【完結】婚約破棄された悪役令嬢は童貞公爵様の恋愛指南役となる

氷 豹人

文字の大きさ
46 / 112

友人以上恋人未満

しおりを挟む
「承知しましたわ」
 マーレイの気持ちは固まった。
 サーフェスの視線はあくまでにしか向いていない。
 幾らマーレイとのキスを繰り返そうとも、それはあくまで練習としかみなしていない。
 それなら……。
 マーレイはドレスの肩を抜いた。
 今朝、ケアランが選んだのは、お決まりの首の詰まったものではない。襟ぐりの大きく開いた、胸の谷間を強調するようなドレスだ。
 いつもクローゼットの奥に潜ませていたそれは、バルモアとの婚約が決まった際にデザイナーのバリー夫人が「婚約者がお悦びになりますよ」などと余計な気遣いでデザインしてくれたのだ。
 二度と袖を通す機会はなかったはずなのに。
 サーフェスを誘惑するため、ケアランが引っ張り出してきた。
「な、何をする! 」
 サーフェスは目を見開き、声をひっくり返す。
 マーレイはドレスの前をコルセットごと思い切り下げて、胸を露わにさせたからだ。
 白くややふっくらした乳房がぽろんと揺れた。
 誰にも触れさせたことのない乳首は、薄いピンク色だ。
 そのピンクを前に、サーフェスがごくりと生唾を飲んだ気がした。
「朝っぱらからレディの取る行いではないぞ! 早く襟ぐりを直せ! 」
 どうやらマーレイの勘違いだったらしい。
 サーフェスは不機嫌に鼻から息を吐き出すと、早口で命令した。
 マーレイは深呼吸すると、おもむろに体を反転させ、背筋を正した。
「背中のボタンをお外しになって」
「は、話を聞いているのか! 」
「背中に手が届かないのです。お願いしますわ、公爵」
「マーレイ! いい加減にしたまえ! 」
「公爵。お願いしますわ」
 だんだん声を荒げるサーフェスに対し、マーレイは至って落ち着き払っている。
様のために、私を練習台にお使いくださいな」
 途端にサーフェスの顔がこの上なく苦悶に歪んだ。
「こ、これ以上は駄目だ。マーレイ。私は君を貶めるつもりはない」
「私は社交界でも評判の悪女なのでしょう? 」
「わ、私を他の低俗な男共と同じにするな! 」
「つまらない言い訳はおやめになって」
「よさないか、マーレイ」
 唐突にサーフェスから肩を掴まれたと思えば、彼が真正面にくるよう、またしても体の向きを変えられていた。
 琥珀の眼差しとぶつかる。
 マーレイの喉が小さく鳴った。
「きゃっ」
 視界がぼやけたかと思えば、鼻先に硬い感触。
 あっと気づいたときには、当たったのは彼の鍛え抜かれた胸板であることがわかった。
 サーフェスにきつく抱きしめられていた。
 やけに速い鼓動が伝染する。
 マーレイの拍動がどんどん数値を上げていく。
「自分を安売りするのはよせ」
 低い響きが鼓膜を揺する。
「所詮、私は淫乱女ですもの」
 拗ねた物言いになってしまったのは、突発的な状況に、脳が上手く働かないから。
 背中に回っていた手が皮膚に食い込む。
 抱き潰されてしまうのではないかと思うくらい、強い力だ。
 苦しくて身じろぎしても、力は緩まない。
「すまない。言い過ぎた。許せ」
 マーレイの首筋に顔を埋めたサーフェスの声がくぐもる。
「公爵? 」
 何故、いきなり抱きしめられているのか。突然の状況に思考が追いつかない。彼の背に手を回して良いものかどうかさえ、わからない。行き場のないまま、両手が宙ぶらりんだ。
「名前で構わない」
「え? 」
「サーフェスと呼べ」
 何故かいきなり、ファーストネーム呼びを強いる。
 爵位のある男性を馴れ馴れしくファーストネームで呼ぶのは、普通、家族以外にはあり得ない。
 余程の親しい友人同士を除いては、敬称が一般的だ。
 たかだか伯爵令嬢が許されるわけがない。
「で、ですが」
「君とは友人以上の関係ではないか」
「恋人未満ではありますが」
「それでもだ。今更、よそよそしい呼び方はしなくて良い」
 彼とはキスや、それ以上の物凄いことをする仲ではあるが。
「で、でしたら。サーフェス様……とお呼びしてよろしいの? 」
「勿論だ」
 サーフェスは白い歯を覗かせ、抱きしめていたマーレイを引き剥がした。
 マーレイから敬称で呼ばせないことに、満足したようだ。すっかり機嫌を取り戻している。
 めまぐるしい状況についていけず、取り残されたマーレイの両手は、未だ不自然に宙に浮いたまま。
「今日の指南は取り敢えず、これで仕舞いにしよう」
「次は? 」
「明日だ」
 断言される。
 明日も彼とキスするのか。ほんのり、マーレイの頬が色づく。
「そ、それより。早くドレスの襟ぐりを直したまえ」
 サーフェスはぶっきらぼうに言うなり目を逸らした。
「きゃっ! 」
 すっかり乳房を露わにしたままであったことに気づき、たちまちマーレイの顔に火がつく。
 彼に背を向け、急いでずれ落ちた布地を引っ張り上げる。
 乳房など父を筆頭に男性に見られたことなどない。マーレイの素肌を見るのは、レディーズメイドのケアランと、湯浴みのメイドに限られている。
 恋人でもない男性など以ての外だ。
「こう毎日毎日では、お仕事に差し支えありませんの? 」
 羞恥のせいで手元が震え、なかなか布地が上がらない。悪戦苦闘を誤魔化すように、マーレイは早口で話を振った。
「あ、ああ。ワインズマンへの脅しがきいたのか、このところの顧客はやけにからな。この屋敷での書類作成で事足りる」
 女性の胸をまともに見てしまった経験値ゼロの男は、ゴホンゴホンとやけに咳払いを繰り返しながら、慌てて答えた。
「そ、そうですの」
 マーレイはそう返すのがやっとだった。
しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

お飾り王妃の死後~王の後悔~

ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。 王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。 ウィルベルト王国では周知の事実だった。 しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。 最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。 小説家になろう様にも投稿しています。

家出を決行した結果

恋愛
フィービーの婚約者ミゲルには大切な幼馴染がいる。病弱な幼馴染をいつも優先するミゲルや母が亡くなって以降溝が出来てしまった父と兄との関係にフィービーは疲れていた。 デートの約束をしてもいつも直前になって幼馴染を理由にキャンセルされ、幼馴染にしか感情を見せないミゲルを、フィービーを見ようとしない父や兄を捨てる決心をしたフィービーは侍女や執事の手を借りて家出を決行した。 自分を誰も知らない遠い場所へ行ったフィービーは、新しい人生の幕開けに期待に胸を躍らせた。 ※なろうさんにも公開しています。

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

側妃契約は満了しました。

夢草 蝶
恋愛
 婚約者である王太子から、別の女性を正妃にするから、側妃となって自分達の仕事をしろ。  そのような申し出を受け入れてから、五年の時が経ちました。

「お幸せに」と微笑んだ悪役令嬢は、二度と戻らなかった。

パリパリかぷちーの
恋愛
王太子から婚約破棄を告げられたその日、 クラリーチェ=ヴァレンティナは微笑んでこう言った。 「どうか、お幸せに」──そして姿を消した。 完璧すぎる令嬢。誰にも本心を明かさなかった彼女が、 “何も持たずに”去ったその先にあったものとは。 これは誰かのために生きることをやめ、 「私自身の幸せ」を選びなおした、 ひとりの元・悪役令嬢の再生と静かな愛の物語。

〈完結〉【書籍化&コミカライズ】悪妃は余暇を楽しむ

ごろごろみかん。
恋愛
「こちら、離縁届です。私と、離縁してくださいませ、陛下」 ある日、悪妃と名高いクレメンティーナが夫に渡したのは、離縁届だった。彼女はにっこりと笑って言う。 「先日、あなた方の真実の愛を拝見させていただきまして……有難いことに目が覚めましたわ。ですので、王妃、やめさせていただこうかと」 何せ、あれだけ見せつけてくれたのである。ショックついでに前世の記憶を取り戻して、千年の恋も瞬間冷凍された。 都合のいい女は本日で卒業。 今後は、余暇を楽しむとしましょう。 吹っ切れた悪妃は身辺整理を終えると早々に城を出て行ってしまった。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

処理中です...