30 / 247
過去編・夜へ続く道
3 ノルドグレーン神聖守護斎姫 2
しおりを挟む
「仔細は卿らで決めるがよい。今日はチェンバロの演奏家を招いているのでな。はるばるノルドグレーンから来たマルムフォーシュ楽団の者だそうだ」
城内の別の場所、窓に鎧戸を下ろした談話室で、ノアとアウグスティン、エイデシュテット宰相、国王の外戚であるノルデンフェルト侯爵とその従者が卓を囲んでいる。ヴィルヘルム三世はたったいま退出した。
この部屋では、ノルドグレーン神聖守護斎姫の人選について話し合いが持たれていた。
この名前だけは荘厳な役職は、リードホルム王家に連なる未婚の娘にのみ課せられる、国家が差し出す人質兼祭典のお飾りである。予定通りであれば、すでにリースベットが正式に王命を受け、リードホルム王国を出発していたはずだった。
「父上ものんきなものだ……まあいい、我々だけでことを進めよとの仰せだ。御意に添おうではないか。エイデシュテット」
「はい。次期ノルドグレーン神聖守護斎姫の任、当初の予定通りリースベット様に務めていただくことになるが、その年限は通例通り四年と……」
「お待ちください」
席について以来、無言のまま手を組んでいたノアが口を開いた。
「ほう、なにか思うところがあるか、ノア。申してみよ」
「リースベットは一度、自裁までしてその任を厭うたのです。そのような者を再度任じたとノルドグレーン側に知れれば、軽侮の行いとも取られかねますまい」
「いらぬ心配だノア王子。そのことは他言せぬよう、関係者には王命してあるのだ」
エイデシュテットとアウグスティンが目を合わせ、わずかに口の端を釣り上げた。
「しかし……もし彼の国においてリースベットが再び命を断つようなことがあれば、両国関係に悪影響も大きいでしょう」
「その時はその時……我が国がそれなりの代価を払っているのは、お前も知っているだろう。過去に例がなかったわけでもないしな」
「……いかに王たらんとする身とはいえ、無慈悲がすぎるではないか兄上! 血を分けた妹の心、今少し案じてはいかがか!」
冷静に意見を発し続けていたノアだったが、ここに至って椅子から立ち上がり語気を荒げた。ノルドグレーンで高度な教育を受けたとは言え、まだ十七歳の若者なのだ。
「落ち着け、ことはそう単純ではないのだ」
「左様です、ノア様。リースベット様が拒否されるのであれば、守護斎姫の任はフリーダ様か、あるいは、そこなノルデンフェルト侯爵のご令嬢をもって任ずることになりますぞ」
矛先を向けられた肥満体の貴族は椅子から立ち上がり、とくにアウグスティンに懇願するように口上を述べた。
「どうかお願いでございます。ダニエラはカッセル王国のエーベルゴード家との縁談も進み、当家の浮沈がかかった身なのです。成婚のあかつきには、国庫への上納もいっそう増やせるものと……」
「聞いたかノアよ。あまり無慈悲な物言いをするものではない」
「エーベルゴード家はカッセル屈指の名門、両国関係修繕の橋渡し役となってくれましょう。ダニエラ嬢はリードホルムにとって極めて重要な方なのです」
「さ、左様にございますれば……」
「誰かがやらねばならんのだ、ノアよ。リースベットのわがままを容れれば、他のものが余波を被るということが分からんか」
「ノルドグレーンのマンネルヘイム外務次官補には、もう半月以上もオルヘスタルにてお待ちいただいておるしな」
ノアは最大限、アウグスティンたちの理路に沿って意見を述べたつもりだった。だが他者の犠牲から目を逸らしてまで、己のエゴを貫くことはできない。それでもなお食い下がるためには、議論の水準を変える必要があった。
「……ではいっそ、これを機にノルドグレーン神聖守護斎姫の地位そのものを見直されてはいかがですか。屈辱的な扱いを受けているからこそ誰もが忌避し、命を断つものまで出るのです」
「それは……」
アウグスティンとエイデシュテットの顔色が変わり、互いに眉をひそめて顔を見合わせている。
「それは素晴らしい考えでございます。いつまでも不当な扱いに甘んじている必要もありますまい」
「いや……ノルデンフェルト侯爵、それは我らの権を越えている、そうだなエイデシュテット。父上に同席していただかなければ決めかねる議題であろう」
「ヴィルヘルム三世陛下不在では、熟議もできますまい。フォッシェル典礼省長官はじめ、より多くの者に同席を求めませんとな」
「確かに……今から呼び戻しては、陛下のご機嫌を損ねてしまいますな。しかしさすがノア様、十七歳とは思えぬ見識でございます」
アウグスティンが横目で睨んだが、ノルデンフェルト侯爵は気付いていない。
「ならば今日は結論を繰り延べ、関係者を集めて改めて会議を開くべきでしょう」
「それはなりませぬ。リースベット様は出立直前の急病、ということでノルドグレーン側にはお待ちいただいているです。あのとおり快癒している以上、さらなる延期はあらぬ疑いを生みます」
「ノアよ、お前はまだ若く、国に戻って日も浅い。リードホルムのことを知らんのだ。……見直しの話自体は、日を改めて関係者に参集願うとしよう」
「その折には、当家も力添えさせていただきますぞ」
半年前に留学という名の人質生活から戻ったばかりのノアの意見を、アウグスティンは愚弄するように切って捨てた。
このノアの奮戦に唯一戦果があったとすれば、ノルデンフェルト侯爵に今とは違う未来図を見せたことだ。
「出立は所定どおり、七日後でよろしいですかな」
「うむ。段取りは宰相に一任する」
「それと、四日後に春宵の夜祭があります。そちらの祝賀行列にリースベット様も参加せよ、とヴィルヘルム三世陛下の仰せでしたな」
ノアは歯噛みし、内心で妹に詫びていた。
「しかし、父上に再び勅書を書いてもらわねばならぬか。骨が折れるな」
「それならば今が好機でございましょう。チェンバロ奏者がひどい演奏をしていなければ、ですが……」
「構わぬ。わたしが直接伝える」
「ほう。殊勝なことだな」
ノアは憮然と椅子から立ち上がり、誰の顔も見ずに部屋を出た。
城内の別の場所、窓に鎧戸を下ろした談話室で、ノアとアウグスティン、エイデシュテット宰相、国王の外戚であるノルデンフェルト侯爵とその従者が卓を囲んでいる。ヴィルヘルム三世はたったいま退出した。
この部屋では、ノルドグレーン神聖守護斎姫の人選について話し合いが持たれていた。
この名前だけは荘厳な役職は、リードホルム王家に連なる未婚の娘にのみ課せられる、国家が差し出す人質兼祭典のお飾りである。予定通りであれば、すでにリースベットが正式に王命を受け、リードホルム王国を出発していたはずだった。
「父上ものんきなものだ……まあいい、我々だけでことを進めよとの仰せだ。御意に添おうではないか。エイデシュテット」
「はい。次期ノルドグレーン神聖守護斎姫の任、当初の予定通りリースベット様に務めていただくことになるが、その年限は通例通り四年と……」
「お待ちください」
席について以来、無言のまま手を組んでいたノアが口を開いた。
「ほう、なにか思うところがあるか、ノア。申してみよ」
「リースベットは一度、自裁までしてその任を厭うたのです。そのような者を再度任じたとノルドグレーン側に知れれば、軽侮の行いとも取られかねますまい」
「いらぬ心配だノア王子。そのことは他言せぬよう、関係者には王命してあるのだ」
エイデシュテットとアウグスティンが目を合わせ、わずかに口の端を釣り上げた。
「しかし……もし彼の国においてリースベットが再び命を断つようなことがあれば、両国関係に悪影響も大きいでしょう」
「その時はその時……我が国がそれなりの代価を払っているのは、お前も知っているだろう。過去に例がなかったわけでもないしな」
「……いかに王たらんとする身とはいえ、無慈悲がすぎるではないか兄上! 血を分けた妹の心、今少し案じてはいかがか!」
冷静に意見を発し続けていたノアだったが、ここに至って椅子から立ち上がり語気を荒げた。ノルドグレーンで高度な教育を受けたとは言え、まだ十七歳の若者なのだ。
「落ち着け、ことはそう単純ではないのだ」
「左様です、ノア様。リースベット様が拒否されるのであれば、守護斎姫の任はフリーダ様か、あるいは、そこなノルデンフェルト侯爵のご令嬢をもって任ずることになりますぞ」
矛先を向けられた肥満体の貴族は椅子から立ち上がり、とくにアウグスティンに懇願するように口上を述べた。
「どうかお願いでございます。ダニエラはカッセル王国のエーベルゴード家との縁談も進み、当家の浮沈がかかった身なのです。成婚のあかつきには、国庫への上納もいっそう増やせるものと……」
「聞いたかノアよ。あまり無慈悲な物言いをするものではない」
「エーベルゴード家はカッセル屈指の名門、両国関係修繕の橋渡し役となってくれましょう。ダニエラ嬢はリードホルムにとって極めて重要な方なのです」
「さ、左様にございますれば……」
「誰かがやらねばならんのだ、ノアよ。リースベットのわがままを容れれば、他のものが余波を被るということが分からんか」
「ノルドグレーンのマンネルヘイム外務次官補には、もう半月以上もオルヘスタルにてお待ちいただいておるしな」
ノアは最大限、アウグスティンたちの理路に沿って意見を述べたつもりだった。だが他者の犠牲から目を逸らしてまで、己のエゴを貫くことはできない。それでもなお食い下がるためには、議論の水準を変える必要があった。
「……ではいっそ、これを機にノルドグレーン神聖守護斎姫の地位そのものを見直されてはいかがですか。屈辱的な扱いを受けているからこそ誰もが忌避し、命を断つものまで出るのです」
「それは……」
アウグスティンとエイデシュテットの顔色が変わり、互いに眉をひそめて顔を見合わせている。
「それは素晴らしい考えでございます。いつまでも不当な扱いに甘んじている必要もありますまい」
「いや……ノルデンフェルト侯爵、それは我らの権を越えている、そうだなエイデシュテット。父上に同席していただかなければ決めかねる議題であろう」
「ヴィルヘルム三世陛下不在では、熟議もできますまい。フォッシェル典礼省長官はじめ、より多くの者に同席を求めませんとな」
「確かに……今から呼び戻しては、陛下のご機嫌を損ねてしまいますな。しかしさすがノア様、十七歳とは思えぬ見識でございます」
アウグスティンが横目で睨んだが、ノルデンフェルト侯爵は気付いていない。
「ならば今日は結論を繰り延べ、関係者を集めて改めて会議を開くべきでしょう」
「それはなりませぬ。リースベット様は出立直前の急病、ということでノルドグレーン側にはお待ちいただいているです。あのとおり快癒している以上、さらなる延期はあらぬ疑いを生みます」
「ノアよ、お前はまだ若く、国に戻って日も浅い。リードホルムのことを知らんのだ。……見直しの話自体は、日を改めて関係者に参集願うとしよう」
「その折には、当家も力添えさせていただきますぞ」
半年前に留学という名の人質生活から戻ったばかりのノアの意見を、アウグスティンは愚弄するように切って捨てた。
このノアの奮戦に唯一戦果があったとすれば、ノルデンフェルト侯爵に今とは違う未来図を見せたことだ。
「出立は所定どおり、七日後でよろしいですかな」
「うむ。段取りは宰相に一任する」
「それと、四日後に春宵の夜祭があります。そちらの祝賀行列にリースベット様も参加せよ、とヴィルヘルム三世陛下の仰せでしたな」
ノアは歯噛みし、内心で妹に詫びていた。
「しかし、父上に再び勅書を書いてもらわねばならぬか。骨が折れるな」
「それならば今が好機でございましょう。チェンバロ奏者がひどい演奏をしていなければ、ですが……」
「構わぬ。わたしが直接伝える」
「ほう。殊勝なことだな」
ノアは憮然と椅子から立ち上がり、誰の顔も見ずに部屋を出た。
0
あなたにおすすめの小説
『まて』をやめました【完結】
かみい
恋愛
私、クラウディアという名前らしい。
朧気にある記憶は、ニホンジンという意識だけ。でも名前もな~んにも憶えていない。でもここはニホンじゃないよね。記憶がない私に周りは優しく、なくなった記憶なら新しく作ればいい。なんてポジティブな家族。そ~ねそ~よねと過ごしているうちに見たクラウディアが以前に付けていた日記。
時代錯誤な傲慢な婚約者に我慢ばかりを強いられていた生活。え~っ、そんな最低男のどこがよかったの?顔?顔なの?
超絶美形婚約者からの『まて』はもう嫌!
恋心も忘れてしまった私は、新しい人生を歩みます。
貴方以上の美人と出会って、私の今、充実、幸せです。
だから、もう縋って来ないでね。
本編、番外編含め完結しました。ありがとうございます
※小説になろうさんにも、別名で載せています
Emerald
藍沢咲良
恋愛
教師という仕事に嫌気が差した結城美咲(ゆうき みさき)は、叔母の住む自然豊かな郊外で時々アルバイトをして生活していた。
叔母の勧めで再び教員業に戻ってみようと人材バンクに登録すると、すぐに話が来る。
自分にとっては完全に新しい場所。
しかし仕事は一度投げ出した教員業。嫌だと言っても他に出来る仕事は無い。
仕方無しに仕事復帰をする美咲。仕事帰りにカフェに寄るとそこには…。
〜main cast〜
結城美咲(Yuki Misaki)
黒瀬 悠(Kurose Haruka)
※作中の地名、団体名は架空のものです。
※この作品はエブリスタ、小説家になろうでも連載されています。
※素敵な表紙をポリン先生に描いて頂きました。
ポリン先生の作品はこちら↓
https://manga.line.me/indies/product/detail?id=8911
https://www.comico.jp/challenge/comic/33031
異世界転移物語
月夜
ファンタジー
このところ、日本各地で謎の地震が頻発していた。そんなある日、都内の大学に通う僕(田所健太)は、地震が起こったときのために、部屋で非常持出袋を整理していた。すると、突然、めまいに襲われ、次に気づいたときは、深い森の中に迷い込んでいたのだ……
異世界からの召喚者《完結》
アーエル
恋愛
中央神殿の敷地にある聖なる森に一筋の光が差し込んだ。
それは【異世界の扉】と呼ばれるもので、この世界の神に選ばれた使者が降臨されるという。
今回、招かれたのは若い女性だった。
☆他社でも公開
記憶なし、魔力ゼロのおっさんファンタジー
コーヒー微糖派
ファンタジー
勇者と魔王の戦いの舞台となっていた、"ルクガイア王国"
その戦いは多くの犠牲を払った激戦の末に勇者達、人類の勝利となった。
そんなところに現れた一人の中年男性。
記憶もなく、魔力もゼロ。
自分の名前も分からないおっさんとその仲間たちが織り成すファンタジー……っぽい物語。
記憶喪失だが、腕っぷしだけは強い中年主人公。同じく魔力ゼロとなってしまった元魔法使い。時々訪れる恋模様。やたらと癖の強い盗賊団を始めとする人々と紡がれる絆。
その先に待っているのは"失われた過去"か、"新たなる未来"か。
◆◆◆
元々は私が昔に自作ゲームのシナリオとして考えていたものを文章に起こしたものです。
小説完全初心者ですが、よろしくお願いします。
※なお、この物語に出てくる格闘用語についてはあくまでフィクションです。
表紙画像は草食動物様に作成していただきました。この場を借りて感謝いたします。
ボンクラ王子の側近を任されました
里見知美
ファンタジー
「任されてくれるな?」
王宮にある宰相の執務室で、俺は頭を下げたまま脂汗を流していた。
人の良い弟である現国王を煽てあげ国の頂点へと導き出し、王国騎士団も魔術師団も視線一つで操ると噂の恐ろしい影の実力者。
そんな人に呼び出され開口一番、シンファエル殿下の側近になれと言われた。
義妹が婚約破棄を叩きつけた相手である。
王子16歳、俺26歳。側近てのは、年の近い家格のしっかりしたヤツがなるんじゃねえの?
竜神に愛された令嬢は華麗に微笑む。〜嫌われ令嬢? いいえ、嫌われているのはお父さまのほうでしてよ。〜
石河 翠
恋愛
侯爵令嬢のジェニファーは、ある日父親から侯爵家当主代理として罪を償えと脅される。
それというのも、竜神からの預かりものである宝石に手をつけてしまったからだというのだ。
ジェニファーは、彼女の出産の際に母親が命を落としたことで、実の父親からひどく憎まれていた。
執事のロデリックを含め、家人勢揃いで出かけることに。
やがて彼女は別れの言葉を告げるとためらいなく竜穴に身を投げるが、実は彼女にはある秘密があって……。
虐げられたか弱い令嬢と思いきや、メンタル最強のヒロインと、彼女のためなら人間の真似事もやぶさかではないヒロインに激甘なヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は、他サイトにも投稿しております。
表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID:4950419)をお借りしています。
攻撃魔法を使えないヒーラーの俺が、回復魔法で最強でした。 -俺は何度でも救うとそう決めた-【[完]】
水無月いい人(minazuki)
ファンタジー
【HOTランキング一位獲得作品】
【一次選考通過作品】
---
とある剣と魔法の世界で、
ある男女の間に赤ん坊が生まれた。
名をアスフィ・シーネット。
才能が無ければ魔法が使えない、そんな世界で彼は運良く魔法の才能を持って産まれた。
だが、使用できるのは攻撃魔法ではなく回復魔法のみだった。
攻撃魔法を一切使えない彼は、冒険者達からも距離を置かれていた。
彼は誓う、俺は回復魔法で最強になると。
---------
もし気に入っていただけたら、ブクマや評価、感想をいただけると大変励みになります!
#ヒラ俺
この度ついに完結しました。
1年以上書き続けた作品です。
途中迷走してました……。
今までありがとうございました!
---
追記:2025/09/20
再編、あるいは続編を書くか迷ってます。
もし気になる方は、
コメント頂けるとするかもしれないです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる