簒奪女王と隔絶の果て

紺乃 安

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ノア王の心裏

王の旧友、王の過去 2

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「大丈夫ですか? 顔色悪いですよ」
「ええ……ちょっと、疲れているだけ」
 アリサが言うほど血色が悪いわけではないのだが、目の下のがやつれた印象を与える。ノア王のスパイスティーには、疲れを取る効果はなかったらしい。
「ランバンデッドに戻ったら、すこしまとまった休みを取りましょう」
「そうね……そうするわ」
 馬が唇をふるわせ、ゆっくりと歩みを止めた。馬から降りたルーデルスが馬車の扉を開け、ベアトリスが姿を見せる。唐草からくさ模様の装飾がほどこされた鉄格子の門扉もんぴの前には、身なりのよい初老の使用人がふたり、ベアトリスの到着を待ち受けていた。
「ベアトリス・ローセンダール様、お待ちしておりました」
 ベアトリスは会釈えしゃくを返し、使用人たちがうやうやしく頭を下げる。それが合図になったように、両開きの鉄門がきしむ音を立てながら開いた。門の先にはよく手入れされた庭園と石畳の道が続き、ずいぶん向こうに、窓がいくつあるのか数えるのも億劫おっくうな、ノルデンフェルトの大豪邸がそびえ建っている。
 おとなが十人は並んで通れそうなほど幅の広い玄関の前で、ベアトリスは馬車から降りた。広々こうこうたるノルデンフェルト邸に比べると、グラディスにあるベアトリスの生家は四分の一ほどの大きさもないだろう。権勢においてノルデンフェルト家に劣るわけではないが、グラディス・ローセンダール家は新興勢力である。歴代の大貴族であるノルデンフェルト家とは、邸宅の規模などは歴然の差があった。
 ベアトリスが屋敷の上階を見上げると、ちょうど彼女を見下ろす視線があった。髪を後頭部で束ねた仕事着姿の若い女が、三階の窓から身を乗り出してベアトリスを見下ろしている。女はにこやかに手をふると、窓の奥へ消えた。
「なにあれ。使用人のくせに、主公しゅこう様にずいぶんな態度!」
「使用人……ですかね? あの仕事着、画家などが着るスモックのような……」
「申し訳ありません、あの方が、当家のダニエラお嬢様です」
 ノルデンフェルト家の使用人が、白髪の頭を深々と下げた。
「今のが……」
「知っておいでですか?」
「昔、少しね」
 ダニエラ・ノルデンフェルトの名に、ベアトリスは聞き覚えがあった。

 四年前までノルドグレーンに存在した役職、神聖守護斎姫さいき――名前だけは荘厳そうごんなこの役職には、主としてリードホルムの権門に属する若い女性が任ぜられる。政治的な発言力や宗教的権威があるわけでもなく、実質としては人質に過ぎない。
 ダニエラはその守護斎姫として、六年ものあいだノルドグレーンに囚われていた。だが四年前、ジュニエスの戦いの直前に幽閉ゆうへい先から姿を消した。ノルドグレーン軍部の一派から、見せしめにダニエラを処刑するという声が上がっており、それを回避するための脱走だった。
 ほんらい守護斎姫の任期は四年であり、それを二年も過ぎて不当に拘禁こうきんしていたノルドグレーン側としては、正面からの非難もできない。また戦後、守護斎姫の実態を知った国内の有力者や議員からの批判も相次いだ。守護斎姫という役職は歴史の恥部ちぶ隠蔽いんぺいするように、結局そのまま廃止の運びとなる。そうしてノルデンフェルト侯爵家の長女ダニエラは、最後の守護斎姫となった。その非人道的な役職を、廃止の直前まで問題として認識できていなかったベアトリスは、怒りとともに慙愧ざんきの念を覚えるのだった。
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