天使に出会った日

玖羽 望月

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9月に入るとすぐ、フランスへ行く日がやって来た。

真新しいスーツケースの前で何を入れたらいいのか悩んでいた俺に、香緒さんは向こうの気候や持って行ったら役に立ちそうなものを教えてくれた。
昨日、一緒に荷造りしながら香緒さんは「まあ、最悪パスポートさえあれば大丈夫」と笑っていた。

──そして今日

「ありがとう!希海、響」
 
1ヶ月前にやって来た空港の、搭乗ゲートの前まで見送ってくれた希海さんと響に香緒さんが声をかける。深夜便なので遅い時間なのに、わざわざ車を出してくれたのだ。

「あぁ、気を付けて行って来い。修志しゅうじさんと祥子しょうこさんによろしく伝えてくれ」
「わかった!響は武琉のいない間もちゃんとご飯食べるんだよ?」
「ったく、香緒は俺のお袋か?心配しなくても毎日希海に奢ってもらうから大丈夫!」

なんて会話を交わしているのを見ていた俺の両肩に希海さんが手を乗せた。そして、ふっと笑うと「気楽に楽しんで来い」と俺に言った。すでに緊張でガチガチになっていたのはお見通しだったようだ。それを見た響が、俺に近づいて来たかと思うと、唐突に頬を両方引っ張った。

「なーに、らしくない顔してんだよ」

悪戯っ子の様な笑顔でそう言うと手を離す。

「……お土産。楽しみにしててくれ」

ようやく肩の力が抜け、笑顔で響にそう言うと、「当たり前だっつーの!」と返された。

「じゃあ、行ってくるね!」

香緒さんのその言葉を合図に俺達はスーツケースに手を掛けると、ゲートに向かった。


◆◆


「大丈夫?」

パリまでのフライト時間は約12時間。国内でさえまともに旅行したことのない俺が、いきなりの海外で初飛行機。

案内された席の豪華さに驚きつつ、離陸にビクビクし、出された機内食がこれまた豪華で突然別世界にやって来た様な気持ちになりながら過ごす。

寝てる時間が長い方がいいからと深夜便にしたそうだが、気持ちが高揚しすぎて最初は全く眠くならなかった。途中からウトウトしつつも何度か目が覚めて、その度に隣で眠る香緒さんの寝顔が目に入った。ようやく眠りにつけた……と思ったら、軽食の時間になり目が覚めた。

そんな風に過ごしたおかげで、かなりの寝不足。しかも、半日飛行機に乗っていたのに、降りたった空港はまだ早朝で、気持ちも付いてこない。荷物を受け取り、ヨロヨロしながら到着ゲートを通過したのだった。

「大丈夫、って言いたいけど、結構ます……」

俺のこの姿とは反対に、香緒さんはいつもと同じような涼しげな顔をしている。

「香緒さんは平気そうですね」
「うーん。さすがに子供の頃から乗ってるからね」

そう言うと香緒さんは、蹲りそうになっている俺の背中をさすってくれた。

時間も時間なので、人影はまばらだ。そこら中に書かれている案内板の表示が、ここが日本じゃない事を実感させた。

「タクシー乗るけど、歩ける?」

そう言って香緒さんは俺の顔を覗き込んだ。

「はっ!情けねーなぁ」

急に頭上から聞き慣れた日本語が聞こえ、2人同時に顔を上げる。

楽しげに笑いながら、軽く手を上げその人は言う。

「よぉ。待ってたぜ。香緒」
「司⁉︎」
「司さん⁈」

息を合わせたように、俺達はその人の名を呼んだ。
もの凄く楽しいものを見た、と言う感じで司さんは声を噛み殺して笑っている。多分、いや絶対俺の姿を見て笑っている。

「迎えに来たぞ」

俺達に近づいて、司さんはそう言う。

「司……。来てたの?」

香緒さんも知らなかったようでかなり驚いている。

「日本に戻るから挨拶まわりにな。時期が被ったのは偶然だ。と言っても、香緒がこの便で帰るってのは祥子さんから聞いたんだけどな」

穏やかな口調で香緒さんに言うと、司さんは香緒さんの頭を撫でる。

「家に行ったの?どう言う風の吹き回し?」
「別にいいだろ。ついでだ」

バツの悪そうな顔をしながら司さんは答えつつ、俺の方を向く。

「にしても……お前。ひっでー顔!ほら、朝飯食いに行くから付き合え」

有無を言わさず俺からスーツケースを引ったくると、司さんはそのまま出口の方に向かって歩いて行ってしまう。

「行こうか」

香緒さんは半ば呆れるような顔つきで俺に声をかけ、そのあとに続いた。 


◆◆


「この時間もやってる店あっただろ?あれどこだ?」

司さんは、車を運転しながら助手席に座る香緒さんに話しかけている。俺は香緒さんに『ちょっとでも横になってたほうがいいよ』と後部座席に押し込まれ、言われた通りに横になっていた。
横になったまま前を見上げると、司さんと店の場所をあれこれ話している香緒さんの横顔が見える。
不思議とその会話に変な嫉妬心などは生まれない。まるで希海さんといる時のように自然な表情の香緒さんを見て、本来ならこの2人の間に流れる空気はこんな感じなんだなと思わせた。


いつの間にか眠っていて、車が停まったことに気づかなかった。後部座席のドアが開く気配がして、俺は目を覚ました。

「ほら。着いたぞ。大丈夫か?お前」

そう司さんに声を掛けられる。

「……はい」

前に会った時はあんなに敵意剥き出しな感じだったのに、まるで親しい間柄みたいな雰囲気を醸し出す司さんに、俺は戸惑うばかりだった。
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