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3. 夏の兆しとめぐる想い
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「何が正解なんだろう……」
一人になったリビングのソファの上で、膝を抱えたまま転がると、勝手に言葉が口をつく。
あのあと依澄さんから別の話題を振られて、話しはそれに移った。きっと結婚のことが頭をよぎり、顔を強張らせた私を気を遣ってくれたのだろう。
しばらくして食事が終わると、片付けを無理矢理引き受けて、その間に依澄さんはシャワーを浴びてきてと、半ば強引にバスルームに押し込んだ。洗い物などそう多くなく、十分もしないうちに終わらせソファに座り込んだ。
静かになった途端、頭の中でグルグル考えてしまう。
(あと五才若かったら、躊躇いなくYESと言えたのかな……)
どうすることもできないのに、馬鹿げたことを考えてしまう。
いくら初恋の、大好きだった人と再会して、その思いが通じても、三十才を目前にした今となっては、押し寄せてくるのは理想ではなく現実。恋愛感情だけで、結婚する勢いなんて自分にはない。周りの友人や職場の人たちが、その現実に悩んでいるのをたくさん見てきたのだから。
結婚したての頃は惚気話ばかりだった友人の話が、いつのまにか旦那さんへの愚痴に変わっていたり、職場の先輩が育児休業から復帰したあと、思うように仕事と両立できないのが辛いと泣いていたり。
これまで仕事だと言い訳し続けて、家事を手伝うこともなく母に甘えてきた自分が、結婚して彼を支えていく自信なんてない。それに、竹篠家を継ぐつもりだということは、もちろん跡継ぎも必要ということだ。いまだ子どもみたいな自分に、子育てできるなんて到底思えない。
そんなことばかりが浮かんでは、溜め息が漏れた。
依澄さんが最初に言っていた『祖母に結婚するところを見せたい』は、偽りではないだろう。それに、残された時間が短いことも。
その夢を叶えてあげたいと思う反面、一歩踏み出せない自分がいる。ウジウジと考えていても何も変わらないのに、意気地のない自分が情けなくて、涙が出そうだ。
「――ああ、わかったよ」
廊下に通じるドアが開くと、依澄さんの声が聞こえて振り返る。Tシャツにハーフパンツ姿の彼は、まだ濡れた髪のままスマホを耳に当てていた。
「じゃ、明日な。恵舞もちゃんと連れて行くから。……うん。おやすみ」
歩きながらそう話すと、依澄さんは耳からスマホを離す。そのあと目が合うと、ニコリと笑った。
彼はスタスタと私の隣りまで来ると、そのまま腰を下ろしテーブルにスマホを置いた。
「今の、もしかして羽瑠ちゃん?」
「そう。恵舞に俺たちの関係を話したって、伝えるために電話したんだが……」
そこまで言うと、依澄さんは何故かガックリと肩を落として項垂れている。見事な落ち込みっぷりだ。
「物凄く叱られた……。まだ言ってなかったのか、信じられないって。あれはもう、罵倒に近いのかも知れない……」
「罵倒……? 羽瑠ちゃんが?」
いつも落ち着いていてクールな羽瑠ちゃんが、怒っているところなど見たことがない。ましてや人を罵倒するなんて。にわかには信じられず唖然としていると、彼は顔を上げた。
「羽瑠は滅多に怒らないが、怒ると相当怖いんだ……」
過去にそんな出来事があったのか、依澄さんはウンザリした表情だ。けれど取り繕うことのない、自然な彼の表情に顔が緩む。また一つ、知らない依澄さんが見られて嬉しいし、そのギャップに胸がときめいてしまう。なんて、本気で落ち込んでいる彼には言えないが。
「まあ……怒らせたのは、依澄さんですからね」
あえて明るく揶揄うように笑うと、彼は決まり悪そうに苦笑いを浮かべる。
「そう言われると、返す言葉も無いな。羽瑠からも謝りたいって。それから俺たちに、話したいことがあるって。明日会うことになったんだが、よかったか?」
「羽瑠ちゃんったら。謝らなくてもいいのに。でも……話したいことって、なんだろう? 心あたりはあるんですか?」
「いや? 恵舞もないのか。なんだろうな」
首を振ったあと彼は考え込むが、思いつかないようだ。
「会えばわかるか。それより明日、どこか行きたいところは? なければ行きたい美術展があって。付き合ってくれると嬉しいんだが」
そう言うと依澄さんはスマホを手に取り画面に指を滑らせる。そのあと私に寄り添うように座り直すと、その画面を差し出した。スマホを受け取り画面を覗き込む。画面には、大波が描かれた有名な浮世絵が表示されていた。
「前から興味があって、見てみたかったんだが機会がなくて。無理にとは言わないけど」
下を向いて画面を見る私の横顔を、彼の低い声が撫でる。わざとではないのだろうが、急に距離が近くなり否が応でも意識してしまう。
「私も間近では見たことないので、行ってみたいです」
画面に言い聞かせるように下を向いたまま答える。
「じゃあ……。そう、しようか」
囁くように返ってきた言葉は耳を撫で、同時に楽しむような笑い声も届いていた。
一人になったリビングのソファの上で、膝を抱えたまま転がると、勝手に言葉が口をつく。
あのあと依澄さんから別の話題を振られて、話しはそれに移った。きっと結婚のことが頭をよぎり、顔を強張らせた私を気を遣ってくれたのだろう。
しばらくして食事が終わると、片付けを無理矢理引き受けて、その間に依澄さんはシャワーを浴びてきてと、半ば強引にバスルームに押し込んだ。洗い物などそう多くなく、十分もしないうちに終わらせソファに座り込んだ。
静かになった途端、頭の中でグルグル考えてしまう。
(あと五才若かったら、躊躇いなくYESと言えたのかな……)
どうすることもできないのに、馬鹿げたことを考えてしまう。
いくら初恋の、大好きだった人と再会して、その思いが通じても、三十才を目前にした今となっては、押し寄せてくるのは理想ではなく現実。恋愛感情だけで、結婚する勢いなんて自分にはない。周りの友人や職場の人たちが、その現実に悩んでいるのをたくさん見てきたのだから。
結婚したての頃は惚気話ばかりだった友人の話が、いつのまにか旦那さんへの愚痴に変わっていたり、職場の先輩が育児休業から復帰したあと、思うように仕事と両立できないのが辛いと泣いていたり。
これまで仕事だと言い訳し続けて、家事を手伝うこともなく母に甘えてきた自分が、結婚して彼を支えていく自信なんてない。それに、竹篠家を継ぐつもりだということは、もちろん跡継ぎも必要ということだ。いまだ子どもみたいな自分に、子育てできるなんて到底思えない。
そんなことばかりが浮かんでは、溜め息が漏れた。
依澄さんが最初に言っていた『祖母に結婚するところを見せたい』は、偽りではないだろう。それに、残された時間が短いことも。
その夢を叶えてあげたいと思う反面、一歩踏み出せない自分がいる。ウジウジと考えていても何も変わらないのに、意気地のない自分が情けなくて、涙が出そうだ。
「――ああ、わかったよ」
廊下に通じるドアが開くと、依澄さんの声が聞こえて振り返る。Tシャツにハーフパンツ姿の彼は、まだ濡れた髪のままスマホを耳に当てていた。
「じゃ、明日な。恵舞もちゃんと連れて行くから。……うん。おやすみ」
歩きながらそう話すと、依澄さんは耳からスマホを離す。そのあと目が合うと、ニコリと笑った。
彼はスタスタと私の隣りまで来ると、そのまま腰を下ろしテーブルにスマホを置いた。
「今の、もしかして羽瑠ちゃん?」
「そう。恵舞に俺たちの関係を話したって、伝えるために電話したんだが……」
そこまで言うと、依澄さんは何故かガックリと肩を落として項垂れている。見事な落ち込みっぷりだ。
「物凄く叱られた……。まだ言ってなかったのか、信じられないって。あれはもう、罵倒に近いのかも知れない……」
「罵倒……? 羽瑠ちゃんが?」
いつも落ち着いていてクールな羽瑠ちゃんが、怒っているところなど見たことがない。ましてや人を罵倒するなんて。にわかには信じられず唖然としていると、彼は顔を上げた。
「羽瑠は滅多に怒らないが、怒ると相当怖いんだ……」
過去にそんな出来事があったのか、依澄さんはウンザリした表情だ。けれど取り繕うことのない、自然な彼の表情に顔が緩む。また一つ、知らない依澄さんが見られて嬉しいし、そのギャップに胸がときめいてしまう。なんて、本気で落ち込んでいる彼には言えないが。
「まあ……怒らせたのは、依澄さんですからね」
あえて明るく揶揄うように笑うと、彼は決まり悪そうに苦笑いを浮かべる。
「そう言われると、返す言葉も無いな。羽瑠からも謝りたいって。それから俺たちに、話したいことがあるって。明日会うことになったんだが、よかったか?」
「羽瑠ちゃんったら。謝らなくてもいいのに。でも……話したいことって、なんだろう? 心あたりはあるんですか?」
「いや? 恵舞もないのか。なんだろうな」
首を振ったあと彼は考え込むが、思いつかないようだ。
「会えばわかるか。それより明日、どこか行きたいところは? なければ行きたい美術展があって。付き合ってくれると嬉しいんだが」
そう言うと依澄さんはスマホを手に取り画面に指を滑らせる。そのあと私に寄り添うように座り直すと、その画面を差し出した。スマホを受け取り画面を覗き込む。画面には、大波が描かれた有名な浮世絵が表示されていた。
「前から興味があって、見てみたかったんだが機会がなくて。無理にとは言わないけど」
下を向いて画面を見る私の横顔を、彼の低い声が撫でる。わざとではないのだろうが、急に距離が近くなり否が応でも意識してしまう。
「私も間近では見たことないので、行ってみたいです」
画面に言い聞かせるように下を向いたまま答える。
「じゃあ……。そう、しようか」
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