駆け引きから始まる、溺れるほどの甘い愛

玖羽 望月

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1.始まりの春

4.

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 ほどなくして、若草色の着物を着た女性たちが盆を携えてやって来た。それぞれが美しい所作で、運んできたものを配膳している。
 最初に置かれたのは、ワイングラスを小さくしたような、ガラス製の器。それには白酒しろざけが注がれていて、そのトロミのある液体の上には桃の花びらが散らしてあった。
 もう一つは先付け。長方形の小ぶりの焼き物の皿に、春らしい一品が少しずつ盛られている。菜の花やふきのとうの和物、桜鯛の昆布締めや筍の握りなど、どれも見た目は美しく、かなり手間がかかっていそうだ。
 料理が並び終わり、仲居さんたちが去ると、祖父はグラスを手に取った。

「では、乾杯するとしよう」

 そう言ってグラスを掲げた祖父に、自分と彼も続く。

「新たな出会いに。乾杯!」

 よく通る、張りのある声が部屋に響き、それに続いて私は控えめに「乾杯」と発声した。
 目の前の彼が、いったいどういう理由でここにいるのか。祖父の真意などわかりようもなく、いまだに戸惑っている。なのに当の本人は、微笑みを浮かべてグラスを掲げ、そしてそれを口に運んでいた。

「白酒など久しく口にしておらなんだが、これはこれで味わい深い。どうだい、竹篠君」

 祖父はちょうどグラスから唇を離した彼に尋ねる。彼は口角を緩く上げると「とても上品な味わいですね」と答えた。

(本当に思ってる?)

 無理しているんじゃないだろうか、とふと頭によぎる。
 どうしてそう思ったのかはわからない。なんとなくそう思ったのは、強がっているときのルークの顔を思い出したからなのかもしれない。

「恵舞はどうだい?」
「え? うん。おじいちゃ……お祖父様のおっしゃる通りですね」
 
 ついいつものように"おじいちゃん"と呼びかけて、言い直す。さすがに会ったばかりの人の面前で、素を曝け出すわけにはいかない。

「そうかそうか。では料理をいただこう。竹篠君は、箸は大丈夫だったかな? すまないね。君を気遣わず店を選んでしまって」
「とんでもない。むしろ本格的な日本食をいただけるなど、嬉しく思っております」

 ポカンとしながら、二人の奇妙な会話に聞き入る。彼はどこをどう見ても日本人なのに。
 箸を握ったまま静止している自分に、祖父は笑いながら説明を始めた。

「彼はニューヨーク在住でな。向こうで育ったんだそうだ」
「そう……なんですか? てっきり日本のかたかと。日本語もお上手ですし」

 もちろんアメリカで暮らす日系人は大勢いる。自分だってその一人だった。けれど、見た目は日本人でも、日本語を話せない人は珍しくない。
 自分が何の不自由もなく日本語を操れるのは、父が日本語言語学の教授で、幼い頃からみっちりと教育されてきたからだ。正直なところ、今でも英語で話すほうが楽だと思うことがあるくらい。

「ありがとうございます。お聞き苦しいこともあるかと思います。遠慮なくおっしゃってください」

 何の滞りもなくスラスラとしゃべる彼に多少引き攣りながら、「ええ」と返す。それからまた続けた。

「では、こちらにはご旅行か、ビジネスでいらしたんですか?」

 祖父と繋がりがあるとすれば、ビジネスの可能性は高い。アメリカに住む日本人ということで、同じ境遇だった自分に会わせたかっただけなのかも知れない。と言っても、自分が住んでいたのは、ニューヨークから車で三時間は離れている田舎だったのだが。

「ええ。ビジネスで」

 彼は口元だけで笑みを浮かべて答える。そしてそれに、祖父が横から付け加えた。

「彼はハワードで部長をしているくらい優秀な男なんだ。もちろん恵舞も知っておるだろう?」
「あの、アメリカの財閥系企業のハワードで?」

 日本にはすでに財閥というものは存在しない。だからこそ宮藤も、旧財閥系と言われている。けれどアメリカには今でも財閥はいくつかあり、アメリカ経済に大きな影響力を及ぼしている。
 ハワードと言えば、そのうちで三本の指に入るほどの大財閥だ。経営する企業も多岐に渡るが、金融系に強い。
 その大企業で部長、おそらくディレクターと呼ばれる立場だと思うが、三十代でその役職に就いているとなると、彼は言われるまでもなく、優秀な人物のはずだ。

「名前ばかりで、まだまだ精進が必要な身です」

 祖父に優秀と言われたからか、彼は見事なまでに謙遜してみせていた。
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