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第1章 ダンジョン
第56話 ─国境の城塞─ 終に分け入る森蔭の清しき宿求めえなば*
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代わりに用意された2頭立て馬車は、以前ドキュメンタリーで見たローマ時代の郵便馬車のような代物だった。全体的に重厚な造りで、車高も高い。
違うのは車輪を垂直に取り付けず、わずかに外に向かって傾斜しているところか、車軸と車輪が固定されているのかどうかはわからなかった。
マヤやリンであれば中を立って移動できる程に天井が高いのは、大量に荷物を積み込むことがあるからだろうか。
天井は丸屋根で厚みはわからないが、側板の厚みは5cm位あってけっこう分厚い。
俺が座席にエアーマットを敷くと対面に座るリンも同じことをしていた。
出発を告げるウィルマが車内を見まわし、目敏く俺とマヤが腰かけているエアーマットに目をやったが、リンとロミナ側にも同じ物があったので何も言わずにドアを閉めた。
予想はしていたが乗り心地はかなり悪い。マヤに聞くと乗馬中や馬車内での会話にはちょっとしたコツがあって、慣れていないと舌を噛むのはお約束らしい。
車酔いの薬も買っておくべきだったと長時間の乗車に後悔していると、馬車がガクリと止まった。
皆、外へ降りていく。
「体をほぐさないのですか? 」
「あぁ小休止みたいなもの? 」
「馬での移動では、大体2時間に1度30分間馬を休めさせます」
外に出ると、ウィルマが水桶兼用だろうか? 飼葉桶のような物に樽から水を注いでいる。
空を見上げると、雲がちらほらと流れているが抜けるような青空だった。旅立ちの日に相応しい好天は少しだけ心を軽くする。
以前マヤに聞いたところでは、此の地も季節は春になったところらしい。
欧州には「ジューンブライド」という言葉があるが、欧州と同じく此の地でも雨季と呼ばれる時期はなく、強いて言えば秋から冬にかけては比較的降水量が多いらしい。暑くも寒くもなく湿度も丁度良い夏前が、恋人たちにとっては最適の結婚シーズンだと楽しそうに話していた。
そんな事を思い出しながら、ぼんやりと空を眺めているとマヤが近づいてきた。
「柔軟運動をしませんか? 」
「装備を外しても大丈夫なの? 」
俺はチラチラと視線を金髪に送り、暗に無用のトラブルの種にならないか確認する。
「ここは見晴らしが良いですから」
周りがよく見えるということは、周りからもよく見えるということだけれど、このパーティーの戦力であれば余程のことが無ければ撃退できる。って変なフラグを立てたかな。
「あぁリンがベテランだと褒めるだけはあるということだね」
聞き耳を立てていたのか、自分の名前に反応したのか、リンも近づいてきてロミナを呼び寄せる。
「あんたがダンジョンでやっていた変な体操。あたしとロミナも試してみるから教えなさい」
若い女性の体を公然と触れるのだから俺に断る理由はない。ネットで調べた覚えたてのペアストレッチの内、この辺までならいけるだろうという俺特選の柔軟運動を実施する。奇妙な運動をはじめた俺たちに、ウィルマが胡乱な目を向けている。変な性癖が生まれそうだ。
今回は保護者の監視つきだからマヤも節度を保ってくれている。背中合わせから離れるときに、離れるのを惜しむように少し追いかけて背中を押しつけてきた程度だ。
さらに2時間進んだところで馬車が止まる。時間的にこれは昼休憩だろう。
パウチ入り防災パン30食と、缶詰16種は各自に持たせている。俺のバックパックに、その二倍入っているのは同行者の分だ。
昼休憩は馬にも飼料を与えるため、1時間から2時間程の時間をとることを確認してから、俺は缶詰を温めるために火を起こす。
異世界人には見慣れない道具を次から次へと繰り出す俺。何時の間にか馬の世話を中途で止めたウィルマも近づいてきた。
「水樽から鍋1杯分の水を貰って良いか」とウィルマの許可をとり、鍋を火に掛ける。水が沸騰したので鍋をおろして缶詰を2個入れた。1つはウィルマ用だ。
「俺、缶詰は食事の度に1個ずつと言ったはずだけれど、何で君等2個ずつ入れようとしているの? この鍋にはそんなに入らないのが見てわからない? 」
「あんたが2個入れたからじゃない! 」
「いや、これはウィルマさん用で俺は1個しか食べないよ」
「私めは用意がありますので結構です」
「あぁそう」
面倒だから聞き流した。勝手にしてくれ。
「その1個は私が貰っても良いですか? 」
マヤが目を大きく広げて俺に顔を近づけてくる。
「……良いけれど、同じのをマヤのバックパックから返してね」
「……但馬さんは意地悪です」
いやそんな風に目を潤ませてもなぁ。リンと、多分ロミナも納得しないのは明らかだ。
程々に温めたところで鍋の水を地面にぶちまけ、まだ使えそう炭には周囲の土をかける。土の匂いが微かに鼻をついた。
タオル越しに缶詰を1つずつ開けて3人に手渡していく。
「ちょっとぉ~こんな小さなパン2個じゃあ全然足りないわよ」
「だから保存食を別個に用意してって言ったはずだけれど? 」
「そうね子爵閣下が持たせてくれたのがあったわね」
そう言うとリンは馬車に取りに行く。残り2人もそれに続く。
ウィルマは黙々とナイフで削ったパンやチーズ、干し肉だろうか? 皮のような物を食べている。
戻ってきた3人。マヤが手に持っているパンを俺に差し出すが黙って首を横に振る。
昼食後、恒例となるかもしれない勉強会。真綿が水を吸うように覚えの良いロミナとリン。マヤは少し手子摺っている。
毎回批判的な眼差しを向ける金髪が無表情で聞いているのが、ちょっと気持ち悪い。
出発前、土に埋めた炭を掘り出して空き缶に入れる。俺がパンで中を拭っていたのを全員が真似していたので洗わなくても問題ない。2個の缶をガムテで繋げ、残り2個の空き缶は足で潰してビニール袋に入れ日本に持ち帰る。
「後、何時間ぐらい馬車に乗ったら野営地に着くの? 」
誰ともなしに呟く。
「今夜はフィネステダに泊まります。小作人も含めて20数人しかいない小さな荘園ですが、万一があってはいけませんから、分宿せずに全員が一所で野営するのが良いでしょう。後2時間程で到着できます」
「ありがとう」
説明してくれたのだから、一応の礼は言っておく。
日が傾きはじめた頃。道の左手側に黄金色に染まりはじめた小麦畑が見えてきた。右側は恐らく休閑地なのか何かの植物を刈り取ってある。地際刈りというやつかな?
穏やかな農村地という風情を楽しんでいると、馬ではない動物の臭いが漂ってきたので前方に目を向ける。臭いの先には4軒の木造家屋が寄り添うように建っていた。
「村。荘園か。周りには柵も堀もないね。家畜が逃げ出したり、害獣が家畜を狙ったりしないのかな」
金髪に説明を求めていないので、舌を噛まないように短く区切って小さな声でマヤに尋ねる。
「恐らくはそこまで手が回っていないのではないでしょうか。それに家畜は各世帯の所有物ですから、家ごとに柵で囲む方が維持し易いのでしょう」
「あぁ成程。もう1つ確認しておきたいのだけれど、ダンジョンで遭遇するモンスターは、こっちの世界だとダンジョン外を出歩いていたりするのかな? 」
「ダンジョンのような陽光の差し込まないところにしかいないモンスターもおりますが、人類の生存圏の外側近隣、今向かっている国境の城塞のような土地であれば遭遇する可能性はあります」
「地上で斃したモンスターも魔石だけを残して体は消えるの? 」
「いえ。死体が残ります」
「って言うことは返り血を浴びたら、臭いや汚れも残る? 」
「そうなります」
「俺も槍の手入れを覚えた方が良さそうだ」
「そうならないように私がいます。ですから、くれぐれも前に出て戦おうとはしないでくださいね」
動物の臭いが強くなってきたなと感じると馬車が止まった。
皆が馬車から降りはじめたので、少し間をおいてから俺も続く。途切れ途切れの声が聞こえてくる方向に目をやると、それぞれの家から男が1人ずつ出てきたのか、4人の男と何やら金髪が話している。
男たちの内、初老の男が1人、金髪と一緒にこちらへと歩いてきた。まぁ初老とは言っても、ひょっとしたら俺と歳はかわらないかもしれないけれど。
男が何やら話しはじめた。
「ここで野営するとのことだが、互いの誤解が生まれぬよう少し離れた所にしてくれんか。それと、これは行商の者どもやその他にも言っておることだが、村の井戸には近づかないでくれ。水が欲しければ向こうに小川が流れておるから、その水を使え」
そう言うと初老の男は指を指した。多分その方向に小川があるのだろう。
金髪が型通りの会話を終えると老人は自宅へと引き返した。
「マヤさん。馬車を少し動かした後、もう1頭の馬の世話をお願いできますか? 」
恐らく馬車を移動させた所が野営地になるのだろう。
「[天候予知]」
この先12時間好天が続くということはわかったが、好天だと気温が下がるのだろうか? どうせなら気温の変化も予知できれば良いのに、何か中途半端な魔法だよな、これ。
「どうだったの? 」
リンが聞いてきた。
「この先12時間好天だってさ。この後の段取りはどうするの? 食事の時の湯を使えば体を拭けるけれど、馬車の水樽は全部使い切っていいのだろうか? それとテントは食事の前に設置するのかな? [天候予知]では風の向きや強弱はわからない。誰が何処で火を使いはじめるのかわからないと、何をしていいのか決めようがない」
リンが俺の話を受けて金髪を見る。
「そうね。では指示だけ先に済ませておこうかしら。先ず水樽の水は使い切らないで少し残しておいて。夜番の人が使う分があればいいわ。テントの設置は…… 」
そこで言葉を切り俺の足元のワンタッチテントに視線を向ける。
「テントは但馬さん用の小さいのと、私たち4人用の大きいテントの2張りです」
「そう。マヤさんありがとう。火を焚いた場所を挟んで2カ所に設置しましょう。私めは野営用の厚手マントがあるのでテントには入りません。誰が夜の見張りを交替してくれるのかしら」
金髪が意味ありげに俺を見る。
「但馬さんとロミナ様は魔法使いですから、夜番は任せられません。私が替わります」
「本当に役に立たないんだから。あたしも夜番を務めるわ」
何故かリンは俺だけを見て文句を言う。
「夜中火を焚くのなら薪がいるんじゃないの。俺の用意した炭を一晩で使い切るようなことはさせないよ」
「それは私めが交渉して調達してきます」
「薪の種類もこの辺りの風の具合も知らないから、火の粉がテントにあまりかからない適当な場所を指定してもらえるかな」
「わたくし、[グリフ・オヴ・ウォーディング** ]を使えます。テントは並べて設置していただいた方が効果的に陣を敷けますし一晩中火を焚く必要もありません」
……多分全員が同じ事を思った。はやく言えよ。
「ロミナさん。申し出はありがたいですし、[グリフ・オヴ・ウォーディング** ]を使って良いのであればお願いします。ですが、私めは閣下から護衛を命じられておりますのでテントの外におります。どのみち焚火は必要です」
「ロミナ。焚火の灯りが離れた所からは見えなくするような魔法はあるの? 」
「ドラウの貴族が使用した類の魔法であればございます。ですがこちらからも周囲が見えなくなります。野営時にはお勧め出来かねます」
「そんなに都合の良い魔法はないのか。俺は書物で読んだだけで実際のところは知らないのだけれど、今日のような好天で風の弱い夜、完全に乾燥していない薪を使うと夜中でも煙が遠くから見えるものなの? 」
「あなたは先程から何を言っているのですか! 」
ウィルマが一瞬大声を出しかけたが、途中で抑え込んだ。その顔には苛立ちと不信感が浮かんでいる。
「焚火なんか無縁の人生を送ってきたから、基本的な知識を仕入れているところ。こっちの世界の人にとっては常識でも、俺はその常識をほとんど知らないからね」
「ウィルマ様。ロミナ様の、[グリフ・オヴ・ウォーディング** ]を信じられませんか? 」
又、大声を出しかけた金髪が無理やり感情を抑え込む。
「そんな事は言っていません。わかりました。焚火なしで夜番を務めます」
「どうかそのような事を仰らないで、私たちと共に今夜はテントで休みましょう」
冷静なマヤの声掛けで、自分が完全アウェーにいる状況に漸く気がついたのか、強張っていた金髪の表情が和らぐ。
「大人気ない振る舞いをしました。ごめんなさい」
そう言って頭を下げる。
「私めもテントの中で横になることにします」
続けてもう1度頭を下げる金髪。
「あらっ、こいつなんか大人気ない振る舞いなんてしょっちゅうよ」
人を指差すんじゃねぃよ。
____________________________________________________
* 上田敏訳詩集『海潮音』ジァン・モレアス「賦」新潮文庫 1952
** 守護の紋章 特定の場所や箱などに「グリフ」を描く呪文。設定条件を満たさなかったものに対して術者が指定した効果を発動させることができる。
違うのは車輪を垂直に取り付けず、わずかに外に向かって傾斜しているところか、車軸と車輪が固定されているのかどうかはわからなかった。
マヤやリンであれば中を立って移動できる程に天井が高いのは、大量に荷物を積み込むことがあるからだろうか。
天井は丸屋根で厚みはわからないが、側板の厚みは5cm位あってけっこう分厚い。
俺が座席にエアーマットを敷くと対面に座るリンも同じことをしていた。
出発を告げるウィルマが車内を見まわし、目敏く俺とマヤが腰かけているエアーマットに目をやったが、リンとロミナ側にも同じ物があったので何も言わずにドアを閉めた。
予想はしていたが乗り心地はかなり悪い。マヤに聞くと乗馬中や馬車内での会話にはちょっとしたコツがあって、慣れていないと舌を噛むのはお約束らしい。
車酔いの薬も買っておくべきだったと長時間の乗車に後悔していると、馬車がガクリと止まった。
皆、外へ降りていく。
「体をほぐさないのですか? 」
「あぁ小休止みたいなもの? 」
「馬での移動では、大体2時間に1度30分間馬を休めさせます」
外に出ると、ウィルマが水桶兼用だろうか? 飼葉桶のような物に樽から水を注いでいる。
空を見上げると、雲がちらほらと流れているが抜けるような青空だった。旅立ちの日に相応しい好天は少しだけ心を軽くする。
以前マヤに聞いたところでは、此の地も季節は春になったところらしい。
欧州には「ジューンブライド」という言葉があるが、欧州と同じく此の地でも雨季と呼ばれる時期はなく、強いて言えば秋から冬にかけては比較的降水量が多いらしい。暑くも寒くもなく湿度も丁度良い夏前が、恋人たちにとっては最適の結婚シーズンだと楽しそうに話していた。
そんな事を思い出しながら、ぼんやりと空を眺めているとマヤが近づいてきた。
「柔軟運動をしませんか? 」
「装備を外しても大丈夫なの? 」
俺はチラチラと視線を金髪に送り、暗に無用のトラブルの種にならないか確認する。
「ここは見晴らしが良いですから」
周りがよく見えるということは、周りからもよく見えるということだけれど、このパーティーの戦力であれば余程のことが無ければ撃退できる。って変なフラグを立てたかな。
「あぁリンがベテランだと褒めるだけはあるということだね」
聞き耳を立てていたのか、自分の名前に反応したのか、リンも近づいてきてロミナを呼び寄せる。
「あんたがダンジョンでやっていた変な体操。あたしとロミナも試してみるから教えなさい」
若い女性の体を公然と触れるのだから俺に断る理由はない。ネットで調べた覚えたてのペアストレッチの内、この辺までならいけるだろうという俺特選の柔軟運動を実施する。奇妙な運動をはじめた俺たちに、ウィルマが胡乱な目を向けている。変な性癖が生まれそうだ。
今回は保護者の監視つきだからマヤも節度を保ってくれている。背中合わせから離れるときに、離れるのを惜しむように少し追いかけて背中を押しつけてきた程度だ。
さらに2時間進んだところで馬車が止まる。時間的にこれは昼休憩だろう。
パウチ入り防災パン30食と、缶詰16種は各自に持たせている。俺のバックパックに、その二倍入っているのは同行者の分だ。
昼休憩は馬にも飼料を与えるため、1時間から2時間程の時間をとることを確認してから、俺は缶詰を温めるために火を起こす。
異世界人には見慣れない道具を次から次へと繰り出す俺。何時の間にか馬の世話を中途で止めたウィルマも近づいてきた。
「水樽から鍋1杯分の水を貰って良いか」とウィルマの許可をとり、鍋を火に掛ける。水が沸騰したので鍋をおろして缶詰を2個入れた。1つはウィルマ用だ。
「俺、缶詰は食事の度に1個ずつと言ったはずだけれど、何で君等2個ずつ入れようとしているの? この鍋にはそんなに入らないのが見てわからない? 」
「あんたが2個入れたからじゃない! 」
「いや、これはウィルマさん用で俺は1個しか食べないよ」
「私めは用意がありますので結構です」
「あぁそう」
面倒だから聞き流した。勝手にしてくれ。
「その1個は私が貰っても良いですか? 」
マヤが目を大きく広げて俺に顔を近づけてくる。
「……良いけれど、同じのをマヤのバックパックから返してね」
「……但馬さんは意地悪です」
いやそんな風に目を潤ませてもなぁ。リンと、多分ロミナも納得しないのは明らかだ。
程々に温めたところで鍋の水を地面にぶちまけ、まだ使えそう炭には周囲の土をかける。土の匂いが微かに鼻をついた。
タオル越しに缶詰を1つずつ開けて3人に手渡していく。
「ちょっとぉ~こんな小さなパン2個じゃあ全然足りないわよ」
「だから保存食を別個に用意してって言ったはずだけれど? 」
「そうね子爵閣下が持たせてくれたのがあったわね」
そう言うとリンは馬車に取りに行く。残り2人もそれに続く。
ウィルマは黙々とナイフで削ったパンやチーズ、干し肉だろうか? 皮のような物を食べている。
戻ってきた3人。マヤが手に持っているパンを俺に差し出すが黙って首を横に振る。
昼食後、恒例となるかもしれない勉強会。真綿が水を吸うように覚えの良いロミナとリン。マヤは少し手子摺っている。
毎回批判的な眼差しを向ける金髪が無表情で聞いているのが、ちょっと気持ち悪い。
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誰ともなしに呟く。
「今夜はフィネステダに泊まります。小作人も含めて20数人しかいない小さな荘園ですが、万一があってはいけませんから、分宿せずに全員が一所で野営するのが良いでしょう。後2時間程で到着できます」
「ありがとう」
説明してくれたのだから、一応の礼は言っておく。
日が傾きはじめた頃。道の左手側に黄金色に染まりはじめた小麦畑が見えてきた。右側は恐らく休閑地なのか何かの植物を刈り取ってある。地際刈りというやつかな?
穏やかな農村地という風情を楽しんでいると、馬ではない動物の臭いが漂ってきたので前方に目を向ける。臭いの先には4軒の木造家屋が寄り添うように建っていた。
「村。荘園か。周りには柵も堀もないね。家畜が逃げ出したり、害獣が家畜を狙ったりしないのかな」
金髪に説明を求めていないので、舌を噛まないように短く区切って小さな声でマヤに尋ねる。
「恐らくはそこまで手が回っていないのではないでしょうか。それに家畜は各世帯の所有物ですから、家ごとに柵で囲む方が維持し易いのでしょう」
「あぁ成程。もう1つ確認しておきたいのだけれど、ダンジョンで遭遇するモンスターは、こっちの世界だとダンジョン外を出歩いていたりするのかな? 」
「ダンジョンのような陽光の差し込まないところにしかいないモンスターもおりますが、人類の生存圏の外側近隣、今向かっている国境の城塞のような土地であれば遭遇する可能性はあります」
「地上で斃したモンスターも魔石だけを残して体は消えるの? 」
「いえ。死体が残ります」
「って言うことは返り血を浴びたら、臭いや汚れも残る? 」
「そうなります」
「俺も槍の手入れを覚えた方が良さそうだ」
「そうならないように私がいます。ですから、くれぐれも前に出て戦おうとはしないでくださいね」
動物の臭いが強くなってきたなと感じると馬車が止まった。
皆が馬車から降りはじめたので、少し間をおいてから俺も続く。途切れ途切れの声が聞こえてくる方向に目をやると、それぞれの家から男が1人ずつ出てきたのか、4人の男と何やら金髪が話している。
男たちの内、初老の男が1人、金髪と一緒にこちらへと歩いてきた。まぁ初老とは言っても、ひょっとしたら俺と歳はかわらないかもしれないけれど。
男が何やら話しはじめた。
「ここで野営するとのことだが、互いの誤解が生まれぬよう少し離れた所にしてくれんか。それと、これは行商の者どもやその他にも言っておることだが、村の井戸には近づかないでくれ。水が欲しければ向こうに小川が流れておるから、その水を使え」
そう言うと初老の男は指を指した。多分その方向に小川があるのだろう。
金髪が型通りの会話を終えると老人は自宅へと引き返した。
「マヤさん。馬車を少し動かした後、もう1頭の馬の世話をお願いできますか? 」
恐らく馬車を移動させた所が野営地になるのだろう。
「[天候予知]」
この先12時間好天が続くということはわかったが、好天だと気温が下がるのだろうか? どうせなら気温の変化も予知できれば良いのに、何か中途半端な魔法だよな、これ。
「どうだったの? 」
リンが聞いてきた。
「この先12時間好天だってさ。この後の段取りはどうするの? 食事の時の湯を使えば体を拭けるけれど、馬車の水樽は全部使い切っていいのだろうか? それとテントは食事の前に設置するのかな? [天候予知]では風の向きや強弱はわからない。誰が何処で火を使いはじめるのかわからないと、何をしていいのか決めようがない」
リンが俺の話を受けて金髪を見る。
「そうね。では指示だけ先に済ませておこうかしら。先ず水樽の水は使い切らないで少し残しておいて。夜番の人が使う分があればいいわ。テントの設置は…… 」
そこで言葉を切り俺の足元のワンタッチテントに視線を向ける。
「テントは但馬さん用の小さいのと、私たち4人用の大きいテントの2張りです」
「そう。マヤさんありがとう。火を焚いた場所を挟んで2カ所に設置しましょう。私めは野営用の厚手マントがあるのでテントには入りません。誰が夜の見張りを交替してくれるのかしら」
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「本当に役に立たないんだから。あたしも夜番を務めるわ」
何故かリンは俺だけを見て文句を言う。
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「それは私めが交渉して調達してきます」
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……多分全員が同じ事を思った。はやく言えよ。
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「ロミナ。焚火の灯りが離れた所からは見えなくするような魔法はあるの? 」
「ドラウの貴族が使用した類の魔法であればございます。ですがこちらからも周囲が見えなくなります。野営時にはお勧め出来かねます」
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「あなたは先程から何を言っているのですか! 」
ウィルマが一瞬大声を出しかけたが、途中で抑え込んだ。その顔には苛立ちと不信感が浮かんでいる。
「焚火なんか無縁の人生を送ってきたから、基本的な知識を仕入れているところ。こっちの世界の人にとっては常識でも、俺はその常識をほとんど知らないからね」
「ウィルマ様。ロミナ様の、[グリフ・オヴ・ウォーディング** ]を信じられませんか? 」
又、大声を出しかけた金髪が無理やり感情を抑え込む。
「そんな事は言っていません。わかりました。焚火なしで夜番を務めます」
「どうかそのような事を仰らないで、私たちと共に今夜はテントで休みましょう」
冷静なマヤの声掛けで、自分が完全アウェーにいる状況に漸く気がついたのか、強張っていた金髪の表情が和らぐ。
「大人気ない振る舞いをしました。ごめんなさい」
そう言って頭を下げる。
「私めもテントの中で横になることにします」
続けてもう1度頭を下げる金髪。
「あらっ、こいつなんか大人気ない振る舞いなんてしょっちゅうよ」
人を指差すんじゃねぃよ。
____________________________________________________
* 上田敏訳詩集『海潮音』ジァン・モレアス「賦」新潮文庫 1952
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