路地裏ポストの三匹便 —ミスケ・あんこ・源さん—

あき

文字の大きさ
5 / 12
3匹の不思議な猫

第5話:夏祭り、金魚と約束の糸

しおりを挟む
路地裏ポストの内側に、細い糸がいくつも張り渡されていた。
赤、藍、金——月の光を吸った色が、紙の通路に縫い目をつくる。

「糸の匂いがする。糊と綿と、指先の汗」ミスケがひげを震わせた。

「それと、水の匂い。小さな鱗の光も」
あんこが耳を立てる。

「祭りだ」
源さんが尾を高く掲げる。

「屋台の油、綿菓子、火のはしっこ」
投函口の奥から、一枚の短冊がふわりと落ちた。
拙い字が踊っている——

『金魚を返したい。でも、約束は返したくない』
角には小さな赤い糸が結ばれている。
端には、金魚のシルエット。

「“返すのはもの。残すのは気持ち”って匂い」
あんこが短冊を撫でる。「持ち主は?」

「浴衣の糊、シャンプーに少し潮の匂い……神社の参道。今夜の夏祭りだ」
ミスケが顔を上げる。

三匹が抜け出すと、神社の石段は提灯の色に温まっていた。
射的のコルク、焼きとうもろこしの醤油、遠くで太鼓。
境内の片側に、金魚すくいの水槽が連なっている。
水面がうすい月を砕き、紙のポイが花びらみたいにほどけた。

「見て」
ミスケが指差した先に、ビニール袋が吊るされていた。口元は赤い糸で結ばれ、糸の先に小さな紙片。

『明日、町を出ます。ごめん。代わりに、金魚を美羽(みわ)に渡してください。——空(そら)』

源さんが鼻先で袋をそっとつつく。
袋の中で、白い尾をもつ金魚が小さく輪を描いた。

「この子は“預けられてる”」あんこが囁く。
「でも、最後に渡すのは、ここじゃない」

屋台の主は、麦わらをかぶった年配の男だった。
「さっき、小さな子が来てな。『友だちに渡したいけど、予定が合わないから』って言って、糸を結んでいった」
男は目尻を細めた。

「受け取りに来る子は、美羽ちゃんか。あ……ほら」
浴衣の裾を持ち上げて、女の子が人波を泳いでくる。
髪には藍のリボン。
手首には、ほどけかけた青いミサンガ。

「美羽だ」ミスケがつぶやく。
美羽は屋台の前で立ち止まり、周りを見回した。

「空ちゃん、来てない……?」
口の中で、小さく名前を呼ぶ。
返事のかわりに、太鼓が空気を震わせる。

三匹は顔を見合わせた。
「“最後の一歩”は、きっと電話だ」
源さんがポイの紙をつつき、紙片をちいさく揺らす。

「でも、番号がない」
あんこが紙片を覗き込む。

「匂いの糸を辿ろう」
ミスケが金魚袋の赤い糸をそっと引いた。

赤い糸の先は、境内の奥——輪投げの脇をくぐり、神楽殿の裏手、石のベンチへ。
そこに、公衆電話があった。今ではめったに使われない、緑色の箱。
受話器の横に、小さな指で押しつぶしたようなメモが貼ってある。

『市場前・金魚屋のオジサンに預けたよ。受け取ったら電話して。——空』
数字が並んでいた。

「これなら、かけられる」あんこが目を細める。「でも、押すのは美羽ちゃん」
三匹は駆けもどり、美羽の足元で赤い糸をころころ転がした。
女の子が気づき、しゃがみ込む。

「……この糸、空ちゃんの?」
屋台の男が袋をそっと外し、紙片を示した。
「預かりものだよ。あの子、明日には出るって」
美羽は唇を嚙んだ。
糸の先の数字を見つめ、そして顔を上げる。
「電話、してみます」
神楽殿の裏手は、祭りの喧騒が少し遠い。
受話器は冷たく、指先は熱かった。

プルル、プルル。
『……もしもし』
少し息の弾む声。空の声だ。
「美羽だよ。金魚、受け取った。……ありがとう。どうして、言わなかったの」
『言ったら、泣いちゃうと思って』
「わたしだって、泣くけど、笑うよ」
沈黙が、月の光みたいに薄く伸びた。

『花火、始まるね』空の声が、すこし明るくなる。『いっしょに見るって約束、今日は……電話で、どう?』
「うん。カウントしよう」
ふたりは受話器を耳に押し当てたまま、空を見上げた。

ドン。
夜が一瞬白くなり、赤い火花が零れる。

「一つ目。……二つ目」
数える声が、糸の上を行き来した。

受話器の線と、赤い糸と、空の道が、ひとつに重なる。
美羽は金魚袋を胸に抱き、笑った。

「この子、名前は“約束”にする」
『じゃあ、わたしは“糸”にする』
「切れない糸に、なるといいね」
『切れても、結び直せるよ』
ふたりの声が、火の尾を追い越していく。

通話の後、美羽は屋台に戻り、男に深く頭を下げた。
「ありがとうございました。これ、空ちゃんに言ってください。……わたし、来年もここで待ってるって」

男は頷き、空に向けるみたいに笑った。
「伝えるよ。糸は、伸びても切れない」

境内の隅で、三匹は涼しい石に腹をつけて座った。
「配達、成功だね」
源さんが尻尾をゆっくり振る。

「わたしたち、何を配達したんだろう」
あんこが金魚袋の赤い糸を見つめる。

「声の橋」
ミスケが答えた。
「遠くなる前に渡す、一本の橋」

花火の終わり際、最後の大輪がほどけかけたとき、風がすっと方向を変えた。
屋台の端で、古い地図が一枚、提灯の風に揺れている。
参道から商店街へ続く細道が赤鉛筆で太くなぞられ、横に小さな書き込み


——『まっすぐじゃなくていい道』。

「地図の匂い。紙と鉛筆、汗の塩。……“遠回り”のにおいもする」
あんこが鼻をすん、と鳴らす。

「次は地図だ」
源さんが立ち上がる。

「ふたりの地図と、遠回りの道」
ミスケが空を見上げる。


最後の余韻が夜に溶け、屋台の明かりが一つずつ消えていった。
赤い糸は、金魚袋の口で小さく揺れ、祭りの終わりを見送っていた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

側妃契約は満了しました。

夢草 蝶
恋愛
 婚約者である王太子から、別の女性を正妃にするから、側妃となって自分達の仕事をしろ。  そのような申し出を受け入れてから、五年の時が経ちました。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

処理中です...