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十字架、銀弾、濡羽のはおり

100年に一度の-4

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 脳髄を溶かす強烈な快楽と共に、長い眠りから覚める。その感覚は過去に幾度となく味わった。百年に一度訪れる繁殖期、抗うことのできぬドラゴンの本能。ああ、ようやく人の心へと還ることができた。しかしこの度は、どのような悲惨な光景を目にせねばならぬ。
 視界に光が戻ったとき、まず初めに見た物は傷だらけの背中だ。白い肌に浮かび上がる、痛々しい掻き傷。皮膚が破れ薄く血が滲んでいるものもある。肩回りにはたくさんの噛み傷、腰回りには鬱血痕、乱れた黒髪。全ては獣と化した己が犯した愚行だ。

「ゼータ」

 名を呼ぶと、傷だらけのその人物は音もなく振り返った。3日振りに目にする愛しい番の顔。視界に入れれば愛しさ込み上げるその顔が、今は恐ろしくて仕方ない。「散々な扱いを受けた」と罵られるやもしれぬ。「金輪際貴方との行為は御免」と捨てられるのやもしれぬ。苦しいほどの喉が渇くのは、身体が水分を欲しているからか、それとも番を失うことを恐れているからか。

「レイ。気が付いたなら挿さっている物を抜いてもらえます?この態勢で黙りこくられると不安です」
「ん、ああ…」

 言われるがままに、レイバックはゼータの体内から未だ硬さを保つ性器を引き抜いた。剥き出しの秘部から白濁液が溢れ出して、太腿を伝ってはシーツに落ちる。一体今までどれ程の精を吐き出したというのだろう。獣の交尾を思わせる、この淫らな態勢で。
 レイバックは手近な毛布を引き寄せ、局部を覆い隠すようにして膝元にのせた。ゼータもそれに倣い、別の毛布を引き寄せて膝元にのせる。ベッドの上で互いに黙りこくったまま、刻々と時が過ぎる。しかしいつまでも黙り込んでいるわけにはいかないと、レイバックは意を決して口を開く。

「酷くしただろう」
「いえ、そうでもないですよ」
「嘘だ。そんなに傷だらけの身体になって」
「引っ搔き傷なんて、いつもの喧嘩痕に比べたら糸屑みたいなものじゃないですか。前回脇腹を殴られたときの方がよっぽど痛かったですよ」
「喧嘩は喧嘩だ。今回は俺が一方的に傷つけた」

 レイバックは俯き、震える声を絞り出す。こうなることは初めからわかっていた。今までに何度もそうして番の女性を傷つけた。支配欲を満たすがために噛み痕をつけ、掻き痕を残し、抵抗を受ければ力の限りに頬を打った。記憶などなくとも、行為を終え意識を取り戻した後の惨状を目にすれば痛いほどに実感する。人の姿を装っていても、所詮己の本性は獣なのだ。
 俯くレイバックの顔に影が落ちる。ふと顔を上げて見れば、吐息が掛かるほどの至近距離にゼータの顔がある。右頬には薄くなった青痣、肩口には無数の噛み痕。痛々しい傷痕を抱えながらも、ゼータの表情はなぜか笑顔だ。

「私、何だか肌艶が良くなったと思いません?」
「…そうか?」

 レイバックはまじまじとゼータの顔に眺め入る。闇夜を思わせる切れ長の眼、白い歯を覗かせる紅色の唇、行為を終えた直後のためか上気した頬。肩に掛かるほどの長さの黒髪は乱れ、頬や顎に掛かっている。見れば見るほどいつものゼータの顔であるが、言われてみれば多少頬が艶々している。赤みを帯びた頬は、触れれば大福のように柔らかそうだ。

「実は私、この度めでたく新技を会得したんですよ。どんな技だと思います?」
「どんなって…どんなだ?」
「魔力を奪う技ですよ。メリオンが教えてくれたんです。サキュバスは体内に射精を受けることにより、男性から精と魔力を奪うことができるんですって。この技が、レイに対しては効果覿面だったんですよ。ほら、魔力切れの状態に陥ると眠ってしまうじゃないですか。最初の繁殖発動こそ4時間丸々のお相手を余儀なくされましたけれど、メリオンに教示を受けて以降着々と繁殖活動時間を短縮してきました。第7回目の繁殖活動におきまして、ついに活動時間が1時間を切りましてね。私はザトと手を取り合って歓喜の舞を踊ったところですよ」

 くつくつと声を立てて、ゼータは笑う。レイバックは薄いカーテンに覆われた窓を見上げ、それから歓談の間へと続く扉へと視線を移した。当初の予定通りであれば、王の間に隣接する歓談の間、及び王妃の間には厳戒態勢が敷かれているはずである。獣と化したレイバックの暴走に備え、武器を携帯した十二種族長の面々が控えているはずなのだ。

「ザトは王妃の間に控えているのか」
「どうでしょう。私が王の間に入る直前には、姿が見えましたけれど」
「他の皆は?十二種族長の面々に協力を仰ぐことになっていただろう」
「皆とっくに解散しましたよ。ザトとカミラこそ気を遣って王妃の間に滞在してくれていますけれど、他の皆はすっかり平常状態です。魔力を奪うが何たるかを知るだけあって、メリオンは決断が早かったですよ。私が拙いながらもサキュバスの技を使えるとわかったら、即座に入眠宣言をして王妃の間を立ち去りました。魔獣討伐遠征明けだから疲れていたみたいで」

 そう話しながら、ゼータはもぞもぞと尻を動かし枕元へとにじり寄った。レイバックの暴走に備え大半の家具は運び出されている王の間であるが、ベッドの脇には小さな物置台が残されている。物置台の上に置かれた物は銀色の鈴と、2つのコップ、それに橙色の液体で満たされたガラス瓶だ。ゼータは右手にガラス瓶を持ち上げ、内部の液体をコップの一つに並々と注ぐ。爽やかな柑橘の香りが辺りに漂う。
 ゼータに手渡された柑橘の飲料を、レイバックは一息に飲み干した。ザトが最低限の水分を流し込んでくれているとはいえ、3日間に渡り激しい行為に及んだのだ。細胞の一つまでもが乾き、水分を欲している。3杯の柑橘水を飲み干したときに、レイバックの顔には生気が戻った。身体の隅々に養分が行き渡れば、沈みがちであった思考は少し上向きになる。片手に瓶を持ち上げたままのゼータに、ようやくまともな表情を向けることができる。

「本当に無理はしていないんだな?俺のことが怖くはない?」
「怖いわけがないじゃないですか。ちょっと野性的な性行為にお付き合いしただけですよ。何なら私はレイに感謝せねばなりません。目ぼしい魔法は会得しつくしたと思っていましたけれど、まさかサキュバス独自の技が未習得だったとは。やっぱり魔法は奥が深い」

 艶々の頬に笑い皺を作り、ゼータはご機嫌だ。作り物ではない笑顔を見て愛しさが湧き上がるとともに、ふと脳裏に浮かぶ思いがある。考えるよりも先に、想いは口から零れ落ちる。

「ゼータは俺の運命の番だったのか」
「大袈裟だなぁ。たまたま技の相性が良かっただけじゃないですか。でもそういう些細な相性が、結婚生活を送る上では大事なのかもしれないですよね。運命の番か…運命ね」

 運命の番。そう何度も繰り返し、ゼータは笑みを深くする。浪漫に溢れた言葉がどうやらお気に召したようだ。
 レイバックが空のコップを物置台へと戻したとき、ゼータの指先がレイバックの膝に触れた。爪先がこちょこちょと膝上をくすぐり、毛布に包まれた太腿を伝い、硬さを保つ性器の先端に触れる。人の意識を取り戻した今も、繁殖期の余韻は抜けきらない。身体の中心に触れられれば、抗いがたい快楽が背筋を這う。

「それで、どうします?見るところによると、レイの股間はまだ臨戦態勢のようです。まだしたいのなら付き合いますよ。どうせ今日一日は休みを取っていますしね」
「嬉しい言葉だが、疲れてはいないのか?」
「ドラゴンの魔力をたっぷりもらって、今の私は過去に類を見ないくらい元気ですよ。このぷりぷりの頬を撫でてごらんなさい。ああ、でも最後くらいは優しくしてくださいね。野性的な性行為にはもう飽き飽きです。次にお付き合いできるのは…まぁ100年後というところでしょうね」

 緩やかな愛撫に応えるように、レイバックはゼータの首筋に触れる。くっきりと刻み込まれた噛み痕を撫でれば、くすぐったいとばかりに声を立てて笑う。髪の毛の一束が、産毛の一本が、小さなほくろの一つまでもが愛おしい。

「ではご希望に応えて、足先が溶けるくらいに甘やかしてやろう」

 時は夕暮れ。薄いカーテンに覆われた窓の外には、燃えるような夕焼けが広がっている。真っ新なシーツに落ちる橙色の窓灯りは、さながら愛し合う姫と王子を照らす舞台照明。
 愛しい番と想い繋げる場となるのなら、100年に一度顔を出す獣の性も怖くはない。
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