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第5章:後退は撤退にあらず
第1話:生きる
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ニコラス=ゲージが言うには、どこからともなくゼーガン砦に潜り込んできた半虎半人の1群が、砦内の5つの井戸全てに何かを投げ込んだそうだ。そして、何かを投げ込まれた井戸の水は透明色から真っ青な色に変わってしまったのである。
しかも怪しげな刺激臭もセットだ。明らかに毒の類だとしか兵士たちには思えなかったのである。
「くっ! 毒を井戸に投げ込むなんて、なんて卑怯なやつらなのっ! あいつらには騎士道すら持ち合わせていないのっ!」
「いや……。ショウド国軍には騎士道もなにも、騎士階級すらありませんぜ?」
ニコラスが怒れるアキヅキ=シュレインに冷静にツッコミを入れる。だが、それはただの【藪をつついて魔法の杖】であった。ニコラスは頭に血が昇ったアキヅキに襟元を掴まれて、頭を前後にぐわんぐわん揺らされることになる。
「アキヅキちゃん、落ち着きニャよ。ニコラスに怒りをぶつけてどうするニャ。シャクマさまもぼさっとしてないで、アキヅキちゃんを止めに入ってニャ」
フランがやれやれといった顔つきで、アキヅキとニコラスの間に割って入って、アキヅキを止めるのであった。アキヅキは明らかに平常心を失っていた。父とサクヤ=ニィキューの肉体関係、そして、勝ったと思ったところで井戸に毒を放り込まれるという事態を知る。
「くっ……。どうすれば良いのよ……」
ニコラスの襟元から手をどけたアキヅキは渋面となる。砦内の兵士たちに井戸が使い物にならなくなった事実が知れ渡れたば知れ渡るほど、急激に兵士たちの士気は下がってしまうだろう。
何か打開策が無いのかと、アキヅキは頭を抱えて悩み始める。そんなアキヅキを見かねて、シャクマが彼女に声をかける。
「おい、姫。こと、ここに至って打開策なんか存在しない。全面降伏するか、この砦を捨てて、後詰の砦に逃げるかのふたつにひとつだ」
「……っ!!」
アキヅキは渋面から悲痛な表情に変わっていた。彼女の視線からは、今まで自分たちのやってきたことは無駄だったの? この砦を護るために戦った兵士たちは犬死だったの? と言いたげであった。
だが、シャクマは精悍な顔つきでアキヅキに次のように言いのける。
「戦が起きれば、勝ち負けは必ずつく。勝つ日もあれば、力及ばず負けちまうことだってある。だが、大切なのは負け続けないことだ」
「負け続けないこと? それってどういう意味?」
「簡単だ。大将の姫が死ななければ良いってことさ。姫が死ななければ、実質、完敗ってことにはならないわけだ。そして、最後に姫が大勝すれば、全ての犠牲は報われる。わかるか?」
アキヅキにはシャクマの言わんとしていることが、この時点では半分近く理解できなかった。数多くの犠牲を払ってでも、自分が生き残り続けて、最後に巻き返せば良いと言いたいのだろうとアキヅキは理解する。だが、ここでおおいに引っかかることは、何故、自分が生き残れば『良し』とするシャクマの言い方だ。
自分はポメラニア帝国の帝でも、ましてや、この帝国の兵をまとめ上げる大将軍でもない。ただの一介の砦の主にすぎぬ身分である。自分がもし、ここでショウド国軍に捕まったところで、ポメラニア帝国としては、一介の将が捕まった程度の損失しかないはずだ。
「さあ、降伏するか、逃げるか。どっちか決まったか?」
降伏を選べば、ゼーガン砦を護る兵士たちの多くは、無下に扱われる可能性はあるが、命まで取られることは少ない気がするアキヅキである。しかしだ。女性はそういうわけにはいかないであろう。自分だけならまだしもサクヤ=ニィキューやフラン=パーンまでもが、口には出せないような辱めを受けるのは必定だ。
そして、逃げることを選べば、必ず追手がやってくるであろう。そうすれば、兵士たちの命は降伏する以上に散っていくのは明白だ。
アキヅキは血が滲むほどに唇を噛みしめる。死にたいほどの辱めを受けるであろう自分、そしてサクヤとフランの身を護るためだけに数多くの兵士たちを犠牲にしていいのか? それは抗えぬ罪となるのではないか?
苦虫を噛み潰したかのような表情のアキヅキをシャクマがやさしく抱きしめる。
「姫、生きろ。生きて再起を図るぞ」
「わたしは自分の都合だけで生き延びていいの?」
「ああ、そうだ。もっとわがままになれ。大将ってのは、わがままなくらいがちょうど良い」
この言葉でアキヅキは決心をする。シャクマから身を離し、外套を翻して、ニコラスに自分の後に続けと命ずる。ニコラスはアキヅキの背中とシャクマの顔を何度か交互に見合ったあと、アキヅキの後を追うのであった。
遺体安置所の外へアキヅキが出てくると、ゼーガン砦の兵士たちのほとんどは、がっくりと肩を落として、地べたに座り込んでいた。誰もがわかっているのだ。これ以上のゼーガン砦の防衛などできるはずがないのを。
「皆っ! 今までよくぞ戦ってくれたっ! わたしはゼーガン砦の司令官:アキヅキ=シュレインであるっ!」
虚ろな表情の兵士たちは気勢を上げる紅玉色の甲冑を着込んだ自分たちの司令官を、なんだなんだ? 今更、どうこうしようってのか? という怪訝な表情で力無く彼女の方を向く。
「今日までの頑張り。わたしは嬉しく思う! 敵の奸計により、これ以上はこの砦では戦えなくなった……」
兵士たちの一部からは、そんなわかりきったことをいまさら強調するんじゃねえと怒号が飛ぶ。だが、そんな悲壮感溢れる兵士を周りの兵士たちが止めに入る。士気は下がっているが秩序までは崩壊していない。アキヅキにはそれが嬉しくてたまらなかった。
だが、続く自分の言葉を聞いて、皆はどう思うのであろうか? もしかしたら、暴徒と化した兵士たちが自分を裸にひん剥いて、辱めを与えてくるのではないか? だが、アキヅキはそんな心配を顔には浮かべずに高らかと宣言をする。
「ゼーガン砦では敗れたかもしれない。だが、わたしたちはまだ戦える! だから、退くぞっ! ここから西にある後詰のサノー砦へ後退するっ! これは『逃げる』のではないっ。次に勝つために『戦略的後退』をするだけだっ!!」
しかも怪しげな刺激臭もセットだ。明らかに毒の類だとしか兵士たちには思えなかったのである。
「くっ! 毒を井戸に投げ込むなんて、なんて卑怯なやつらなのっ! あいつらには騎士道すら持ち合わせていないのっ!」
「いや……。ショウド国軍には騎士道もなにも、騎士階級すらありませんぜ?」
ニコラスが怒れるアキヅキ=シュレインに冷静にツッコミを入れる。だが、それはただの【藪をつついて魔法の杖】であった。ニコラスは頭に血が昇ったアキヅキに襟元を掴まれて、頭を前後にぐわんぐわん揺らされることになる。
「アキヅキちゃん、落ち着きニャよ。ニコラスに怒りをぶつけてどうするニャ。シャクマさまもぼさっとしてないで、アキヅキちゃんを止めに入ってニャ」
フランがやれやれといった顔つきで、アキヅキとニコラスの間に割って入って、アキヅキを止めるのであった。アキヅキは明らかに平常心を失っていた。父とサクヤ=ニィキューの肉体関係、そして、勝ったと思ったところで井戸に毒を放り込まれるという事態を知る。
「くっ……。どうすれば良いのよ……」
ニコラスの襟元から手をどけたアキヅキは渋面となる。砦内の兵士たちに井戸が使い物にならなくなった事実が知れ渡れたば知れ渡るほど、急激に兵士たちの士気は下がってしまうだろう。
何か打開策が無いのかと、アキヅキは頭を抱えて悩み始める。そんなアキヅキを見かねて、シャクマが彼女に声をかける。
「おい、姫。こと、ここに至って打開策なんか存在しない。全面降伏するか、この砦を捨てて、後詰の砦に逃げるかのふたつにひとつだ」
「……っ!!」
アキヅキは渋面から悲痛な表情に変わっていた。彼女の視線からは、今まで自分たちのやってきたことは無駄だったの? この砦を護るために戦った兵士たちは犬死だったの? と言いたげであった。
だが、シャクマは精悍な顔つきでアキヅキに次のように言いのける。
「戦が起きれば、勝ち負けは必ずつく。勝つ日もあれば、力及ばず負けちまうことだってある。だが、大切なのは負け続けないことだ」
「負け続けないこと? それってどういう意味?」
「簡単だ。大将の姫が死ななければ良いってことさ。姫が死ななければ、実質、完敗ってことにはならないわけだ。そして、最後に姫が大勝すれば、全ての犠牲は報われる。わかるか?」
アキヅキにはシャクマの言わんとしていることが、この時点では半分近く理解できなかった。数多くの犠牲を払ってでも、自分が生き残り続けて、最後に巻き返せば良いと言いたいのだろうとアキヅキは理解する。だが、ここでおおいに引っかかることは、何故、自分が生き残れば『良し』とするシャクマの言い方だ。
自分はポメラニア帝国の帝でも、ましてや、この帝国の兵をまとめ上げる大将軍でもない。ただの一介の砦の主にすぎぬ身分である。自分がもし、ここでショウド国軍に捕まったところで、ポメラニア帝国としては、一介の将が捕まった程度の損失しかないはずだ。
「さあ、降伏するか、逃げるか。どっちか決まったか?」
降伏を選べば、ゼーガン砦を護る兵士たちの多くは、無下に扱われる可能性はあるが、命まで取られることは少ない気がするアキヅキである。しかしだ。女性はそういうわけにはいかないであろう。自分だけならまだしもサクヤ=ニィキューやフラン=パーンまでもが、口には出せないような辱めを受けるのは必定だ。
そして、逃げることを選べば、必ず追手がやってくるであろう。そうすれば、兵士たちの命は降伏する以上に散っていくのは明白だ。
アキヅキは血が滲むほどに唇を噛みしめる。死にたいほどの辱めを受けるであろう自分、そしてサクヤとフランの身を護るためだけに数多くの兵士たちを犠牲にしていいのか? それは抗えぬ罪となるのではないか?
苦虫を噛み潰したかのような表情のアキヅキをシャクマがやさしく抱きしめる。
「姫、生きろ。生きて再起を図るぞ」
「わたしは自分の都合だけで生き延びていいの?」
「ああ、そうだ。もっとわがままになれ。大将ってのは、わがままなくらいがちょうど良い」
この言葉でアキヅキは決心をする。シャクマから身を離し、外套を翻して、ニコラスに自分の後に続けと命ずる。ニコラスはアキヅキの背中とシャクマの顔を何度か交互に見合ったあと、アキヅキの後を追うのであった。
遺体安置所の外へアキヅキが出てくると、ゼーガン砦の兵士たちのほとんどは、がっくりと肩を落として、地べたに座り込んでいた。誰もがわかっているのだ。これ以上のゼーガン砦の防衛などできるはずがないのを。
「皆っ! 今までよくぞ戦ってくれたっ! わたしはゼーガン砦の司令官:アキヅキ=シュレインであるっ!」
虚ろな表情の兵士たちは気勢を上げる紅玉色の甲冑を着込んだ自分たちの司令官を、なんだなんだ? 今更、どうこうしようってのか? という怪訝な表情で力無く彼女の方を向く。
「今日までの頑張り。わたしは嬉しく思う! 敵の奸計により、これ以上はこの砦では戦えなくなった……」
兵士たちの一部からは、そんなわかりきったことをいまさら強調するんじゃねえと怒号が飛ぶ。だが、そんな悲壮感溢れる兵士を周りの兵士たちが止めに入る。士気は下がっているが秩序までは崩壊していない。アキヅキにはそれが嬉しくてたまらなかった。
だが、続く自分の言葉を聞いて、皆はどう思うのであろうか? もしかしたら、暴徒と化した兵士たちが自分を裸にひん剥いて、辱めを与えてくるのではないか? だが、アキヅキはそんな心配を顔には浮かべずに高らかと宣言をする。
「ゼーガン砦では敗れたかもしれない。だが、わたしたちはまだ戦える! だから、退くぞっ! ここから西にある後詰のサノー砦へ後退するっ! これは『逃げる』のではないっ。次に勝つために『戦略的後退』をするだけだっ!!」
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