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第2章:オベール家の窮地

4:変態筋肉だるま

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 街行く民衆たちは、そんなフランクな態度のハジュン=ド・レイに向かって、ハジュンさまー! しっかり覚えているだよー! 魔物を退治してくれてありがとうだよー! などの感謝の言葉だけでなく、素敵、抱いて―! などと黄色い声援交りであったりもする。

 このことから、クロードはハジュンさまが火の国:イズモの民衆たちの間で人気があることがうかがい知れるのであった。水の国:アクエリーズでは、このようなことは起きた記憶はない。

 というよりは、水の国:アクエリーズの実質的な支配者であるボサツ家の当主:エヌル=ボサツがわざわざ下界に降りてくること自体が稀だったのだ。クロードがそもそも今回の計画を立てたのは、1~2か月に1度はハジュンさまが下界にやってくるという情報を前々から掴んでいたからなのである。

 しかし、実際にクロード自身がハジュンさまが下界に降りてくるところを目撃したわけではないので、半信半疑な情報であった。だが、一縷の希望にすがって、わざわざ、この大神殿のあるオダニの街にクロードはやってきたのである。

 クロードの希望はなんとか首の皮1枚で繋がっている状態であった。今から、クロードは20人近く居る兵士たちに囲まれているハジュン=ド・レイの下にたどり着き、オベール家の窮状を訴えかけねばならなかった。

 クロードはごくりと唾を飲み込む。紅い金属鎧に包まれた兵士は20人ほどだ。そいつらを突破するのは、クロードが磨き上げた武芸の腕により十分に可能であろう。しかしだ。ハジュン=ド・レイの隣を陣取る鉄仮面の変態筋肉だるま野郎が問題だ。

 鉄仮面の変態筋肉だるま野郎からは、隙をまったく感じられないからだ。ハジュン=ド・レイの周りの兵士たちは民衆たちの歓待の熱に浮かされているためか、隙だらけである。だが、この鉄仮面変態筋肉だるま野郎だけは大神殿に続く石畳に集まる民衆を無視し、明らかに、自分へと注意を集中させていることが、クロードに感じ取れるのであった。

(ははっ。こりゃ、ダメだ……。兵士の壁を突破する方法を色々とイメージしてみているが、一番の問題のあの鉄仮面野郎を突破できる気がまったくしないわ……。ロージー、すまねえ。俺、ここで死んでしまうかも……)

 クロードは心が折れそうになっていた。それほどまでに、鉄仮面の男とクロードの力量の差をクロード自身が肌で感じ取っていたからだ。クロードは悔しさで涙が溢れそうになっていた。ハジュンさまはとっつき易そうなイメージがあるというのに、その上半身裸の鉄仮面が、険しい山の途上に築かれた難攻不落の砦に思えたからだ。

 クロードは何を思ったのか、すくっと静かに立ち上がり、顔を下に向けたまま、ゆらゆらと身体を左右にふらつかせながら、ハジュン=ド・レイに向かって歩を進めるのであった。

 上半身裸の鉄仮面の騎士は兵士の間を割って、ハジュンの盾となるべく、クロードの前に立ちはだかる。

「さっきから気になっていたでもうすが、その方、ハジュンさまに何用でもうすか?」

 上半身裸の騎士は鉄仮面の奥から緋色の双眸を覗かせている。その双眸からは相手を射殺すほどの殺意が湧きだしていた。クロードはその殺意を一身に受けて、身が縮みあがる思いであった。しかし、クロードはその縮みあがる身から必死に声を出す。

「オベール家のオルタンシア=オベールさまを救ってほしいんです……」

 クロードは、今にも消えそうなかぼそい声で鉄仮面の騎士に訴えかける。

「ロージーの母親のオルタンシアさまが去年から、ずっと病にかかっているんです……」

 自分の意見など、眼の前に立ちはだかる筋肉だるまに通じるわけがないと。しかし、それでもクロードは腹に力を入れる。猫背であった背をまっすぐと伸ばす。うなだれてしまいそうな顔を無理やり前に向かせて吼える。

「俺のロージーが泣いているんです! オルタンシアさまがこのままだと、今年の夏を越えれないんです! 俺はここで斬り殺されても構わないっ! だけど、オルタンシアさまを救ってほしいんですっ!」

 クロードは、半ばやけっぱちになっていた。通るわけのない自分の意思を眼前の鉄仮面の騎士に向かって、力の限り吐露する。

(ああ、俺の命など惜しいものか。それよりも、ロージーが母親を亡くして、泣きじゃくる姿を見るほうが、よっぽど俺には酷な話だ。ロージーを幸せにすると誓ったのに、まったく出来やしないじゃないか!)

「ふむっ。オルタンシアさまの容態がそこまで悪化していたとは思わなかったのでもうす……。クロードよ。すまなかったのでもうす。そなたの願いをハジュンさまに届けてやるのでもうす」

 鉄仮面の男がそう言うのを聞いて、クロードは、えっ? と疑問に思ってしまうのは仕方がなかったことと言えよう。オルタンシアさまのことは火の国:イズモでは、ある意味において有名であった。ここ50年くらいのポメラニア帝国の歴史において、冷凍睡眠刑を喰らった数少ないひとりであるカルドリア=オベールの奥方:オルタンシア=オベールだからだ。

 しかし、それ以上にクロードが疑問に思ったことは他にあった。

「なぜ、俺の名前を知っているんです? 俺とあなたの間に面識なんてありました?」

 クロードが疑問を声にすると、鉄仮面の騎士はガハハッ! と豪快に笑う。そして、鉄仮面を外し、その素顔をあらわにするのであった。その顔を見て、クロードは眼を白黒させるのである。

「クロードよ。立派な男に成長したようでもうすな? 我輩はお前の知っての通り、ヌレバ=スオーなのでもうす! いやあ、オルタンシアさまたちが、この火の国:イズモに流れついている噂は聞いていたモノの、なかなか会いに行けずに、申し訳なかったでもうす!」

 ヌレバ=スオーと名乗った筋肉だるまは左手に鉄仮面を持ち、右手でクロードの左肩をバンバンと叩く。クロードはかつての師匠にこんなところで出会ったために、心の整理が追い付かない。クロードは、あうあうあうと声にならない声をあげて、次には両の眼から涙があふれ出てくるのであった。

「ガハハッ! 立派な男と言ったのは失敗だったのでもうす。こんな観衆の面前で涙を流すやつがいるか? ハジュンさま。この男は、かつての我輩の不肖の弟子なのでもうす。こやつが仕えているオベール家の窮状を直訴しにきた模様でもうすが、なにとぞ、穏便に済ませてほしいのでもうす!」

 上半身裸で赤褐色の肌の騎士がハジュン=ド・レイにそう言いのける。それを受けて、ハジュンは、はははっ! と高笑いをし

「先生は他の四大貴族のひとたちとは違って、かなり温厚な部類ですからね? 直訴のひとつやふたつで縛り首だー! 磔刑だー! なんて、わめき散らしませんよ? そんなことしてたら、この街の住人達の半分は、とうの昔に天に召されることになりますからね?」
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