【完結】影を失くした令嬢と影だけの騎士

きゅちゃん

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前編「影のない者に、貴族の資格はない」

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「影のない者に、貴族の資格はない」

冷たい宣告が、大広間に響き渡った。

エリアナ・フォン・アルトハイムは、白い大理石の床に膝をついたまま、ただ震えていた。豪奢なドレスの裾が床に広がり、その周囲には——何もなかった。灯火が揺れても、誰かが横切っても、彼女の足元に影は生まれない。

この王国では、影は魔力の源であり、貴族たる証だった。影が濃く、くっきりしているほど、その家の魔力は強い。アルトハイム伯爵家は代々、漆黒の影を持つ名家として知られていた。

三日前までは。

「娘よ、わかっているな」

父の声は遠く、冷たかった。エリアナは顔を上げることができなかった。視界の端に映るのは、他の貴族たちの足元に伸びる、はっきりとした影ばかり。

「アルトハイム家の名誉のため、お前は修道院に入るのだ」

実質的な追放宣告。社交界からの永久退場。

事故だった、とエリアナは心の中で叫ぶ。森で迷い、禁忌の魔法陣に足を踏み入れてしまっただけなのだ。気づいたときには、影が消えていた。

「父上、お願いです。もう一度だけ——」

「影のない者は、人にあらず。これは王国の法だ」

エリアナの言葉は遮られた。大広間を出る彼女の後ろから、嘲笑の声が聞こえた気がした。


修道院行きの馬車に乗せられたのは、その日の夕暮れだった。

わずかな私物を詰めた小さな鞄一つ。使用人たちは誰も見送りに来なかった。エリアナは窓の外を見つめながら、涙も枯れ果てていた。

馬車が街道を外れ、森の中の小道に入ったとき、それは起きた。

「止まれ!」

荒々しい声とともに、数人の盗賊が飛び出してきた。御者は悲鳴を上げ、馬車から転げ落ちて逃げ出した。

「貴族の娘だな。身代金が取れるぞ」

扉が乱暴に開けられる。エリアナは身を竦めた。しかし盗賊の一人が、彼女の足元を見て眉をひそめた。

「...影がない」

「なんだと?」

「影のない貴族なんて、価値がねえ。殺すか?」

男の手がナイフに伸びる。エリアナは目を閉じた。

その瞬間、馬車の中に冷たい風が吹き込んだ。

「——離れろ」

低く、重い声。それは男の声だったが、どこか不思議な響きがあった。

エリアナが目を開けると、盗賊たちは何もない空間を見つめて後ずさりしていた。

「な、何だこれは!」

「影が、影が動いてる!」

馬車の床に、一つの影があった。しかしそれは誰の影でもなく、それ自体が立体的に立ち上がり、黒い人型を形作っていた。影だけで構成された騎士のような姿。

影の騎士は無言で剣を——やはり影でできた剣を——抜いた。盗賊たちは悲鳴を上げて逃げ去った。

静寂が戻る。

エリアナと影の騎士が、馬車の中で向き合う。

「...君は?」

「かつて、ヴァルター・フォン・シュタインと名乗っていた」

影の騎士は答えた。声には実体がないはずなのに、確かに聞こえた。

「シュタイン...騎士団長の?」

エリアナは息を呑んだ。ヴァルター・フォン・シュタインは、三年前に戦死したとされる伝説の騎士団長だ。彼の武勇伝は、子供たちの間でも語り継がれている。

「戦場で呪いを受けた。肉体は失い、影だけの存在になった」

影の騎士——ヴァルターは、ゆっくりと語った。

「以来、この森を彷徨っている。実体がないから、誰とも関われない。声も届かない。ただ影として、存在するだけだ」

エリアナは震える手を伸ばした。指先が影に触れる——はずだったが、すり抜けた。

「でも、君には私が見える。声も聞こえる」

「なぜ?」

「おそらく...君が影を失ったからだ」

ヴァルターの声に、かすかな温もりが宿った。

「影を失った者と、影だけになった者。だから、共鳴したのかもしれない」

エリアナは胸に手を当てた。確かに、不思議な感覚があった。この影の騎士の存在を、肌で感じることができる。

「御者は逃げてしまった。君はこれからどうする?」

ヴァルターの問いに、エリアナは俯いた。

「修道院に...行くはずでした。でも、もう...」

どこにも居場所がない。家からは追放され、貴族社会からは拒絶された。

「なら、提案がある」

ヴァルターは影の手を差し出した。もちろん、実際には触れられない。

「私と君で、協力しないか」

「協力?」

「君の影に、私がなる」

エリアナは目を見開いた。

「私は君の影として振る舞う。そうすれば、少なくとも見た目には、君は普通の人間だ。そして君は、私の目となり、声となる。私一人では世界と関われないが、君がいれば——」

「あなたも、元の体を取り戻せるかもしれない」

エリアナは言葉を継いだ。ヴァルターは静かに頷いた。

「君の影を取り戻す方法を探しながら、私の呪いを解く手がかりも探す。どうだ?」

エリアナは立ち上がった。涙はもう流れていなかった。

「...お願いします、ヴァルター卿」

影の騎士は、優しく笑った気がした。
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