここまで歩いて来て汗だくだ。
それにしても、自分の家の風呂を異性に使わせるということがどんなことなのか、未だに澪にはわかっていないらしい。一番最初に言われたときは思わず「いいのか?」と尋ねた俺にキョトンとした顔で「いいわよ。シャワー浴びるくらい」と返ってきて、『これはわかってねぇなぁ』と肩を落としたのだ。
俺はさっさとシャワーを浴びると家から持ってきたTシャツとハーフパンツに着替える。ダイニングに向かうと、合わせたように食事が用意してあった。
「すっげぇ。今日も美味そう」
「おかずだけでいいよね。スープ入れてくるから座ってて」
「俺入れてくる。お前は飯食ったんだよな?」
「さすがにこの時間まで待てないもの」
「俺に合わせなくていいからな?」
そんな会話を繰り広げながらキッチンに入る。クッキングヒーターの上には、一緒に買いに行った鍋が乗っている。
買ったその日、『こんな高いもの貰えない』と難色を示す澪に俺は言った。
「これでうまいもん作ってくれるなら、それでお釣りが来る。それに、鍋見るたび俺を思い出すだろ?」
そう言うと、澪は渋々受け取ってくれたのだ。
かなり遅めの夕食を取りながら、俺は澪の話を聞く。だいたいいつもそうだ。
澪は普段誰にも会うことがなく、話し相手もいないのだろう。俺が行くとそれまでにあったことを嬉しそうに話してくれる。
最近は軽いジョギングを始めたらしく、気になる店を見つけたとか、散歩している犬が可愛かったとか、そんな話だ。楽しそうにしている顔を見て、俺は安心した。けれど、その気持ちが、もっと外に向かないのを心配していた。
「なあ。何かしたいこと、ないのか?」
まだ焦る必要はない。そう思いつつも、俺にしてやれることはないだろうかと考えてしまう。そんなことを思うのは烏滸がましいのかも知れないが。
「したいこと……?」
澪は首をかしげている。
「そう。なんでもいい。習い事でも、どっか行ってみたい、でも」
俺が尋ねると、澪はしばらく考えているようだった。俺はそれを気にしないふりをして目の前の飯を食べすすめた。
「浮かば……ないなぁ。自分が何をしたいのか、何ができるのかも、全然」
そう言ってテーブルに視線を落とし、澪は少し悲しげな表情を見せた。
「……そうか。何か浮かんだら教えてくれ。力になりたいし」
まだ引退して数ヶ月で、足の怪我も回復したばかりだ。浮かばないことのほうが当たり前なのだろう。
澪は顔を上げると「ありがとう」と力なく微笑んだ。
あなたにおすすめの小説
毎週金曜日、午後9時にホテルで
狭山雪菜
恋愛
柳瀬史恵は、輸入雑貨の通販会社の経理事務をしている28歳の女だ。
同期入社の内藤秋人は営業部のエースで、よく経費について喧嘩をしていた。そんな二人は犬猿の仲として社内でも有名だったけど、毎週金曜日になると二人の間には…?
不定期更新です。
こちらの作品は「小説家になろう」にも掲載しております。
今さらやり直しは出来ません
mock
恋愛
3年付き合った斉藤翔平からプロポーズを受けれるかもと心弾ませた小泉彩だったが、当日仕事でどうしても行けないと断りのメールが入り意気消沈してしまう。
落胆しつつ帰る道中、送り主である彼が見知らぬ女性と歩く姿を目撃し、いてもたってもいられず後を追うと二人はさっきまで自身が待っていたホテルへと入っていく。
そんなある日、夢に出てきた高木健人との再会を果たした彩の運命は少しずつ変わっていき……
4番目の許婚候補
富樫 聖夜
恋愛
愛美は家出をした従姉妹の舞の代わりに結婚することになるかも、と突然告げられた。どうも昔からの約束で従姉妹の中から誰かが嫁に行かないといけないらしい。順番からいえば4番目の許婚候補なので、よもや自分に回ってくることはないと安堵した愛美だったが、偶然にも就職先は例の許婚がいる会社。所属部署も同じになってしまい、何だかいろいろバレないようにヒヤヒヤする日々を送るハメになる。おまけに関わらないように距離を置いて接していたのに例の許婚――佐伯彰人――がどういうわけか愛美に大接近。4番目の許婚候補だってバレた!? それとも――? ラブコメです。――――アルファポリス様より書籍化されました。本編削除済みです。
俺様上司に今宵も激しく求められる。
藤白ましろ
恋愛
鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。
蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。
ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。
「おまえの顔、えっろい」
神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
**2026.01.02start~2026.01.17end**
◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です!
https://estar.jp/novels/26513389
【完結】曖昧な距離で愛している
山田森湖
恋愛
結婚4年目のアラサー夫婦、拓海と美咲。仲は悪くないが、ときめきは薄れ、日常は「作業」になっていた。夫には可愛い後輩が現れ、妻は昔の恋人と再会する。揺れる心、すれ違う想い。「恋人に戻りたい」――そう願った二人が辿り着いた答えは、意外なものだった。曖昧で、程よい距離。それが、私たちの愛の形。
会社のイケメン先輩がなぜか夜な夜な私のアパートにやって来る件について(※付き合っていません)
久留茶
恋愛
地味で陰キャでぽっちゃり体型の小森菜乃(24)は、会社の飲み会で女子一番人気のイケメン社員・五十嵐大和(26)を、ひょんなことから自分のアパートに泊めることに。
しかし五十嵐は表の顔とは別に、腹黒でひと癖もふた癖もある男だった。
「お前は俺の恋愛対象外。ヤル気も全く起きない安全地帯」
――酷い言葉に、菜乃は呆然。二度と関わるまいと決める。
なのに、それを境に彼は夜な夜な菜乃のもとへ現れるようになり……?
溺愛×性格に難ありの執着男子 × 冴えない自分から変身する健気ヒロイン。
王道と刺激が詰まったオフィスラブコメディ!
✽全28話完結
✽辛口で過激な発言あり。苦手な方はご注意ください。
✽他誌にも掲載中です。
✽2026.4/11 エブリスタ用に使用している表紙に変更しました。
→表紙はイラストをGrok タイトルをChatGPTでAI生成しています。
フッてくれてありがとう
nanahi
恋愛
【25th Anniversary CUP】にて、最終ランキング3位に入りました。投票してくださった皆様、読んでくださった皆様、ありがとうございました!
「子どもができたんだ」
ある冬の25日、突然、彼が私に告げた。
「誰の」
私の短い問いにあなたは、しばらく無言だった。
でも私は知っている。
大学生時代の元カノだ。
「じゃあ。元気で」
彼からは謝罪の一言さえなかった。
下を向き、私はひたすら涙を流した。
それから二年後、私は偶然、元彼と再会する。
過去とは全く変わった私と出会って、元彼はふたたび──