『好き』のその先

日和純礼

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 あぁ、これは寒い――

 エミーリアは天を仰ぐ。そして、自分の金色の束ねた髪が、頭の動きに少し遅れてゆるりと揺蕩うのを見た。

 コポリ、と服の隙間から泡が離れてゆく。

 水の中だった。
 どんどんと身体が水底に沈んでゆく。

 エミーリアは、十七歳になった。

 それなり以上に経験を積ませてもらった。勝てなくとも負けはしなかった。レヴにも、十八歳になったツァーリにも、どんな敵にも。

 しかし、そんな実績が何だというのだ。

『デュランハ』に掛け合わせようとツァーリが手配し、配送された植物に孵化前の《魔虫》が紛れていたことに気づけなかった。
《魔虫》は魔力を好む害虫で人里ではほぼ見ない。
吸収する魔力量が微小なため、驚異でもない。
 しかし、孵化した《魔虫》を『デュランハ』はたいそう嫌う。付着した箇所を激しく弾き飛ばす程度には。

 ――例によって例のごとく、証拠が残りにくい所業だ。魔虫避けの魔術は展開されていた筈なのに、どう穴を抜けたのか。暗殺技術の鼬ごっこだ。

 エミーリアは独りごちる。

 まだまだ足りない。

 弾き飛ばされた瞬間、水の中に転移した。
 転移の際、人の気配は感じなかったが、目の端に微かな異物を捉えた。長距離を飛ばすには陣が目立つだろうから、おそらく温室から一番近くの貯水池ぐらいに飛ばす極小の陣をスコップの柄に仕込んだのではなかろうか。

 右手の先を見る。

 弾けた『デュランハ』から、エミーリアを咄嗟に庇ったツァーリの左腕を掴んでいる。
 拉致や暗殺から身を護るため、ツァーリは幾重にも防御陣を身体に張っている。その強固さを利用して庇ったのだろうが衝撃は相殺できず、――たった今、完全に意識を失ったようだ。

 エミーリアは、内心でため息をひとつつくと、周囲の浮力と自身の脚力を上げる呪術を発動し、速やかに青い水上を目指した。

 何というか、自分の実力不足に落ち込む暇くらいは欲しい。

 護衛、とは名ばかり、ツァーリと二人三脚――いや、レヴとリリーユも入れてやらねば叱られる、四人五脚で生き延びた四年。

 それも一旦、来週で一区切りつく。


 ――そろりと水面に顔を出した。

 天上には薄曇の紗がかかり、月が朧気だった。

 身体強化をかけて、ほんの十秒ぐらいだが、供義なしで二人分はさすがに身体に負担がかかり、節々が軋む。

 しかし、水に落とされるのも何度めか、そろそろわからなくなってきた。貯水池は水がまだ綺麗だから、ありがとうと思えるほどには、あちこち潜っている。

 エミーリアは周囲に目を走らせると、想定どおり、学院の敷地内の貯水池で、温室の脇に出ていた。
 取り急ぎ、狙い撃ちされそうな気配はないが、油断はできない。
 ツァーリを見ると、意識を失っていた分、余計な水は飲んでなさそうだが、呼吸が戻っていない。
 足のつく浅い場所までそろりと移動し、ツァーリの頭を覆うフードを素早く引き降ろした。

 胸部をグッグッと圧迫すると、エミーリアはツァーリの唇に息を吹き込む。

 すぐに周囲の安全を確保できない以上、水面にて呼吸を戻すしかない。

 ――もう四年、というべきか、まだ四年、というべきか

 あの面会室から、色めいたことが増えるどころか、色気とは無縁の人命救助ビジネスキスの回数が増える一方だ。

 一応、婚約者なのだが。

 冷えた唇を離すと、幸い一度でツァーリの呼吸は回復し、水を吐いた。

「グゥッ……く、そ、ハァ」
「……先輩、取り急ぎ移動しましょう。この時間なら医務室は無人です」

 転移はできそうですか、とエミーリアが問う前に、二人の身体は医務室にあった。

 転移術の展開と同時に、濡れそぼっていた服をツァーリは魔術で乾かしたらしい。どこかで少し汚れてしまった部分はゴワゴワするが、医務室を濡らしてしまっ た場合の後始末も、学院内で悪目立ちする心配もなくなる。

 非常に便利で羨ましくは思うが、こんなに器用かつ繊細に魔術を展開できるのは、魔術科五回生でも1%程度と聞いている。嫉妬心も萎える。

 なお、学院内における、生徒による転移術の使用は原則禁止されているが、ツァーリは特例にて認められている。エミーリアとレヴは魔力量が足りずに、そもそも転移術が使えない。リリーユは最近使えるようになったらしい。これは嫉妬心が鼻からわかない。


 二人で医務室内の安全を確認すると、エミーリアはツァーリを振り返った。

「レヴが今頃、確認に走りはじめた頃でしょう。しばらくここで待ちましょうか」
「……そうだな」

 不審者に発見されても、逆に第三者に不審者扱いされても不味いので、部屋を明るくせず、薄いカーテン越しの月明かりで、ツァーリとエミーリアはそれぞれ自分の身体の状態を確認する。

「ありがとうございます。庇ってもらったおかげで、無傷です」
「何が無傷だよ……っ」

 つかつかと歩み寄ったツァーリは、片手でエミーリアの頬に触れた。仄白い光が視野に入り、《治癒魔術》の展開に気づいた。頬に傷があるらしい。

「座れ」

 エミーリアの真後ろの椅子を顎でしゃくる。
 素直に従うと、ツァーリは手をあてたまま、エミーリアの前に片膝をつく。
 身長差はもはや、椅子に座るエミーリアが、片膝をつくツァーリより、少しだけ高いという程度だった。

 しばらくして、ツァーリが口を開いた。

「さっき……水中で寝ちまったとき、お前らが入学前に面会に来た時のことを夢に見たわ。来週、卒業だからか」

 エミーリアは目だけで笑う。
 同時に、おや、と思った。

 入学前の面会室以降、ツァーリはエミーリアにあれ以上、自分の気持ちを話すことがなかった。

 一応、婚約は結んでいたが、あのときの婚約証書は、エミーリアが入学して一年後に出されていた。
 どうして一年後だったのかも、エミーリアは聞いていない。

 色気とは無縁だが、人命救助ビジネスキスの回数は多かったし、その延長でたまに『そういう』空気になっても、ツァーリは頑なに無視していた。

 エミーリアは年頃の健全な婦女子として、その無視を時々無視していたが、それはともかく、四年間、二人の未来を話したことはなかった。

「今さらだが」

 ツァーリは少し躊躇いがちに言う。

「俺はずっと……、まぁまぁ最近まで、お前は本当はレヴと一緒になりたいのかと思ってた」

 ツァーリの告白に、エミーリアは目を細めた。

「とんだ節穴ですね」
「グッ、リリーユにも言われた。……もう思ってねぇよ」
「面会室のアレや、今までのコレでは信じてなかった?」
「コテンパンにされすぎて、理解が何も追いつかなかったんだよ」

 捕食動物の気持ちがわかるか、とツァーリはエミーリアを軽く睨み、エミーリアは軽く肩を竦めた。

「それなりに兄様も反撃していたではないですか」
「ゴホッ。――で、勘違い、もしていたし、何より……あの時、勢いで口をついた言葉に、俺自身が動転して、ずっと……後悔してた。あんな風にお前に言いたくなかった。
 最後までとか、縛るような言い方」

 エミーリアが口を開こうとする前に、ツァーリが言葉を継ぐ。

「来週の卒業式の後、仕切り直したい」

 エミーリアの頬に手をあてたまま、ツァーリは真っ直ぐにエミーリアの菫色を見ていた。

 ――四年間、ツァーリは学院とロヴァ領に、国の許可を得た上で転移陣をつなぎ、往き来をしながら、緑化計画を進めていた。

 テスト植生は三桁の回数を重ね、『デュランハ』のナンバリングは二桁になる。
 ……経過はいたって順調である、とは言えないだろう。
 言えるぐらい簡単な問題なら、百年誰も苦労しない。

 しかし、何度も暗殺されかかったとしても、やはりロヴァ領よりは自由になる時間も安全も約束されていたし、自領より《魔草》の資料や会える人脈が圧倒的だったようで、「来て良かった」とツァーリは何度も言っていた。

 今後は研究を続ける限り、王都の国立植物系研究所に籍を置き、監督・保護されながら、自領と往き来するらしい。

「わかりました」

 エミーリアは頷いた。
 ツァーリの瞳にほっとした色が浮かぶ。

 なお、レヴは、ツァーリの卒業と同時に学院を休学することが決まっている。
 状況を鑑みて、アザーロヴァ家をレヴが継ぐことになるのかもしれないし、身の振り方をどうするのか、何にせよ一度、ロヴァ領に戻ることにしたらしい。
 これは、ベレス領にも関わることだ。
 さらに一年遅れて入学したリリーユは学院に残る。……さぞや、レヴをやきもきさせることだろう。

 エミーリアは――、今のところ、誰からも何も言われていない。
 それについてはありがたかった。自分という人間を周りがよく理解してくれている。

 おそらく、目の前の男を除いては。


 仄白い光が消え、ツァーリは、エミーリアの頬から手を離した。

「……それなりに深かったぞ」
「冷えたので、痛覚が鈍っていたのかもしれませんね」
「お前は……まぁ、いいや」

 はあ、とため息をつくと、おもむろにツァーリは膝立ちのまま、座るエミーリアを引き寄せ、身体で包んだ。

「……どうして、そんなに真っ直ぐでいられんだ」
「真っ直ぐ?」

 エミーリアは腕をツァーリの背中に回し、じわりと伝わる温もりに、息を吐いた。

 ――ガラッ

「お、ここにいた。お邪魔するよ」

 レヴが勢いよく扉を開け、医務室に入ってくる。
 ツァーリに抱きついたまま、エミーリアは眉をしかめる。

「もう少し待てないわけ?」
「何してんの?」

 レヴはまったく悪びれずに笑う。中の気配をわかった上での確信犯だ。
 赤面しつつ慌てて身を離そうと身体をよじるツァーリを逃がさないよう、エミーリアはギチギチと腕に力を入れる。

「人命救助」
「そりゃ大変だ」
「ちょ、離せって!」

 レヴは肩を竦めた。

「取り敢えず報告。
 温室は片付けた。《草》も呼んだ。寮も戻ってオッケー。で、兄上。例の件ですが――」
「馬ッ鹿野郎!その話を今すんな!」

 ツァーリがエミーリアの腕の中でもがきながら暴言を被せる。エミーリアがガッチリ拘束しているので、おいそれと抜け出せない。

「やだなぁ。『経過順調』とのことです。これぐらいは問題ないでしょう?」
「馬鹿野郎!馬鹿野郎!」
「で、エミーリア。例の件だが――」

 暴れるツァーリを無視して、レヴはエミーリアに向いた。

「届いた?」
「あぁ、《草》のとこに置いてる。調整あるから早めに引き取りに行けよな」
「わかった。感謝する」

 エミーリアはパッとツァーリの拘束を解いた。
 ツァーリはすかさず立ち上がり、レヴとエミーリアの会話に眉をひそめる。

「何の話だ」
「じゃ、帰ろうぜ」
「そうね、帰りましょう」
「お前ら、仲良しだな!」

 ツァーリの声に、レヴはキラキラした笑みを浮かべる。

「俺の一番は兄上ですから、安心してくださいね」
「やだ、恋敵ライバルね。知ってたけど」

 答える気のない二人にツァーリはため息をつく。

「帰るか」

 レヴは軽く笑うと、先導して医務室を出た。
 エミーリアもそれに続き、部屋から出ようとした瞬間、後ろから腹部にツァーリの片腕が回され、抱えられる形になった。

「ツァーリ兄様?」
「ったく、本当は腰も軽く痛めてんだろ」

 隠すとか猫か、お前は、と言いながら、《治癒魔術》を腕で抱えたまま展開した。先ほどの意趣返しなのか。

 エミーリアは後ろから回されたその腕に手を重ね、ツァーリの胸に身体を預けると、ツァーリは一瞬身動ぎしたものの、抱き直してくれた。

 レヴが引き返してくるまでの数秒間、エミーリアは目を閉じて温もりを堪能した。


 ――そして、一週間が経った。
 何事もなく、とはいかなかったが、無事に学院内の大講堂で、卒業生と教師陣による卒業式が行われた。

 式自体は二時間程度で終わり、この日のイベントとしては、式後に大ホールに移動して行われる在校生と卒業生、一部の高位貴族を招いた立食での謝恩会が主と言えた。

 なお、卒業生の保護者は、警備上の問題として、卒業式も謝恩会も立ち会いは無しであり、家からの迎えは学院内の別棟にて待機ということになっている。
 この機会にしか会えない立場、最たるものは王家に連なる者だが、是非一度と保護者を名乗る貴族が殺到した年があり、今のようになったらしい。混沌ぶりは想像に難くない。

 大ホールに移動した卒業生、特に貴族である者は恩師や後輩たちとの交流は元より、招かれた貴族たちとの顔繋ぎに忙しい。

 その輪からは遠く外れ、正装したツァーリは、同じく正装したレヴと一緒に話しながら、エミーリアとリリーユを待っていた。
 ツァーリもレヴも、アザーロヴァ家の色である、銀糸の刺繍が美しい漆黒の衣裳に身を包んでいる。

 ツァーリの研究室兼植物温室にある転移陣から、
四人でロヴァ領に一時帰省をし、アザーロヴァ邸にて身内だけでお祝いをする予定だ。

 そもそも、身の危険があるツァーリは、他の学生と積極的には交流を図っていないため、恩師に挨拶を済ませれば、特に用がない。

 ただ――、アザーロヴァ家は身体的にも顔の造作的にも非常に恵まれており、――幼馴染としては、物心つく前から見慣れた顔なので、美醜を評価しづらいが――、遠巻きに女生徒から、最後にせめて一声とばかり、機会をうかがわれていた。

 本人たちも気づいてはいるのだろうが、対処する気はないのだろう。無視の仕方も慣れている様子だ。

 その状況は、少し遅れて大ホールの入り口に立ったエミーリアとリリーユに、すぐに見てとれた。

「まぁ、エミーリアお姉様、御覧になって。猛禽類が我らの幼馴染に集ろうとしていましてよ」
「リリーユ。素敵な花に囲まれて羨ましい限りではなくて?一番可憐な花は勿論貴女だけれども」

 エミーリアは正装したリリーユを見て、目を細める。
 エミーリアとレヴの一歳下である、十六歳になったリリーユは、姉の欲目を別として美しく成長していた。

 エミーリアの瞳の色は先祖がえりの菫色だが、リリーユは父譲りの紺碧色であり、エミーリアの髪色は父譲りの金色だが、リリーユは母譲りの銀色だった。
 そして、女性としてはかなり長身の部類に入り、肉付きの薄いエミーリアとは違い、リリーユは女性として申し分のない体型だった。

 銀の睫毛に縁取られた大きな瞳は潤みがちで、パチパチと瞬きする際、少し儚げな様子が極めて庇護欲をそそる。今日は薄紅を刷いた小さな唇は果実のように瑞々しい。品よく筋のとおった鼻が、絶妙のバランスで配置されている。

 見慣れた顔は美醜を評価しづらい、のは事実だが、この妹の美しさだけは否定しようもない。
 神の仕事は素晴らしい。

 姉妹だが端的に言うと、似ていない。
 見た目も性格も得意分野も違い、共通しているのは、真っ直ぐに伸びた髪の質感ぐらいだろう。自分にリリーユとの共通箇所をひとつでも与えてもらったことが嬉しい。
 神の仕事に感謝したい。

 控えめに言って、妹の顔の造作、姿態を愛している。
 ――中身には触れない。

「お姉様。何かつまらぬことを考えていらっしゃる?」
「妹の麗しさについてだけれど」

 リリーユはこれ見よがしにため息をつく。

「このような正装なぞ、いつでもして差し上げますから、いい加減愛でるのを止めてくださいね。すっかり出遅れてしまって……。
 まぁ、そんな麗しい妹が霞むぐらい、これからお姉様が衆目を集めるわけですが」

 拐われたいほどにお似合いですよ、と若干剣呑な空気を出しつつ、エスコートのための手を差し出す。
 その手を取り、自分の腕に添わせながら、エミーリアは苦笑した。

「大袈裟だわ。『少しばかり』変わった格好をした私が紛れて何かしたところで、皆笑って見逃してくださるでしょう。お目出度い日なのだから」
「お姉様って、どこまで確信犯なの」

 他人の目など気にしたことなどありまして、と問うリリーユに、心外だと軽く片眉を上げて抗議の意を示したところで、二人揃って会場に向かいカーテシーをし、入場した。


 ざわめいていた大ホールが、入り口の周囲から徐々にその声を低くしていき、――やがてホール全体に奇妙な程、静寂が満ちた。

 シュ、というリリーユの衣擦れの微かな音が響き渡り、それが何かの魔術を解いたかのように、暫時、あちらこちらから声を抑えた囁きがサワサワと空間を揺らしはじめる。

 リリーユを讃える声が半分、もう半分は――

 リリーユとエミーリアが歩を進める先に立つ人々は自然と道を開けていく。
 女生徒の集団も道を譲ってくれたので、礼の意味を込め、エミーリアは目だけでにこりと微笑んだ。

「あ……!」

 小さく声が上がり、次々に女生徒が真っ赤に熟れた果実のようになっていく。

 リリーユとエミーリアが向かう先――、ツァーリとレヴはこちらに気づいており、ツァーリは頭を抱え、レヴはニヤニヤ笑っていた。

「よう」

 レヴが片手を上げる。

「ご機嫌よう」
「ご機嫌よう、お兄様方もとい先輩方」
「って、何でウチの騎士服着てんだ、エミーリア!」

 エミーリアは正装をしていた。
 しかし、アザーロヴァ家の騎士礼装――金糸と銀糸の刺繍が華やかな漆黒の衣裳。エミーリアのサラリとした明るい金色の前髪はゆるく編み込み、まとめて後ろにひとつで束ねてある。
 金糸と銀糸の入った組紐で飾り、式典の正装としては問題ない。

「似合いませんか?」
「似合う!俺たちが空気になる程に!」

 エミーリアの隣で、二人のやりとりに即座に殺気を放ったリリーユをツァーリは目で制しながら喰い気味に否定する。
 レヴが顎に手をやり、唸った。

「いやぁ、この衣裳のエミーリアと兄上とが並ぶと何やら倒錯的な雰囲気を醸すな」
「レヴ兄様も節穴ですの?お姉様は涼やかな目元と神がかった配置の泣きぼくろで爆上げした艶気の麗人っぷりが背徳感を出しているのであって倒錯的とはまた違う趣が」

 レヴとリリーユの話はたまに難解である。
 ロヴァ領には女性騎士も多くいて、同様の衣裳を着ることも当然あるのだが、エミーリアが着衣すると男装している感が出てしまうのは、薄い肉体のせいなのだろうか。

 ――いや、これからやろうとしていることには、あまり関係がない。

「そうじゃなくて!ドレスでもなくて、ベレスレフ家の騎士服でもないのは」

 ツァーリが言いかけたところで、エミーリアはツァーリの正面に立つ。

「……決闘なら断るぞ」

 身構えるツァーリに、エミーリアは正対してにっこり笑って見せた。

「侯爵令嬢でも騎士でも《草》でも何でもよくて、単にロヴァ領の騎士の宣誓が、私の気持ちに添う言葉でしたから、レヴに頼んで衣裳を寄越してもらったのです。これを言うのに、他では格好がつかないかと思いまして」

 そこまで言うと、エミーリアはおもむろにその場に片膝をついた。
 ツァーリは目を見開く。

 エミーリアたちの様子を伺いながらも、元の喧騒を取り戻しつつあった会場がザワリと揺れる。

 構わず、エミーリアは目を伏せ、口を開いた。


  我は言葉を幾千尽くし、
  我は誠心を幾万尽くすことを誓う

  この胸に刺さる剣を抜けるのは
  この世で貴方ただ一人

  嗚呼、我を哀れと思うなら、
  嗚呼、我に慈悲を頂けまいか

  貴方は我の心臓いのちでありすべて

  我を生かし、生涯を共に在る
  その権利をどうか我に


「エミーリア・ベレスレフと申します」

 伏せた目を上げると、ツァーリの銀色の瞳とぶつかった。
 銀色には、得も言われぬ感情、強いて言うなら呆れが浮かんでいた。

「お前なぁ……」

 ツァーリが何かを呟く前に、大ホールがドワッと沸いた。キャーという甲高く興奮した声が大部分を占め、かつ熱量が高い。

 もはや何か話せる状態ではないほど、会場はどよめいていた。

 ツァーリは周囲の様子にため息をつくと、レヴとリリーユに目線を送る。
 レヴが笑って頷き、何故か鼻をハンカチーフで抑えたリリーユが片手を振って見せると、ツァーリは跪いて、エミーリアの手を取った。

『行くぞ』

 口唇の動きだけでエミーリアに伝え、エミーリアが応える前に、視界が植物温室に変わっていた。
 転移したらしい。

「怒りました?」

 エミーリアはツァーリに手を引かれ、立ち上がる。ツァーリの眉間には深いシワが寄っていた。

「はあ?惚れた女に騎士の宣誓プロポーズをされて怒る男がいたら会ってみてぇよ。
 騎士の宣誓をされる男が、そうそういねぇだろうが……」

 ツァーリはエミーリアの手を離し、近くの棚へ足早に移動すると、置いてあったツァーリとエミーリアの帰省用の荷物をまとめて片腕で抱えた。

「あいつら二人分の転移ならリリーユが何とかできるだろ。行くぞ」
「先にアザーロヴァ邸に帰るんですか?」
「違う。卒業式の後に仕切り直すって言ったろうが。今度は俺の番」

 ツァーリはエミーリアの手を取ると、再び転移した。




 転移の展開までに数十秒かかり、転移先が近郊ではないことが知れた。

「ここは……」

 エミーリアが周囲を見渡すと、舗装されてはいるものの、大分傷んだ道の脇に立っていた。砂地が目立ち、まばらに低木と農耕用らしき建物が見える。 
 この場所に見覚えがあった。

「ロヴァ領の東南地区。――101線に出たか。
 陣をまだ置いてなかったから、座標で転移したんだが……まぁまぁずれたな」
「あちらの丘を越えたらベレス領でしょう?」
「その丘の向こうに用がある」

 ツァーリは荷物を抱え直し、エミーリアの手を取った。

「悪いな。少し歩く」
「問題ありません。いつもロヴァ領へは北回りで入っているので、ここを通るのは十歳以来で、――報告は受けていましたが、大分侵食していますね」

 エミーリアはツァーリの手を少し強く握り直す。

「ドレスじゃなくて正解でした」
「クッ、普通、式典とか婚約者が衣裳を贈るなり打ち合わせるもんなんだろう?家に問い合わせたら、学院の式典は違うとかなんとか、この手のことに疎い俺でもおかしいとは思ったんだよな……全員お前の味方かよ」
「ツァーリ兄様の味方でもありますよ」
「はあ。……まあ、皆、俺が四年、お前に何も言わずにハッキリしなかったことには怒ってるわな。遠回しに言われたことは全部無視したし。お前も」
「まさか。面会室のアレでほぼ言ってもらっていますし、折々の態度で――、あぁ、レヴをどうこうっていうのは心外でしたが」

 レヴを想いながら、ツァーリ兄様にちょっかい出すような女だと思ったんですね、とエミーリアが見上げると、ツァーリはグッと言葉に詰まった。

「……さっきのお前の宣誓プロポーズを聞いて、すぐに応えない俺をぶっ飛ばしたいとかならねぇのか?」

 エミーリアはふっと笑ってしまった。

「飛ばして差し上げても良いですけど……。
 そんなに気を揉むくらいなら、諦めて『ワン』と鳴いてください」

  我を生かし、生涯を共に在る
  その権利をどうか我に

「……七年越しになったが、答えを返してぇんだよ。七年前の俺は、お前に答えを返すことをこれから先の験担ぎみてぇなもんにした」
「答え、ですか」
「七年前はこんなに掛かるとは思わなかった。そんで三年前ぐらいから滅茶苦茶焦ってた」

 ふ、とツァーリは苦笑し、前を向いて丘を登る。
 急勾配で五十メートルほどの丘だ。

 ツァーリと手を繋いだまま黙って登り、やがて見えてきたのは――


 丘の頂から裾に向かって咲く、薄紫の花の群生だった。

 丘の上から遠目に見える砂地が太陽に反射して金色に光る中、エミーリアたちの立つ場所から縦断するように、薄紫が敷かれている。
 薄紫の間から、所々濃い緑の葉が覗き、薄紫を縁取っているようで一幅の絵画のようだった。

「凄い……」

 エミーリアは言葉を失う。
 その顔を見たツァーリはくしゃりと顔を歪めて笑った。

 エミーリアは一人、歩を進めて、薄紫の花に手を伸ばす。葉の形状を見て気づいた。

「『デュランハ』……」
「元、な。これは、『ヴィオラスティ』」

 ツァーリは足元の花を一輪摘む。

「品種改良で人への無害化には成功してる。もう《魔草》じゃないから、先週、別名を申請したところ」
「『ヴィオラスティ』」

 ツァーリは呟くエミーリアに頷きを返す。
 エミーリアはその場に跪き、『ヴィオラスティ』の花びらをそっと撫でた。

「――『デュランハ』が反応するのは、地下水に含まれる魔力ではなく自然由来の成分に差し替えた、というのは、報告書で読みました」
「ああ。地下水の成分は、経過時間と流れる地質や地形で変化するから、今の『ヴィオラスティ』の起動《トリガー》にした成分で、ロヴァ領をまかなえるかどうか、まだまだ検証が必要なんだが――」

 何とかここでは咲いてくれた――

 ツァーリは薄紫の花を持ったまま、エミーリアに近づく。跪いていたエミーリアは、膝についた露をはらって立ち上がった。

「一番、苦労したのが、花の色で」
「花の色?」
「そう」

 ツァーリはエミーリアに対面し、エミーリアの髪に『ヴィオラスティ』の花を挿した。

「お前の色」

 ツァーリはエミーリアの頬に手をあてる。
 指先を軽く頬の上で滑らせた後、エミーリアの腕を軽く引き、胸に抱き寄せた。

「七年前、お前は俺の家の温室で言ったんだ。
 消去法で砂漠緑化に取り組むことを決めたって言った俺に、気になる『何か』、取っ掛かりになる『好き』があったんじゃないかって」
「そんなことがありましたね」

 エミーリアはツァーリの胸に手を当て、見上げると笑った。

「ロヴァ領のために、この将来《さき》、何をやるべきか考えてる時に、この場所の視察があって――、この場所の砂地って、陽が当たるとお前の髪の色みたいじゃないか?
 ここに菫色の花を咲かせられたら、いいんじゃないかって思ったんだよ。
 ――俺が一番好きな色」

 ツァーリはエミーリアの額に唇を寄せる。

「パッと思いつきみたいなもんだったから、実際やらなきゃいけないことに追われて埋没してたんだ。
 お前に言われて気づいた。
 掛け合わせも紫の花ばっかり選んでて、――俺の中では大事なきっかけで、絶対実現したいことなんだって。
 ……砂漠緑化に取っ掛かりの『好き』。これが、俺の『答え』。
 この光景を絶対に見せると決めてた。お前と一緒にこれから先もこの道を行く」

 ツァーリはエミーリアの頬に頬を寄せながら、息を吐く。首にあたる吐息がくすぐったく、エミーリアは笑って目を細める。

「答え、受け取りました」
「……――お前は護りたいのに、力の足りない自分にいつも怒って。怒りで震えてるだろう?」

 身の内を流れる血の温度が、何処までも下がる。
 何も成せなければ、何もないのと同じ――

 ツァーリは頬に唇を寄せる。

「心から驚いたり、笑ったり、喜んだりした時だけ、お前に温度が戻る」

 ツァーリの息がエミーリアの唇に落ちる。

「生きてるのか、死んでるのか、わからなくなるぐらいでも――、俺がわからせてやるよ」

 ツァーリの言葉の語尾は、エミーリアの咥内に消えた。



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