簒奪女王と隔絶の果て

紺乃 安

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簒奪女王

王城の炎 4

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 ベアトリスは寝間着ねまきのまま部屋の外におどり出た。回廊かいろうの手すりから身を乗り出すと、兵士らしい者が木桶きおけなどを抱え、早足で中庭を行き来する姿が散見される。兵士たちの行き先、二階の一角がとくに騒がしい。
 ここからは見えない炎に照らされたように、ベアトリスの菫青石アイオライトの瞳が輝きを帯びた。
 城内の様子を認めたベアトリスは、すぐさま部屋に舞い戻った。手近にあった髪留めで後ろ髪を束ね、その上からガウンを羽織る。そしてテーブルの上の水差しを手に取り、湯浴ゆあみをするようにその身に水を浴びせかけた。
主公しゅこう様、何を!?」
「ノア様の身になにかあってからでは遅いのよ」
「行かれるのですか……」
「背中を頼むわよ、オラシオ!」
 ベアトリスはベッドのそばの引き出しを開け、短銃を手に取った。
 有無を言わさぬ様相のベアトリスに、アルバレスはあきらめたように立ち上がった。ベアトリスが行って解決するものでもないが、だからと言って、止めても聞き入れる情態ではない。部屋の扉を開けっ放しにしたまま、ベアトリスは駆け出した。

 三日前の――エイデシュテットの名を出したがために中断してしまった――夕食以来、ベアトリスとノアの間柄はまだ修復されていなかった。二人とも政務に忙殺ぼうさつされ、その忙しさが気まずさを押し流し、ついに今日の事態を迎えてしまっている。その間は顔を合わせても、ベアトリスの側だけが妙に気おくれして、よそよそしいあいさつをするばかりだった。
 このまま永遠に別れるなんて、絶対に嫌。――その一心が、今のベアトリスを突き動かしていた。

 ノア王の私室の周りには火の手は迫っていなかった。この一帯はひときわ警備が厳重で、ラーシュ率いる後宮の徒党ととうも、油を撒くために近づくことができなかったのだ。
 今、王の私室の扉を守っているのは、たった二人の衛兵だけだった。火に囲まれたこの状況でさらなる襲撃に備えるより、安全確認と避難路確保を優先して衛兵たちは走り回っていたのだ。そうした警備の裏をかいて、ラーシュたちはノアにもうすぐ手が届くところまで迫っていた。
 暗闇の中から浮き上がるように姿を現したラーシュが、わざとらしく衛兵に問うた。
「ここが、ノア様の居室でございますね?」
「なんだお前らは!」
 背後に控える女たちが持つ松明たいまつの明かりで、ラーシュの顔は逆光にかげっている。扉の両側に立つ二人の衛兵は、立入禁止だとばかりに互いの槍を交差させた。
「何者だと聞いている!」
 ラーシュは返答せず、ただ人形のような顔を歪めて不気味な微笑ほほえみを浮かべている。衛兵たちにはその口元だけが見えていた。ラーシュはこの衛兵たちの顔を知っており、多少の立ち話をしたこともある。だがそんなささやかなよしみも、ラーシュの心に憐憫れんびんの情を呼び起こすことはなかった。
「……さあ、やれ!」
 ラーシュがそう呼びかけると、松明のさらに後ろにいた女が衛兵に水差しの瓶を投げつけた。衛兵は前腕を振って水差しを払いのけたが、薄い陶器の瓶が割れ、中の液体を頭からかぶることになった。床に撒かれていたのと同じ、亜麻仁あまに油だ。
「なんのつもりだ!?」
 それに続いて、油まみれの衛兵に松明が投げつけられた。
 燃え移った火が瞬く間に衛兵の身体を包み込む。二人の衛兵は悲鳴と呼ぶのも生やさしいほどの叫び声を上げて、しばらく床を転げまわっていた。
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