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1‐1:御浪荘
に
しおりを挟むどうにかこうにかファンデーションまでやり終え、きっちりと身支度を終えた羽奈は、トクトクと高鳴る鼓動をおさえ、部屋を出た。
これから始まる新しい生活、仕事、それから初めて自分でしたメイクに、本の少しの緊張感。
これまでの学校生活とは違った、仕事という未知の生活に、羽奈小さな不安を抱きながらも、確かにわくわくしていた。
リビングには、珍しく父親の姿があった。
「……あ、お父さん。おはようございます」
「あぁ、おはよう」
目を丸くして慌てて挨拶をする羽奈を、父親はチラリと見やり、すぐに新聞に視線を戻した。
「……今日からか」
「、はい」
「そうか」
不意に話しかけられ、羽奈は一瞬詰まり、慌てて返事をした。
滅多に父親から話しかけられることがなかった為、先程までとは違った意味で胸がなる。
「もう荷物はすべて運んであるのか?」
「はい。必要なものはぜんぶ、一昨日送りました」
「そうか」
「はい」
父親の視線は相変わらず新聞の上で、羽奈を見ることはない。
自然と握りしめていた掌に、じんわりと汗が滲む。
「…………せっかく就職できたんだ。しっかり勤めなさい」
「っはい! 精一杯働きます。ここまで育ててくれて、ありがとうございました」
素っ気なく投げられた言葉。
しかし羽奈は、父親のくれたその言葉にほんのりと頬を上気させた。
あまり家族というものに関心を見せない父親。そんな父親がくれたその言葉は、羽奈にとって激励の言葉だった。
羽奈は今日から、会社の寮で生活する。その場所は家からかなり遠く、気軽に帰ることはできない。
そんな羽奈に、父親が言葉をくれた。
羽奈が家を出る日に、家にいてくれた。
その事が羽奈の胸を熱くし、頬を染めた。
もう父親の関心は、ひと欠片も羽奈に向いていないのだろう。新聞を読むその背中は、いつもの誰も寄せ付けないオーラを放っている。
しかしそれでも、羽奈は父親の背中に向かって頭を下げた。
今までの感謝を込めて。
その後、ひとり素早く簡単な朝食を済ませた羽奈は、最終確認を終えて家を出た。
もちろん父親は見送りに出てこなかった。
しかし羽奈はそれでも良かった。父親への挨拶は、先程しっかりできたから。
「今までありがとうございました」
閉まった玄関の戸の前で、ひとり呟く。「いってきます」ではなく、これまでの感謝を。
きっともう、ここに帰ってくることはないだろうから。
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