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胡散臭い父
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朝食の時間に間に合うように戻って来たが、なかなか父は現れない。
しかも、料理も遅れている。
いつもは落ち着き払っているヴィンセント家の家令も、汗をかいて眼鏡を曇らせ、しきりにハンカチで拭っている。
何やら慌立たしい。
マーレイは膝に置いたナプキンの端をいじりながら、朝方に戻って来た光景を思い起こしていた。
たった三日間不在にしただけなのに、随分と長い間帰って来なかったような気がする。
赤煉瓦の積まれたチューダー様式の、周囲の屋敷の屋根より一段高くなって突き出している煙突が見えてきて、マーレイはホッと息をついた。
馬車が近づくにつれ、外部に露出した柱や筋交、梁がだんだん分厚い塀の先に見えてくる。
パラペットの妻壁を眺めていたとき、がくん、と客車が動いた。
馬車がヴィンセント邸の玄関前に到着したときだった。
「全く。とんでもないやつだ」
玄関へと続く石段の上で仁王立ちしながら、箒を手に家令が何やら悪態をついている。
そんな家令を挟むように横並びで、屈強な庭師、コック、従僕がそれぞれ棍棒やら鋤やらモップやらを持って、ハアハアと荒々しく肩で息をしていた。
「お嬢様が不在で良かった」
取り分け息が荒いのは、がりがりに痩せ細った家令だ。染めた黒髪を後ろに撫で付けてただでさえ広くなった額を強調させ、皺一つない糊のきいたシャツを身につけるその隙のなさが、今は全く失われている。
「まあ。何の騒ぎ? 」
馬車から降りて声を掛けたら、男らは同時に飛び上がった。
彼らは今、マーレイが戻って来たことに気づいたらしい。
「い、いえ。の、野良犬が……野良犬が屋敷に入り込もうと」
五十手前の庭師が首に巻いたタオルで汗を拭きながら、しどろもどろに説明する。
近頃、頻繁に街中で野良犬を見かけるようになった。
「まあ。それで、誰も噛みつかれたりはしなかったの? 」
「え、ええ。男ら総出で追い払いましたから」
なあ、と互いに視線を交わし合い、ぎこちなく頷く。
何事かが起こっている。
彼らの態度に胸騒ぎを覚えるよりも早く、ケアランが横入りしてきた。
「お嬢様。旦那様がお待ちですわ。早くお召しかえいたしましょう」
ケアランはあからさまに動揺を見せる男らをギロリと睨みつけると、何も見せなかったと言わんばかりにマーレイを屈託ない笑顔で促した。
一時間近く遅れて食堂へとやって来た父は、両手を大きく広げ、娘の帰宅を喜んだ。
三日ぶりの父は胡散臭いくらいに陽気だ。
「やあ、よくぞ帰って来たな。気分転換は出来たか? 」
「え? 」
「お前にも心を許せる友人がおって、父はうれしいぞ。あちらの赤ん坊は何ヶ月目だ? 随分と大きいのか? 」
「え? え? 」
全く話が読めない。
目を白黒させるマーレイに、控えていたケアランがそっと耳打ちした。
「旦那様。お嬢様はお疲れのご様子でして」
「うむ。そうか。長旅で疲れただろう」
ケアランの誤魔化しに、伯爵は口髭をもごもごさせながら微笑んだ。妙に物分かりが良いのが却って不気味だ。
「旦那様には、ご友人の出産祝いに向かったとお伝えしておりますので」
「そう。承知したわ」
ケアランはマーレイにもこっそり説明した。
どうやらサーフェスの看病に赴いた三日間を、そのような理由をつけて欺いたようだ。
社交界で「悪役令嬢」だの「腹黒魔女」だのと悪様に貶められ、せっかく捕まえた婚約者も別の女性に寝取られたという浮いた存在の令嬢と懇意になろうなどといった若い娘など、いるわけがない。
マーレイはいつだって孤独だ。
父だって、わかっている。
ところが、おかしなことに父は疑問を持つどころか、マーレイの友人関係に手放しで喜んでいる。
裏を返せば何か後ろめたいことを隠しているということだ。
でなければ、マーレイに関して何かと口うるさく問いただしてくるはず。
マーレイは朝食のスコーンにブルーベリージャムを塗りたくりながら、父を睨めつけた。
しかも、料理も遅れている。
いつもは落ち着き払っているヴィンセント家の家令も、汗をかいて眼鏡を曇らせ、しきりにハンカチで拭っている。
何やら慌立たしい。
マーレイは膝に置いたナプキンの端をいじりながら、朝方に戻って来た光景を思い起こしていた。
たった三日間不在にしただけなのに、随分と長い間帰って来なかったような気がする。
赤煉瓦の積まれたチューダー様式の、周囲の屋敷の屋根より一段高くなって突き出している煙突が見えてきて、マーレイはホッと息をついた。
馬車が近づくにつれ、外部に露出した柱や筋交、梁がだんだん分厚い塀の先に見えてくる。
パラペットの妻壁を眺めていたとき、がくん、と客車が動いた。
馬車がヴィンセント邸の玄関前に到着したときだった。
「全く。とんでもないやつだ」
玄関へと続く石段の上で仁王立ちしながら、箒を手に家令が何やら悪態をついている。
そんな家令を挟むように横並びで、屈強な庭師、コック、従僕がそれぞれ棍棒やら鋤やらモップやらを持って、ハアハアと荒々しく肩で息をしていた。
「お嬢様が不在で良かった」
取り分け息が荒いのは、がりがりに痩せ細った家令だ。染めた黒髪を後ろに撫で付けてただでさえ広くなった額を強調させ、皺一つない糊のきいたシャツを身につけるその隙のなさが、今は全く失われている。
「まあ。何の騒ぎ? 」
馬車から降りて声を掛けたら、男らは同時に飛び上がった。
彼らは今、マーレイが戻って来たことに気づいたらしい。
「い、いえ。の、野良犬が……野良犬が屋敷に入り込もうと」
五十手前の庭師が首に巻いたタオルで汗を拭きながら、しどろもどろに説明する。
近頃、頻繁に街中で野良犬を見かけるようになった。
「まあ。それで、誰も噛みつかれたりはしなかったの? 」
「え、ええ。男ら総出で追い払いましたから」
なあ、と互いに視線を交わし合い、ぎこちなく頷く。
何事かが起こっている。
彼らの態度に胸騒ぎを覚えるよりも早く、ケアランが横入りしてきた。
「お嬢様。旦那様がお待ちですわ。早くお召しかえいたしましょう」
ケアランはあからさまに動揺を見せる男らをギロリと睨みつけると、何も見せなかったと言わんばかりにマーレイを屈託ない笑顔で促した。
一時間近く遅れて食堂へとやって来た父は、両手を大きく広げ、娘の帰宅を喜んだ。
三日ぶりの父は胡散臭いくらいに陽気だ。
「やあ、よくぞ帰って来たな。気分転換は出来たか? 」
「え? 」
「お前にも心を許せる友人がおって、父はうれしいぞ。あちらの赤ん坊は何ヶ月目だ? 随分と大きいのか? 」
「え? え? 」
全く話が読めない。
目を白黒させるマーレイに、控えていたケアランがそっと耳打ちした。
「旦那様。お嬢様はお疲れのご様子でして」
「うむ。そうか。長旅で疲れただろう」
ケアランの誤魔化しに、伯爵は口髭をもごもごさせながら微笑んだ。妙に物分かりが良いのが却って不気味だ。
「旦那様には、ご友人の出産祝いに向かったとお伝えしておりますので」
「そう。承知したわ」
ケアランはマーレイにもこっそり説明した。
どうやらサーフェスの看病に赴いた三日間を、そのような理由をつけて欺いたようだ。
社交界で「悪役令嬢」だの「腹黒魔女」だのと悪様に貶められ、せっかく捕まえた婚約者も別の女性に寝取られたという浮いた存在の令嬢と懇意になろうなどといった若い娘など、いるわけがない。
マーレイはいつだって孤独だ。
父だって、わかっている。
ところが、おかしなことに父は疑問を持つどころか、マーレイの友人関係に手放しで喜んでいる。
裏を返せば何か後ろめたいことを隠しているということだ。
でなければ、マーレイに関して何かと口うるさく問いただしてくるはず。
マーレイは朝食のスコーンにブルーベリージャムを塗りたくりながら、父を睨めつけた。
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