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第5章
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マリが部屋に戻ると、落ち着きを取り戻した老齢の執事が、マリへと指示を仰いだ。
「いかがいたしましょう。」
「ユアン様は、ご病気だ。カイゼル様が戻るまで、ここには誰も近づけてはならない。」
「使用人たちには、大変に重いご病気だと、決して誰も近づかないよう、きつく言いつけておきます。」
「それでいい。カイゼル様のことは、リヒトが何とかする。」
「かしこまりました。必要な物がございましたら、わたくしめに申してください。離れた所へ控えております。」
余計な詮索をせず、マリの少ない言葉に全てを察し、執事は部屋を出て行った。
マリの目の前では、ユアンがただひたすらに、苦しみ続けている。
「ユアン様、大丈夫。もうすぐカイゼル様が帰ってくるからね。」
ユアンの手を握り締め、マリは声をかけ続けた。
「マリは、ユアン様の護衛騎士だから、絶対にユアン様をお守りするから。」
まだ微かに意識のあるユアンが、マリへと視線を合わせる。
「マ……リ、くる、し……」
「カイゼル様が来るまで、ずっとマリが傍にいるから。絶対、大丈夫だよ。」
「…あつ、い………あつ、いの、に、さむ、い………」
マリを見上げるユアンの瞳は、苦しみのあまり、涙で滲んでいる。
冷えた水で布を濡らし、何度もユアンの額の汗を拭う。
暖炉に火を灯し、部屋の中を温めても、ユアンは寒いと、ぶるぶる震える。
「大丈夫。大丈夫。ユアン様、お願い。カイゼル様が来るまで、もう少しだけ、お願いだから、我慢して。」
何をどうしても、ユアンの状態は酷くなる一方で、思い出したくない記憶が、マリの脳裏にはよぎっていた。
「孕み子」が国に保護される訳には、表向きの理由と裏向きの理由がある。
裏向きの理由は、彼らがその特異な体質ゆえ、害されやすいことにある。
特殊な性癖を持つ者たちにとって、彼らは格好の獲物だ。
いくら国が保護していると、銘打っても、その陰では、多くの「孕み子」たちが犠牲になっている。
マリは、様々な任務をこなす中で、言葉にするのも憚れるほど、「孕み子」たちが、蹂躙される様を何度も目にしてきた。
…あの時、マリが見たのは、違法な薬で無理矢理に発情させられ、そのまま放置された「孕み子」の姿だ。
マリが駆け付けた時、その周囲では数人の貴族たちが、まるで観劇でもしているかのように、その苦しみ喘ぐ姿を見ては、楽しんでいた。
既に発情の頂点を超えたその「孕み子」は、与えられない苦しみのあまり、発狂し、人としての姿を失っていた。
発狂すればする程、貴族たちは声をあげ、笑い転げた。
マリは、その貴族たちを殺すつもりで、何度も何度も痛めつけた。どんなに、許しを請われようと、どんなに血を流そうと、その手を緩めることはなかった。全身が返り血で血塗れになる程に。
ぎりぎりの所でそれを止めたのは、カイゼルだ。
発狂し続けた「孕み子」は、ほんの一瞬、微かに取り戻した意識の中で、マリに懇願した。
もう、殺して、ほしい、と。
マリには、それを叶える他に術がなかった。
マリは、何度も何度も声をかけ続ける。
「大丈夫だよ。ここには、ユアン様とマリしかいない。カイゼル様が来るまで、絶対に誰も近寄らせない。」
ユアン様、お願いだから、意識を手放さないで……!
あの日みた「孕み子」の姿が頭から離れない。
ユアン様をあのような姿には、させたくない。させられない。
マリはふと思い立つと、離れて待つ執事の元へと席を立った。
「カイゼル様の部屋の準備を。」
反対されるかと思ったが、執事はすんなりと受け入れた。
「かしこまりました。数分後には、ご準備できます。」
準備が整うと、マリはユアンを抱えてカイゼルの部屋へと向かった。
カイゼルの部屋の前には、執事が扉を開け待機している。
部屋に入る前に、マリは一言声を掛けた。
「カイゼル様からのお咎めがあれば、全て責任を負う。」
「いいえ、2人の連帯責任でございます。早く、ユアン様をカイゼル様の寝台に。」
2人は目を合わせて頷き合う。
カイゼルの寝台へ移されると、ユアンは数回大きく深呼吸し、カイゼルの枕に頬を埋めて、縮こまった。
少しだけ、呼吸が落ち着いたように見える。
2人は、ほっと胸を撫で下ろした。
それでも、まだユアンは全身が紅潮したままだ。
いつ、発情が頂点を迎えるとも限らない。
2人が思うことは一つだけだ。
カイゼル様、どうか、どうか、一刻も早く、ユアン様の元へと、帰ってきて下さい、と。
「いかがいたしましょう。」
「ユアン様は、ご病気だ。カイゼル様が戻るまで、ここには誰も近づけてはならない。」
「使用人たちには、大変に重いご病気だと、決して誰も近づかないよう、きつく言いつけておきます。」
「それでいい。カイゼル様のことは、リヒトが何とかする。」
「かしこまりました。必要な物がございましたら、わたくしめに申してください。離れた所へ控えております。」
余計な詮索をせず、マリの少ない言葉に全てを察し、執事は部屋を出て行った。
マリの目の前では、ユアンがただひたすらに、苦しみ続けている。
「ユアン様、大丈夫。もうすぐカイゼル様が帰ってくるからね。」
ユアンの手を握り締め、マリは声をかけ続けた。
「マリは、ユアン様の護衛騎士だから、絶対にユアン様をお守りするから。」
まだ微かに意識のあるユアンが、マリへと視線を合わせる。
「マ……リ、くる、し……」
「カイゼル様が来るまで、ずっとマリが傍にいるから。絶対、大丈夫だよ。」
「…あつ、い………あつ、いの、に、さむ、い………」
マリを見上げるユアンの瞳は、苦しみのあまり、涙で滲んでいる。
冷えた水で布を濡らし、何度もユアンの額の汗を拭う。
暖炉に火を灯し、部屋の中を温めても、ユアンは寒いと、ぶるぶる震える。
「大丈夫。大丈夫。ユアン様、お願い。カイゼル様が来るまで、もう少しだけ、お願いだから、我慢して。」
何をどうしても、ユアンの状態は酷くなる一方で、思い出したくない記憶が、マリの脳裏にはよぎっていた。
「孕み子」が国に保護される訳には、表向きの理由と裏向きの理由がある。
裏向きの理由は、彼らがその特異な体質ゆえ、害されやすいことにある。
特殊な性癖を持つ者たちにとって、彼らは格好の獲物だ。
いくら国が保護していると、銘打っても、その陰では、多くの「孕み子」たちが犠牲になっている。
マリは、様々な任務をこなす中で、言葉にするのも憚れるほど、「孕み子」たちが、蹂躙される様を何度も目にしてきた。
…あの時、マリが見たのは、違法な薬で無理矢理に発情させられ、そのまま放置された「孕み子」の姿だ。
マリが駆け付けた時、その周囲では数人の貴族たちが、まるで観劇でもしているかのように、その苦しみ喘ぐ姿を見ては、楽しんでいた。
既に発情の頂点を超えたその「孕み子」は、与えられない苦しみのあまり、発狂し、人としての姿を失っていた。
発狂すればする程、貴族たちは声をあげ、笑い転げた。
マリは、その貴族たちを殺すつもりで、何度も何度も痛めつけた。どんなに、許しを請われようと、どんなに血を流そうと、その手を緩めることはなかった。全身が返り血で血塗れになる程に。
ぎりぎりの所でそれを止めたのは、カイゼルだ。
発狂し続けた「孕み子」は、ほんの一瞬、微かに取り戻した意識の中で、マリに懇願した。
もう、殺して、ほしい、と。
マリには、それを叶える他に術がなかった。
マリは、何度も何度も声をかけ続ける。
「大丈夫だよ。ここには、ユアン様とマリしかいない。カイゼル様が来るまで、絶対に誰も近寄らせない。」
ユアン様、お願いだから、意識を手放さないで……!
あの日みた「孕み子」の姿が頭から離れない。
ユアン様をあのような姿には、させたくない。させられない。
マリはふと思い立つと、離れて待つ執事の元へと席を立った。
「カイゼル様の部屋の準備を。」
反対されるかと思ったが、執事はすんなりと受け入れた。
「かしこまりました。数分後には、ご準備できます。」
準備が整うと、マリはユアンを抱えてカイゼルの部屋へと向かった。
カイゼルの部屋の前には、執事が扉を開け待機している。
部屋に入る前に、マリは一言声を掛けた。
「カイゼル様からのお咎めがあれば、全て責任を負う。」
「いいえ、2人の連帯責任でございます。早く、ユアン様をカイゼル様の寝台に。」
2人は目を合わせて頷き合う。
カイゼルの寝台へ移されると、ユアンは数回大きく深呼吸し、カイゼルの枕に頬を埋めて、縮こまった。
少しだけ、呼吸が落ち着いたように見える。
2人は、ほっと胸を撫で下ろした。
それでも、まだユアンは全身が紅潮したままだ。
いつ、発情が頂点を迎えるとも限らない。
2人が思うことは一つだけだ。
カイゼル様、どうか、どうか、一刻も早く、ユアン様の元へと、帰ってきて下さい、と。
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