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私はとっさに姿勢を正し、廊下の端に寄った。
「申し訳ありません。寝不足で……たるんでおりました」
なるべくハキハキと、低い声で言った。できれば、若い男性兵士だと思ってスルーしてほしい。
もしも女だとばれたら――。
新皇帝のせいで風紀の乱れまくったこの宮廷で、無事でいられるとは思えない。
「なんだよ、寝不足か。お前もどっかの女としけこんでたのか?」
「わかるわかる。張り切っちゃうと、次の日きっついよなー。ほどほどにしろよっ」
近衛兵たちは一気に砕けた調子になり、二人して私の前を通り過ぎようとした。
私はわずかに安堵する。
宮廷内が薄暗いのが味方してくれた。
早く、早くもっと遠くへ行って……と祈ったそのとき。
「……」
ひとりの近衛兵の足が止まる。
「どしたの?」
つられて、もうひとりも足を止める。
二人は私から、まだ三歩ほどしか離れていない。
緊張が戻ってくる。私は息を潜めて、二人の様子をうかがう。
先に立ち止まったほうの近衛兵が、くんくんと空中の匂いを嗅いだ。
「なんか、甘い匂いがしないか?」
「あー、今、香ったね。木の実みたいな……っていうか、これ、アレか? カパスの実」
もうひとりの近衛兵が返し、二人は顔を見合わせる。
まずい。女性用避妊薬の匂いが、バレた。
ごまかすのは……多分、無理だ。
「っ!」
私はすぐさま身を翻し、駆け出そうとする。
が、すぐに近衛兵に腕を掴まれた。
「待てよ」
「痛っ……! 放してください」
ダメ元であがいてみるが、相手は兵士だ。あっという間に私の手を背中にひねり上げ、動けなくしてしまった。
歯を食いしばる私を、若い兵士達がしげしげと見る。
「へぇ。おい、見てみろよ。この冬の国の兵隊さん、女だ」
「ほんとだ。結構胸も大きいじゃん。顔もかわいいし」
からかうように言いながら、軍服のボタンを外された。簡単な下着とシャツに包まれた私の胸が、上着の圧迫から逃れて元のボリュームを取り戻す。
ひゅー、と口笛を吹き、兵士がシャツの上からやわやわと胸を揉んできた。
「うっ……」
布越しに指を感じるだけで、ぞわっと嫌な鳥肌が立つ。
……気持ち、悪い。
「気持ちいいでしょ。俺ね、女の子に優しいんだ」
甘ったるい声を出されたけれど、こんなのが気持ちいいわけなかった。
私をひねり上げているほうの兵士も、へらへらしながら聞いてくる。
「君、なんで軍服着てるの? ほんとに兵士? それとも、兵士を慰める役?」
いらっ、と、嫌な気持ちが胸の中に生まれる。
私は、エレナは、ヴィンセントの部下だ。ヴィンセントが、部下に兵士を慰める役なんかもうけるわけがない。
ヴィンセントを馬鹿にするな。
そんな気持ちで、私は勇気を奮い立たせた。
「私は……ヴィンセント様の従者です。お仕事のお手伝いもしています」
できるかぎり、きっぱりと言う。
胸を揉んでいた兵士は、ヴィンセントの名を聞くと手を止めた。
「ヴィンセント閣下の」
「そうです。ヴィンセント様は、こんなときでも懸命に仕事をしておられます」
なるべくきっぱりと言い、目の前の兵士をにらみつける。
兵士はまじまじと私を眺め、にやーっと笑った。
「なーるほど。じゃ、ヴィンセント閣下の執務室の机に潜り込んで、ペロペロとかしてるんだ?」
かっ、と頭のどこかが熱くなる。それは私の汚い妄想でしかない。
私は自由になる足で、背後の兵士の足を思いっきり踏みつけた。
「いてぇ!」
かかとを力一杯めりこませると、背後の兵士の手がゆるむ。
私は兵士から身を振り放し、ぎっ、と彼らをにらむ。
「やめてください。ヴィンセント様は、そんな方じゃありません!」
さらに続けようとしたとき、頬に痛みが炸裂した。
「くっ……!」
気づくと、冷たい石の床に転がっている。
頬がじんじんと痛んでいる。
頬を張り飛ばされたんだ、とわかった。
すぐには立ち上がれない私の背に、重くて堅いものが載る。兵士の靴底だろう。
「そんな方じゃなかったら、なんでお前は避妊薬の匂いぷんぷんさせてんだよ」
私を踏みつけにして、兵士があざ笑う。
頬に冷たい石を感じながら、私は、兵士たちの笑い声を聞く。
私を馬鹿にする声。女を、ものとしか思っていない声。
この屈辱は、知っている。知っているから、傷つかない。
ブラック企業のみなさんも、過去に付き合った男たちも、みんなみんな私をひととしては見なかった。それでも私は生きてこられた。だからここでも大丈夫。この痛みは乗り越えられる痛み。私は、平気。
私は首をねじ曲げる。兵士を見上げて、笑ってやった。
「あなたたちみたいな獣が、放し飼いになってるからですよ」
「申し訳ありません。寝不足で……たるんでおりました」
なるべくハキハキと、低い声で言った。できれば、若い男性兵士だと思ってスルーしてほしい。
もしも女だとばれたら――。
新皇帝のせいで風紀の乱れまくったこの宮廷で、無事でいられるとは思えない。
「なんだよ、寝不足か。お前もどっかの女としけこんでたのか?」
「わかるわかる。張り切っちゃうと、次の日きっついよなー。ほどほどにしろよっ」
近衛兵たちは一気に砕けた調子になり、二人して私の前を通り過ぎようとした。
私はわずかに安堵する。
宮廷内が薄暗いのが味方してくれた。
早く、早くもっと遠くへ行って……と祈ったそのとき。
「……」
ひとりの近衛兵の足が止まる。
「どしたの?」
つられて、もうひとりも足を止める。
二人は私から、まだ三歩ほどしか離れていない。
緊張が戻ってくる。私は息を潜めて、二人の様子をうかがう。
先に立ち止まったほうの近衛兵が、くんくんと空中の匂いを嗅いだ。
「なんか、甘い匂いがしないか?」
「あー、今、香ったね。木の実みたいな……っていうか、これ、アレか? カパスの実」
もうひとりの近衛兵が返し、二人は顔を見合わせる。
まずい。女性用避妊薬の匂いが、バレた。
ごまかすのは……多分、無理だ。
「っ!」
私はすぐさま身を翻し、駆け出そうとする。
が、すぐに近衛兵に腕を掴まれた。
「待てよ」
「痛っ……! 放してください」
ダメ元であがいてみるが、相手は兵士だ。あっという間に私の手を背中にひねり上げ、動けなくしてしまった。
歯を食いしばる私を、若い兵士達がしげしげと見る。
「へぇ。おい、見てみろよ。この冬の国の兵隊さん、女だ」
「ほんとだ。結構胸も大きいじゃん。顔もかわいいし」
からかうように言いながら、軍服のボタンを外された。簡単な下着とシャツに包まれた私の胸が、上着の圧迫から逃れて元のボリュームを取り戻す。
ひゅー、と口笛を吹き、兵士がシャツの上からやわやわと胸を揉んできた。
「うっ……」
布越しに指を感じるだけで、ぞわっと嫌な鳥肌が立つ。
……気持ち、悪い。
「気持ちいいでしょ。俺ね、女の子に優しいんだ」
甘ったるい声を出されたけれど、こんなのが気持ちいいわけなかった。
私をひねり上げているほうの兵士も、へらへらしながら聞いてくる。
「君、なんで軍服着てるの? ほんとに兵士? それとも、兵士を慰める役?」
いらっ、と、嫌な気持ちが胸の中に生まれる。
私は、エレナは、ヴィンセントの部下だ。ヴィンセントが、部下に兵士を慰める役なんかもうけるわけがない。
ヴィンセントを馬鹿にするな。
そんな気持ちで、私は勇気を奮い立たせた。
「私は……ヴィンセント様の従者です。お仕事のお手伝いもしています」
できるかぎり、きっぱりと言う。
胸を揉んでいた兵士は、ヴィンセントの名を聞くと手を止めた。
「ヴィンセント閣下の」
「そうです。ヴィンセント様は、こんなときでも懸命に仕事をしておられます」
なるべくきっぱりと言い、目の前の兵士をにらみつける。
兵士はまじまじと私を眺め、にやーっと笑った。
「なーるほど。じゃ、ヴィンセント閣下の執務室の机に潜り込んで、ペロペロとかしてるんだ?」
かっ、と頭のどこかが熱くなる。それは私の汚い妄想でしかない。
私は自由になる足で、背後の兵士の足を思いっきり踏みつけた。
「いてぇ!」
かかとを力一杯めりこませると、背後の兵士の手がゆるむ。
私は兵士から身を振り放し、ぎっ、と彼らをにらむ。
「やめてください。ヴィンセント様は、そんな方じゃありません!」
さらに続けようとしたとき、頬に痛みが炸裂した。
「くっ……!」
気づくと、冷たい石の床に転がっている。
頬がじんじんと痛んでいる。
頬を張り飛ばされたんだ、とわかった。
すぐには立ち上がれない私の背に、重くて堅いものが載る。兵士の靴底だろう。
「そんな方じゃなかったら、なんでお前は避妊薬の匂いぷんぷんさせてんだよ」
私を踏みつけにして、兵士があざ笑う。
頬に冷たい石を感じながら、私は、兵士たちの笑い声を聞く。
私を馬鹿にする声。女を、ものとしか思っていない声。
この屈辱は、知っている。知っているから、傷つかない。
ブラック企業のみなさんも、過去に付き合った男たちも、みんなみんな私をひととしては見なかった。それでも私は生きてこられた。だからここでも大丈夫。この痛みは乗り越えられる痛み。私は、平気。
私は首をねじ曲げる。兵士を見上げて、笑ってやった。
「あなたたちみたいな獣が、放し飼いになってるからですよ」
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