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「す、すみません!」
慌てて腕から逃れようとするものの、ヴィンセントは私をしっかりと抱きかかえてしまっている。ぽすん、と彼の胸に頬を預け、私はおそるおそるヴィンセントを見上げた。
「どうされましたか……?」
彼は答えず、ただただ難しい顔で私を見下ろしてくる。
繊細な金色のまつげと、美しい鼻梁。薄情そうな薄い唇は彫像めいて堅そうなのに実際には柔らかいのだ。私はそれを知っているから、見ているうちに触れたくなってきてしまう。そんなことはもちろん、できないのだけれど。
やがて、ヴィンセントの唇が、ゆっくりと動く。
「やはりお前も、寝ていないな?」
言葉と同時に落ちてくる、疑いの目。私は慌てて首を横に振る。
「まさか、そんなことあるわけないじゃないですか!」
「ならばなぜ、私が夜中に起きていると気づいている。私が寝るまで起きているからだろう。違うか?」
鋭い。それは確かにそうだ。でも、私はおそるおそる反論した。
「ヴィンセント様が寝たあと、朝方にちゃんと寝てます。徹夜も三回までならいける人間なので、今はめちゃめちゃ余裕があるんですよ。食事も三食出ますし、寝台もふかふかしているし、ヴィンセント様が隣にいたらそれはもう栄養ですし、ひゃっ!」
反論している途中で、私の体はふわりと浮く。
「な、何?」
浮遊感におびえてヴィンセントの首にしがみついた。私はヴィンセントに膝裏と背中を支えられており、つまり、いわゆる、お姫様だっこをされている。
お姫様だっこ。私が。ヴィンセントに。
自覚すると一気に顔が熱くなり、私は焦った。
「ヴィンセント様、ダメです、下ろしてください!」
「何がダメだ」
「重いですから、私! ヴィンセント様の腰が壊れます!」
反射的に叫ぶと、ヴィンセントは小さく吹きだした。
「これで? 腰が?」
「腰痛を甘く見ちゃ駄目です、ほんとに大事にしてください……!」
私は必死に懇願するが、ヴィンセントは気にした様子もない。私を抱っこしたまま、とっとと扉に向かって歩き出す。
「そんなことを気にするくらいなら、きちんと寝ろ。このまま寝台まで連れて行く」
「待ってください、このまま!? このままですか?」
「放したら逃げるだろう」
ヴィンセントは当然のように言い、私を抱いたまま器用に扉を開いた。
これは、本気だ。本気でお姫様だっこのまま、私を寝室に運ぶ気だ。
顔に集中していた熱さが一気に全身に回り、いたたまれない。
「逃げませんよ、なんだと思われてるんですか、私は!」
「献身的すぎて、見ていると不安になる部下」
廊下に出ると、蜜ロウソクとどことなく隠微な香りが漂う。
ロウソクだけで照らされた暗くて広い廊下をうかがいつつ、私は続ける。
「なるほど。いや、なるほどではなくて。ヴィンセント様が働いているのに、私が休むわけにはいかなくないですか?」
当然の理屈だと思ったのだけれど、ヴィンセントは難しい顔だ。
少し黙ったのち、少し冷たい目をして私を見下ろす。
「……あまりそういうことを言うようだと、寝台に縛り付けることになるが、いいのか?」
「それは……ちょっとときめきますね」
「ときめ、き……?」
戸惑って顔をしかめるヴィンセント。
威厳があるのにどこかかわいらしくて、私の顔は緩んでしまう。
と、そのとき。
どこか遠くで、誰かの悲鳴が聞こえた気がした。
「っ……!」
私はついつい、ヴィンセントの首に強くしがみつく。
「おびえるな。わたしがいる」
私を抱くヴィンセントの手にも力が入る。私は、すぐそばにある温かい体に集中した。どことなく甘く変化した彼の香りと、間近にある鼓動に神経を傾けていると、恐怖が少しずつ抜けていく気がした。
ヴィンセントがいる。
それだけで、この宮廷から漂う陰気に呑まれずに済む。
「どのへんから聞こえたんでしょうか……」
私はつぶやき、ヴィンセントの腕の中から、宮殿の廊下を見渡した。
廊下と言っても、宮殿のそれは長細くて天井の高い大きな部、と言ったほうが正しい気がする。屋色つきの大理石で模様が描かれた床には円柱が立ち並び、その間には奇妙な彫像が置かれている。
そのひとつが、不意に動いた。
「ひっ!」
私は今度こそ悲鳴をあげかけた。ヴィンセントの体もわずかに緊張する。
が、すぐにその緊張はほどけたようだ。
彼は私を抱いたまま、彫像のほうに声をかける。
「リリア殿か。このようなところで何をされていたのだ」
目をこらしてみると、彫像の影から出てきたのは確かに化け物ではなかった。
露出の少ない白いケープつきワンピースの下に、華奢な体と少し不釣り合いなくらいの大きな胸を隠した女性。宮廷付き聖女のリリアだった。
慌てて腕から逃れようとするものの、ヴィンセントは私をしっかりと抱きかかえてしまっている。ぽすん、と彼の胸に頬を預け、私はおそるおそるヴィンセントを見上げた。
「どうされましたか……?」
彼は答えず、ただただ難しい顔で私を見下ろしてくる。
繊細な金色のまつげと、美しい鼻梁。薄情そうな薄い唇は彫像めいて堅そうなのに実際には柔らかいのだ。私はそれを知っているから、見ているうちに触れたくなってきてしまう。そんなことはもちろん、できないのだけれど。
やがて、ヴィンセントの唇が、ゆっくりと動く。
「やはりお前も、寝ていないな?」
言葉と同時に落ちてくる、疑いの目。私は慌てて首を横に振る。
「まさか、そんなことあるわけないじゃないですか!」
「ならばなぜ、私が夜中に起きていると気づいている。私が寝るまで起きているからだろう。違うか?」
鋭い。それは確かにそうだ。でも、私はおそるおそる反論した。
「ヴィンセント様が寝たあと、朝方にちゃんと寝てます。徹夜も三回までならいける人間なので、今はめちゃめちゃ余裕があるんですよ。食事も三食出ますし、寝台もふかふかしているし、ヴィンセント様が隣にいたらそれはもう栄養ですし、ひゃっ!」
反論している途中で、私の体はふわりと浮く。
「な、何?」
浮遊感におびえてヴィンセントの首にしがみついた。私はヴィンセントに膝裏と背中を支えられており、つまり、いわゆる、お姫様だっこをされている。
お姫様だっこ。私が。ヴィンセントに。
自覚すると一気に顔が熱くなり、私は焦った。
「ヴィンセント様、ダメです、下ろしてください!」
「何がダメだ」
「重いですから、私! ヴィンセント様の腰が壊れます!」
反射的に叫ぶと、ヴィンセントは小さく吹きだした。
「これで? 腰が?」
「腰痛を甘く見ちゃ駄目です、ほんとに大事にしてください……!」
私は必死に懇願するが、ヴィンセントは気にした様子もない。私を抱っこしたまま、とっとと扉に向かって歩き出す。
「そんなことを気にするくらいなら、きちんと寝ろ。このまま寝台まで連れて行く」
「待ってください、このまま!? このままですか?」
「放したら逃げるだろう」
ヴィンセントは当然のように言い、私を抱いたまま器用に扉を開いた。
これは、本気だ。本気でお姫様だっこのまま、私を寝室に運ぶ気だ。
顔に集中していた熱さが一気に全身に回り、いたたまれない。
「逃げませんよ、なんだと思われてるんですか、私は!」
「献身的すぎて、見ていると不安になる部下」
廊下に出ると、蜜ロウソクとどことなく隠微な香りが漂う。
ロウソクだけで照らされた暗くて広い廊下をうかがいつつ、私は続ける。
「なるほど。いや、なるほどではなくて。ヴィンセント様が働いているのに、私が休むわけにはいかなくないですか?」
当然の理屈だと思ったのだけれど、ヴィンセントは難しい顔だ。
少し黙ったのち、少し冷たい目をして私を見下ろす。
「……あまりそういうことを言うようだと、寝台に縛り付けることになるが、いいのか?」
「それは……ちょっとときめきますね」
「ときめ、き……?」
戸惑って顔をしかめるヴィンセント。
威厳があるのにどこかかわいらしくて、私の顔は緩んでしまう。
と、そのとき。
どこか遠くで、誰かの悲鳴が聞こえた気がした。
「っ……!」
私はついつい、ヴィンセントの首に強くしがみつく。
「おびえるな。わたしがいる」
私を抱くヴィンセントの手にも力が入る。私は、すぐそばにある温かい体に集中した。どことなく甘く変化した彼の香りと、間近にある鼓動に神経を傾けていると、恐怖が少しずつ抜けていく気がした。
ヴィンセントがいる。
それだけで、この宮廷から漂う陰気に呑まれずに済む。
「どのへんから聞こえたんでしょうか……」
私はつぶやき、ヴィンセントの腕の中から、宮殿の廊下を見渡した。
廊下と言っても、宮殿のそれは長細くて天井の高い大きな部、と言ったほうが正しい気がする。屋色つきの大理石で模様が描かれた床には円柱が立ち並び、その間には奇妙な彫像が置かれている。
そのひとつが、不意に動いた。
「ひっ!」
私は今度こそ悲鳴をあげかけた。ヴィンセントの体もわずかに緊張する。
が、すぐにその緊張はほどけたようだ。
彼は私を抱いたまま、彫像のほうに声をかける。
「リリア殿か。このようなところで何をされていたのだ」
目をこらしてみると、彫像の影から出てきたのは確かに化け物ではなかった。
露出の少ない白いケープつきワンピースの下に、華奢な体と少し不釣り合いなくらいの大きな胸を隠した女性。宮廷付き聖女のリリアだった。
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