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十字架、銀弾、濡羽のはおり

紳士たる者-1

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 レイバックの繁殖期が終わり、数日経ったとある日のことだ。ゼータは酒瓶を抱きかかえ、いそいそと王宮内を歩いていた。終業時刻はとうに過ぎ、窓の外はとっぷりと日が暮れている。十二種族長の居住階である5階の廊下に人影はない。今夜こうしてゼータが人影のない廊下を歩いているのは、飲み友達であるザトからこう誘いを受けたためだ。「良い酒が手に入った。千年に及ぶ心労が消えた機を祝し、夜が更けるまで飲み明かそうじゃないか」
 ゼータが廊下の最奥にあるザトの私室に立ち入ると、部屋の主は応接用のテーブルにグラスを並べているところであった。いかにも高級そうな摺りガラスのグラスが3つ。グラスの他にテーブルに並ぶは、品の良い矢絣やがすり模様の取り皿が3つに、桜の六角箸。それに山盛りのつまみだ。王宮の厨房に準備を依頼したと思われる揚げ物のオードブル、ザトの好物である唐墨と落花生。一口大の焼き菓子にチーズの盛り合わせ。普段の飲み会に比べ数段豪華なつまみを目にし、ゼータは自らの腹をそっと擦る。今日の夕食に豚カツ定食を選んだのは失敗であった。

「ゼータ、来たか。悪いがそっちの棚から栓抜きを取ってくれ」
「あ、はい」

 ゼータはザトに言われた通り、出入口脇に置かれた飾り棚の引出しを開ける。一抱えもある引出しの中身にある物は、数え切れない程の栓抜きと酒器、コースターにマドラーといった酒飲み道具だ。酒飲み道具を収集することはザトの趣味の一つで、中には明らかに実用性に欠ける道具も見受けられる。ゼータはたくさんの栓抜きの中から比較的使い勝手の良さそうな物を一つ選びだし、手のひらに握り込む。
 ゼータが手にした栓抜きをテーブルの端にのせた、その時だ。部屋の扉が開き、一人の男が入室する。部屋の鴨居に届きそうなほどの長身に、凛と伸ばされた背筋。烏羽色の羽織を翻す様は踊り子のように美しい。耳朶を隠す長めの黒髪に、色素の薄い灰色の瞳を持つ人物は、吸血族長のメリオンだ。ドラキス王国においてレイバックに次ぐ実力者であるとともに、ポトス城の紳士と名高い人物である。

「メリオン、この度はありがとうございます。急な誘いに応じてくれて」

 まずは社交辞令の挨拶を。ゼータはメリオンの傍に歩み寄る。今夜メリオンが飲みの場に召喚されたのは、他でもないゼータ自身が望んだためだ。ドラキス王国内で希少なバルトリア王国出身者であるとともに、神獣レイバックに次ぐ実力者。噂によれば魔法の腕は王宮隋一で、王宮軍の助っ人要因として時折魔獣討伐に駆り出されるのだという。類稀なる経歴に多大な興味を抱きながらも、ゼータは長い間メリオンとまともな接触を果たせずにいた。ポトス城の紳士として王宮内侍女官吏の支持を集めるメリオンに、積極的な接触を図ることが躊躇われたのである。しかし幸運なことにも先のレイバックの繁殖期において、ゼータはメリオンと個人的な会話を交わすことに成功した。裸まで見られたのだから、最早気後れする理由など何もない。そう考え、メリオンと懇意にしているというザトに召集を依頼したのである。
 紳士のプライベートは如何様であろうか。ゼータはわくわくと心弾ませる。しかし社交辞令の挨拶に返される紳士の言葉は、想像だにせぬものである。

「男の姿か、つまらんな。昼休み返上で練り上げた口説き文句をどうしてくれる」

 そう吐き捨てると、メリオンは片頬を歪め嫌味と笑った。普段の紳士たる笑みからは想像も付かぬ、見る者に不快感すら与える顔だ。思いもよらぬ紳士の素顔に、ゼータは言葉をなくし硬直する。石像のように固まるゼータを出入り口脇に残し、メリオンはさっさと部屋の中に進み入る。

「ゼータ、メリオンはこういう男だ。言動を不快と感じれば、早めに追い出した方が良い」

 部屋の奥からザトの声が飛んでくる。ゼータははっと意識を取り戻し、それから慌てて口を開いた。

「いえ、紳士の素顔が意外だっただけです。不快とは感じていませんよ」
「そうか?嫌なことは素直に嫌と言えよ。曖昧な態度を取っていると、メリオンは見る見る付け上がるぞ」

 ゼータとザトが会話を交わす傍らで、メリオンは一人ソファへと腰かけた。黒羽織の内ポケットをまさぐり、つまみと思われる小袋を数種取り出す。テーブルの上に小袋を積み上げるメリオンに向け、部屋奥よりザトの叱咤が飛ぶ。

「メリオン。公務時間外とはいえ王妃の御前だぞ。もう少し物言いを考えろ」
「俺は気ままな飲み会と聞いたから来たんだ。お前が気安く接しているのに、なぜ俺だけが気を遣わねばならん」
「俺は長い時間を掛けて、ゼータと今の関係を築いたんだ。初めのうちはそれなりに気を遣っていた」

 もっともとしか言いようのないザトの叱咤に、メリオンはふんと鼻を鳴らす。それから徐に立ち上がり、ゼータに向けて優雅な一礼をする。端正な顔に張り付けられた表情は、紳士と名高い「公務中」のメリオンの顔だ。

「ゼータ様。貴方様がお望みであれば、喜んで時間外対応をさせていただきますよ。ただし金輪際、私的な飲みの席に私を誘わないでいただきたい」

 丁寧な言い回しながらも、メリオンの言葉の端々には苛立ちが滲む。公務時間外の言葉に言い直せば「表面上の仲良しこよしは御免だ」というところか。しかしそれは裏を返せば、現在のメリオンにはゼータとの距離を詰めるつもりがあるということだ。この機を逃しては、王宮随一の魔法の使い手と仲を深める機会は2度と訪れない。甚だしい機会損失だ。ゼータは紳士の顔をしたメリオンに向け、笑みを送る。

「気楽にしてもらって良いですよ。私は、仲良くなりたいと思ってメリオンを酒の席に招待したんですから」

 後悔するなよ。憐れみを含むザトの声が、ゼータの耳に届く。

 間もなくして。ザトの音頭で飲み会は厳かに開始された。3つのグラスに注がれる酒は、ザトの手持ちの葡萄酒だ。ラベルに葡萄畑の絵が描かれた酒瓶は、ゼータも何度か手に取った経験のある一品だ。

「ザト。このお酒は貰い物ですか?良い酒が手に入った、と言っていましたよね」
「王からの賜り物だ。過去9度の繁殖期の世話料、と仰っていた」

 なるほど、とゼータは舌先で葡萄酒を転がす。ドラキス王国建国以後10回目となる、レイバックの繁殖期を無事乗り越えたのはつい先日のこと。サキュバスであるゼータが番役を引き受けたことにより、今まで繁殖期の補佐を一役に担っていたザトは激務から解放された。ゼータが王妃として傍らにいる限り、100年に一度の繁殖期の到来は最早怖くないだの。レイバックがザトに酒を贈りたくなる気持ちも、ザトが飲みの席にゼータを誘いたくなる気持ちにも、全くもって納得がいく。しかし贈り物の内容にはいささか疑問が残る。今3人のグラスに注がれた葡萄酒は、ポトスの街の酒屋で頻繁に見かける品だ。手頃な値段の割に味が良いという理由で、飲み会に土産にと買い求める客は多い。

「千年分の世話料にしては値段がお安すぎやしません?このお酒、あまり珍しい物ではないですよね」
「口を開く前に箱の中身をよく見ろ、痴れ者め」

 ゼータの疑問はメリオンに一蹴された。思いもよらぬ罵倒に唇を尖らせるゼータであるが、文句の言葉はひとまず腹の内に収め、言われた通りザトの足元に置かれた箱の中身を覗き見る。その箱は飲み会開始当初からその場所にあった。しっかりとした造りの木箱の中身は、全て酒瓶だ。テーブルの上にのせられた開封済みの1本を含めれば、全部で24本。しかも全てが同様の形状の酒瓶である。しかしよくよく眺めてみれば、コルクの色合いやラベルに書かれた葡萄畑の絵が少しずつ異なる。中には色褪せ、書かれた文字がほとんど読めないようなラベルもある。

「全部同じ酒…ではないですね。もしかしてこれ、かなり古い葡萄酒ですか?」
「この葡萄酒は大衆酒であると同時に、収集家の間で絶大な人気を博している。通常葡萄酒の熟成期間は長くて50年というところだが、この葡萄酒は数百年単位での熟成が可能だ。しかも時が経てば経つほど美味くなる。俺は過去知り合いの伝手で、300年物という葡萄酒を頂いた。酒の味に身震いしたのは、後にも先にもあの時だけだ」

 メリオンの説明を聞きながら、ゼータは床置きの木箱へと歩み寄った。木箱の脇にしゃがみ込み、ずらりと羅列する酒瓶から最も年季の入った1本を取り出す。褪せたラベルに目を凝らし、小さな文字を読む。

「…製造は500年前ですね」
「そこまで行くと、流石の俺も味の想像がつかん。値段もな」

 500年の時を経た熟成葡萄酒。ゼータはぶるりと身震いをし、ガラス細工を扱うがごとく動作で酒瓶を木箱に戻す。背筋をぴんと伸ばし、自らの座席へと戻る。気ままな飲み会と思いきや、随分と恐れ多い酒の席に招待されてしまったようだ。グラスに注がれた葡萄酒にちびりと口を付けた後、ゼータは遠慮がちに口を開く。

「ザト。このお酒、私達が一緒に飲んでも良いんですか?レイがザトに贈った物なんですよね。今日の飲み会は別のお酒を飲むことにして、贈り物の酒は後日ザトが一人で…」
「良い酒は皆で飲むから美味いんだ。それに王は、俺がゼータを誘うことなどお見通しだぞ。つまみの唐墨と焼き菓子は、葡萄酒と一緒に王から贈られた物だ。唐墨は俺の好物だがな。甘ったるい焼き菓子など、脳の糖分が枯渇せん限り食わんぞ、俺は」

 ゼータはテーブルに並ぶ多種のつまみを眺め下ろした。揚げ物のオードブル、唐墨と落花生、チーズの盛り合わせ、それにメリオンが持ち込んだ小袋の菓子。そしてゼータの目の前に置かれた漆塗りの菓子鉢には、薄紙に包まれた焼き菓子が盛られている。てっきり甘党のゼータのためにザトが用意した物かと思いきや、提供者はレイバック。葡萄酒の開封にゼータが立ち会うことは、レイバックの予想の範疇ということだ。

「それじゃあ遠慮なく頂きます。次はどの瓶を開けましょうか。酔いが回る前に、一番古い瓶を開けてみます?」

 再び木箱を覗き込むゼータに、すかさずメリオンから抗議の言葉が飛ぶ。

「おい、ここまで見事に揃った酒だ。新しい物から順に開けろ。楽しみは最後にとっておけ」
「それだと今日中に最後まで辿り着けませんよ。全部で24本もあるんですよ。葡萄酒だけじゃ飽きるから、途中で他のお酒も挟みたいところですし」
「お前はざるだと聞いている。あれは嘘か」
「いえ、相当飲めると自負しておりますが…」

 ゼータは自他ともに認める大酒飲みだ。そして飲み友達であるザトも、ゼータほどではないにしろ相当の笊。2枚の笊が合わされば相当な量の酒を消費することができるが、それにしても24本の葡萄酒は多すぎる。残されたメリオンの戦力やいかに。ゼータの疑問に答える者は、空いた3人分のグラスに葡萄酒を注ぐザトである。

「メリオンは俺以上の笊だ。かれこれ150年の付き合いになるが、酔ったところなど見た事がない」

 ゼータの心配は杞憂であったようだ。

 酒の話題で舌が滑らかとなった3人は、もっぱら種族の話題で盛り上がった。多種の種族が混在するドラキス王国であるが、国内に住まう悪魔族と吸血族の数は極端に少ない。その理由はと言えば、両種族に属する者が多種族に比べ好戦的な性格であるためだ。戦いを好む者は平和の象徴であるドラキス王国よりも、荒国である隣国バルトリア王国に籍を置く。平和と混沌。相反する2つの国を行き来する者は、多く見積もっても年間数名程度に留まっている。吸血族であるメリオンと、悪魔族であるゼータとザト。属する種族は違えど、互いに希少な種族であれば共有できる悩みもある。「数ある情報誌の中で、悪魔族と吸血族向きの物だけが存在しない」「容姿に魔族らしい特徴がないため、街を歩いていると人間を対象とした客引きに引っかかる」「使える魔法が特殊であるため、飲みの席で魔法談話に花咲かせられない」愚痴を重ねるうちに酒は進み、気が付けば半数の酒瓶が空となり床に転がっている。

 ザトの手が記念すべき12本目の酒瓶を開けたとき、場の話題はといえばレイバックの繁殖期に掛かるものであった。それまでは淡々と会話に応じていたメリオンが、ここに来て途端に饒舌となる。

「初めて人の魔力を奪った感想は。堪らなく気持ち良かっただろう」
「そうですねぇ。身体の中がぽかぽかして、満たされました」
「お綺麗な感想は不要だ。性的に興奮したかどうかと聞いている」
「…性的に?どういうことですか?」

 ゼータは心底訳がわからぬという表情を浮かべる。メリオンは灰色の瞳を瞬かせ、腕を組み考え込む。

「初めはそのくらいの感覚だったか?大昔のことなど忘れてしまった」
「ちょっとちょっとメリオン。魔力を奪うのが性的に興奮するって、どういう意味ですか?」

 メリオンにとっては単なる雑談、しかしゼータにとっては無視できない話題である。慌てふためくゼータを尻目に、メリオンは淡々と講義を開始する。

「魔力を奪う行為には性的快楽が付きまとう。吸血族、サキュバス問わずな。もう150年以上も前になるが、ポトスの街で吸血族による強姦事件が多発していた時期があったろう。その原因がこれだ。吸血族は吸血行為により、多種族から血と魔力を奪い取る。即ち吸血行為は性的快楽をもたらすものだ。だから止められない。快楽を欲するがために血を求め、血を口にすればより以上の快楽を求めずにはいられない。人は誰しも、肉欲には弱いものだ」

 講義の最中に、ゼータはそっとザトの様子を盗み見た。ソファに深く腰かけたザトは目と口を閉じ、この話題に関し知らぬ存ぜぬを貫いている。国家のナンバー2と名高い男は、下賤な会話は好まぬようだ。黙りこくるザトとは対照的に、メリオンは大層楽しそうだ。

「バルトリア王国に住まうサキュバスは、まず間違いなく複数名の男と性的関係を持つ。互いに了承の上で魔力を貰い受ける場合がほとんどだが、中には惑わしの術を使い強引な性行為に及ぶ輩もいる。魔力の吸収により得られる性的快楽は、それだけ強烈だということだ」
「ははぁ…便利な技だと浮かれていましたけれど、多用はしない方がよさそうですね」
「淫らな性生活を送りたくなければ、技の使用は最小限に留めるが吉だ。だがそう簡単に止められるかな?満たされたとの表現を聞く限り、初めての魔力の吸引に多少の快楽は感じたのだろう。快楽の度合いは被吸引者の魔力の質や魔力量に左右される。悪いことにお前が魔力を奪う相手は、神獣であるドラゴンの王だ。与えられる快楽はさぞかし強烈であろう」

 メリオンはグラスに残った葡萄酒を飲み干し、口端に残る液体を手の甲で拭う。研ぎ澄まされた4本の犬歯には、人の血液を思わせる葡萄酒がよく似合う。

「神獣の魔力によりもたらされる快楽は、兼ねてより俺の興味の対象であった。しかし偉大なる王の首筋に傷を付けるというのも躊躇われる。切々と事情を説明し、負傷時に流れ落ちた血液を舐めとらせていただくか?しかし血を貰い受ければ身体を繋げたくなる。王の御神体を組み敷く、それもまた一興か…」

 至極真面目な表情のメリオンの傍らでは、ザトが白目を剥き天井を仰いでいる。ポトス城の紳士と名高いメリオン。紳士の皮を剥いだことを、ゼータは今さらになって深く後悔する。
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